(三十三)あふれる森の悪意④
“犬”の一字をもらうまで、八真の実家である『大塚家』は、傘や簑作りで生計を立てる一町民にすぎなかった。
幼少の頃から木刀よりも身近にあった傘を自然と手に取り、遊んでいたのが事の始まりと言えようか。
気付けば、傘をわざわざ鉄で補強し、立派な武具に仕立てて幾多の争い事に参戦してきたのだが、意外な使い勝手の良さもあり、今では八真にとっての“愛刀”替わりとなっていた。
戦のたびごとに、汚れ擦れて消えるのを承知の上で、鮮やかな“牡丹”の絵柄を大塚の旗印にみせて。
阿鼻叫喚が渦巻く凄惨な戦場に、八真は一輪の牡丹を添え、殺伐無情の空気にひとり抗うのだ。
それが血で血を洗う戦いの場で、己を保つ秘訣ででもあるかのように。
「――お供します」
当然のように、あるじをかばって前に立つ少年の華奢な肩に八真は優しく手をかけた。
「八真様?」
「お前は下がっていろ」
優しくも、有無を言わさぬ力強い声。
「殺生な」と苦しげな顔を向ける華美丸に八真は「頼む」と手に力を込める。
「俺を……安心して戦いに向かわせてくれ」
「――ずるいです」
ぽつりと洩らし、力んでいた細い肩の強張りを解く華美丸。それを感じて、八真はそっと胸を撫で下ろす。
これで憂いなしとばかりに白き頬を引き締めて。
「では存分に舞いろうか――」
まるで謳うように。
まさに舞うように。
先ほどの槍投げに見せた力強さと異なり、八真はするりと足を滑らせてゆく。
手にする特注の傘は、振るえば“打撃系”になり、突けば鋭利な尖端が“刺突系”となる変幻自在の武具。
己の生活背景を軸に発展させた独自の闘法は、『四爪四牙』である武将達に共通の特徴でもあった。
それは誰もが知らぬ闘法故に“初見殺し”の効能があったからだと言えるだろう。
だが、此度の相手は人外の者共だ。
まさに暴れ熊と評すべき鳥頭の怪物に、人より素早い悪食の怪猿、そして大型の狼を乗りこなす奇怪なる騎馬――それだけでなく、一度に十数名を炎に巻き込む妖術まで使われて。
ぐぎゃぁあああああ!!
おぁああああっ
戦列を後ろから支える味方勢の一画から、突如として火の手が上がり、瞬く間に燃え広がった。
燃える人影が転げ回り、あるいは叫びながらあらぬ方へと走り去る。
その少し前、敵の軍中から火の玉が飛び出すのを八真は確かに見たが、それが原因であったに違いない。
「気をつけろ、『油壺』か何かを投げてくるぞ!」
「これ以上やらさせるなっ」
「あそこだ、あそこへ突撃しろ!!」
思わぬ痛撃に、班長か誰かが封じ手を命じれば、別の方では、
「矢だ、矢で鳥頭を撃ち抜けぇ!!」
「その前に小鬼だっ、小鬼を薙ぎ払えっ」
まったく別種のバケモノに手を焼き、異なる指示が飛び交う始末。
定まらぬ方針。
翻弄される味方勢。
気付けば劣勢に追いやられていた。




