(三十五)悪意の正体
「八真様っ、本陣より、状況の説明を求める伝者が参っておりまする!!」
「同じくっ、右に接する犬飼様からも、“あれは何か”とのお質しがっ」
「少し待て」
息を切らせて取り次ぐ側近達に、八真は一瞥もくれようとはしない。
「殿っ――」
「構わぬから、待たせておけ」
静かな声音に有無を言わせぬ力強さを込めて、取次を黙らせた八真は、目の前に並べられたふたつの異物に意識を向ける。
「――これが敵の親玉だと?」
強烈な不審感は当然のこと。
何か小動物の頭骨を数珠つなぎにした首飾りに、輝く玉石を埋め込んだ腕輪など、身に付けたる服飾の数は他の者よりも多く、身分の高さは確かにうかがえる。
だが、ぎょろつく目玉に歯並びの悪い尖り歯の何と異様なことか。
肌の色合いも小豆のように黒づんで、破裂しそうに突き出た腹だけが、やけに艶やかなのが気持ち悪かった。
とても人とは思えぬ醜悪な面構えと体つきに、八真が強い困惑の声を洩らしたのはやむを得まい。
しかし、その心情を察することのできなかった下士官が、「おそれながら」と敵大将に違いないと力説しはじめる。
「敵軍の中央で指揮を執っていた姿、それに護衛と思しき手練れの存在。何よりこの者を討ち取ると同時に、奴らの統率が乱れ、千々に散った事実――念のため、こうして身体まで持ち帰ったのを検めさせていただきましたが、大将格に違いないかと」
「そうか。こやつらに、諏訪が関わっていると思われるものは、何かあったか? 例えば旗や家紋の入った品、あるいは諏訪の侍が混じっているとか」
「いえ、そのようなことは、何も」
諏訪が関与していない?
そうであろうと納得すると同時に、そんなことがあるのかとの疑いもある。
本侵攻の立案者の話によれば、諏訪の本城をとりまく森こそは、やつらの最大にして最高の“城壁”であるとのこと。そんな自身の縄張りにバケモノが入り込んでいるのを放置しておくのか?
あるいは、侵略されている時だからこそ、か。
下士官の返事に、隊上層部の困惑はますます強くなっていく。
「殿。我らは一体、何と戦ったのでしょうか……」
「この地域にもおかしな蛮族が棲みついているのでしょうか?」
「これでは“人”というより、むしろ餓鬼ではないか? まさに『餓鬼の王』」
側近達の評に無言で同意を示しつつ、討ち取られた敵大将と思しき首級から八真は目を反らした。
「殿……?」
いぶかしむ側近が、八真が向ける視線の先に『白狐』が密かに放っていた“必殺の矢”があるなど気付くはずもなく。
「……策の練り直しを提言すべきか」
「は?」
指揮官が胸に抱く深い懸念に、気付かぬ側近がいぶかしげな顔をする。それに答える代わりに、八真は命じた。
「森に探りを入れろ。あのような部隊が、まだいないとも限らん」
「まさか――いえ、すぐに!!」
「浅めでいい。下手に藪をつつきたくない」
「しかとっ」
「それと、今のうちに戦った者達を後陣に配置転換して休ませろ。新たな前陣の三列目以降に矢を備えさせるのも忘れるな。小物が現れたら、それで片付ける」
「ははっ」
「――では、待たせている伝者に会おうか。二人一緒に」
あまりにも予想外すぎたバケモノ部隊の出現で、戦略の大きな転換が必要となるかもしれない。急ぎ本営と話しをせねばならなかった。
表情を厳しくさせる八真が森に向けていた視線を切って踵を返す。その胸中で、西の林野に向かった同輩の身を案じつつ。
(これでは塁にも、異形の手が伸びていような)
八真の懸念は確かに的中する。
それだけでなく。
犬豪の巫女が予見したことが、夜を明かさずして具体化することになる。
その後、再び森を中心として怪異が溢れ出し、まるで百鬼夜行のごとき様相が、同盟軍を奇怪なる戦いへと巻き込んでいくことになるなど、この時、誰にも分かろうはずもなかった――。




