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(七)鮮血の紅葉舞

「……なあ、寒気がするのは俺だけか?」


 女剣士から放たれる切れるような殺気に頬をひりつかせながら、ガンジャスが誰にともなく声を掛ける。無論、「口がきけるなら十分です」と仲間の剛胆さを真摯に褒めるのは剣士ケトルしかいない。


真剣を抜いた(・・・・・・)――というところですか」


 そう評するケトルの身を間断なく震えが走り抜け、冷や汗が背中を濡らしているなどと仲間の偉丈夫が知る由もなく。

 いやそれよりも、まるで霜つく大地に素足でいるように、凍り付いたがごとく足がすくんでいることを、あの女剣士に知られでもしたら――。


「どうした?」


 まるでケトルの心境を見透かしてるかのごとく、女剣士の冷淡な視線が向けられ、彼は思わず息を呑む。


「先手を取らないと、三人掛かりの旨味みが出ないぞ?」

「……仰ることはご尤も」


 余裕のつもりか?

 はたまた不用意な行動を誘うため?

 例えそれが正論であったとしても、真っ先に飛び出すほどケトルも蛮勇でなければ愚かでもない。それは戦闘経験が誰よりも豊富なガンジャスであればなおのこと。ならば相応しき者は残る一人。


「どうしました、バゥム? 極上の女は早い者勝ちですよっ」


 ケトルが煽ったのは、同じ『俗物軍団グレムリン』所属であっても“同盟者”である『ズア・ルー』から派遣されし獣闘士ビースト・バトラー

 種族の三大欲求である食欲・性欲・睡眠欲を至上のものとして行動する彼らの特性を見事に刺激して、ローブを破り捨てたバゥムが予想通りの反応を見せる。


「イワレル、マデモナイッ」


 まるで「俺のモノだ」と云わんばかりに仲間にさえ威嚇の声を荒げ、ふしゅると息を吐き出す。それをさらに煽るように「待てよっ」とガンジャスが名乗りを上げた。


「悪いが俺がいただくっ」

「ならば勝負です!」


 幅広の剣(ブロード・ソード)を振り上げるガンジャスに、ケトルが二剣を羽根のように広げて突撃の姿勢をとる。

 火花散らす二人に割って入るのは、「ガゥアッ」と唸って存在感をアピールするバゥム。

 三者の緊張感が一気に高まったところで。

 ざん、と誰よりも早く踏み出したガンジャスに一瞬遅れでバゥムが反応する。無きに等しい“僅かな差”も高レベル同士の争いともなれば“明確な差”となって真逆の意味(・・・・・)を持つ。

 だが、その常識を覆すのが獣闘士。

 例え『戦気』で高めた敏捷力をもってしても、『獣性』を解き放った我には及ばぬと云わんばかりに――柔らかな腐葉土を蹴散らして、誰よりも早くトップスピードに達した獣闘士バゥムが矢のような速さで再び女剣士に向かって猛然と飛び出していた。

 それが“仲間達の誘い”と知らぬまま。


「――よし、頼むぜ相棒っ」


 口角を吊り上げ、踏み出した姿勢を崩さずその場に留まるガンジャスに、同じく横っ飛びで位置を変えただけのケトルも内心ほくそ笑んでいることを目元に滲ませる。

 まるで示し合わせたように仲間さえ騙し討ちにし、見事にタイミングをずらした二人は、あらためて多方向から女剣士を狙いに行った。


 まずは一撃(・・・・・)――強敵とやり合う場合の『俗物軍団グレムリン』における基本戦術は、そのように定められている。


 だから打ち合わせの必要もなく、二人は突破力に優れるバゥムを先に当てさせ(・・・・・・)、恐らくはその後も同じ狙い(・・・・)に絞り込んでいた。

 そのタイミングは一人と一匹の交差した直後――あの獣闘士の攻撃にさえ女剣士が耐え抜くと予想し、その攻防直後が好機と即断した。いや、それ以外に勝機・・は無いのだと。

 あれ(・・)を相手に勝利するまでの道程は果てしなく、突破すべきばかでかい(・・・・・)関門は幾つもあって、最初で最大の関門こそが“最初の一撃”とケトルは半ば確信する。

 それはまさに“試練”と呼ぶべき任務ミッションの連なり。


 あれほどの遣い手に一撃を入れ――

 そこから突破口を見出して――

 やがては血の海に沈め、勝利する。


 そのためには、勝敗の分かれ目となる“運命の分水嶺”に向けて全神経を集中させねばならない。

 その一瞬を見極め『瞬歩』で間を詰めて、重ねるように己が持ち得る最大最速の攻撃を叩き込むのだ。


 すべてはその一瞬が勝負。


 ガンジャスへ視線を向ければ、同じ事を考えていたようだ。互いに目顔で意思を疎通させ、バゥムが女剣士に襲い掛かる様を息を潜めて見守った。


 ぐごぉっ


 それは、まるで先ほどの攻防の繰り返し。

 人を凌駕する跳躍は驚嘆に値するものの、しかし、再び中空から襲い掛かる獣闘士バゥムをいかなる気持ちで女剣士は待ち構えるのか。


 わずかな油断あれば。

 いや“受け”に回っただけでも好機と云えよう。


 女剣士が知るはずもない――バゥムが今の地位にあるのは、何も人を上回る身体能力や『獣性』を開放できる『異能アビリティ』だけにあるのではない、ということを。

 己が“野性”を囮とする知性・・

 そして、持てる能力を十全に活かせる類い希な戦闘(・・)センス(・・・)

 常に対戦相手の想像を(・・・)上回るからこそ(・・・・・・・)、バゥムは勝者たり得るのだ。


 シュバゥッ!!!


 前回と同じ高さ、同じ攻撃モーションから。

 寸分違わぬ軌跡を描いた次の瞬間、恐るべき身体能力を見せつけて、変則的な斜め十字に高速回転をはじめたバゥムから、猛烈な勢いで鉤爪の攻撃が繰り出される。


 左下左下左上左上右下右下右上――

 右上左下左下左上左上右下右下――


 それは百の獣に一斉に襲われたかのごとく。

 あるいは、竜巻に紛れる百の爪牙のごとく。

 あまりに激しく滅茶苦茶な高速乱撃に、為す術も無く、瞬時に肉塊と化す運命しかなかったはずの女剣士は、しかし、ただ一剣を以てのみ撥ね付ける。



 ズキッ――――……ン!!!!!



 ひときわ激しい火花を散らし、耳が痛くなるような金属音を響かせて、次の瞬間には、バゥムの身体がめり込む勢いで地面に叩きつけられていた。


「――化け物がっ」


 全身を鳥肌立てさせながらガンジャスが悔しげに吐き捨てるのは、眼前で展開された“驚愕の一事”のせいばかりではない。

 わずか三歩の間合いを残し、横目でじろりと睨み付けてくる女剣士に、足を止め(・・・・)させられた(・・・・・)がためだ。


 ただ眼力で以て。


 もう半歩でも踏み出していれば、頭蓋ごと断ち割られていたと、自覚してしまった己の不甲斐なさに彼は歯噛みし、同時に認めたくない格の違い(・・・・)を思い知らされる。


「だがよ――」


 ガンジャスは苦悶を滲ませながらも、決死の覚悟で足を踏み出す(・・・・・・)。それが何を呼び込んでしまうのか、痛いほど承知している証拠に、ガンジャスの顔はねじれるように歪んで首回りの筋肉を膨張させている。

 例えあの猛撃に身を晒そうとも。

 あの鬼女から勝ちをもぎ取るためには、腕の一本(・・・・)くらい覚悟しなければ。

 じゃりり、と。

 その一歩に持てる胆力のすべてを注ぎ込んで。

 同時に、この生存競争に勝ち抜くため、はじめから全力で防御する気構えで、女剣士の腕の動きを食い入るように注視する。

 その一見して無謀とも思える行動の裏に――


 ――――ッィィン!!


 「来る」ではなく「来た」と察したときには、掲げた幅広の剣(ブロード・ソード)を起点として炸裂した衝撃がガンジャスの巨体を滅茶苦茶に走り抜け、粉砕されたような錯覚を味わわされていた。

 声を出すこともできず、一瞬、視界が真っ暗(ブラック・アウト)になった後、我に返ってそれが意識を飛ばしたせいだと経験的に気付く。


 だが、この一点に関してのみ、生き残ればガンジャスの勝利。


 なぜなら、この一撃を放った女剣士の背後には、必殺の間合いに至った『剣武会』の真の覇者(・・・・)――ケトルが渾身の一撃を放っていたからだ。


 双剣剣技(スキル)『銀翼の疾風刃』――


 子供の頃、誰もが憧れる“二剣使い”はただの幻想にすぎない。

 人には利き手とそうでない違いがあり、それは腕力も器用さもあらゆる面で異なる感覚がバランスを崩させ、容易に使いこなさせぬためである。

 それに何よりも、即戦力が求められる厳しい時代で、ただ生き抜くだけでも苦しいその環境で、通常よりも遙かに長く修練に明け暮れねばならない双剣の習得に、時間的余裕など与えられるはずもないからだ。

 逆に言えば、その時間さえ確保できるならば、物語に登場する“双剣の騎士”にもなれるということ。いや、「可能性はある」とだけは言えようか。

 例えば、子供時分に剣を振るうならば。

 親の庇護下にある時期に、正しき剣筋を教えられ、常に左右分け隔てなく腕を使う感覚を染み込ませる生活を送れるというのなら。

 うまくいかないもどかしさと反復練習の退屈な毎日を飽くことなく投げ出さずに続けられる、極めて稀な根気強い子供がいるというのなら――。

 ケトルという誰よりも不器用な子供は、その憧れを捨てることなく練習し続けたひとりであった。それは不器用だからこそ、できないのが(・・・・・・)当たり前(・・・・)だからこそ、誰よりも取り組みの障害を小さく感じられたことが幸いだったのかもしれない。

 とにかく、「好きなことなら続けろ」という父の言葉に素直に従い、憧れた“二剣使い”になることだけは諦めることなく愚直に練習に励み続けたのだ。

 そうしてこつこつと積み上げた『双剣我流』は、誰に師事したわけでもない彼独自のもの。その上『俗物軍団グレムリン』を後ろ盾とし、自由に強者を喰らうことで己が剣術をさらなる高みへと押し上げてきた。

 愚鈍であればこそ、思い込み無く素直に吸収し、硬直的な矜持も持たぬからこそ、あらゆる思想や術理を貪欲に取り入れ、ものにしてきたのだ。

 非才の身だからこそ、辿れた道であり上り詰めた高みでもある。

 その努力の結晶として、片手で剣技スキルを放つ高難度の技を自在に操り、それを両手でふたつ同時に(・・・・・・)放つ(・・)『至技』を完成させたのだ。


 銀翼から放たれる、閃光の如き刃の挟撃技を。


         *****


 その時、女剣士の紅葉は背後に立つ剣士の気配を確実に把握していた。

 だが、ぞわりと背筋に走った悪寒の起因が別のことにあったのだと、次の刹那に気付く。

 独楽こまのように振り返った彼女の眼前に迫る、二筋の煌めく閃光を目にして。

 それが以前、鎧騎士が見せた“すきる”なる術技であると咄嗟に理解したときには、持ち手を長刀の柄と刃先間近に優しく添え、軽やかに、その実、いかなる力をも弾き返す威力を秘めて、刃の残影が見える速さで廻転させていた。


「――懐ノ太刀『まろび』」


 それは朴訥な名に相応しい“長刀使い”の紅葉にとっては、初歩も初歩の基本動作。

 懐で鈍る長刀の欠点を補うべく編み出された独特の太刀使いは、長刀の重心を感得し、それを芯として外さぬ“円の動き”を肝要とする。

 ただ、「云うは易し」の典型で、馴れねば刃で身を切ることもある取り扱いに慎重を期す危険な技を、単純に行使するだけでなく、技の“入り”と“脱け”にも意識を払い血道を上げる修練が必要とされる。

 それこそ目をつむった状態でも、意識朦朧たる状態にあっても、素早く技に入り、発現させ、滑らかに脱けて“残心”を以て次の攻防に備えられるまで。

 幾十万、幾百万。

 新芽が顔を出し、実らせ、種を落として次の世代に繋げる時節を幾度も過ごしながら。

 初伝から中伝へと、いかなる修行の段階においても一日足りとて欠かすことなく。

 女なればこそ、男よりも多く修練に費やした。

 なればこそ――



 きんっ――――……



 ケトルの修練をそれが凌駕した証か、世にも美しい鉄と鉄が打ち合い響く音を紅葉は胸内で噛みしめる。


「――“技”ってのはな、剣士の根っこ(・・・)からくるものなんだよ」


 小首を傾げて紅葉がケトルはすに見やる。

 お前はまだまだだと、告げるかのように。だが。


 その時、パッと紅葉の胸に散ったのは“鮮血の華”。


 正しくは十字に斬りつけられた傷痕より、血が飛沫いて紅葉はよろめき、本戦闘で初めて片足を後ろへ下げていた。

 躱すにしろ、いなす(・・・)にしろ。

 自分の意志でならばともかく、下げさせられるなど。

 わずかに見開く隻眼に宿るのは、明らかな驚き。それは弾いたはずの剣撃が己に届いた奇っ怪な事象に気付いてのもの。


「せっかくのご高説が台無しですね」

「貴様……」


 胸を押さえ、睨み付ける紅葉にケトルは「なるほど」と意味ありげな笑みを浮かべる。


「私の双剣の影には、もうひとつの(・・・・・・)双剣が潜んでいるのです――『死(四)剣』と名付けてますがね」


 ケトルが繰り出した技は、『戦気』を刃状に放つ上級剣技(スキル)影疾風かげはやて』の左右同時攻撃。

 ただ、片手による威力の劣化は防げず、また、疾風の軌道が重なっただけで相殺し合う使いにくさもあって、一度は挫折した技である。

 それを接近戦での挟撃技として用いることにより、活路を見出したのはケトルの執念に他ならない。

 即ち、例え二剣による挟撃を受けきられても、その影に潜んでいたもうひとつの(・・・・・・)双翼・・が敵対する者を確実に切り刻む必殺の技として。

 紅葉が受けた傷は、まさに“見えない『戦気』の刃”が襲った成果なのは間違いなかった。


 だが、そこにはケトルの知らない事実がある。


 双翼が放たれる寸前、その軌道を変える(・・・・・・・・)はずで(・・・)あった(・・・)紅葉の『円び』が一瞬遅れたその事実を。

 実は先の攻防で、ケトルが放った『朧月』の特性を知らず、紅葉が反動を利用するためにわざと受けた際(・・・・・・・)()、『戦気』の刃で腹を負傷していたなどと、それ故、事あるごとに動きの鈍りがあったなどと知らぬのは当然のこと。


 いずれにせよ、「結果をもたらしたのは、この私です」とケトルならば満足げに言い切ったであろうが。


 対して、紅葉の方はと云えば。

 その負傷を微塵も感じさせず、戦い続けた彼女がさらなる傷を負ったことが、この戦いにいかなる意味を有するかは誰の目にも明らかだ。

 いや、彼女の危地はさらに極まることになる。


「感謝すべきですかね……私の話を最後まで(・・・・)聞いていただいて」

「!!」


 負傷が紅葉の注意力を損なわせたのか。

 秘匿すべきスキル特性をケトルがわざわざ語って聞かせた理由を、紅葉が気付いたときには、彼女の死角となる位置でバゥムとガンジャスが攻撃モーションに入っていた。

 もはや賭け事を忘れ去ったかのように、掛け値無しの殺意をその剣や爪にたっぷり乗せて。


 鮮血に舞うは、紅葉自身のことであったのか――?


 それでも反射的に紅葉が後ろへ足を滑らしたのは、一流の剣士なればこそ。だのに。


「ぐっ……」


 最悪のタイミングで痛みに呻いた紅葉がよろめくのを、『宿業戦術』が為した成果とするならば、それが抜群のタイミングとなって、唸り来る必殺の攻撃を躱し得たのは、それすら上回る彼女の豪運であったろうか。


 否――


 そのひとつきりしかない黒瞳に宿るのは、今なお衰えぬ燃えるような戦意。

 そして艶やかな口端に含まれる、勝利を信じて疑わぬかすかな笑み。


 すべては(・・・・)思い描いた通り(・・・・・・・)と、その表情が物語る。


 ざ、と剣士と思えぬ細足が倒れかかるその身を支えきり。刹那――


 紅葉の身が霞んで、長刀の描く銀線が同心円状にいた二人と一匹をその殺傷圏内に捉えていた。


「ぐぁ!」

「……っ」

「痛ぅっ」


 同時に上がった苦悶は三つ。

 しかし、逆転の一手にまでは届かず、五分五分と云うにもはばかられるもの。それでも二人に与えた衝撃はダメージ以上のものであり、特にケトルのそれはまさしく惨事であった。


「マジか、こいつ……」

「そんなっ……め、目がっ……!」


 もはや呆れ気味のガンジャスとは大きく異なり、何かに絶句しているのはケトル。

 はじめは恐る恐る顔に手を当て、その瞼が深く切られた悍ましい感触に衝撃を受けたか身を震わせ、すぐにそれが痛みを思い出させたのだろう。一拍遅れで身も世もない絶叫を咽奥から放ち始めた。


「くぉああああっ!!!! そんな馬鹿なっ。馬鹿な馬鹿な馬鹿な……っ」

「どうしたケトル?!」


 仲間の怖気を振るう苦鳴に、血相を変えたガンジャスが即座にその理由を察したようだ。聞こえないように小さく舌打ちして、突然の悲運に見舞われ驚き苦痛に喘ぐ仲間を励ますどころか、無常な言葉を投げつける。


「戦いの最中だと忘れたか? 腹も括れねえなら、『幹部クアドリ』なんかやめちまいなっ」

「くぅ……っ」

「戦うんだよ、ケトル!! やられっぱなしで泣き叫んでるんじゃねぇええ!!!」


 ガンジャスの滅茶苦茶な激励に、逆上して当然と思われたケトルの苦鳴がぴたりと収まる。襲う痛みはなおも続いているはずなのに、彼の感情を動かしたのはいかなるものであったかは分からない。

 少なくとも、今の流れならば確実に、狂乱して暴れ回る剣士の命を敵が容易に刈り取る末路が待っていただけに、状態異常の発生を術も薬も使わず自力で押し留めたケトルを褒めるべきであったろう。


「へっ……楽に勝たせちゃくれないか」


 それは紛れもない紅葉の本心。

 敵のやりとりを静かに見守る彼女の容態も決して良くはない。

 つかを両手で把持する紅葉は長刀を大地に突き刺して支えとし、辛うじて倒れるのを防いでいるにすぎない。

 一発荒い息を吐き出して、それでもなお、闘志に燃える眼光を周囲の男達に向けているのはさすがであったが。

 これまで敵の茶番に付き合い、黙って傍観を決め込んでいたのは、その間を使って、以前副長に手解きを受けた『想練』による体力の回復を図っていたためだ。

 例え気休めにすぎぬと分かっていても、ほんの少しでも体力を回復できれば、それだけ長く力強く身体を動かすことができる――負けることなど微塵も考えていなかった。

 それはお互い様であったようだが。


「――小僧、もう一度だ(・・・・・)


 底冷えするような眼光でガンジャスが低く低く言い放つ。その意味するところを正確に理解しているのだろう。びくりと震えたのは、後方でただ一人、固唾を呑んで死闘を見守っていた小柄なローブ。

 抱きかかえていた箱が震えているのは、ローブの小者の怯えがその細い両腕を通して箱に伝わっているからに他ならない。


「小僧、聞こえたろ?!」

「で、でも……」

「ああ?」


 口答えが癇に障ったか、声を荒げるガンジャスになおも小者は抵抗を試みる。


「それじゃ……ぼくが」

「知るかよっ。腕がとれても、お前なら何とかなる(・・・・・・・・・)だろ(・・)?」

「いや……もし、し、死んだら……」

「そりゃ、替わりを捜すしかねえな」


 さらりと冷淡に言い切るガンジャスに、小者の震えがぴたりと収まる。“硬直した”と云うのが正しかったろうか。


「おい、いい加減にしろ」

「……」

「俺に殺されてぇのか……?」


 それが文字通りの殺し文句となって、何かが抜け落ちてしまった様子の小者は、どこか捨て鉢な感じになって、またも箱を放り投げた。例の不可思議な音律に言葉を乗せた後で。


 何とも幻想的で表現のしようがない軽やかな音が耳朶に響いて、箱は転がり止まる。


「“翔陽”――」

「禁則の翔陽――貴方も思いきったことをしますね」


 痛みはどうしたのか、あるいは“普段通り”を心がけたためなのか、冷静に聞き咎めたケトルに「お前に云った手前な」とガンジャスは憮然と答える。

 自分もリスクは負う、と。

 ただし、“強運招来”の二重実行という禁則のリスクを全面的に負うのは、ローブの小者なのであったが。


「貴方のダメージは?」

「片腕をやられた。利き腕は大丈夫だがな」


 先ほどの狼狽えぶりが嘘のように、不気味なほど冷静なケトルにガンジャスが腕を押さえて応じる。この程度の怪我はピンチのうちに入らないと。


「バゥムは?」

「ムネ……ダ」


 怒りを腹に抱える声に、紅葉の笑いが重なる。


「どうやら、おあいこ(・・・・)のようだな」

「吹かすな、死に損ないが」


 過敏に反応したガンジャスが、別の意味で紅葉こうようをはじめた彼女の着物を目で示す。ダメージはお前の方が大きいだろうと。

 たった二つの怪我であっても、勝敗に影響を及ぼすこともある。深手となった原因に、“箱”の影響があるとまではガンジャスも考えなかったろうが。

 少なくとも、どちらが優勢かは言わずもがな。

 それを紅葉の言葉が否定する。


「悪いが、俺は生きてる限りは“絶好調”なのさ」


 その相貌に艶やかな満面の笑みを浮かべて。

 長刀の支えなしには立っていられぬ女が、死闘の最中に色香さえ漂わせ始める。


「見苦しい……抗わずに大人しく斬られていればいいものをっ」


 やはり冷静と見えたのは仮面のせい。

 明らかな劣勢でも屈せぬ紅葉に、ケトルが苛立ちその声を軋らせドス黒い感情を滲ませる。

 その僅かな感情の揺らぎが、両眼を失った憤りを抑えるたがを弛めさせ、その暗い感情を溢れさせて、もはや余裕をかなぐり捨てたケトルが策も何もなく、真っ先に襲い掛かっていた。


「しゃあ!!」


 スキルも何もない、下手したてから切り上げるようにした左右からの斬撃を、紅葉は地に着けた刃先を支点に、逆手に持った長刀を素早く左右に振って弾き返す。

 だが、威力の無さがあだとなり、ケトルの凶刃はなおも襲い掛かってくる。


「ちぃっ」


 攻防の繰り返しを“ジリ貧”と紅葉は瞬時に判断して。

 一方を迎撃する勢いで長刀をぶち当て、もう一方に対しては、半歩踏み込みケトルの手首に己のそれをぶち当て防ぐ。


「――っ」

「!」


 その瞬間、ケトルの双眸に宿った光を紅葉は見逃さなかった。

 だがまさか。

 長刀を押し当てた剣と、手首で止めた剣の位置と(・・・)圧力はそのままで(・・・・・・・・)、最上段から新たな二剣が襲い掛かってくるとは。

 それがケトルの有する『攻撃圧プレッシング』なる『異能アビリティ』であることなど紅葉が知る由もなく。


「なに?!」

「これぞ真の『死剣』――」


 紅葉の両手を左右の剣圧で封じ込め、その上で満腔の自信で放たれた必殺の双剣に彼女はどうしたか。

 愛刀すら手放し、さらに半歩踏み込んで――


 ごづっ


 猛烈な頭突きを勝利を確信したケトルの顎にぶち込んだ。その一撃でケトルが白目を剥いていることなど気づきもせず、上半身を後ろへ大きく反らさせる。


「そらぁっ」


 景気よくとも思える掛け声で、紅葉が渾身の二発目を苦痛に歪む剣士の顔に喰らわせた。


 ぬぢっ


 鼻骨を顔面にめり込ませ、歯を数本折り零して白目を剥いたままのケトルがゆっくりと背中から倒れ込んでいく。

 まるで四年前、彼が元王者を足蹴にしたように、まさか自身が剣以外で倒されるとは思いもしなかったろう。

 もちろん、これは偶然であって何かの意趣返しではない。三対一とはいえ、紅葉という強敵と刃を合わせ、深い手傷まで負わせて、それでもなお果てた結果だ。

 他の誰かの意志など入る余地もなく。

 

「……遠慮するなよ。今のは俺を殺るいい機会じゃなかったか?」


 地に沈んだ剣士を見やりながら、紅葉が背後に声を掛けるが応える者はいない。

 それも当然といえば当然か。

 『俗物軍団グレムリン』独自の気風もあって、武力に並々ならぬ強い自負を抱いてる者達が何度も顔を合わせれば、これまでに何度か互いに手合わせした経緯があった。

 その体験を通して、眼前で敗北した剣士ケトルの強さと何よりも『死剣』と称する不可避の技がどれほどのものかを承知している。

 それがまさか、初見で、あんな破り方をするなんて――あまりの衝撃的な敗北に絶句したのが真実であった。

 その光景に誰よりもショックを受けたのは他ならぬ獣闘士であったようだ。


「…………オリタ」

「あ?」


 唐突に、ぼそりと洩らしたバゥムの思わぬ台詞に耳を疑い、紅葉が荒々しく聞き返す。

 

「オマエニ、カテヌ」


 淡々としたリズムで、しかしながら重苦しいほどの実感を込めながら。

 部族内でも破られたことのない連撃ごと、二度も地面に叩き伏せられたバゥムの闘士としての自尊心は、すでに大きく傷つけられていたらしい。

 やおら、胸に彫られた刺青へと爪を立てた。


「カテヌ、オスハ……シッカクダ」


 それが彼独自のケジメであったのか、まるで紅葉に見せつけるように抉られた刺青を晒した後、くるりと背を向ける。その後ろ姿には、先ほどまでの迸るような闘志や獣欲の影すら見出すことはできず、まるで別人であるかのようだ。それへ慌てたようにガンジャスが呼び止めた。


「おい――」

「ハキダ」

「何だって?」

「オレハ、ヤマニ……モドル」


 闘士失格だから「故郷に帰る」と云っているのか。ケトルが倒され、自分達も手傷を負う状況で、さらに一人減ることがどういう意味を持つのか、分かった上で云っているのか?


「おい、待て――」


 気付いたガンジャスの制止に聞く耳も持たず、バゥムが元来た方向へ駆け出す。まるで逃げるようなその姿に、敗北を察した野性の“ある種の潔さ”みたいなものさえ感じさせつつ。


「待てよ、おいっ。バゥム!!!!」

「……お前はどうする?」


 急転する事態にガンジャスが動揺する中、追い立てるように紅葉が声を掛ける。仲間割れ大いに結構とばかり、一息もつかせず、とっとと終わりにしたいことを態度で示しながら。


「何? ……くそっ。こんな終わり方があってたまるか!」


 仲間の逃げた先を睨み付けながら、ガンジャスは紅葉をちらりと振り返り吐き捨てる。地団駄を踏むように悔しがるも、しかし、隔絶した実力差を認識している以上、さすがに一対一でやるつもりはないようだ。

 負傷した腕を強く握りしめながら、痛みと悔しさで顔を歪めつつ、後退をはじめる。


「斬って終わらせたいんだが?」

「調子に乗るな、貴様っ」


 そう激昂しつつ、一気に跳び退り、安全距離を保ったところでガンジャスが大口を開けた。


「確かにお前ぇは強い。だが、俺たちの目的は腕試しじゃない」

「……」

「居場所が分かった以上、次は本気で攻めさせてもらう――『俗物軍団グレムリン』の総力でな」


 それが半分・・負け惜しみであることは紅葉にも分かっている。集団戦を本気で望むなら、なるべく情報を秘すべきであることは基本中の基本であるからだ。

 だがもう半分の勝つ自信は確かにあるのだろう。

 “すきる”の有用性は今回の戦いで十分に立証され、それを使役できる者達が多ければ多いほど、明らかな脅威であることは紅葉も否定できない。


「やはり、ここで斬っておくべきか」

「! ――いずれまた会おうぞっ」


 何気に呟いた紅葉の言葉に敏感に反応したガンジャスが、慌て転がるようにして一目散に逃げ出した。ギリギリ捨て台詞を吐きながら。

 その足下に何かが当たって弾かれたのさえ気付くことなく、あっという間に森の奥へと消え去っていく。


「……何の真似だい?」


 紅葉が声を掛けたのは、ガンジャスに当てたそれ――“箱”を拾い上げた小柄なローブ。

 大事そうに“箱”を抱えたローブは、枯れ草を手で払いながらぼそぼそと呟く。


「“所有権”を一度渡したんです」

「“所有権”? 何のことだか……」

「溜め込んだ“凶運”をあの男に還すためですよ」


 意味ありげに言葉を並べる小柄なローブの声に、暗い喜びのような不快さを感じ取って紅葉が柳眉をひそめる。


「だいじょうぶ……あの男はもう、この森から生きて出ることはありませんから」

「へえ……? いや、ならいいか」


 理由はともかく、ひとつの懸念が払拭されたという話しを紅葉は素直に受け止める。実はもう、追いかける力など残っていないからだ。


「“すきる”か……愉しかったが、俺もまだまだ(・・・・)だな」

「お姉さん?」


 ばたりと後ろへひっくり返る紅葉に、驚いた小柄なローブが駆け寄ってくる。外堀からはこれまでじっと見守っていた伐採労役の者達も。

 まわりがうるさい。

 そっとしてくれ。

 気持ちよく意識を手放しながら、しばらくはたっぷりと眠らせてもらおうと紅葉は最後にそう思った。

 深い深い水底へ。

 大の字に横たわる彼女の相貌には、満ち足りた笑みが浮かんでいたという。

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