(三)存亡の危機③
今ので禁忌破りの話も吹き飛んだ。
それは他の三名も同じであったらしい。沸き上がる嫌悪や苛立ちが、かすかな衣擦れの音を立てさせる。
「叔父上は、此度の首魁を『白狐』にありと捉えているのか?」
「そう仮定すれば、『四家』の者が手を組む奇事もあり得ると思ったまで。商人上がりの二枚舌をもってすれば、『犬豪』を懐柔することすら可能かと」
確かにあり得ぬ奇蹟を起こすなら、人を化かし誑かす狐の悪知恵以外にあり得まい。
ただ、彼の知恵者が相手であるという事実は、敵対する者にとって不安を煽る材料にしかならない。
しかも白山地域で最大武力を誇る『犬豪』を手駒に持つともなれば。
自ずと弦矢の発言も切迫したものになる。
「ならば白山に身を投じるどころか、城を出ることすらも叶わぬぞ。あやつのことだ、すでに城近くに“必殺の部隊”を潜り込ませていたとしても、儂は驚かぬ。――なにしろ、奴が放つ凶手は人を謀るからな」
将棋に例えるなら、すでに“詰め”に入っている盤面だと。
序盤にして早くも終局を感じさせる妖しの棋力が、あるいは惑わすと言い換えてもいい――『白狐』という差し手にはあるのだ。
だが『慧眼』に見えている盤面は違ったらしい。
「確かに領内深く、我らに気づかせず侵攻した手腕には、いささか度肝を抜かれたのは事実。
されど、ここ羽倉城の外縁には、先々代より築き上げてきた『防御林の大仕掛け』がありまする。
いかな『白狐』といえど、初見で穴を穿つまでの一手は打てませぬ」
自信あふれる隻眼の言に、「確かに」と弦矢も力強く頷き返す。
「さらに、逃げる刻を稼ぐ策も、すでに講じております」
「そのようなもの――」
否定しかけた弦矢が何かに気付く。
「左様」と頷く隻眼。
「先に出陣させた軍こそ、それが役目」
「馬鹿な」
弦矢が呻くのは、言わば千もの領民が“死兵”になると解したがため。
だが息を呑む当主を意にもかけず、隻眼は淡々と策の全容を明らかにする。
「おそらく、街道を進む敵軍は“東の林野”に着到しているはず。そこにしか城へ至る道はありませぬからな。だが、それこそ我らの思うつぼ――」
“道”と云ったのは言葉のあや。
実際は、人為的に“疎”か“密”に造林された樹林帯が広がるばかり。
そして“東の林野”には『虎口』と呼ばれる扇状に細工が仕掛けられた特殊な林野があった。
その細工とは、林奥へ踏み込むほどに深まる樹木と下生えの作為的な植生だ。
はじめは歩き易さに気をよくする。
しかし徐々に足がとられ、手で藪を掻き分けるようになり――やがて敵将が気付いたときには、軍の運用さえもままならぬ事態を招く罠。
そう。
この羽倉城を取り囲む森林こそは、城壁や罠として機能するように造り込まれた諏訪自慢の一大防御機構であった。
だからこそ、隻眼の言葉には確信が込められる。
「むしろ、夜に敵を迎え討つことになったのは好都合。
疲れと苛立ちに加え、身動きできない状況に混乱する敵兵。そこに襲いかかる我らの伏兵。この目で確かめるまでもない。味方は大きな勝ちを得るでしょう」
「じゃが、一度や二度退けたところで、今の逆境は変えられぬ」
それだけの兵力差があり、たとえ防御林の仕掛けを駆使しても数の暴威に味方が呑み込まれるは必至だと。
弦矢は若さに似ず冷静だ。
しかし隻眼もそれは当然見越していた。