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(六)『俗物軍団』襲来(後編)

四年前

 とある闘技場――



 あれだけ歓声で沸き返っていた闘技場が、高度な水の精霊術でその熱を奪われたかのように冷たく静まり返っていた。

 一定レベル以上の富や権力などを有し、何よりも命懸けの闘争を観覧することに無常の歓びを感じる者だけを厳選した400名――生半な趣向では動じぬ彼らを驚愕させたのは、優勝候補の筆頭にまで挙げられた剣士が無様に尻餅をついたのを目にした時だった。


「――なんだ、今のは?」

「ただの“平手打ち”にしか見えなかったが」


 呆然とした表情で観客席の人々が困惑し戸惑いが場内全体に広がるのも当然だ。

 今、彼らが目にしているのは、『精霊術』や『魔術』を排除していることを除けば、禁じ手なしの危険極まりない闇の武術大会――その本戦である。

 つまり表には出られない、だからこそ真の強者達(・・・・・)が集い死闘を演じる闘いの場で、まさか“平手打ち”のごとき痴話喧嘩に用いられるような児戯が繰り出されようとは――。


 そもそも大会自体に過剰なほどの期待感が込められているのも、“観覧の権利”を手にすること自体に並々ならぬ苦労を必要とした実体験があればこそ。

 裏社会の住民でさえ噂程度にしか耳にしない“幻の武闘会”を、彼らは持ち得る金と人脈、さらには自慢の情報網を最大限に駆使して、時には同じ目的を共有する者達と協力し、裏切り、競い合ってようやく入手困難な“夢幻の観覧券(プラチナ・チケット)”を手にしていた。

 もはや観客席に座すことがひとつのステータスになっており、居並ぶ者達のほとんどが――例え最上段の末席であってさえ――選ばれし者としての達成感と優越感に自然と笑みこぼれ、例外なく、その物腰にはただならぬ空気を纏わせていた。

 だからこそ、中にはこの権利を取得せんがため、冗談抜きで足かけ七年を費やした強者もいるくらいだ。無論、真の権力者に云わせれば、「しょせんは小者」と冷厳に断じるのだろうが。


 いずれにせよ、本戦のそれも初戦からこのような闘いの始まりが起こり得ようとは、観客どころか大会関係者の誰もが予測していないことであった。


『東手より入場するのは――』


 司会者の発する声に導かれるように、華々しく登場した前回王者にして優勝候補筆頭のカルヴァリエが、十文字剣バスタード・ソードを肩に担ぎ威風堂々と歩く様に、観客の誰もが“いかなる勝利”で初戦を飾るのかしか念頭になかったのは確かだ。

 そしてそれは、対戦者であり“挑戦者”と見なさ(・・・)れる(・・)剣士が西手より登場する様を見て――腰に二剣を佩くに飽き足らず、加えて背に二剣まで負う物々しい(・・・・)重装振りに思わず失笑が洩れるほどの“滑稽さ”しか感じなかったほどだ――益々、“我らが王者チャンプ”の勝利は観客の中で不動のものとなってしまう。


 話にならん――と。


 目の肥えた観客には、“役者が違う”ということが歩く姿を見ただけで容易に判じることができていた。


 足の運び。

 手の振り。


 身に纏う覇気まで“ごく普通”と感じ取れば、はじめから仕合いを観るまでもなく、「勝敗は決している」と決めつけるのも無理からぬことである。

 それだけに開始直後の出来事を目の当たりにして、誰もが認識力が追いつかず、それでもようやっと事態を呑み込めたところで、ただ呆然と言葉を失ったのだ。


 ――信じられない。


 言うなれば、あれは王者たる者が至らぬ挑戦者(・・・・・・)に与える態度ではないか。


 我が前に立つ資格なし――と。


 だが、実際には新人にすぎぬ剣士が、前回王者にとった傲岸不遜な不敬としか云いようのない態度だ。

 だから困惑する。戸惑う。

 自分は何か見間違えてしまったのかと、極上の酒だけでなく、サービスされた非売品の陶酔薬や眩惑薬をやり過ぎたせいかと隣人の様子をうかがい見る。

 それもいかほどの時を待たず、考えられる“否定すべき材料”があっという間に出し尽くしてしまうまで。


         *****


 闘技者二人が、半地下状にくり抜かれた闘いの場へ降り立ち、ひとしきり観客達への挨拶を済ませ終えたところで。


『では良き闘争を――』


 進行役が“仕合い開始”を意味する“冥途の渡し賃”に似せた特注の金貨を『闘舞場バトル・ホール』に投げ入れる。

 宙に弧を描く小さな一枚の金貨に観客の興奮が最高潮に達したところで、気づけば挑戦者の立場である剣士がカルヴァリエの懐深くまで踏み込んでいた。


 ん?


 あるいは、“あれ?”程度の感覚で観客だけでなく当のカルヴァリエ自身もほんの少しだけ訝しんでいたに違いない。

 しかしそれだけのこと。

 そして、「ぱんっ」という何かが破裂したかのような小気味よい音が観客の耳朶をかすかに刺激した。


「――!」


 軽く顔を横向けたカルヴァリエの様子に、それがいわゆる“ビンタ”を受けたせいであると、観客が遅まきながらに認識したときには、


 ――どんっ


 という鈍い音を残して、前蹴りを喰らった王者が無様に尻餅をついていた。

 驚いたのは他の誰よりも本人であったろう。

 上半身を後ろ手に支えつつ、蹴られたことさえ認識できなかったように、口を半開きにして、しばし呆けた顔で腰を落ち着けてしまう。


「おい、何やってんだよ王者チャンプっ」


 誰かの罵声が場内に響き渡り、はっとしたように、一度は静寂に支配権を引き渡した観客席が再び息を吹き返す。ただし、今度は前王者を歓迎するムードではなく、揶揄と叱咤の声が多分に含まれる刺々しい空気であったのだが。

 そこでようやく我に返ったカルヴァリエが慌てたように立ち上がる。

 当然、ダメージなどない。

 だが、表舞台ならば「ダウン」をとられ、審判が降伏の有無について意志確認をしているところだ。それを承知しているからこそ、カルヴァリエはしかめっ面でわざとらしく咳払いなどをしているのだろう。


「――驚きましたな」


 二人分の客席を占有し、幾つもの指輪と四重五重にたるんだ太い首に煌びやかなネックレスをじゃらつかせる成金趣味の男が、自身の膨れ上がった巨体から大きなため息を吐き出した。


「下馬評では100対2でカルヴァリエの勝利はほぼ確定したものと聞いておったのに」

「だが今目にした事実は、真逆の実力差があるようにしか見えませんね」


 淡々と応じるのは、こちらも負けず劣らぬ花弁を模した華やかな服装に身を包む痩身の男。自分を着飾ることにかけては、互いに劣らぬ財力を見せつけ合うが、当然そんなことを意識的にやっているわけではない。

 事実、彼らならば望めば個室ボックスを確保できるものを、闘いの臨場感を肌で味わいたいがために、わざわざ最下段の数席を(・・・)占有してしまったことからも分かるだろう。

 痩身男の口調に成金趣味の男は何かを感じとったらしい。


「貴方は王者が負けるとお思いで?」

ですよ」

「?」

「現王者ではなく、あくまで王者です」


 それを気にしていたと?

 屁理屈を語る痩身の観覧仲間に巨体の男は苦笑する。

 いや、彼の言いたいことは分かる。王者というのは四年前までのことであり、誰もが頂点を目指して凌ぎを削り合っている状況を知っていれば、“昨日が明日と同じ”という考えは否定して然るべきということであろう。

 それは彼が棲まう商人の世界も同じ事。

 だが、成金趣味の男が口にした“下馬評”とは、一般民衆の人気や根拠のない訳知り顔の識者とやらがのたまう(・・・・)選評のことではない。

 荒事に精通した裏の危険人物達が“運営”の依頼で勝敗予想を行っているものを差している。

 中には『暗殺者』の技能を有する者までが含まれる裏社会ならではの評価陣が下した評価を覆すということは、相手の剣士が並外れた技巧を有しているだけでなく、策士としての能力も高いことを物語っていることになる。

 剣士に“ビンタ”を喰らったのは、ある意味においては観客や(・・・)関係者も(・・・・)「そうだ」と言えよう。


「しかし、剣も使わず王者を蹴飛ばす新人ルーキーか――」

「それも違いますね」

「ん? ――そうだな」


 指摘に気づいて、頬もたるませた成金趣味の男が愉しげに嗤う。大会としては新人であろうが、戦いの世界では、すでに熟練の域に達しているに違いない。

 これから繰り広げられる戦いは、表舞台では決して目にすることが叶わない、高レベル同士の言葉通りの死闘なのだと認識を改める。


「カルヴァリエが四年前に(・・・・)留まっていれば(・・・・・・・)、この仕合、どう転ぶか分からんな」


 だが、その予見は確実に間違っていた。

 まず、カルヴァリエが四年前の己に満足せず、さらなる高みを目指していたことがひとつ。

 次に、そのカルヴァリエをして、届かぬ地力をその剣士が有していたことがひとつ。

 最後に――


         *****


穏やかすぎる(・・・・・・)


 はじめ、剣士が洩らした呟きをカルヴァリエは聞き逃がしていた。意味するところを理解できなかったが故に聞き流した(・・・・・)というのが正しい表現であったろう。「だから」というわけでもあるまいが。


「まさか、その程度(・・・・)ではないでしょうね」


 五歩くらいの間を空けて、あらためて対峙したカルヴァリエにその剣士は柔和な顔に相応しい穏やかな声で再度語りかけてくる。

 それが己に向けられた“挑発”であると今度こそはっきり受け止めたカルヴァリエは、だが、心乱されることなく冷静に対処する。


「失礼した。どうやらこの俺でさえも、会場の熱気に当てられて(・・・・・)いたようだ」

「そうでしたか」


 これが命懸けの対戦であることを認知してないわけではあるまいに、心底ほっとしたように剣士の口元がほころんだ。


「そうでなくては。――貴方相手なら、『戦気』で己を解放し、覚えた技すべてを存分に振るえると期待していたものですから」

「『戦気』?」

「そう。おや――」


 カルヴァリエの疑念に、頷きかけた剣士の表情がぴたりと固まる。

 少しの沈黙のあと。

 急に構えを解き、だらりと両腕を下げた剣士の行為がそう思わせるのか、まるで感情が抜け落ちた人形のような佇まいにカルヴァリエの胸を不審が過ぎる。

 その佇まいには畏怖させる闘志も、警戒させる狂気もない。

 単なる人を象った影のごとく剣士は黙然と孤立する。

 なのに、その姿を目にした絶体強者であるはずのカルヴァリエの身に寒気が生じたのはなぜなのか。

 その人形(・・・・)が口を開く。


「『戦気』を――『戦気』さえ知らない? 本戦出場ともなれば当然のたしなみでは? その上で、我が四本の『死剣』をしっかとお披露目しようと思っていたのですが――」


 口から吐き出された言葉は“失望”。

 その表情を次第に染め上げるは“憤懣”。


「これが噂の『剣武会』――語るに堕ちる、とはこのことか」


 どす黒いモノが剣士の身を浸したのをカルヴァリエはその類い希なる直感力で認識した。それが剣士の身体能力を飛躍的に向上させていることまでは見抜くことができなかったが、これまで踏まえた戦歴が危機感知能力を鋭敏にさせていたからこそ、本気で剣を構えたのだ。

 だが、抗うことさえ赦されないとは。

 目で追いつけぬ剣士の動きを“勘”と経験で凌ぎきり、隙を捉えて、あるいは強引に作り出して剣技スキルを放つまでが精一杯。

 相手が紙一重で回避するのと異なり、己の身に切り傷と打撲を無数に刻まれた頃には、カルヴァリエは“遊ばれている”ことを嫌が応にも実感させられていた。

 歓声が耐えることなく続くのは、目の肥えた観客すら見極められぬ二人の高い技倆があったればこそ。

 それでも対戦するカルヴァリエ自身には、そのどうにもならぬ実力の差は骨身に染みており、心が折れなかった理由は前回王者ディフェンディング・チャンピオンという小さな名誉に対する浅ましいほどの自尊心がゆえ。ただ、誰もが眩しさに目を細め、敬意を払う肩書きを相手の剣士は眼中にさえ入ってないようであったが。


(ならば、何のためにここ(・・)にいる?)


 疑念も憤りも荒れ狂う剣の嵐に吹き飛ばされ、感情も流され、ただただ歯を食い縛り続けるカルヴァリエにその時が訪れる。


「――――っ」


 剣士が何と言ったか耳に入らない。

 技の名であろうと見当がついたがそれまでだ。

 気づけば、四方から襲い掛かる四つの剣を受け止めることもできず、その身を十字に叩き切られて、前回王者は為す術もなく無残な屍を晒すこととなった。

 その最後を観客の熱狂が看取る。

 視認することはできなかったが、信じられぬ技が放たれ、一時代を築くとさえ思われた強者が地に沈んだのを目撃したのだ。

 これで興奮しない者がこの場にいようはずもない。

 割れんばかりの歓声に、剣士――ケトルが手を挙げ応えることはなかった。

 纏う空気は寂しげで、孤高を人影にしたような姿を戦地に残し、沈黙を保ったまま静かに去るだけであった。


         *****


現在

 再び『羽倉城』城外――



 ケトルの目に、ガンジャスの『宿業戦術』は明らかに発動し、その効果を(・・・・・)発揮していた(・・・・・・)

 時折、女剣士は木の根に足を取られ、あるいは切り株の端から足を滑らせ、それどころか、攻撃態勢に入ったガンジャスが足を滑らせた結果、幸運にも軌道が変化して女剣士の意表を突く斬撃を奇跡的に生み出したこともあった。

 だが、それら必然的に生まれた(・・・・・・・・)偶発的な好機(・・・・・・)のすべてが、女剣士の超人的な対応力で凌がれてしまい、ケトルは初めて、背に冷たい汗が流れるのを感じた。


 ――――信じられんっ


 “己の道は己で切り拓く”とはよく耳にする話しだ。ケトルもそれには同意するし、自身、これまでそうしてきたつもりだ。

 だが、これほどに悪意ある偶然(・・・・・・)による攻撃を、“運命を意のままにする”ガンジャスの怖気を振るう攻撃を己が力で文字通り叩きのめす剣士――それも女が存在するなんて。

 いかなる剣士であっても、たたみ掛けるような不運に見舞われただけで、苛立ちに心乱され、それが確実な隙となって曝け出すものを。

 そのわずかな感情の揺らぎさえ表すこともなく、女剣士の口元には、ただ冷笑だけが浮かぶのみ。

 いかなる修練を積み上げてきたのか。

 どれほどの修羅場をくぐりぬけてきたのか。

 それは戦士・剣士が目指すべき、ひとつの境地ではなかったか。

 偶然も必然も。

 有利も不利も。

 実戦なればこそ、ただあるがままを受け入れる。

 その姿に、ケトルは思わず目を奪われ――

 

「~~~~っ」


 おこりのように身が震える真の理由をケトルは痛いほど自覚してしまっていた。


 畏れではない――憧憬を抱いてしまっている己を。


 あのように、身を捌ければ。

 あのように、剣を振るえたら。

 あのように、身も心も戦地に置けるなら――

 あの『剣武会』でさえ出逢えなかったものが、まさかこのような地でまみえるとは。

 瘧のような震えは止まらない。

 ケトルは二剣を握る手に知らず力を込めていた。


「これは――穏やかでは(・・・・・)ありませんね(・・・・・・)


 唇に刃のような切れ込みが入り、自然、深い腹式呼吸を始めていた。

 下腹を起点に背中を通して喉元へと熱い対流が沸き上がり、それが反転して肺腑を降りていき、元のへそ下で受け止める。その動きを留めず流せるようになる頃には、身体の震えがぴたりと治まっていた。

 そうなれば。

 あるのは求めた強敵に出逢えた歓びのみ。

 もはや、仲間にさえ隠してきた実力を出し惜しむ考えなど捨て去っていた。もちろん、それでもなお、任務まで忘れたわけではない。


「ガンジャス、二人で(・・・)やりますよ」

「ああ」


 仲間の応答を背に受けて、ケトルはゆるりと立ち位置を変える。

 目の前の存在を前に、一対一などというおこがましい考えはない。

 彼女も『戦気』を使えると考えれば、やはり二対一の効能を戦術的に取り入れるのが当然としか考えなかった。

 そこまですべき相手とケトルの剣士としての本能が訴えてくるのだ。


(掛け値無しの全力を叩きつける――)


 先手はガンジャスに譲り、攻撃の影に隠れるようにして体術スキル『瞬歩』で一気に間合いを詰める――そこまでを想定してケトルが身構えた時だった。


 ぐがあああああっ


 獣の如き咆哮が仲間のものだと知って、ケトルが準備していた『瞬歩』が精神集中を阻害されキャンセルされてしまう。


「ちぃっ」


 視界の隅で同様に驚くガンジャスの相貌を捉え、ケトルは策が繰り出す前に崩れ去ったことを痛感した。

 よりによって、このタイミングで。

 だが仲間が暴走する理由には心当たりがあり、しかもこうなったら、もはや後戻りができないということも承知していた。


「ガンジャス!」


 ケトルの呼びかけは適切に伝わったはずだ。

 凄まじい速さで女剣士に襲い掛かる仲間を睨み付けながら、ケトルは再度『瞬歩』の発動を試みた。


         *****


 地力はこちらが上、そう紅葉は捉えていた。

 だが油断ならぬのは、いつぞやの鎧騎士が放ったような剣技スキルあるいは『精霊術』とやらの摩訶不思議な術理の存在であった。

 客として迎え入れた異人達からの情報によれば、とても信じがたい奇っ怪な事象を顕現させる力であり、諏訪ではそれらを忍術あるいは神通力の類いと置き換え認識することにした。

 だが、紅葉は『七忍』と呼ばれる存在がおり、彼らの用いる驚嘆すべき妖術奇術を知っている。それに昔住んでいた村には呪術師もいたと思えば、他の者に比べて、案外と素直に受け入れることができた。

 だからこそ、そうした類いが当然のように実在するこの世界に脅威を感じていたのは確かだ。

 なればこそ、眼前の男達をただ技倆のみで捉えることを良しとせず、警戒していたのだ。口にした言葉とは裏腹に、一度として、彼らを侮ったことはない。


(こいつらは、まだ、すべてを見せていない――)


 「三人で来い」と誘いを掛けたのは決して余裕からではない。得体の知れぬ者をじっくり倒していたのでは、悪戯に体力を浪費するなど、かえって厄介になると判じればこそ。

 だから得意の乱戦(・・・・・)に持ち込みたかった――期せずしてその時が訪れたわけであったが。


 ぐがあああああっ


 ローブをはためかせ、突進してくる三人目を目にして、紅葉は思わず笑みを深めてしまう。

 正面に偉丈夫。

 左に二刀の剣士。

 理想的な状況だが、“間”が悪い。


「馬鹿か――」


 文字通り、地を蹴り宙より跳びかかってきた無防備なローブに上段斬りを叩き込む。

 しかし、意外な手応えが両腕に伝わり、大地に叩きつけられたはずのローブが片膝つく姿勢で辛うじてこらえきっていた。否、それより注意を引き付けられたのは。


「なんだ――?」


 それは長刀を受け止める、指先から伸びた紛れもない本物の鉤爪(・・・・・)

 そして、はらりと落ちたローブより現れたその相貌に紅葉の眼が軽く見開かれる。

 真っ先に眼につくは、金の瞳に、縦に裂いたような漆黒の瞳孔。

 次に、軽く前に延びた口顎より剥き出しになった鋭い犬歯の列。

 まるで犬に似た面貌は、あの犬人共に似ているがまた別の種と紅葉は冷静に判じる。


「ぐがぁう」


 むっとするような生臭い息が顔に吹きかかっても紅葉の顔色が変わることはなかった。

 その金の瞳に明らかな獣欲を見留めても、はだけたローブの裾から剛毛に覆われた下半身とそこに屹立する(・・・・)醜悪なモノを視界の隅に捉えても、彼女が加える長刀の力にささいな揺らぎさえ与えることはない。


「そんなに俺が欲しいかい――」


 艶めかしい唇より、ささやき声が洩れる。

 皮肉にも、人ならば決して欲情しなかった女剣士を相手に、獣だけは素直に反応するようだ。まるで縦長の瞳孔が情欲に歪んだように見えて――


 すっ、と紅葉の身が二歩ほど後ろに下がったところで、遅れて偉丈夫の豪快な剣撃が誰も居ぬ大地に叩き込まれていた。


(迅い――)


 皮肉にも、先ほどより濃厚となった気配で感知するは容易いが、代わりに紅葉の敏捷さに匹敵する速さを彼らは手にしたようだ――いかなる術理が為したかは問題ではない。

 その事実こそが、問題なのだ。

 だが、まだ危機は去っていない。

 はじめから回避されることを前提にしていたのだろう。狙い澄ましたように剣士の影が紅葉の左に現れ、同時に金色の刃線が真横に振るわれる。


 剣術スキル『朧月』――


 抜群のタイミングで放たれた剣刃を、だが、紅葉は縦にした長刀に片手を添えて合わせにいく。


「――っ」


 いや、受け止めるのでなく、反動を利用する形で立ち位置をずらし、あまつさえ、流れるように技へと繋げてゆく。


 ――――閃っ


 裾がめくれ、白い生足一本を軸にして、鋭く廻転した女体が放つは銀の死線。

 それも一瞬で二廻転したのを敵対する三人が見極められたかどうかは分からない。

 二週目で速さが乗ったその身より、紅葉が愛刀を繰り出せば、強力な遠心力を纏った長刀は熊をも断ち切る力を得る。


 秘剣『羆下ひぐまおろし』――


 この技で、紅葉の師は熊を魚のように三枚に下ろしたことがあるというが定かではない。不真面目を絵に描いたような爺様だったからだ。


「技名はあれ(・・)だが、肝を冷やすだろ?」


 長刀を肩に担ぐ紅葉に自問と言っていい応じたのは剣士ケトル。


「――今のは『満月陣』? いえ違いますね」


 何よりも技の起こり(・・・・・)を感じ取れなかったことに剣士が驚いていることは紅葉には分からない。

 少なくとも、今の一撃を(・・・・・)受けた三人が(・・・・・・)顔色を変えた理由を十分に認識できればそれでよかった。

 こちらの力を誇示し、少しでも萎縮してくれれば術中に嵌めやすいからだ。


 多対一。

 斬り込み隊である『抜刀隊』こそは、敵陣にて乱戦を生み出し、組織的行動を阻害し、その役目を麻痺させることが主眼のひとつとなっている。

 それ故、戦う舞台は“数的不利な状況”が常であり、必然的に多対一の闘法が磨かれることになる。

 ただし、大概は“隊員同士の連繋”を軸にするものであるのに対し、紅葉だけは長刀を活かす“多対一”に拘りをみせた。


 相手の動きを巧妙に誘い、

 自身を“絶妙な間”がとれる位置に置き、

 長刀の間合いを活かし、ただ一撃で以て、複数の獲物に斬撃を喰らわす。


 その馬鹿げた理想を実現するに、磨くべき、どれほどの能力を必要とするのか。


 常人を凌駕する視野の広さ。

 相手の肉の動きや感情の機微を察する類い希なる洞察力。

 相手と己の位置関係を常に把握する俯瞰の力。

 他にもまだ。


 数え上げれば切りが無い、才気に溢れた大人物を目指すようなもの――しかしながら、そのように紅葉が捉えたわけではない。

 ただ夢中で、師の後を追ったにすぎない。

 枯れ木のような、飄々とした痩身の影を。

 夢中で駆けて、夢中で戦場にて舞っただけだ。

 その果てに、辿り着いた剣の境地。


「とくと味わいな――戦場にて咲き散る“鮮血の紅葉舞い”を」


 それは敵対する三人の見間違いであったろうか。

 静かに語りかける紅葉の身より、そこで初めて、殺意の刃がぬき放たれた。

 まるで凍てつく冷気が地を滑り広がるがごとく、敵対する三名の脚を捕らえ、這い上がってその身をぶるりと震わせる。

 紛れもない剣の鬼女が、そこに顕現していた――。

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