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(二)先手衆暮林隊の屈辱

少し刻を遡る(夜半頃)

異なる世界の同じ森

   コルディナ隊――



「二列目急げっ。すぐにでも接敵するぞ!」

「三列目用意! テイルート、前列ともう一歩間を空けるんだっ」


 各兵長補佐の指示が飛び交い、耳障りな金属の擦過音が響き渡って森の眠りを妨げる。

 誰一人文句も言わずに、下草がわずらわしい夜の森を重い鎧を着たまま走り回るのは、彼らが鍛え抜かれた軍人だから――それだけではない。


小鬼コボルドの狩猟部隊でしょうか……?」

「そうであってほしいが……場所が場所だけにな(・・・・・・・・・)


 さらに格上の怪物モンスターである可能性ももあり得る――含みのある隊長の言葉に、緊張で強張る副官の顔は一層堅く引き締められる。


奴ら(・・)が跳梁する時間帯とはいえ、森に入ってまだ浅いというのに……」

「そうでなくては“魔境”と呼ぶまい。さあ、愚痴る暇があったら陣形の組み替えを急がせろっ」


 内心の焦りを微塵も感じさせず、隊長であるコルディナは副官の背を言葉で叩いた。そして独りになったところで、きつく拳を握り込む。


「こんなところで、足止めされてたまるかっ。一時でも早く、捜し出さなければ――」


 魔境『ヴァル・バ・ドゥレの森』――。

 北方辺境の民が決して近寄ろうとしないこの森は、レベル3の一流探索者でさえ、あっさり命を落とす大陸でも五指に入る危険地帯である。

 当然、このような場所に、それも夜に踏み込む愚行は自重すべきであり、コルディナ自身、森での活動は“可能性のひとつ”としてしか考えていなかった。

 なぜなら、彼が他の上級騎士と共に拝命した極秘任務は、北方辺境全域を活動対象にする話しであったからだ。そのために軍事演習を名目として、五部隊から成る派遣団を編制し、広大な辺境の地を精力的に駆け回ってきた。

 しかし、無視できぬ報告が巡視隊からもたらされたことで、状況が一変する。

 それは森に踏み入った何者かがいるとの情報。


 もしや……?


 結果的に、彼ら派遣団の任務とは無関係である可能性もある。つまり無視する選択肢もあったが、あまりに危険な地であるため、万一を想像して(・・・・・・・)焦りを覚える団員は少なくなかった。

 コルディナもそのひとり。

 可能性があるなら無視はできぬと、派遣団の長を強引に説き伏せ、まずは魔境の怖ろしさを炙り出す“威力偵察”の案を承認させたのだ。それだけに、滾るコルディナは兵達に歩み寄り檄を飛ばす。


「間違っても、初戦でつまずいておれぬぞっ。難敵であろうと打ち破り、できるかぎり速やかに、広い範囲を捜しまくるのだ! いいか、公国至宝の命運は、我らの双肩にかかっていると知れ!! おい、敵の詳報は――」


 まだか、とコルディナが声を荒げれば。


「第二報っ」


 低いが、はっきり聞き取れる声で伝令からの報せが入る。汗まみれの伝令が発するは、偶発的戦闘に入ってしまった小隊の続報だ。


「先遣隊、全滅!」

「くそっ」


 丁度戻ってきた副官が卑語を口走り、コルディナが思わず一歩伝令に詰め寄る。その険しい相貌に怯まぬ伝令が、さらに凶報を付け加えた。


「敵の数は五十以上、仲間がやられて火が付いたのか、こちらに向かって突撃してきます!!」

「この距離で気付いたのか?」


 近くで聞いていた副官が驚く。


「そんなことはいいっ。それより、小鬼で間違いないか?」


 さらに一歩詰め寄るコルディナに、伝令は回答を濁らせる。


人形ひとがた、としか。武器を振るっているように見えたので、餓鬼ゴブリンでなく小鬼コボルドであろうとは思われます。ただなにぶん、夜で見通しも悪く、近づきすぎると見つかるもので」


 伝令の声に実感がこもっているのは、それこそが連中に位置を気取られた理由だからだろう。奴らは伝令に気づき、追いかけてきたのだ。もちろん、それを失態となじる無思慮な上官ではない。

 

「武具を使う怪物か……」


 すでにコルディナの思考は、敵の看破に移っている。その正体が分かれば、対処のしようもあるからだ。

 伝令は小鬼の可能性を示唆したが、確定ではない。決めつけてかかると、ろくな眼に合わないことは、経験的に知っている。


(“忌火族”か“牙鼠人ソードマン”……まさか、“幽界の屍鬼群アストラル・プラトゥーン”の類いなんてことは)


 万一が起こり得る場所だけに、不死者の群れに遭遇する覚悟は必要だったとコルディナは気づき後悔する。


銀の武器(・・・・)など備えておらん。くそっ……撤退も視野に入れるべきか)


 意気込んだそばからこれか。

 配下の士気にも関わるため、口にはできず、頭の中だけで考えをまとめるのに四苦八苦する。そんな、ひとり煩悶するコルディナをよそに、隊員達は声を掛け合い、慌てて陣形の組み立てに奔走している。


「集団戦になるっ。例え相手が小鬼コボルドであったとしても、決して油断はするなよ!」

「敵が横にズレた場合は、ジーギル隊が対応しろ」


 布陣は三列重層の横陣展開。

 包囲陣を敷くのが最上だが、それはしない。怪物といっても生き物である以上、追い込みすぎない限り、死ぬまで戦うようなことはないからだ。

 はじめの激突で一気に数体を屠り、後は逃走を促すだけで撃退できる――専門家である『探索者』の話しを信じれば、ではあるが。


「ボルドー、召喚導士に浮遊する光魂ウィル・オー・ウィスプを飛ばさせろ」

「よろしいので?」

「どうせ交戦するんだ、明るい方がやり易い。ちっ……動きが悪いな」


 コルディナの舌打ちは、いまだ陣形に乱れが見られる隊の動きを目にしてのものだ。

 大陸屈指の危険地帯であることを考慮して、完全防護の全身装甲フルプレート・アーマーで乗り込んだのを失策だったかと若干の後悔を抱きつつ、コルディナは前方を注視する。

 枝葉の繁茂が濃いせいか、月光はほとんど届かず敵影を確認することはできない。それをフォローするように、ふいに現れた光明が闇を緩やかに押し広げはじめた。


「ほう……いい具合だな」

「導士長が術の調整に拘りましたからね」


 夜間訓練に付き合わされたらしい副官ボルドーが光度調整の苦労を皮肉るが、コルディナにとってはむしろ褒めてやりたいくらいだ。

 あまり明るすぎると、極端に明暗が区切られてしまい、かえって視界の見通しが悪くなる。そのことを考慮した、月光に近い光加減の絶妙さにコルディナはやけに感心してしまう。


「他の導士にも伝授すべきだな」

「それはいいですけど、特別報酬がほしいですね。……できれば私にも」


 星幽界アストラル・プレーンから導かれた幾つもの輝く珠が、隊の頭上にふわりと浮かんでいる様を見つめながら、呑気な感想を洩らしたところで。


「隊長っ」

「くっ――なんて間の悪い」


 コルディナが呻いたのは、突如として、濃密な靄が溢れてきたからだ。相手が突撃を躊躇うならばともかく、靄に紛れて襲われては、受ける側に不利となる。

 

「ボルドー、風術で何とかできないか?!」

「いえ、火ならばともかく、風の精霊術が使えるとは聞いておりませんが」

「いいから聞けっ。いや、やらせろ!!」


 コルディナが怒鳴った時には、部隊全体が白煙のような靄にどっぷりと呑み込まれていた。

 

「くるぞ、やつらがっ」

「どっちだ、こっちか?!」

「しゃべるなっ。音を聞き逃す!」


 兵の動揺を下士官のひとりが黙らせて、我に返った全員が息を潜ませる。そこで聞こえてくるのは、導師達が“風の精霊”に呼びかける謳うような声。

 語りかける者、囁く者、鋭く命じる者。

 術士によって手法が違うのか、あるいは無茶を成し遂げようとする懸命な努力であったのか。理由は分からず、肝心の成果もすぐには得られない。


「無理なのか?!」


 コルディナの問いかけにボルドーが応じる。


「効果的な術を使える者がおりません。しかし、精霊に働きかけて薄めることは可能だと」

「ならば急がせろっ」


 そう声を荒げたタイミングで、ふいに、靄の濃度が薄まりはじめる。

 併せて耳に届く葉ずれの音。

 全員の身体に緊張が走り――。



「敵影確認!!」

「――間に合った」



 遠見の声を耳にしてコルディナは目を細める。同時に、いまだ何も準備させていなかった事実に気付いてか、ボルドーが慌てたように命令を発した。


「あ……む、迎え討つぞっ――『城門陣形』!!」


 号令一下、分厚い大盾が一斉に振り上げられ、ズドンと地響き立てて地面に突き立てられる。鉄板が壁のように連なる様は、正に敵の攻撃をはね返す一個の城門だ。続けて、


「抜剣っっ」

「「「応っ」」」


 ズラリ、と鞘走らせて太い鉄剣を抜き放ち、兵達が闘志を前方の敵集団に向かって解き放つ。まるでそれに呼応するかのごとく、




 Yahaaaaa!!!!

 Guaahaaa!!!!




 コルディナ隊の士気に負けじと敵集団からも雄叫びが沸き上がり、さらに加速してくるのは想定外の動きであった。

 足に絡みつくような茂みをものともしない、四足獣を思わすその俊敏な動きに、隊に動揺が走る。


「隊長、何ですあれは?!」

「知りたきゃ、あとで『深奥の探求協会(ギルド)』に聞いてみるんだな」


 吐き捨てるコルディナは、その正体を探らんと敵の一体に意識を集中させる。


「おい――小鬼コボルドじゃないぞ」


 初めてみるタイプの胸当て(ブレスト・メイル)に足の装具、簡素な兜さえも見覚えのない造りだと即座に見極める。そこに違和感を覚えるのは、蛮族のイメージにほど遠い、確かな異文化の香りを

感じたからか。

 そばに控えていた、先ほどの伝令も訝しげに呟いている。


「あれは、俺が見た奴とは違う(・・・・・・・・・)……」

「何だと?」


 鋭く睨みつけるのはボルドーだ。


「小鬼と云ったのはお前だぞ」

「そうです。だから違うんです(・・・・・・・・)

「おい、今はふざけてる場合じゃ――」


 何を云っておると、憤るボルドーに待ったをかけたのはコルディナだ。思い当たった何かを絞りだそうと眉間に皺を寄せる。


あれ(・・)じゃないか……?」

「何がです?」

「一緒に聴いたろう、レンドルトってヤツから」


 森の偵察を命じられた際、派遣団内にいる元『探索者』だった者を見つけ、コルディナ達はあらかじめ“魔境”についての情報を仕入れていた。

 レンドルトが語った“魔境”に関する噂のひとつに、“失われた秘術を伝承する蛮族”の話しが出てきたのを思い出したのだ。

 上級レベルの『探索者』と同格の力を持つ、とんでもない民族が巣くっているというお伽噺を。


「あれは噂では? 高ランクの『探索者』相当の人間が、集団でいてたまるもんですか」

「だが、そうでなければ“魔境”で暮らせると思うか? こんな場所を住処にしてる時点で、尋常じゃない相手だと思うべきだ」


 その隊長の指摘が正しければどうなるか、想像したであろうボルドーが、ようようと声を絞り出しながら反論を試みる。


「……何が相手でも、この際、どうでもいいことでは。我らが重装歩兵ならば、負けることはありませんっ」

「当然だ」


 コルディナも自信を込めて深く頷く。


「だが、打てる手があるなら出し惜しみはすべきじゃない」

「“術”を使いきってもよいと?」


 さすがに隊長の考えを察して、ボルドーが確認をとれば「厳密には“威力偵察”が今回の主眼だからな」とコルディナが了承を示す。


「まずは基本戦術で応じるが、地力に差がある場合、遠慮なく“術”を叩き込めと導士達に伝えろっ」

「すぐにでも」


 重装歩兵に召喚導士。

 あくまで念のためであったが、建前の演習目的をいいことに、国境守備に駆り出されるはずの導士達を強引に連れてきたのは正解だった。例え“魔境”が相手であっても、不足のない戦力を揃えることができたのだから。

 さらに他者とは明らかに違う、銀色の微光を放つ自身の鎧に手を当て、「場合によっては俺が出る」とコルディナは低く呟く。


「――さあ、見せてもらおうか。本当に噂の蛮族だと云うのなら、いかなる力を持つのかを」


 それが異世界より紛れ込んだ軍団であるとは露知らず、コルディナ隊は史上初めての異界戦闘の火蓋を切って落とすのであった。


         *****


夜半過ぎ

羽倉城周縁の森

 諏訪軍『暮林隊』――



「むう……何たることだ」


 暮林くればやし 忠助ただすけは眼前で展開する戦いに、積み上げた輝かしい戦歴が崩される喪失感を味わわずにはいられなかった。


「急報っ 組頭の日下部殿、討ち死に!」

「申し上げますっ。宇城隊との隣接面に綻びが!」

「予備隊はどうした?!」

「恐れながら、宇城隊への補強にて使いきってございますっ」

「ならば儂がゆくっ。忠助殿、これにて御免!」


 槍持て駆け去るは、分家の次男。よわい十七にして二度目の戦歴とは思えぬ逞しき背を、暮林は歯がゆい思いで見送るのみ。


 こんなはずではなかった――。


 次々転がり込んでくる凶報に暮林の刀傷でひきつれた唇がわなわなと震え出す。

 友軍の危機を知ったとき、「百程度の敵なぞ本番前の肩慣らし」と舌舐めずりをし、苦戦など毛ほども思わず勇み宇城隊の援護に向かったのだ。

 それがかような事態に陥ろうとは。


「暮林様っ。中央がたわみ(・・・)はじめておりまする!」


 林野特有の視界の悪さを意にも介さず、精確に戦場の動きを読み取る側侍に、別の朋輩が要因を指摘する。


「やはり他隊との歩調が揃わぬかっ」

「それより刃筋も通せぬのが(・・・・・・・・)……」


 普段は意気軒昂を以てあらゆる局面に動じぬ側侍達だが、予想外の、それも一方的すぎる展開に慌てふためくのを責めることなぞできやしない。なぜなら――


「儂らの槍が……」


 「効かぬ(・・・)」とその言葉だけは辛うじて呑み込む忠助の双眸が捉えるは、“奇っ怪な”と評すべき敵鎧武者の異形っぷり。

 頭のてっぺんから足の先まで、全身をひとつの装飾もない無骨な鉄の具足で覆い隠し、左手に壁と見紛う大振りな“鉄の盾”、右手には馬鹿でかい鉈を思わす大刀を引っ提げ、ただただ、冷たく無機質な威圧感を放つ。


 鉄、鉄、鉄……まるで動く“鉄の人形”だ。


 はじめ、誰もがその異様な鎧姿に驚きはしたものの、そこは百戦錬磨の兵たち――すぐに鈍重であろうと弱点を見抜き、そんな“木偶でくの坊ではいくさにならぬ”と嘲笑った。

 それで『諏訪われら』を相手に自ら“林野戦”を挑んでくるなぞ、片腹痛いと。

 だが、浅慮は自分たちの方であった。

 己らこそ“弱者”であったのだ――。


「**、**!」


 それは敵軍の号令か?

 聞き覚えのない言葉で叫ばれた途端、一糸乱れぬ動きで敵前衛の大盾がぐいと前へ押し出される。

 激しい衝突音と共に自軍の兵たちが軒並み倒され、あるいはよろめいたところに、敵の大刀が一斉に振り下ろされた。


「***!!」


 次の号令で、打ち倒された兵士を踏みつけながら鉄人形の軍団がゆっくり前進する。鉄の擦れる音に混ざって、深傷でも生きていたらしい者の断末魔が暮林の耳にこびりつく。


「ぐぅっ……」


 不甲斐ないのではない。

 兵の誰もが死力を尽くし、如何なくいつもの力を発揮している。

 だのに、味方がどれだけ槍で突き、刀で斬りかかっても、敵の頑健な大盾に防がれ、あるいは分厚い鎧に小さな凹みしか与えられず、逆に敵の一刀は味方の槍を折り、貧相な防具ごと叩き切って無慈悲に打ち倒してしまうのだ。


(兵装に差がありすぎる――)


 それがどれほど大きい差であるか。

 目算で、敵一人を倒すのに味方五人は潰されている。つまりは真っ向正面からぶち当たるべき相手ではないということだ。

 ならばと矢を射かけようとしても、まず樹林が邪魔で射線がとれず、木に登って射かけた強者もいたが、結局、頑丈な鎧に阻まれほぼ効果はなかった。


 まさに鉄壁の鎧具足というわけだ。


 騎馬による突撃なら効果もあろうが、そも林内で騎馬の運用なぞできるはずもないから論外だ。まさか得手とする林野に布陣したことがあだとなろうとは、お釈迦様でも分かるまい。


(それに、あの人魂は何だ――?)


 先ほどから、ふわふわと戦場を漂う怪しげな光の珠。

 炎のごとき揺らめきがなく、まるで珠そのものが発光している妖しさに、暮林達の気勢が削がれたのも無理はない。

 おかげで宇城隊の窮地を察し、敵部隊に奇襲の横撃を加えるはずが、あえなく敵に気付かれ失敗に終わったのだ。

 今では武器ではなく、単なる篝火のひとつと理解していたが。


(あのような松明、見たこともない……)


 異人が手にする絡繰りか、はたまた妖術か。

 最新式の兵装といい、未知なる装備に後れを取っているせいで、自慢の精兵を苦しませている。

 悔しさに手槍をきつく握りしめ、渋面をつくる暮林を嘲笑うように、


「**、**!」


 掛け声に応じて大盾が突き出され、先ほどの光景が繰り返される。

 ほんのりと血臭が鼻をつく。味方の流した血の量はどれほどのものか。


(どうにもならぬ――)


 これまでに何度、兵力で勝る敵を相手に林野で戦ってきたであろうか。その度に先手さきてとして一番に敵と槍を交え、必ず痛烈な打撃を与えて自軍を勝利に導いてきた自負がある。



 歴戦の猛者とは、この暮林隊のことぞ――。



 近隣に轟かせし武名こそ、福浦郷ふくうらごう倉林衆の誉れ。

 それがどうだ。眼前に展開するこの無残な光景は。


「まったくの逆ではないか――」 


 引き結んだ唇の端から一筋の血が流れる。

 こんな姿は自分の知る暮林隊ではない。こんな惨めで、こんな――



 これは戦いでなく一方的な殺戮だ。



 ◇◇◇


「暮林様、このままでは……」


 立ち尽くす隊頭たいがしらに側侍が声をかけてくる。何を促したいかは分かっているが、それができようものなら、とうに指示を出している。


「……くぅっ……」


 自身への怒りで槍を握り込む拳が白くなる。


 できぬのだ。


 常に先手の将として激戦をくぐり抜けてきた経験が、数で押さねば総崩れになると警鐘を鳴らし、容易に撤退の指示を赦さぬのだ。

 援護すべき宇城隊どころか今や一人も退却させられず、暮林は激しく焦燥を募らせていく。


「***!!」

「***!!」


 そんな暮林隊の気勢の翳りを察したか、対して敵の気勢は益々盛り上がる。


「***!!」

「***!!」


 腹腔から放たれる声は野太く、肉食獣の咆哮にも聞こえる。実際、容赦ない殺戮は、獣か“物の怪”の狂宴かと、暮林をして目眩を覚えそうになる。そんな矢先。



「忠助っ」



 突然、体をぶたれたような声で暮林は我に返った。


「――――次郎丸か。どうした?」


 ようようと返答しつつ、一瞬でも己が呆然自失となっていたことに初めて気づき、胸中激しく動揺する。


「どうしたではない。このままでは宇城隊共々、敵にすり潰されてしまうぞっ」

「分かっておる。分かっておるが……」


 苦渋を浮かべるものの案は浮かばない。隊を統べる者として部下に弱気は見せられぬが、幼少の頃より一緒に育った次郎丸が相手では、思わず素が出てしまう。それを見兼ねたわけではあるまいが、


「俺が行って奴らを抑える。幸いあの重装備だ。奴らの追い足なぞ気にせず、お主は宇城殿と共に退却しろ」

「何を?!」

「冷静になれっ。相手は二隊で抑え込めぬ化け物共ぞ? ここは一度退いて立て直すのが、上策であろうが。それに――」


 と次郎丸が付け加える。


「先ほど、万雷様からの命が入ったはずだ。何と云うていた?」

「!」


 その言葉に暮林が視線をそらす。あまり口にしたくない命であったからだ。


「どうなんだ、忠助っ」

「……引き込めと」

「なに?」

「森の奥に引き込み、奴らの体力を奪えと」


 苦々しく語る暮林の様子に次郎丸が肩を叩く。


「誰もおぬしの力を疑っておらぬ。じゃが、闘争の塊みたいなお人が仰るのだ――その姿(・・・)を眼にせずとも、敵の手強さに気付いておるのやもしれぬ」

「……ああ。妙に鼻が利く御方だからな」


 『諏訪』が敷く林野陣には、必ず本陣と囲いの部隊との間に“万一”を想定した“狩り場”と呼ぶ空き地を設けている。

 その身を隠す樹木が一切無い空間に敵を誘い込むことで、自分たちは身を隠しながら一方的に矢を射かけるなど、戦いを有利に運ぶ“切り札”として利用するのだが、暮林が受けた下命は明らかに始めから“狩り場”に敵を誘い込むことを狙っていた。

 奥深く本陣にいながら『軍神』はそうすべき何かを感得していたというのか。その真意を見抜けずとも、下命を忠実に守るべきと判ずるだけの年数を配下として戦ってきたはずではなかったか。

 至らぬ己に『軍神』へ胸内で詫び入れながら暮林は気を取り直す。


「じゃが、圧力を掛け続けねば崩れるぞっ」

「だから俺が止めると言うておる」


 隊頭の様子に冷静な判断力が戻ったのを見取ったのか、次郎丸はここぞとばかり訴えてくる。


「俺とて一矢なりと報いたい。されど無念じゃが、今の我らに、奴らを打ち破る武器はない。それこそ『破城槌』でもぶち当てん限りはのう」


 そこでニヤリと笑ってみせる。


「明日の本番のために、これ以上兵を失うわけにはいかんのだ。おぬしは隊長じゃ。隊の維持を第一に考え、早う宇城殿と退却しろっ」

「ぐ、む……しかし」

「俺を信じろっ」


 暮林の心中を察したか次郎丸がずい、と顔を寄せる。

 その目の輝き。

 これまで友の危機を幾度も救ってきた時の力強い輝きがその目にあった。


 春富士での暁光の戦い。

 行津なめづでの夜襲返し。


 共に戦い抜いた激戦を、この目を見て思い出せというのだろう。これまでの窮地で自身が何を成し遂げてみせたかを。

 言葉にせずとも十分だった。


「……待っておるぞ、次郎丸」

「うむ」


 力強く頷いて次郎丸は走り去った。属するは隊でも一、二を争う精強な二番槍隊だ。

 特に次郎丸はこれまでに二度、“一番槍”の手柄を立てている剛の者であり、彼ならばあの恐るべき鉄の軍団を抑えることができるやもと期待させられる。


「聞けぃっ」


 僅かに残った不安を吹き飛ばさんと暮林は声を張り上げた。


「二番隊が敵の足を止める。早急に退却の用意を致せっ」


 次郎丸の心意気を無駄にはできない。腹を括って己の勤めに専心する。


「誰かっ。宇城殿へ直に会いに行く。儂について参れ!」


 あるいは己に慢心がなければ幼なじみを危地に追いやることもなかったかもしれない。悔恨を噛みしめながら暮林は宇城隊へと向かった。

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