第14話・侵食
「司令、サンドラ司令っ」
それはブロッケン警報が出た直後のことだった。
通信が途切れスクリーンも消えてしまったため、マイは壁を叩きながら彼女の名前を呼び続けたが、返事はなかった。
“ドガガガガガガガガガガガガ~~~~っ”
その時、轟音と共に爆発物処理室の天井が崩壊し、何かがジェルの海の中に飛び込んできた。
それはビルほどもある、巨大過ぎるブロッケンの脚だった。
そしてそれが、マイが閉じ込められたカプセルをかすめて、処理室の床をあっけなく突き破っていた。
しかもそれは、その先端の鋭く尖るツメをドリルのように超高速で回転させ、ガリレオの更に奥深くへと進攻していく。
その影響で、処理室の崩落する天井と床から壁に大きな亀裂が幾つも走り、そこから大量のジェルが濁流となって流れ出ていく。
その中に、マイを閉じ込めたカプセルの姿もあった。
カプセルにはブロッケンの脚がかすった衝撃で無数のヒビが入っていたが、それを感知して作動した衝撃吸収シールドに包まれていた。
そしてマイがリストバンドの救難信号のボタンを押したその時、それは起きた。
“ドドドドドドオオオオォォォォォンっ”
どこからか聞こえてきた地響きと共に、カプセルは天地がひっくり返るほどの激震に飲み込まれていた。
処理室を貫通してビルのように聳え立つブロッケンの脚。
その表面を覆う鱗、つまりは小型のブロッケンが剥がれるように浮き上がったかと思うと、全方位目掛けて風船のように、凄まじい勢いで膨らみ始めたのだ。
それは鱗のように個別の存在だったブロッケンが1つに融合しながら巨大な風船のようになった姿だった。
それらは広大な処理室を埋め尽くすジェルをそのまま外に押し広げる格好で膨らみ続け、施設そのものを内側からあっけなく崩壊させていた。
爆発物処理室とそれをマトリョーシカのように幾重にも覆う球状の壁が隔壁ごと次々に破壊され、外側へと押し広げられながら、周りのブロックを、更にはその外側のエリアまでもを、圧倒的な速さで、容赦なく圧し潰していく。
その速さもさることながら、侵食が平面だけてなく360度球状に広がり続けていることが、パージを阻む最大のネックになっていた。
ブロッケンが出現したのは第5階層だが、そこを中心にとなると、その下はもちろん、その上も第1から第4までの階層もパージしなければ問題の5階層を破棄することが出来ない。
それではパージする範囲があまりに広大になってしまう。
だからサンドラは当初、パージではなくブロッケンの動きを封じる為のジェルを注入する決定を下した。
しかし、まさかそれも追い付かない程の速さでブロッケンが膨張し続けるとは思わなかった。
これは彼女にとって、まさに想定外の事態だった。
そしてその間にも、逃げ惑う人々が崩壊しながら迫る壁に圧し潰され、それを免れた人逹も、広がり続けながら押し寄せる漆黒の風船に溶け込むように飲み込まれていく。
その先に、瓦礫の下敷きになった女性と、それに寄り添う幼い女の子の姿があった。
「お母さん、お願い、起きて」
そう叫びながら母の手を必死に引っ張る娘。
だが、娘をかばって瓦礫の下敷きになった母親は動けなかった。
「アリス、お母さんはいいから、ひとりで逃げて」
「だめ、お母さんと一緒じゃなきゃイヤ」
懇願する母の腕を半狂乱になって引っ張り続けるアリス。
そんな2人に、全てを侵食する漆黒の壁が迫る。
だが、アリスは逃げなかった。
果敢にも両手を広げ、ブロッケンの前に立ちはだかったその顔からは血の気が引き、目からは涙が溢れ、全身がガクガク震える。
それでも彼女はその場から動こうとはしなかった。
次の瞬間、2人はあっけなくブロッケンに飲み込まれていた。
「!?」
あまりの恐怖に思わず目を閉じた瞬間、アリスの身体は振り回されるように大きく揺れていた。
彼女は自分が黒い壁に飲み込まれたのだと思い、目を固く閉じていた。
「ねぇ、大丈夫?生きてる?」
その時、そう声をかけられ、アリスは自分がとても温かい誰かにぎゅっと抱きしめられていることに気付いた。
彼女はブロッケンに飲み込まれてはいなかった。
間一髪のところで助けられていたのだ。
自分を抱きしめるその柔らかさと温もりに
アリスは思ず目を開けた。
「お母さん!!」
そして絶句していた。
彼女を抱きしめていたのは母親ではなかった。
そこにいたのは、全裸に貫頭衣という出で立ちで、靴さえも履いてない少女、マイだった。
そう。彼女は無事だった。
カプセルは確かに膨張するブロッケンに押し出され、幾つもの壁や隔壁扉に圧し付けられ、それらを突き破っていた。
それでもマイが無事だったのは、カプセルがジェルのとてつもない水圧に耐えるうえに、その外側に衝撃吸収シールド、内部に収容者を守るためのエアバックが開き、彼女が全ての衝撃から守られていたからだ。
だが、ブロッケンがカプセルそのものを溶かし、消化吸収するかのように侵食し始めたため、彼女は非常脱出ボタンを押すと、危険を承知でそこから飛び出し駆け出していた。
アリスと母親に出くわしたのは、まさにその時だったのだ。
「自分の名前言える?どこもケガしてない?」
「お母さんが」
アリスはマイの問いかけも聞こえてない様子で、母親が倒れていた方を見た。
「見ちゃダメ」
マイが慌ててアリスの目を覆う。
その時アリスの母親の姿は既に見えず、彼女がもがくように伸ばした手の指先がブロッケンに飲み込まれていくところだった。
「お母さん、お母さんっ」
アリスは必死の形相でマイの顔を見た。
「お姉ちゃん。アリスからの一生のお願い、お母さんを助けて」
彼女はマイにしがみつき、泣きながらそう懇願していた。
「・・・」
だが、マイは彼女にかける言葉を思い浮かばず、アリスを抱きかかえたまま通路の先を目指して駆け出していた。
「いや~、お母さん、おかあさ~ん」
泣き叫ぶアリスを抱きしめたまま走り続け、次のブロックとの境界を示す隔壁扉な下に辿り着くと、マイは非常ボタンを押して隔壁を下ろしていた。
そして、その横にある認証用モニターの液晶パネルに掌を当て、カメラを覗き込んだ。
『マイ・スズシロと確認、要件をどうぞ』
「この子を収容するからスーツ2機とZ装備を出して」
『了解』
壁が開き、2機のパワードスーツと巨大な装備のバックパックが姿をあらわした。
その瞬間。
マイは背中を“ぽかっ”と叩かれていた。
「!?」
「離して、下におろして、アリスはお母さんを助けるんだから」
そう叫びながら、アリスはマイの頭や背中をぽかぽかと叩き続けていた。
「止めてアリス、落ち着いて、早くしないとブロッケンが・・・」
“ドゴオォォォォンっ”
その時、マイの言葉を遮るかのように、轟音と共に目の前の隔壁扉が、まるで飴細工のように膨らんでいた。
マイは、大きく目を見開いたまましがみつくアリスを抱きしめたまましゃがむと、彼女に背中を向け両手を後ろに広げた。
その背中にアリスが飛び乗るようにしがみつくと、マイはスッと立ち上がり、縦に並ぶ2機のパワードスーツの間に立った。
「装着」
『了解』
マイとアリスを挟んで、前方のスーツの背面と後方のスーツの前面が開き、2人を挟み込むように繋ぎ合わさって1機のスーツへとその姿を変えていく。
“ドガガガガガガガガガガガガガガガガガガガっ”
その刹那、隔壁扉を押し流すように壊しながらブロッケンがこちら側に飛び出てきた。
マイはそれから逃れるようにスーツをホバリングで高速移動させながら、バックパックに装備された砲身をブロッケンに向けていた。
「シュート」
『了解』
超高速で連射される、マグネットコーティングされた鎗が、視界を埋めつくしながら2人の背後に迫るブロッケンの中に、吸い込まれるように次々に消えていく。
‶ボウッ、ボウッ、ボウッ、ボウッ、ボウッ、ボウッ″
次の瞬間、鎗が大爆発し超高温の炎と爆風と青白いイナズマが内側からブロッケンを攻撃していた。
この槍は、小型ブロッケンの奥深くまで突き刺さって爆発し、コアを破壊るために開発された兵器だった。
が、この兵器には1つ問題点があった。
それは、どこにあるか分からないコアを確実に破壊するため、爆発する際に高周波の電磁パルスを放つことだった。
つまり、スーツは装甲表面や内装を特殊な素材でコーティングされているため大丈夫なのだが、その影響が及ぶ範囲内の、コーティング処理がされていない電子機器は、全てブラックアウトしてしまう危険性があるのだ。
だが、今はそんな悠長なことを言っている場合ではなかった。
『全弾命中しました』
「これじゃあ時間稼ぎにもならない。次弾装填、スラスターにエネルギーを回して」
『了解』
スーツが浮上し、ホバリングで移動を開始した。
その時だった。
“ビ~、ビ~、ビ~、ビ~、ビ~、ビ~、ビ~っ”
ガリレオ内に非常警報のサイレンがけたたましく鳴り響いた。
『非常事態発生、非常事態発生、ブロッケンがガリレオ内に侵攻しました。
対抗策として侵入された区画に衝撃吸収ジェルを注入します。
当該するブロックにいる人はただちに避難してください。
これは訓練ではありません。繰り返します・・・』
「く、なんてことを」
『前方の隔壁が閉じられます』
「え?」
前方を見ると、進路上にある隔壁扉が今まさに下ろされ、通路が閉じられようとしていた。
「バーニア出力最大」
『了解』
スーツは全身のスラスターから青白い光の炎を凄まじい勢いで噴き出しながら加速すると、閉じる直前の分厚い扉に機体を接触させ火花を散らせながら辛うじて潜り抜けていた。
「このエリア一帯の地図を出して」
『了解』
マイの目の前に地図が投影される。
「お姉ちゃん、なに見てるの?」
「ナビよ。ジェルはワープミサイルの爆発さえ吸収するの。もし飲み込まれたら一歩も動けなくなるから早くにげないと。一番近い脱出船までの最短ルートを表示して」
『了解』
ナビの誘導に従い、スーツが半自律航行で通路内をホバリングのまま移動していく。
「お母さんは?お母さんはどうなっちゃうの?」
「今は、・・・今は自分が助かることだけを考えて」
“ドゴゴゴゴオオオオォォォォォンっ”
その時、2人の会話を遮るように鈍い金属音が響き渡った。
〈つづく〉