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(三十八)『白狐』の鬼手③



 丘の合間を走る『隠し通路』と思しき入口の前。


 そこへ塁が踏み込むものと思っていた手下は、予想に反して丘を登り出す動きに反応が遅れ、その一瞬の隙に大きく後れを取ってしまう。


「ちょっ、待って下さいっ。頭!!」

「お前は丘を回り込め」


 出遅れた手下を構っている暇はない。

 それに弓取りの塁だからこそ、他の者との位置取りは大きく異なり、かえって二手に分かれる良い機会となる。

 これは戦術としても真っ当な話。


 そうして身軽になった塁の足が一段と早まった。


 丘は枝葉が密集して月明かりが洩れず、ほぼ闇の中を手探りで進まねばならないというのに、塁は早足と言える速さで移動する。


 すぐに塁の耳がぴくりと動く。

 丘を登り進むほどに、争う声が明瞭になってくるためだ。




「ぐぎぃっ」

「ごお?!」

「無闇に突っ込むな、囲め――!!」




 次々と上がる断末魔と思しき苦鳴に、切迫した命令が重なる。

 手下が戦っているのに違いないが、先ほどから耳に届く音には、人間以外の相手を想像させる擬音が混じり込む。


(まさか“人食い熊”でも放ったか――)


 それは以前、塁自身が諏訪軍に仕掛けた奇策でもあった。




 熊を手負いにし、人の屍肉を喰らわせ、味を覚えさせたところで数日拘束してから解き放つ。

 空腹と痛みに狂った熊がいかに怖ろしいものか。

 瞬く間に離散した諏訪軍の惨状を傍観した塁にはよく分かる。

 その惨劇が自身の部隊に降りかかったのではと頭に過ぎったのだ。




 けれどもそれは、獣を熟知する自分だからできた策で、誰でも容易に真似できるものではない。


 それでも、諏訪があの時の意趣返しをやってのけたと考えれば、なくはなかった。



「――舐めた真似してくれる」



 塁は内心の焦りを押し殺して先を急ぐ。

 起伏の変化に息を切らすことも下草に足を取られることもなく、塁は音も頼りにしながら着実に近づいてゆく。




「刃が通らねえ――」

「止まるな、動き続けろ!」

「ギチギチキチ!!」




 肌で感じる争いの気配は激しさを増し、手下の叫びに身の毛もよだつ金切り声が混じり合うのを耳にして、塁の相貌に厳しさが増す。


 今のが熊か?

 いや、ケモノですらない。

 奴らは一体、何を招き寄せた――。


 何故か、ふと塁の脳裏に過ぎるのは、共に参戦した同輩の武将が耳にしたという胡散臭い風聞だ。



 曰く、易占を得手とする犬豪家子飼いの軍師殿が「類い希なる凶兆につき、日を改めるべし」と侵攻の延期を具申したとかしないとか。



 こうして塁達が諏訪の地に踏み込んでいる以上、その具申は棄却されたので間違いないが、今になってその噂話が妙に気になって仕方がない。


 凶兆とはどういう意味であったのか?


 軍師殿のまなこには、はっきりと血生臭い未来さきが視えたのではなかったか?



 だが、事ここに至っては――。



 気付けば眼下に争う影達の姿を塁は捉えていた。

 手下が語っていた靄の方は晴れたらしい。 


 ざ、と枯れ草を踏みならし、塁は丘の中腹で足を止める。


 ここは風下。

 誰かに見咎められた様子はない。

 そして周囲に人気がないのも確認済。


 そもそも遠距離主体の弓士として、のこのこ(・・・・)争いの場に顔を出す愚は犯さない。


 特に塁の場合、猟師としての本能が無意識に敵の牙が届く危地を避け、それでいて、己の牙が確実に撃ち込める場へとこの身を誘ってくれる。


 だから塁は、自然に身を任すのみ。

 木々の並びに逆らわず、肌のひりつく方を避け、足の向くままに委ねれば、自ずと適地に辿り着く。


 塁は片膝立ちで身を潜め、争乱の舞台を静かに見分する。


(あれか――)


 数体の大きな影とそれを取り囲むように位置取る小さな人影の群れ。


 森の中でも機敏な動きを見せる人影の群れは、疑うことなく自身の手下達だが、問題はそれに劣らぬ敏捷さを見せる大きな影達の方だ。


 やはり、あのような熊はいない。


 大岩を団子のように三つ四つ組み上げた胴より、細長い幾つもの棒状の何かが伸びている奇形。そのどこかで見覚えのある姿影に塁が眉をひそめてしばし。


「――まさか」


 思わず口に出したのは、馬鹿げた妄想が浮かんだため。


 だが似ている。


 地べたに長い行列をつくり、時に自らの倍以上もある体躯のエサを懸命に運ぶ、子供の時分によく見たあの光景――あの虫に(・・・・)

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