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(六)そこに到りし者

炎の槍に貫かれ、不覚をとった万雷。

原動力を失った部隊は勢いをなくし、戦場は一転して怪しい雲行きに……


丑の刻

羽倉城周縁の森

 諏訪軍『中央本隊』――



 集団戦である以上、一度動きが止まれば勢いは失われ、先ほどのような快進撃は二度と起こせなくなる。

 そうなれば地力に勝る敵方が有利。

 とるべき手段はひとつしかなかった。


「させぬっ」


 反応したのは最も近くにいた副将榊。

 万雷よりなお一歩、敵陣深くへ踏み出し盾となるや、その周囲へすかさず『赤堀衆』が打ちかかり、万雷を囲む輪が縮まるのを防がんとする。

 再び局面が動き出す。


「近づかせるなっ」

「万雷様を守れっ」


 もはや攻勢をかける余力も無い『赤堀衆』が己の本分を全うすべく必死の形相で守勢に回る。だが敵はただの足軽ではない。

 恐るべき鉄鎧武者の一団だ。


「****!」


 魚鱗の陣は崩れ去り、鎧武者の軍団が『赤堀衆』を上回る力で一気に包囲を狭めてくる。素早く撤退しなければ、波頭が崩れた大波のごとく一気に戦場の藻屑と消え去るだろう。


「右を固めろっ」

「意地でも抜かせるなっ」

「ぐぉっ……ぁあ!」


 一気に動きが鈍った指揮官を先導する『赤堀衆』の苦戦が続く。一番の要因は、時折どこからともなく放たれる『軍神』に手傷を負わせた『火矢』あるいは『火槍』のせいだ。


「暮林殿の横撃はどうなっておる?!」

「ここまで届かぬっ。あの炎のせいだ!」

「一体何なのだ、あの妖術は――」

「あれも種子島のような、新式か?」

「どうでもよい、我らで万雷様をっ」


 しかし悲痛なる念いは、理不尽なる兵装の力の前にねじ伏せられる。


「くっ、後を頼む――」 


 一人、また一人戦場に沈んでいき、募る焦りが集中力を奪う悪循環の中で、榊が一人立ち止まる。

 血飛沫き、殺気渦巻く騒乱の中で、なぜか殺意が消えた澄んだ瞳に気づく者はいまい。

 あまりに自然体な姿に訝しむのは、味方に非ず相対する敵鎧武者のみ。


「榊っ」


 ただひとり、猛烈な倦怠感に襲われる最中、気づいて呼びかける万雷に榊は振り返らない。


「万雷様はお先に。某は今少し、ここで暴れて参ります」

「よせ」


 意図に気づいた万雷の制止は、当然聞き流される。そして、短くもそれが榊との最後のやりとりとなった。


 ◇◇◇


「――これが、あの方が常に見ていた景色か」


 叩きつけられる殺気と無数の白刃。

 普段なら怖れに心胆寒からしめるところだが、榊の心は不思議と凪いでいた。


 あの方の役に立てる。


 あまりに秀でた指揮官の下では、皮肉なことに、どれほど懸命に務めても自身の存在価値を見出だすことはできなかった。

 それが今や確信している。

 役に立てるのだと。

 そして、“ここぞ己の命の使い時”と悟ってからは、恐怖や無念や焦燥といったものが、脳裏から胸内からきれいに拭いさられた。

 いや、抜け落ちた。


 ああ――


 すべてが澄んでおり、晴れ晴れとしている。

 右からくる突きをなぜかわせたのかは自分でも分からない。

 十二の時に、己に武才がないと知ってから初めて剣に没頭した。その差異は(・・・・・)、努力で埋めればよいだけと。

 どれだけ剣を振るい、槍を突いたか覚えていない。

 剣より帳簿と部下に陰で揶揄されているのは気づいているし、それを気にしたこともない。


 いや。


 だからこそ、己の掌を他人に見せたことはなかった。

 あの方にさえ。

 無論、夜中に剣を振る姿なぞ見せられるものではない。それこそ、知らぬ妻には“密通”を疑われたこともある。


 “夜鷹を買ったのか”と。


 これまで進歩は何ひとつ感じていなかった。

 いつの間にか現れた才気溢れる若衆にも剣で抜かれ、何とか『赤堀衆』の末席に連ねられたのが己の限界だった。


 限界と思い込んでいたのか。


 やけにゆっくりと迫る左の大刀を透かして、槍を叩き込む。

 さらに二度、三度と敵の凶刃を紙一重でくぐり抜けたところで、榊は口元を綻ばせた。


「俺もたどり着いたぞ――月ノ丞よ」


 どうしても敵愾心を持つ若侍を想う。その一言には末期とは思えぬ満足が見え隠れしていた。


 ◇◇◇


 瞬く間に人海の中にその背が埋没する。


「榊……」


 呟きを短い別れの挨拶として万雷は前を向く。

 あまりに呆気ない別れだが、戦場の別れは常に唐突に訪れるもの。互いの関係の深さなどそれこそ何の関係もなく、死は誰にでも平等に一瞬で訪れる。

 そう無情に割り切ってしまえるほど、その厚き忠信で稼いだ刻は、さほど長くはなかった。それでも脱出へ向けて踏み締めた一歩一歩は、決して軽くはないことを万雷のみが知る。


「――むっ」


 守備の隙をついて打ちかかってきた敵の斬撃を、万雷が大刀持つ敵の手首を掴んで封じ込め、空いた別の腕で力任せに殴りつける。


「がぁっ」


 体調が万全ならば例え素手でも殴り殺せる力はあるが、短い間に満身創痍となった今の万雷では、いかに気力を込めても、鎧武者に確たる損傷を与えることはできない。

 万雷の一撃でよろめいた隙を『赤堀衆』が打ちかかってなぎ倒す。


「殿、肩を――」

「構うな。それより退路の切り拓きに集中しろ」


 槍を杖替わりとする万雷の姿に誰もが不安を覘かせる。それへ気遣い無用と絶対に逃げ切るのだと万雷は双眸を光らせる。


「……そうでなくては、副将が務めを果たしたことにならぬ」

「! ――分かりました」

「必ずや、我らが切り拓きまするっ」


 再び気力を奮い立たせた『赤堀衆』が跳び込む勢いで、退路方向の敵に襲い掛かっていった。

 当然、手薄となった三方からの敵攻勢が圧力を増す。万雷は少数の護衛者と共に、斬りつけられながらも何とか食い止める。


「***っ」

「****!」

「…………っ」


 もはや万雷に敵を仕留める力は無い。

 精々が敵の体勢を崩していなす(・・・)程度。

 足止めしかできぬもどかしさに万雷は歯噛みする。


(それにしても一体何なのだ、この軍は)


 朦朧とする意識の中で、強烈な疑念が頭を占める。

 南蛮鎧に意味不明な言葉。

 その上、呪詛の類いとしか思えぬ兵器も使う。


(兵装をみても、『白縫』というよりは――)


 まるで遠き長崎に出入りするという異国人のようではないか。

 異国人による異国の兵装、異国の呪術――異国の軍隊?


「馬鹿な……」


 発想が飛びすぎだ。例え異国の軍隊としてなぜこんな小領を襲うのか。

 同盟軍に協力させているとも考えられない。ならば逆に同盟軍が協力を求めたのか。

 だが、そんなことが世に知られれば、日ノ本全土にいる大名たちが許すはずもなく、圧倒的兵力で白山を平らげてしまうだろう。

 これまでは余計な損耗を嫌って手を出さなかったに過ぎないということを『白山四家』の者なら誰もが理解している。

 一度でも大名の介入なぞ許せば、それこそ、これまでの戦に意味が無くなってしまうと。

 白山は白山の者によって平定されるべき。

 これは不文律だ。


(だが、だとすればこの軍隊は……)


 戦いの最中に他のことに気を取られるなど言語道断と知りながら、どうしても疑念が頭から離れない。むしろ強まるばかりの疑念や当惑に万雷が苛まれていると――




 ズドン――――ッ




 響き渡った砲声に敵鎧武者による包囲の一角が崩れ去った。


「万雷様っ」


 漲る気勢は見覚えのある小兵が上げたもの。


「……筒香か」

「万雷様、早うこちらへ!」


 言うが抱えていた太い鉄砲を投げ捨て、後ろの介添え役から同じ大きさの鉄砲を受け取り構える。

 通常の倍近い太さの鉄砲は“十匁”――筒香のみが扱える中型鉄砲であり、弾は四発を数珠つなぎした特殊な散弾を使用している。

 威力については敵鎧武者をして見ての通りだ。普通の足軽に向ければ、悪鬼の所行かと見紛うばかりの凄惨な現場が生み出されよう。

 だが、此度の戦に遠慮は無用。




 ズドン――――ッ




 今度は逆側の包囲が崩れ去る。

 機を逃さず、『赤堀衆』が万雷に肩を貸しながら思い切って敵に背を向け、一気に後方へと駆け出す。

 ようやく“狩り場”を抜けて自軍の端にたどり着く。


「すまぬ」


 『赤堀衆』一人が筒香に短く謝意を表す。筒香は太い笑みを浮かべただけだ。


「おい、あれは――」


 筒香の機転で脱出の機を得たところに『赤堀衆』が何かに気付く。それは横合いから駆けつけてくる援軍の姿。


「宇城殿っ」

「別働隊で来られたか!」


 口々に喜びの声を上げる『赤堀衆』。

 大将の危機を察したからなのか、たった十名前後の援護でも、追い縋る敵の勢いを止めるには十分な役目を果たしてくれる。

 今が頃合いだろう。


「戦鼓を……退却だっ」


 苦々しい一語を吐き出した万雷は、後ろへ首を回して鎧武者軍団を見ていた。そこに無くした何かを探すように。

 想定以上の負傷に、側近の死。今や全身を襲う倦怠感に巻き返しは不可能――これ以上の戦いは無意味と悟る。何より妖術まで用いる敵軍の底知れなさに、他にどんな策を隠しているか、読めないのがあまりに危険と判断したためだ。


(お前の仇はいずれ――)


 万雷は口にすることなく誓いを胸に秘めた。


 ◇◇◇


 その後、“狩り場”から撤退した篠ノ女軍を予想に反して敵は追ってはこなかった。

 物見の報告では、なぜか敵も撤退したらしく、既に林内から影も形もなくなっているという。

 恐らく、碓氷を含めた二隊が敵の退路を断つべく動いていたことに気付かれたのだろうこと、また、敵も甚大な被害を受けたため撤退したのだろうと推測された。そこに一介の侍が残した功績は、当然付されていない。

 そして一息つく間もなく城より報せが入る。


「城に異変――?」

「いえ、確かなことはまだ。ただ、いかなる異変も

見逃さず、報告せよと」


 城からの伝者を前に、治療を受けながら万雷は思いに耽る。脳裏に過ぎるのは無論、狂人共の襲撃や森の変事。そして何よりも、あの異国のものかと思われる軍隊の存在だ。あれこそ、異変中の異変。


「それともうひとつ」

「まだ何か?」


 そう云われて伝者が微妙な表情をつくったのは、種々の痛みで不機嫌な声を出す万雷に臆したわけではないようだ。


「それが……もしやすると、この戦、思わぬ方に転ぶやもと」

「?」

「敵方も戦どころではないのでは、と。ご容赦を。私にも、何がなにやら」


 自信なさげな伝者の言葉に万雷も困惑せずにはいられない。


「……その言伝、間違いないな?」

「はっ、もちろんでございますっ」


 ならばよい、と万雷は話を終わらせる。

 なぜなら、敵まで混乱の(・・・・・・)渦中にある(・・・・・)という考えまでは頭になかったからだ。


(これは早急に、方針を練り直さねば)


 これは敵大将を討ち取る好機か否か。怪異そのものについても、敵の意志がそこに介在していないとするならば、この先何が起きるか予測も立てられぬ。どのように対処していくべきか。


「いずれにせよ、城に伝えねばならんことは多い。とりあえず、物見ではなく先遣隊を出すのが先か。早急に調べねば手遅れとなるやもしれん」


 一時は『陰陽師』の存在を口にしたものの、もはやその範疇に収まるものではないと万雷は根拠もなく確信していた。

 何かが起きている。

 本来ならば、自らが城に赴き話し合いたいところだが、前線を留守にするわけにはいかない。

 苛立ちを覚えながら、万雷は樹上を見上げる。


「――――!」


 枝葉の隙間から見える月を目にして瞠目する。

 これほどはっきりした異変に気づかなかったとは。


 重なり合う満月(・・・・・・・)


 万雷の胸中に、“言い知れぬ苦み”が並々と満たされていくのを感じるのだった。

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