第七話 「別離!最強の対鬱戦法!」
真島と山下の対決から二年の月日が流れた。
曇天の空の下、門が音を上げて開く。
ここ亜払刑務所から今日、1人の男が出所するのである。
その門の前には1人の男が立っていた。
その身体は太かった。髪は短く、顔はどこか愛嬌があり、人懐っこい雰囲気が伝わってくる。その顔が緊張の面持ちで門を見ている。
門の中から坊主頭の男が出てきた。
まるで熊のようだった。全身の筋肉が余すことなく隆起している。
身体を鍛えすぎて筋肉の角が取れ、一眼には肥満体のように見える。
「よう、ヒロ…待たせたな」
晴男であった。
公園での真島と山下の対決の後、晴男は逮捕された。
山下が警察に駆け込んだのだ。
晴男は傷害、監禁の罪に問われた。晴男逮捕の報を聞きつけ、武者修行の過程で、打ち負かしてきた男たちが続々と警察署に来た。
彼らは自身が晴男による暴力行為を告げたのである。あるものは股間を破壊され、あるものは鼻の穴を1つにされ、あるものは骨延長手術を無理やり受けさせられ、その内容は思わず耳を塞ぎたくなる内容であった。
決闘罪が10件、傷害罪6件、監禁罪1件、それが晴男に下された罪であった。
罪には罰を晴男は獄中に囚われることとなった。
獄中は寧ろ晴男にとって願ってもない環境であった。飯も3食出るし、身体を鍛える時間もたっぷりある。
気がかりなのは真島のことだった。
真島が山下を打ち負かしたときに見せた狂気。あれが武の暗黒の側面な気がしてならなかった。俺は優しい青年を獣に変えてしまったのではなかろうか?
俺の武は人を生かす事こそ目標である。
獄中でも、晴男の心は穏やかだった。無実の罪でこうして捕まってしまったが、それもまた神が自分に課せた鍛錬の1つなのであろう。
しかし、真島は、あの青年が辿る道を考えると、晴男の心に一抹の不安が発芽するのであった。
檻の外で晴男と真島は手と手を合わせて再会を喜んだ。
「晴男さん、晴男さんは確かに罪を犯しましたが、俺の恩人には変わりないっす。これから真面目に生きて傷つけた人達に少しでも罪滅ぼしをしましょう。今度は俺が手伝います!!!」
晴男の姿を見た真島は涙ながらにそう言った。
「まぁ、それは、いいとして」
晴男が軽く受け流す。
「お前、拳法を悪用してないだろうな…」
晴男が鋭い声で真島に聞く。
「…?もちろんですよ!!!」
一瞬、晴男が何を言っているのか分からず、真島は困惑した。
「今でも身体を鍛えてます。高校にも定時制で通い始めました。バイトもちゃんとしてます。親とも仲直りできました。友達もできましたし、それに…彼女も出来ました…全部、晴男さんが俺に武を教えてくれたおかげです!!!」
真島は一息にそう言った。ずっと晴男に言いたかったのだ。自身が変われたのは貴方のおかげです。だから今度は俺が貴方を支えますと、
「遅かったか…」
晴男は絶望のあまり、地面に片膝をついた。
「どうしましたか?」
真島が不安げに聞く
「お前は私利私欲の為に武を使っている」
涙を流して晴男が言った。
どうしていいか分からず、真島は晴男の肩に手を置いた。その瞬間、晴男の手が真島の頬を打った。
「俺はお前に見込みがあったから、お前が陰キャだったから武を教えたのだ!!!陰キャは人の痛みが分かる人間だからだ。それがどうだ、俺が目を離した隙に、青春を謳歌しおって!!!それでは武の道は極められん…それどころか、お前はこのまま行けば悪の道に行き、警察のお世話になりかねんぞ」
「えぇ…今、刑務所から出てきた人がいいますか…?」
「黙れ!!」
そう言うとまた真島の頬を打った
「して、その、彼女とはやったのか…?」
「はい…?」
「SEXをしたのかと聞いている…」
「そりゃあ…まぁ…俺も18ですから…」
真島が恥ずかしそうに顔を指でかく、その顔に晴男の鉄拳がとんだ。
「その歳で女の肉体に溺れたか!!!そこまで落ちたか!!!この痴れ者が!!!恥を知れ!!!」
「ちょっと、晴男さん、言い過ぎですよ…俺はただ、貴方の助けに…」
「いらんいらんいらん!!!お前のような悪魔の助けなどいらーん!!!」
そのまま、顔を膨らませて、晴男は腕組みした。
「わかりました…こんなことになって残念です…お世話になりました…」
真島は晴男に背を向けて、トボトボと歩き始めてしまった。
「待って!!!」晴男はそう言いかけて、真島に手を伸ばしかけてしまった。
実は、この真島に対する異常なまでの仕打ちは、晴男が獄中で編み出した奥義、対鬱戦法「責任転換」の後遺症である。
獄中、夜になると晴男は自身の身の上を考えずにはいられなかった。
20代後半、無職、童貞、前科一犯。
例えようのない不安と怒りがこみ上げてきた。
しかし、振り上げた拳の落としどころが分からない。
このままでは自身の自我が崩壊してしまう。そう晴男の無意識が危険信号を出した。
全ての責任は誰にある?
俺自身だ。しかし、それを受け入れることは死を意味する。
己の肉と心との戦いは三日三晩続いた。
そして、晴男がたどり着いたのが、
「真島は悪の道に落ちてやいないだろうか?」
と言う気持ちであった。
これはまず、落ちてやいないだろうか、とちょっと上から人の事を見る事で心の平静を保ち、尚且つ、悪の道に落ちた真島を想像することで、コイツよりはマシと自分に思い込ませる究極の奥義であった。
それを考えるだけで少しだけ晴男は安心できた。
そんな日々が二年続き、ついには
「真島は悪の道に落ちてやいないだろうか?」から
「真島は悪の道に落ちているに決まっている」
に思考は変化していった。
ここに最強の対鬱戦法奥義「責任転嫁」が完成し、晴男は武の道をまた一歩進めたのであった。
しかし、いざ会った真島は超好青年だった。
なんなら、童貞を自分よりも先に卒業していた。
下に見ていた人間が、社会的に自分よりも大きく上になっている。
それを晴男の脳は受け入れる事が出来なかった。正確には受け入れようともしなかった。
自身の想像と現実が矛盾を起こし、そして、晴男は自身が壊れる前に真島を殴り、罵倒したのであった。
武の道を極めんとするのはこんなに辛い事なのですか…?加賀先生?
晴男は曇天の空を見上げて師に問うた。
「SEXしてぇえええ!!!」
晴男の絶叫が空に吸い込まれていった…