(五)覇道の終焉⑤
「――これは珍客だな」
いつの間にか、舞いを終えた壮年が一段高い壇上から彼らを見据えていた。
その目と目を合わせただけで、射すくめられるような強き眼光に、彼らが胸中感嘆したのを知ることはあるまい。
「立て続けに奇妙な客が二組も訪れるか。つまり、儂の歩んできた“道”が正しかったということ」
そう満足げに唇の端を吊り上げる。
いかなる炎熱が全身を炙るのか、絶え間なく滴る汗や時折降りかかる燃えくずが肩を灼くのも意に介さず、大陸中から『覇王』と畏怖される壮年は大樹のごとく揺らぎもしない。
先ほど響かせた声のごとく、炎による恐怖も痛みも感じさせることなく、むしろ瞳に好奇を宿らせ、彼らを見つめる。
「ふむ。これほど明るいに、お前達がよう見えん。視認阻害の『魔術』か? 『精霊術』で似たものがあるが、それではあるまい」
見立ての鋭さは、皇帝になるほどの人物であれば当然か。しかし「欲しい」と欲望のまま口にする姿は、まるで子供のようでもある。
「どうだ、その術を儂に手解きしてくれるなら、金一万くれてやる。いや、必要な額を云ってみろ」
「初めて御目にかかる、『覇王』殿。我らは俗世に疎いゆえ、満足な礼をとれぬことご容赦願いたい」
まるで提示などなかったかのように無視する彼らに、壮年は不興を感じてはいないようだ。むしろ、さらに興味を抱いた節がある。
「面白い。暗殺者が礼を語るか」
「そのような下賎な者ではない」
別のひとりが不快を露わにすれば、「ならばなんだ」と壮年が詰め寄る。そこで彼らは気付く。壮年のペースに乗せられていることに。
剥き出しになった上半身を赤々と腫れ上がらせながら、堂々たる立ち姿から放たれる覇気には他者を思わず跪かせる何かがある。
天性の持って生まれた、覇王としての資質が。
それがこの場にいる者の本能に――“強者に身を委ねる安堵感”を強く望ませ、気付けば壮年の意に添う形を取ってしまうのだ。
おそらくは、あの恐るべき襲撃者でさえ、舞い終わるのを待たされていたように。
「……無論、貴殿を救いに来たわけでもない」
「もちろんだ。そうでなくては困る」
「?」
侮るなと示した反抗心を、思わぬ言葉で反故にされて彼らは困惑する。
「もはやこの世界で学ぶべきことはない。――いかようにすべきかを儂は十分に知った」
それゆえの“舞い”であると。
やはり『覇王』は何かに気付いている。
非常に危険な男であると、放置すべき存在ではないのだとその言動から彼らは察する。
「どうやら、お前達はそやつに用があるらしいが、儂の方が先客だ。待たせた恩に報いねばならん」
そうして目線を『黒母衣』へと向ければ。
残り五歩まで進んだ位置に、気付けば『黒母衣』が剣を脇構えにして立っていた。
「「「!!」」」
驚きに身を強張らせる彼らを置き去りにして。
さらに瞬きひとつで『覇王』と『黒母衣』は接敵し、黒き刃が滑り込むように『覇王』の喉元へと迫る。
――――シュインッ
ぞわりと鳥肌立たせる金属の擦過音を響かせて、『覇王』の片耳が斬り飛ばされていた。
だが、会心の笑みを浮かべるのは『覇王』の方。
手に持つ舞いの小道具で凶刃を反らした事実に、気付いた彼らも唸らざるを得ない。
それほどに――常人の域を遙かに超えた彼らをして、目で追いきれぬほどの攻防であったと認めれば。
「かかっ――聞きしに勝る早業よな! じゃが、儂の“観”が勝ったぞ」
それは恐るべき才ある発言だ。
彼らでさえ見えぬ極小の隙を、覇王の目にかかれば、見出せるということか。
それを過信と黙らせるかのごとく、黒き剣閃がふたつ疾り抜け、しかして件の擦過音が三つ、彼らの背筋を震わせる。
「馬鹿なっ……追い切れぬ」
狼狽えるなかまの声に、余力の無い別の声が辛うじて対処法を伝える。
「呪力を両眼に注ぎ込め」
「それでは……肉体の方が追いつけん」
そこまで配分を偏らせねばならぬのかと。
身に宿る呪力には限りがある。
戦う前に追い込まれてしまう現実に、誰もが愕然となる。
眼前で行われる戦いは、彼らでさえ追うのがやっとの、異次元の戦いなのだ。
「……やむを得ん。あの決着が付いたら、すかさず『刺青呪図』を発動させろ」
「そんなことをすれば、俺たちが」
「いや、それしかない」
三人目が断じれば、彼らの決意もすぐに堅まる。
どのみち“死”は覚悟していたことだ。それでも二人目が異論を口にしたのは、“切り札”をはじめから使う後の無さに不安を覚えたため。
どうあっても、負けるわけにはいかぬゆえに。
異形の襲撃者を倒すのは勿論のこと、場合によっては『覇王』にも対処する必要を思えばこそ。
だがまずは。
「必ず『狂ノ者』を葬るぞ――我ら『呪法戦士』の矜持に賭けてっ」
*****
その日を境に大陸の歴史は確実に変わった。
『覇王』――ゲイリッジ・フォン・ドルヴォイが大陸制覇を目指し、一大帝国を築きながらも道半ばに倒れてから早十年。
帝国による版図拡大の動きが止められてもなお、大小の国々が生命を燃やして相争い、綺羅星のごとく明滅を繰り返す乱世が続いていた。
まるで夢半ばで倒れた覇王の妄執が、大陸に取り憑き、そこに生きとし生けるものを呪っているかのように。
それは誰かが“大陸制覇”の偉業を成し遂げるまで、“祭り”の終わりを許さぬ常軌を逸した呪いであったのかもしれない。
少なくとも、多くの者がそう信じた。
だとするならば、この呪いが解かれる日など、本当にくるのであろうか?
大陸中にひしめく国は夜空に浮かぶ星々のごとく存在し、それらの制覇が果て無き夢だからこそ、ゲイリッジは挑み、それに際して自国民に告げたのだ――「『千国時代』を終わらせる」と。
そして後世、それを逆説的に捉えた学者が多分に皮肉を込めてこう告げた。
その時より『戦獄時代』が始まったのだ――と。
文字通り、戦という獄に囚われた大陸から、昼夜を問わず戦火が絶えることはなくなった。
あれから十年。
祭りの終わりは、まだ、見えない――。
『災禍のレギオン』
~城ごと異世界転移した侍軍団~
<本編に続く>