第7話・プール
ミーティングが終了した十数分後、チーム36のメンバーは水着に着替えるため、軍の施設内にあるプールの更衣室にいた。
といっても皆が水着を持ち合わせているはずもなく、与えられたのは、訓練に使用する競泳用のものだった。
だが、それでも皆嬉しそうだった。
そして、その中にツルギの姿もあった。
ツルギはごきげんらしく、鼻歌を口ずさみながら服を脱いでいた。
それは、さっきマイがシャワーを浴びながら歌っていたメロディーだった。
「あの、ツルギさん」
彼女に話しかけたのはハルカだった。
ツルギは彼女の方を見た。
「あの、ありがとうございました」
そう言って、いきなり頭を下げたハルカに対し、ツルギはきょとんとした顔でそれを見つめていた。
「なに?」
「助けてもらったお礼です。まだ言ってなかったから」
「え?ありがとうって、お礼ってなに?」
「え?」
そのツルギの言葉に、皆が彼女を見た。
「お礼というのは、感謝の気持ちを言葉にしたものです。あなたは私たち全員の命を救ってくれました。それへの感謝の言葉が〝ありがとう”です」
そう言うハルカに対し、
「ふぅん、そうなんだ。そんなこと言われるの生まれて初めて。ありがとうか、いい言葉だね」
にこっと笑う、そんなツルギの屈託のない笑顔に、緊張がほぐれたようにリンが口を開いた。
「ツルギちゃん凄く強いんだね。背も高いし、さっきの動画のツルギちゃん凄くかっこよかった。男の子みたい。ううん。男の子よりかっこよかったよ。ねぇ、小型のブロッケンをどうやって素手で倒したの?」
瞳をキラキラさせながらツルギに迫る。
「えっ?・・えっと、相手よりも速く動いて」
ツルギがどう説明していいかわからないと言った感じの、ちょっと言葉に困った様子で話し始める。
「え?」
「懐に飛び込んだら、コア目掛けてドンって」
と言いながら拳を突き出す。
「殴るの?」とリンも返事に困る感じで言葉を返す。
「うん。あ、蹴りもしたよ」
そう言いながら制服を脱いだツルギを見て皆‶えっ?″となった。
なんと彼女は全裸のまま更衣室から出て行こうとしたのだ。
「・・・ツルギちゃん、水着着るの忘れてるよ?」
「え?」ツルギはきょとんとした顔で、目の前に立つ水着姿のアヤたちを見て、それから自分の身体を見た。
「え?えっと・・・」と戸惑い気味に支給された水着を手に取る。
「これどうやって着るの?」
「え?・・・もしかして着たことないの?」
「うん、教えて」
「いいよ」
リンが着るのを見よう見まねでツルギが水着に身体を通していく。
だが、その輪に加われない者たちがいた。
それはマイとアンナだった。
「もう、リンのやつ、本当に調子いいんだから」
そう呟くアンナは、そう言いながらもてきぱきと着替えを進めていた。
だが、マイはもたもたして着替えが進まず、結果、更衣室出るのが一番最後になっていた。
そんなマイの眩しすぎる水着姿に見とれながら、アンナは言葉に出来ない違和感を感じていた。
が、それよりも今はマイのことが気掛かりだった。
「マイ、大丈夫?顔色悪いよ」
アンナが寄り添うように話しかける。
「まだ身体が本調子じゃないんなら無理しないで休んだほうが・・・」
ゴンっ。
それはあまりに突然の出来事だった。
アンナは、皆が出ていき、閉じる寸前だった自動ドアに思いっきり鼻をぶつけていた。
「いったぁ~~~~っ」
あまりの痛さと、マイに見られたという恥ずかしさから思わずしゃがみこむ。
(こんな無様な姿を見られるなんて)アンナは、文字通り穴があったら入りたい心境だった。
その時だった。
「大丈夫?」
顔を覆う彼女の手をマイが握った。
「!!」思わず顔をあげると、目の前をマイの顔があった。
「どこぶつけたの?あ、鼻が赤くなってる」
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないよ、涙でてるよ」
そう言いながら、マイの指がアンナの涙を優しくぬぐった。
「え?え?え~~~っ」
あまりに突然の、予期せぬ出来事にアンナの頭はパニックになった。
その瞬間、彼女の鼻から間欠泉のように血が噴き出していた。
「アンナっ」
その十数分後、チーム36のメンバーはプールサイドに集合していた。
ただし、鼻血が止まらなかったアンナと、それから何故かツルギもプールには入らず見学すると言って皆から離れ、隅っこの方で壁にもたれ並んで立っていた。
そして2人が見守る中、残りの5人は女性トレーナーの指示のもと、メニューに添って30分ほどかけて関節と筋肉を解す基礎トレーニングをゆっくりと行っていた。
「ツルギ・・・さん」
ツルギの方をチラッと見ながら、先に話しかけたのはアンナだった。
「なに?」
それに対し、ツルギは視線さえ返さず、ただ前を、マイを見ながら言葉を返した。
「もうマイに近付かないで」
「それを決めるのは私じゃない」
「は?あなた何を言ってるの・・・」
「ハニー、ダイジョウブかなぁ?なんだか元気なさそう」
「話しをそらさないで」
その頃5人は、ようやくプールに入っていた。
深さ1.2メートルほどのプールに、各レーンごとに1列に並ぶと、トレーナーの女性が説明を始めた。
「では歩行訓練から始めます。
このプールは25メートルあります。まずは、ゆっくりでいいのでビート板を持って25メートル歩いてください。
その後は、ビート板に掴まったままでいいのでこちらまで泳いで帰って来て下さい。
こちらもゆっくりでいいですよ。無理はしないで自分のペースでやりましょう。
皆さんのバイタルはリストバンドからのデータで常にチェックしてますが、体調がすぐれない、何かおかしいと思ったら迷わず中止してください」
そう。チーム36のメンバーは皆お揃いのリストバンドを手首に着けていた。それは、ギアのパイロット専用に開発された携帯端末だった。
「はい、スタート」
そして5人はスタートを切り、それぞれのペースで前に進み始めていた。
そして、ツルギとアンナはまだ言い合っていた。
「それを決めるのは私でもあなたでもない。ハニー自身だ」
「そんなの分かってるわよ。でも、」
「でも、何?ハニーにはハーケリュオンが必要で、私にはハニーがどうしても必要なんだ」
「そんなのマイじゃなくたって、もっとちゃんと捜せば、ハーケリュオンにふさわしいパイロットがきっと見つかる・・・」
「いないよ、そんなニンゲン」
「なによ、ちゃんと捜したの?」
「そうじゃない」
「え?」
「捜して見つかるとかいうことじゃない。じゃあ聞くけど、あなたはどう?捜せばハニーの代わりが見つかるの?」
「そ、それは・・・でも、あなたと私は違う。あなたはマイをハーケリュオンを動かすための鍵、いいえ部品の1つとしか考えていない。でも私は・・・」
そこまで言ってアンナは急に言葉に詰まった。
「でも、なに?」
その頃、マイたちはプールの端まで歩き終え、順次こちらに向かって泳ぎ始めていた。
だがその中に1人、ビート板にしがみつき溺れるのではないかと思えるくらい足をバタバタさせている女子がいた。
それはリンだった。
壮絶な水しぶきをあげるバタ足を披露しているにもかかわらず彼女は全く前に進まず、あっけなくプールの底に足を着いて立ってしまっていた。
「もう、やっぱり泳ぐの苦手」
リンはバツが悪そうに隣のマイの方を見た。
だが、そこにはマイが使っていたビート板だけが浮いていて、彼女の姿はなかった。
「あれ?マイちゃん?」と辺りを見渡そうとした瞬間、突然リンの目の前の水面を突きやぶって何かが飛び出して来た。
「!?」
それはマイを抱きかかえたツルギだった。
彼女は水中から飛び出すと、その勢いのままジャンプしてプールサイドに着地していた。
そしてマイを横たえると、躊躇することなく鼻をつまみ、開かせた唇に自分の唇を重ね息を送っていた。
「!!」
アンナが茫然と見つめる中、ツルギが続けて心臓マッサージを行う。
すると、
「ごふっ、げほっ」
マイはすぐに大量の水を吐き出した。
「げほっ、げほっ」
ツルギは、鼻と口から水を吐き出し激しく咳き込む彼女の背中を擦っていた。
アンナは、その様子をスタート地点から更に奥の、マイからは一番離れたプールサイドの端で見ていた。
「・・・うそ」
それは信じられない光景だった。
足をバタつかせ大騒ぎするリンに一瞬気を取られた。
その瞬間、自分の隣にいたはずのツルギがマイを抱えて水中から飛び出していたのだ。そして人工呼吸を・・・。
「マイさん」トレーナーが慌てて駆け寄る。
「え?マイちゃん溺れたの?」
リンがそう慌てふためく中、チームのメンバーも次々にプールからあがってマイの周りに集まっていた。
「無理するなマイ。気持ちは分かるけど、体が本調子じゃないのなら休まなきゃダメだ」ハルカが声を荒げる。
「そうだよマイ、こんな無茶してたら、今度こそ本当に死ぬよ」エマも心配そうにマイを見つめる。
「マイさん、もう1日休みましょう。今日は準備運動、明日からが本番なんですから」アヤが諭すようにそう語りかける。
リンは言葉に詰まり今にも泣きそうだった。
「う・・・うん」皆にそう言われ、マイは真っ青な顔のまま小さく頷いた。
‶ビ~っ、ビ~っ、ビ~っ、ビ~っ″
その時だった。
スピーカーから警報が鳴り響き、それに続いて非常事態を知らせるアナウンスが流れた。
‶ただ今、南極点で磁力振動が検知されました。繰り返します。只今、南極点で磁力振動が検知されました。
それに伴いGOTUNよりブロッケン警報が発令されました。民間人の方は誘導に従い直ちにシェルターへの避難を開始して下さい。これは訓練ではありません。繰り返します・・・″
「先生」息も絶えだえの声でトレーナーに話し掛けたのはマイだった。
「なに?マイさん」
「先生のタブレットで、南極点の、ブロッケンの映像は見れますか?」
「・・・マイ、何を言ってるの?」それはアンナだった。
「そうだよ、私たちは出撃出来ないんだよ、ギアもないし、その前に避難しないと」リンもマイの言葉に何かを察したのか、諭すように話し掛ける。
「ここは区画で言えば民間人用のシェルターよりも深下層にある。安全だよ」
それはツルギだった。
「先生、ハニーにブロッケンを見せてあげて」
(え?今、なんて言った?)ツルギの言葉を聞いて、ハルカは思わず心の中でそう言っていた。
そしてそれは、彼女だけではなかった。
普段からブロッケンと直接対峙しているからだろうか?
こんな状況に置かれているにも関わらず、ツルギが何気にサラッと放ったその一言に皆反応していた。
(マイのことハニーって言った?)とエマ。
(ハニーさんて誰のことでしょう?)とアヤ。
(ハニーって確かハチミツのことだよね?)とリン。
「え?でも」
「ダイジョウブだから、お願い」戸惑うトレーナーを諭すようにツルギも言葉をかける。
「・・・分かったわ」
ツルギとマイ、2人の揺るぎない瞳に見つめられ、トレーナーは観念したかのようにタブレットを差し出していた。
そこに映し出されていたのは、ドローンが捉えた、エンジェルハイロウの許容量を越えるほどに巨大化したヘルゲートの姿だった。
‶どこに出現する?″
皆が注視するなか、キャスターが新たな情報を次々に読み上げていく。
「臨時ニュースの続報です。GOTUNの公式発表によりますと、たった今、フランス、パリ市街地で磁力震が検知されました。
繰り返します、パリ市街地で磁力震が検知されました。
ブロッケンはパリに出現します。パリの皆さん、直ちにシェルターに避難して下さい」
そして、映像はすぐにパリの市街地を捉えたものに切り替わった。
だがパリは、我々が知るそれとはかけ離れた姿になっていた。
エッフェル塔も凱旋門も跡形なく破壊され、あの優雅な街並みも無惨な瓦礫の廃墟と化していた。
その廃墟の上の空間が突如として球形状に押し広げられるように裂け、そこから全高が1㎞はあろうかという超巨大な漆黒の物体が姿を現した。
それは、二足歩行する人間のような形のブロッケンだった。
だが、その姿は今までのブロッケンとはあきらかに違っていた。
その黒い巨体は鎧状の装甲のような外皮に覆われておらず、まるで何かに包み込まれたかのような、黒い包帯をぐるぐる巻きにされたミイラのような姿をしていた。
そんな巨人が、両手をだらりと下げたまま、まるでゾンビのように瓦礫を蹴散らしながら歩いていく。
ドゴゴゴゴゴゴゴゴンっ。
突然、つんざくような爆発音と共に、眩い閃光の連鎖が漆黒の巨体を飲み込んだ。
それは、6機の飛行体による高高度からの精密爆撃だった。
「フランスのAIギア部隊か?」
そう、それはGOTUNとは別に、EU諸国が共同で開発し、自国防衛の為のみ所有することを認められたAIギアだった。
6機のうちの5機が2機、2機、1機の3手に別れ、3方向からミサイルとレーザーによる波状攻撃を仕掛けていく。
ドドドゴゴゴオオオオォォォンっ。
地上は、どこにブロッケンがいるのかも分からなくなるほどの巨大な爆炎と轟音に包まれた。
「すごいね」
「でも、これでも足止めににもならない」アヤの言う通り、爆発の炎の中から無傷のブロッケンが姿を現した。
その時だった。
それを待っていたかのように、上空に待機する1機から超巨大な爆弾が投下されていた。
その弾頭のカバーが空中で外れると、中から槍のような物体が何本も姿を現し、ブロッケンを囲むように周りに次々に突き立てられた。
次の瞬間、目も眩むほどの閃光が辺り一面を覆い尽くしていた。
「ギガンティックナパーム」ハルカが呟く。
それは、一瞬ではあるが、最高燃焼温度が太陽の中心温度に匹敵するほどの高熱を発する、対ブロッケン用の兵器だった。
黒い巨体の周りの瓦礫が一瞬にして蒸発し、あまりの高熱に景色が歪む。
「そんな、まだシェルターに避難できていない人がいるかもしれないのに」アンナが悲鳴にも似た声をあげる。
だが、それでもブロッケンは無傷だった。
そして、それが灼熱の炎の中から現すと同時にそれは起きた。
ブロッケンの上半身を形成していた黒い帯状の装甲が頭と指先からほどけながら上空向けて撃ち出されたのだ。
しかも、その包帯の下には何も存在してはいなかった。
この包帯のような帯状の装甲こそがブロッケンそのものだったのだ。
そして勢いよく伸びる帯状の装甲は、その勢いのまま放物線を描くように降下し、狙い済ましたかのように次々に大地に突き立てられていった。
「何をしてるの?」エマが叫ぶ。
「先生、この映像にパリの地図を重ねて」
「わかったわ」
トレーナーがタブレットの画面を操作すると、モニターに映し出されている映像に地図が重なった。
「!!」
それを見て、皆言葉を失った。
ブロッケンの解かれた身体が槍のように突き立てられた場所は全てシェルターだったのだ。
上空を飛ぶドローンがアップで捉えた映像に映し出されていたのは、槍の表面の装甲が次々に剥がれ落ち、サソリのような姿になってシェルターの奥へと濁流のごとき勢いで雪崩込んで行く様子だった。
「あ、あいつら」それはマイだった。
皆がその言葉に引き寄せられるように彼女を見ると、憔悴しきっていたはずのマイの虚ろだった瞳に怒りの炎が灯っていた。
「マイ?なにを・・・」
「行こうハニー」アンナの言葉を遮ったのはツルギだった。
その言葉に吸い寄せられるようにマイはツルギを見た。
そして2人は小さく頷き合った。
「ちょ、ちょっと、何バカなこと言ってるの?」ツルギにアンナが噛み付く。
「そ、そうだよ、それにマイちゃんたちが行かなくてもAIギアが・・・」
と、リンが言ったその時、モニターの中では、渦を巻きながら広がるように伸び続ける無数のブロッケンの布が、一瞬にして6機のAIギアに巻き付いていた。
そしてAIギアは、全身に巻き付いた布に、文字通り雑巾のように絞りあげられ、成す術なく次々に爆散していた。
「え?うそっ」
そして、ハルカたちがその爆発に気を取られた一瞬を突いて、ツルギはマイを抱きかかえ脱兎の如く駆け出していた。
〈つづく〉