第三十一話 「その名は魔門」
加賀八明と矢吹晴男は机を挟んで向かい合っていた。
その日、師弟は高級料亭にいた。
雨が降りしきる庭園が彼らのいる部屋から見える。
目の前に並ぶ料理を楽しみながら、2人は酒を酌み交わしていた。
「矢吹…」
加賀が剃刀で切ったように細い目を晴男に向けた。
「武芸百般とは一体なんだと思う…」
加賀が尋ねる。
「武芸百般とは…あらゆる武芸をその身に修めることでしょうか」
晴男が答える。その身体は頼りなく、線が細い。筋肉が十分に身体についていない。
晴男の言葉を聞き、加賀が笑う。
「その通り、武芸をその身に修めることだ。それには気の遠くなるような歳月が必要となる…女、地位、金、時間、すべてを捨てて、武にのみに生き、初めて得るのが武芸百般だ」
加賀が笑う。師が笑う姿を晴男は初めて見た。
「しかし、この世には歳月を経ずとも武芸を修めることが出来る者がいる」
晴男は黙したままだった。師の言葉をはかりかねている。
「特異体質…見たものを丸々、体術、精神、すべてを模することが出来る者がいる。そんな者が隔世で現れる」
「その者とは…」
晴男が絞り出すように言った。
「その者は人ならざる者、魔の門を開けた者、
魔門を持つ男たちと我々は言っている。魔門を開けた男達はこの世界を支配出来るほどの力を持つ」
「その男と出会えばどうすればいいでしょうか」
「見極めろ、魔門を持つものが善良ならば、全てを捧げ、その者の為に生きろ」
「ならば、その男が悪意に満ちていたらどうするんですか」
「殺せ。お前の全てをかけて」
師はそう言うと酒を一気に飲み干した。
庭から雨が地面を叩く音が聞こえる。
その数年後、晴男は魔門を持つ男と出会った。
彼は晴男から武を教わり、瞬く間に強くなった。
あの凶育の達人、吉岡清一を倒すほどに。
矢吹晴男は選手出入り口に立っていた。
薄暗いこの場所には、会場の煌々とした光が入ってきている。
その光はより深い闇を作り出し、闇が晴男の身体にまとわりついていた。
弟子の真島浩高が魔門の持ち主であることを晴男は確信していた。
コンビニ総合格闘技を身につける速さ。ボクシングを身につける速さ。そして、先の試合で見せた凶育の吉岡を超える教育の達人を真似た攻撃。
晴男ははかりかねていた。
我が弟子が善か悪か。
真島が女に、金に、地位に溺れたように見えた時期もあった。
しかし、今日再開した真島は変わらぬ好青年だった。
師匠、加賀が言った言葉が頭の中で反芻する。
殺せ…
吉岡を倒した真島の目、その目に宿る狂気が忘れられなかった。
もしもの時…そこまで頭の中で考えたが、そこから先は…晴男は考えることをやめた。
選手入場口。
真島浩高は歓喜していた。
やっと師匠の元まで追いついた。
師匠に助けられた。師匠に会っていなかったら、まだ俺はあの小さな部屋で1人いたことだろう。
女に、金に、地位に溺れたと誤解された時もあった。しかし、それでも尚、尊敬の念は消えなかった。
俺は強くなった。今日、ここで師匠を超えることが唯一の恩返し。
真島は試合会場へと歩を進めた。
2回戦、第一試合。
矢吹晴男対真島浩高
2人はマットの上で向かい合った。
師弟の間に最早言葉は必要なかった。
試合開始の合図がなる。
それと同時に晴男の身体が真島の視界から消えた。
突然のことに真島の身体が固まった。
その数瞬後に、真島の顔面に晴男のカカトが打ち込まれていた。
胴回し回転蹴りである。
真島の身体がもんどりうって倒れる。
すかさず、晴男が真島の後ろからガッチリと、彼の首を締め上げた。
裸締めである。
勝負は決まった。
あとは真島が落ちるのを待つだけである。
魔門が開ききる前に勝負をつける。
場合によっては…
お前の才能をここで摘み取る。それがお前のためなんだ。
晴男は締め上げる力を強めた。
その刹那、晴男の肘に激痛が走る。
思わず、力を緩めたその隙をつき、真島は肘鉄を晴男の鳩尾に叩き込み脱出した。
晴男の肘を真島はつまみ、ねじり上げ、その肉を引きちぎっていたのである。




