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(三)『行商五芒』のフィビアン

コダール地方

 『公国第三軍団<特務派遣団>』拠点――



 天幕の入口に人の気配を感じて振り返る。

 はじめに目に付くのは、襟や裾が花弁のように広がる独特のデザインに金糸をあしらった装飾過多な服装であり、その次に、これ見よがしに首から提げられた銀の『行商五芒』――最低二カ国から認められた者にのみ交付される行商権において、五芒星を象る行商権とは、公国及び周辺四カ国から信頼された大商人の証でもある――が嫌が応にも注意を引き付ける。

 自身を客の記憶に残すのは、商売の世界では最も効果的な演出であったろうが、危険な国境警備を職務として身を捧げるカストリックからすれば、無駄に演出過剰であり、むしろ胡散臭くさえあった。

 あまり関わり合いになりたくない、というのが偽らざる本音である。

 だからこそ、その男が顔を伏せたまま、滑るように歩み寄ってくると、カストリックは来訪の知らせを受けた時よりもさらに不機嫌となった。

 伏せたままでも分かる男の媚びるような笑顔を容易に想像できて、早くもうんざりしたのが正直なところだが、無論、そんな心情をおくびにも出すことはない。それでも。


「お久しぶりで御座います、カストリック閣下。今日もまた、一段と凜々しいお姿(・・・・・・)で――」


 普段より強張った表情のささいな変化をどうしてこの男が気づいたのか、眉尻をわずかに振るわせてカストリックが内心驚くもそれだけだ。

 そういう男なのだ――フィヴィアンと名乗るいけ(・・)好かない(・・・・)南国の商人は。


「遠路はるばる来てもらってすまないが、早速、例の件について結果を聞かせてくれないか?」

「もちろんでございます、カストリック閣下」


 閣下と強調するあからさまな媚びに、眉根を寄せそうになるのをカストリックは堪える。例え相手が好きになれぬ商人であっても大事な取引相手であり商売・・仲間・・でもあることは紛れもない事実。いらぬ軋轢を生むつもりは微塵もない。


「今回は小粒だが、それなりに捕虜を捕らえることができた」


 言外に身代金の高額を期待するカストリックにフィヴィアンも機敏に察して手を合わせ声高に協調する。


「ええ、まったくもって驚かされました! 当たり(・・・)の浅い(・・・)戦いで、前回よりも人数を多く捕虜とされた手腕は、さすがとしか言い表せません。しかも、いずれもが高名な家の貴族ばかり。ですが……」


 ようやく顔を上げたフィヴィアンがひどく申し訳なさそうに細眉を波打たせ、消え入りそうな声で金額を告げる。それはカストリックが期待した額より三割は安いものであり、思わず不満が言葉となって洩れるのもやむを得ないだろう。


「――低すぎないか?」

「ええ、それはもう、私もそう思うのでございますが……」

「こちらでも捕虜の身辺調査はさせてもらっている。いずれも爵位の高い家の者で、才気に溢れた人材のはずだ」

「ええ、それはもう、仰るとおりでございます」


 分かる分かると応じながら、期待する額を決して口にしないその態度にカストリックが苛立つのをさすがに感じ取ったのか、フィヴィアンはひどく無念そうに肩を落として低額となった理由を説明する。


「確かに名のある子爵家のご子息など、身分尊き血筋の方々が間違いなくおりました。……ただ如何せん、いずれも長子でなく五男、六男の継承権の低い者ばかりでして……はい」


 身分が高いのは間違いないが、その家にとっての(・・・・・・・・)価値となれば別物だと商人は云いたいらしい。いくら政務や軍務の才に恵まれていたとしても、長子がよほどの愚物でない限り、産まれ出でた順番が低い者は、党首の座とは無縁の金喰い蟲にしか見られない。

 例え同じ血を分けた家族であっても、家督を継ぐか否かによって、厳然たる格差がそこには存在するということだ。


「せめて次男であれば、長子の万一を考えさせるなど、揺さぶって交渉する手段はありますが、さすがに五つも離れてしまいますと私程度の腕では、とてもとても……己の至らなさに恥じ入るばかりでございます」

「いや――致し方あるまい」


 まるで己に非があるがごとく謝意を示すが、かえって鼻につく言い様に、カストリックの口調は自然と堅くなる。

 これでも本来の肩書きは、南の国境警備を任務とする南部方面守備隊長である。常に勝つか負けるかの簡潔明瞭な世界で生きているだけに、こうした輩も、その腹の底が見えぬ言動も、実体が掴みにくく不快にしか感じない。態度の硬化はやむを得ないというものだ。

 だが、過酷な国境警備の任務を継続させるには軍資金が必要で、高額な捕虜の保釈金を得るには、他国との交渉・仲介をするために第三国に頼むか、両国に跨いで顔が利く商人に頼むしかないのもまた事実。

 以前、姑息な策を弄して取引の信頼性が失われた事件が起こってから、第三者を仲介役として立てるのがこの辺りでは一般的な手段になってきた経緯がある。


「こうして少しでも軍資金を得る算段が持てたのもお前の提言あってのものだからな。お前が交渉した結果ならば、それを受け入れるしかあるまい。次回もまた、よろしく頼む」

「いえいえ、とんでもありませんっ。カストリック閣下のご恩情には深く感謝致します。次回こそは少しでも金額の上乗せができるよう交渉には誠心誠意、励まさしていただきます――」


 そうして土下座せんばかりに頭を下げるフィヴィアンへカストリックはただ無機質な瞳を向ける。


「ああそれと、いつも通り部下の装備修繕もみてくれないか――費用は今回得られる身代金から引く形で」


 最後に別れのつもりでカストリックが依頼すれば、フィヴィアンは何を察したか不思議そうな顔をみせた。


「おや、いつもより早いタイミングでございますが、何か――いえ、そういえばこのような僻地で複数の部隊を運用なさるとは、珍しい事でございますね」

「そうか? 国境から交替で下げさせた連中も、完全休暇にしたのでは肉体が鈍るからな。たまに実戦訓練くらいは必要なことだ」

「……なるほど。休養日であっても、鍛錬を欠かす事なかれ――それが閣下が所属される第三軍団の強さの秘密、というわけですな。感服致します」


 どこまで本気か分からぬが、フィヴィアンは秘密を分かち合ったかのように嬉々として褒めそやす。

「決して他言は致しませぬ」と仰々しく繰り返すのをカストリックも重苦しい表情をつくって、「信じているぞ」と合わせてやる。


「貴方様は、いずれ第三軍団の長になられる方。このフィヴィアン、金運の神に誓って貴方様を不愉快にさせるようなことは決して致しません」

「期待してくれるのは嬉しいが、私は南部方面の任務だけで十分だ」

「ご謙遜を。一方面の隊長が、この財源確保の重要事案を実質的に取り仕切っていることこそ、上層部から信頼と期待を寄せられていることの何よりの証左ではありませんか? 少なくとも、四方面の隊長達の中で、確実に、頭ひとつ抜けているのは間違いないでしょう」

「だといいがな。見方によっては“雑用を押しつけられているだけ”ともとれるが。まあ、いい」


 今度こそ、話しは終わりだとカストリックは口を噤む。それを察したフィヴィアンは暗黙の了解であるかのように、「話しが長くなって申し訳ありません」と一礼して速やかに辞去した。

 実務は互いの部下が進めるため、大筋の話を決めるだけでいいから、会談があっさり終わるのは特に不思議なことでもない。ただ、フィヴィアンは今少し世間話に花を咲かせたいようであり、カストリックの方はとっとと終わらせたいと両者の思いがすれ違っているだけである。


「……やはり好かんな、あの男」


 商人が消えた天幕の出入口を見つめてカストリックが低く呟く。その声に疑心がこもるのは、やけに出世を意識させるような商人の物言いに、不穏な意図を感じたためだが、気にしすぎと言えなくもない。

 だが、小競り合いでも戦いを重ねてきた経験が、自分に向けられる“悪意”というものに敏感に反応するのは確かである。人間が本来有する野性を目覚めさせるとでもいうのか。

 確信は持てないが、あの商人から漂う“悪意”と似て非なる“不穏な何か”をカストリックは無意識に感じ取っていたのだが、きっちり説明できぬもど(・・)かしさ(・・・)がある。


「いや、商人とは皆、ああいうものか……」


 得体の知れないものに、本気で悩んでも無意味と割り切ってカストリックは再び執務に戻るのであった。


         *****


 天幕の一群が徐々に小さくなってきたところで、フィヴィアンはようやく一息吐くと、おもむろに首のスカーフを外し、服を脱いで着替えを始めた。

 商隊としては中規模クラス、身を委ねる主人専用の馬車も、傍目はためにはそれなりの(・・・・・)見栄えであり大きさにしか見えない。

 しかし、その内側をひと目でものぞき見れば、無意識に抱いていたイメージと異なる空間の広さと華美な演出を廃した品の良い内装の見事さに、思わず感嘆の吐息を洩らしてしまうだろう。

 外見との差異ギャップには、当然、野盗対策という一面はあるが、フィヴィアンという商人の嗜好が強く反映された結果と言えなくもない。

 事実、馬車の中で手早く着替えたフィヴィアン自身、客である騎士を相手にしていた時とは、その印象を大きく様変わりさせていた。

 先ほどまでの、花弁をモチーフにした着心地にふんわりと余裕を持たせた華やかなデザインとは打って変わったタイトでシックなデザイン――中肉中背の締まった肉体にぴたりと合う濃灰色の服を品良く着こなし、笑み崩れていた柔和な顔は消え去って、その相貌には理知的で怜悧な表情が仮面のように貼り付けられている。

 いや、これこそが彼本来の姿であり、客人を前にする時にだけ、媚びへつらう商売人の仮面を被っているのだろう。


「今回は、仕込み(・・・)をされなかったのですか?」


 そう声を掛けたのは、フィヴィアンのはす向かいに座り、受け取った服を丁寧に折り畳んでいる若き付き人。

 いや実際には三十路を迎えているのだが、男にしては色白でやけに肌艶がよいためか、若く見えているにすぎず、フィヴィアンとの主従関係は年にすればすでに十を数えるほどである。

 だからなのであろう。

 主の様子から騎士団隊長との会見がどのようなものであったのか、付き人には手に取るようにわかるものらしい。


そのために(・・・・・)、コダールまで脚を伸ばしたものと思っておりました」

「確かに、考えてはいた――」


 言葉少なくとも、その語尾に付き人に対する横柄さはない。なぜなら、取引で緊張状態にあった心身をほぐすのに、付き人との談笑を好んでいるのは他ならぬ彼自身なのだから。


「しかし、“商機”とは水物だ。場の空気や流れを読み、必要なければ、立てていた予定に拘らず、そのまま流れに身を任せるのも悪くはない」

「今回は、下手に仕込んで(・・・・)今の流れを変える方がよくないと?」

「そうだ。今は小競り合いとはいえ、定期的に戦いを繰り返して常に物資を必要としている――両軍とも(・・・・)()。おかげで縁切れることなく取引が続いており、利益も上々で喜ばしい限り。もう少し、この(・・)まま(・・)がいい」

「ですが、同朋のイシュダル商会も食指を動かしてると耳にします。他の者までこの地に目を向けてくれば、利益が目減りする怖れもあるのでは?」


 互いに食い合い利益が落ちる可能性を憂う付き人にフィヴィアンは「手は打ってある」と動じることはない。


「事前に、コリ・ドラ族領にて特殊材料の取引可能性を示唆する“偽の情報”を流しておいた。その上で、あの男(・・・)と公国に手を出さない代わりにコリ・ドラ族領の交渉ルートを貸し与える取引を持ちかけた」

「そういえば、先日、“千月草”の群生が発見されたとか話題になっていたような……」


 常に身近で付き従う意味からすれば、側近とも云うべき彼が記憶をたぐる様子を見せるのは、いまだ彼の知らぬ動きが商会にあることを示しており、同時にそれはまた、それだけ主との間に明確な距離(・・・・・)が存在していることを示唆するものであった。しかし、それに対する不満を表すどころか、付き人の声にこもるのは主人に対する畏敬の念のみ。


「“千月草”の偽情報フェイク・ニュースはあくまで決断させるための背中へのひと押し――コリ・ドラ族領で商機を得られれば文句も出ないというわけですね」

「そういうことだ」

「それも“そこそこの利益が出る程度”というのが肝要でしたか」


 “主人の教え”を引用してみせるのは、何かのアピールというよりは、あくまで自身に対する確認行為にすぎない。

 本気か戯れかは付き人に推し量ることは叶わぬが、時に主人が“商売の手解き”とでも云うべき“某かの金言”を口にしていると気づいたのはいつ頃であったか。

 少なくともそれ以来、付き人は明らかにこれまでと異なる意味で(・・・・・・)、熱心に主人の言葉に耳を傾けるようになっていた。先の引用も、そうした普段の会話から彼が学び取ったもののひとつである。

 まったくのデタラメな情報だけでは(・・・・)、バレたときの反動が強すぎるし、だからといって、此方が損をするような情報を提供するのは本末転倒もいいところ。

 要するに“相手が得をして、自分はもっと得をする”ような取引こそが、フィヴィアンの商売をする上での“心掛け”であった。


「路線に変更なければ、糧食や鍛冶で協力いただいている方々に、契約量を変えない形で期間のみ更新することをお伝えします」

「それは少し待て」

「なぜです?」


 尋ねる付き人には、しかし、その答えがすでに出ていた。窓外を眺める主人の目が何かを思い起こすように細められているのに気づけば、“仕込み”を取りやめにした理由にはもうひとつ、騎士との会見で感じ取ったらしい“流れ”がその答えであると容易に想像できるからだ。

 果たして、想像通りの話しがフィヴィアンの思案げな言葉でもってもたらされる。


「どのみち、こちらで何もしなくても、すでに“何か”が起きてはいるようだ」

「“何か”……?」

「ああ。理由もなく、明白な軍事力である騎士団の部隊を僻地で駐屯させているはずがない。下手をすれば貴族諸侯を悪戯に刺激するのがオチだ。聞けば実戦訓練だと云っていたが、あの男がそんな真似をしたことは過去に一度だってない」


 それは、公国第三軍団の一国境守備隊長の動向をわざわざ調べ上げ、しかも関連情報をすべて頭に叩き込んでいるという意味か。


「フィヴィアン様はどう見られているのです?」

「そうだな……例えば、あそこの拠点から“魔境”が近いというのが気に掛かる」

「……それこそ実戦訓練では?」


 やけに遠慮がちな物言いに、「強いと云っても国境守備隊の強さは、集団戦の、それも対人戦闘にある」と付き人の意見を否定する。“魔境”でそれは必ずしも通用するものではないと。


「天幕の数を見たか? 来る途中も騎士の一行を見かけたはず。まるで、周辺地域を調べているような数と動きだ」

「よく分かりませんが……」

「先日、ドイネスト大公が病に伏せっている情報があった。その後、騎士団の動きがにわかに慌ただしくなっているのは、少しおかしくないか? もっと云えば、『俗物軍団グレムリン』の連中も動いているようだ」

「あの連中が?」


 表情は変わらないが、声に明らかな嫌悪を滲ませる付き人に「『幹部クアドリ』が直々にな」とフィヴィアンが頷く。

 そうして、問題に悩む弟子へヒントを与える師のごとく、フィヴィアンが情報を開示してきたところで、ようやく付き人が何かを閃いたようだ。うっすらと興奮気味に考えを口にする。


「治療薬の材料集め――いえ、もしかすると原因がそもそも病などでなく、“暗殺”だとしたら?」

「暗殺か……騎士団を完全に振り切るのに、“魔境”は打って付けだろうが、さすがにそこまでするとは思えんが」

「ならば、単純にこちらの方面へ暗殺者が逃亡中だということなのでしょう」


 もはや予測でなく事実として語る付き人に、「でない(・・・)というアプローチは悪くないが」とフィヴィアンは思い込みの危険性を言外に諭す。


「まだ、判断するに足る情報がないことを忘れるな」

「では、人を置きますか?」


 騎士団への監視を提案する付き人にフィヴィアンは首を振る。


「いや、放っておく」


 それに対する異論を付き人が唱えることはない。彼が畏敬の念を抱く主人は、はじめからこうしたことを考え抜いた上で、“流れに身を任す”ことを選択したのだと分かったからだ。ならばこれ以上は思考の邪魔をするだけであり、それは付き人としての本意ではない。


「代わりに公都及び公城における情報収集に力を入れよう」

「手配致します」


 国の揺らぎが経済を萎縮させることも確かにあるが、問題の解決策に“武力”という選択肢が一般的であるこの世界においては、逆に商機とも成り得る。特に己の専門分野に拘らず、競争相手すら仲間に引き入れて柔軟な商いを展開するフィヴィアンのような商人にとっては。


「面白くなってきた反面、素直に喜べぬところもあるな」

「“火薬庫”に火が付いたからですか」

「おそらく、だがな。仮にそうだとすれば“燻る”くらいでいいのに、すべて(・・・)吹っ飛ばされるようなことにでもなれば、さすがに余計というもの」

「ですが、その調整は(・・・・・)お手の物でしょう」


 信頼しきった付き人の眼差しに、意外にもフィヴィアンは頭を横に振る。


「簡単に言ってくれる。この手のものは“火加減”も難しければ“火薬量”の調節も難しい。私ではさすがに手に余る。ここは素直に本国へ助言を求めた方がいいだろう」

「しかし――」


 そこで付き人が言葉を詰まらせたのには訳があった。


「どなたに助言を求めるので? 『劇作家ドラマティスト』は隠遁したはずですが……それも唐突に雲隠れしてしまったせいで、誰も行き先どころか連絡すら取れないと聞いております。それ以前に、貴方様でも十分――」

「連絡手段はある」


 本国の者が聞けば仰天し、その次には目の色替えて情報入手に血道を挙げるであろう危険な情報をフィヴィアンはさらりと口にして、付き人の口を閉じさせる。

 またも自身が知らぬ話しを口にする主人に、驚きや悲嘆したわけでないことは、その無機質な瞳から見て取れる。

 常に付き添い、主人の行動はほぼすべて承知しているものの、送り出す命令や届けられる報告の内容までを、必ず付き人に情報共有されるわけでないことを十分にわきまえているからだ。

 当然、今初めて耳にした先の情報も付き人に開示されることのない重要情報のひとつにすぎない。それ故、「本当にご存じで?」愚問であることは重々承知しながらも、質さずにはいられなかったのだ。その居場所を示すだけの情報に高額な価値が生まれる重要人物についてとなれば、さすがの付き人も好奇心を抑えきれないがために。


 商人は、自らは肉体的強さを持つことはないものの、しかし、己の商才を武器にのし上がれば、やがてはたくさんの金や物、そして豊富な人脈を巧みに駆使することであらゆる欲望を満たせるようになってくる。

 要するに、力を持った商人とは、人々が織りなす“社会”という“舞台”に、ある程度、自分の意志を反映させるほどの影響力を持つということだ。ましてや大商人クラスともなれば――。

 『劇作家ドラマティスト』とは、自身が有する影響力を十二分に承知している者が、己に有利な世の流れを生み出し、商機に結びつける策に秀でた商業界における傑物であった。

 その力でヨーバル通商連合の『十商』にまで上り詰め、しばし公国含めた六カ国の争いをコントロールしてきたとも云われ、やがてはガルハラン帝国の内戦すら画策したとも囁かれているが、味方であるはずの連合内でさえ詳しいことを知る者はいない。

 それでも他の『十商』が決して少なくない金額を諜報に投入した結果、ようやくかき集められた情報は、『劇作家ドラマティスト』が帝国に『十指の放散』と名付けられた大戦略を仕掛け、それに気づいた帝国の『双輪』が一人、『鬼謀』が放った渾身の『反撃戦略カウンター・ストラテジー』により大損害を被ったということだけである。

 歴史上においても大陸屈指の大戦略家二人が、人知れず水面下でそのような激戦を繰り広げていたとは、何とも疑わしい話しであるが、反面、天才同士の余人が踏み入れぬ領域の戦いともなれば、それもあり得るかと妙に納得するところもある。

 少なくとも、その話しに信憑性を持たせるのは、“黄金の盤面”が動いたとされる同時期に、帝国側では名のある貴族や上級騎士が失脚あるいは亡くなり、連合側では『十商』のうち三人が破産か不審死を遂げているという事実であり、未だに『十商』の一席が空席になっていることは誰もが知っているところであった。


「私はね――」


 紛れもない悔恨すら滲ませてフィヴィアンは己が知る“陰の歴史”への想いを紡ぐ。「羨ましくもある」のだと。


「その舞台が表であれ裏であれ――。たった十年前まで、歴史に語り継がれていくほどの者達が凌ぎを削った時代があったというに、私自身、確かに同じ時代に生きたというのに――ただの若輩でしかなかった」


 変わらず窓外へ目を向けるフィヴィアンの横顔に複雑な感情の動きをみとめて、付き人は掛ける言葉が見つからずに戸惑う。

 いつも商いに精を出すだけの、そのために幾つもの仮面を被るだけの主人に、初めてその素顔を見せられたような気がする。


 誰もがフィヴィアンを侮る。

 誰もがフィヴィアンを勘繰る。

 誰もがフィヴィアンを商人だと思う(・・・・・・)


 間違っていたのか、その認識が。そう思わせるほどの横顔に付き人が硬直していると、ふと目と目が合った。


「なぜ、お前をそばに(・・・・・・)置いておく(・・・・・)と、そう考えたことがあるか――?」

「え――?」


 自分をそばに置く理由? まったく思いもしなかった不意打ちに、付き人の頭も心も完全に凍結してしまうのであった――。

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