(二)存亡の危機②
なのに、夜更けに当主の寝所にまで押しかけ、上申された策が――
「叔父上の云う『城落ち』する道に先などない」
誤魔化しは許さぬとばかり、弦矢はいかに進退窮まっているかを説き示す。
「東は海、北にはこの潰し合いにほくそ笑む相馬氏が我らの退路をしっかと閉じ、残る西手も同様――霊峰白山の未踏地が立ち塞がる“地勢的な手詰まり”だ。
しかるに、儂には頼りとするべき縁者も同盟も他領におらぬ。この地しかないのだ。皆と同じにな。なれば己の散り際くらい、儂に決めさせろ――」
その声は腐ることなく平素と変わらず。
野性味あふれる黒瞳にも怯えの色はなく、ただ最後の戦を前にして、静かに闘志を滾らせる。
しかし隻眼がひとつきりしかない目の端で捉えるのは、あるじの膝元だ。
『白山四家』のひとつに名を挙げられて三十年――諏訪家を己の代で終わらせる無念さに、若き当主の両手は、己の膝をしっかと鷲掴んでいた。なればこそ。
「まだ、終わりませぬ」
石を磨り潰すような隻眼の声が、目前に迫る受け容れがたい運命を、断固と拒絶する。
「この無庵、決して分のない策を具申したわけではございませぬ」
「じゃが今も云ったように、道は閉ざされておる」
「恐れながら」
弦矢の指摘を承知しながらも隻眼の気概は揺るがない。
「東と北に活路はなくとも、西は単なる未踏の地。人が踏み込めぬと勝手に決めたのは、我らの内にある“怖れ”であって神や仏ではありませぬ」
その不遜にして大胆なる発言に弦矢の目が見開かれる。
それもそのはず。
霊峰白山といえば、見上げるほどの天高き峰が、南へ北へ延々と連なる大いなる壁である。
その大半を占める“緑の大海原”とも呼べる原生林には、人を襲う気性の激しい獣も棲みつき、猟師でさえ深入りすることを禁則としている危険な地。
それ以上に問題なのは――
古くから、奥地には神代の頃からの魑魅魍魎が息づくとまで、真しやかに語り継がれているほどの“忌み地”であるということ。
いや出るのだ――本当に。
だから贄を捧げ、納めの儀式も行われる。
これまでも。
これからも。
要するに白山地域の者なら、尻に火が付いても逃避先にすることがない愚策中の愚策。
豪快に笑い飛ばすべき戯れ言であった。
だが慧眼との信望厚き者が、この非常時に冗談をぬかすはずがない。
それでも、どこまで本気かと確かめずにはおれぬ弦矢が、初老に残されしひとつ眼をのぞき込み――やがて止めていた息を吐き出すかのような勢いで、大きく息をついた。
「――――思い切ったことを考えおる」
「そうでなくば、『白狐』めを出し抜けませぬでな」
「まさか――」
思わず舌の上に苦みを感じさせる厄介な人物の名を耳にして、弦矢の精悍な顔つきが大きく歪められる。