(三十)あふれる森の悪意①
ぶべぇぇえぇぇえええええ~~!!
鳴り響く不気味な法螺貝の音。
小柄ながら、誰よりも素早く駆けてくる小さき人影の群れ。その群れを蹴散らし先頭を切るのは、数頭の鳥頭。
対するこちらの兵は、数で勝るにしても隊列すら整えられていない。
当然、これが“諏訪の秘策”でないと解したところで、逼迫した状況が変わるはずもなく。
「それでも、気持ちは落ち着いた」
軽く息をつく八真。
正に百鬼夜行のごとし軍影を目の当たりにしながら、素早く気持ちを落ち着ける胆力は天晴れである。
とはいえ、化け物達の足は速く、落ち着いてばかりもいられない。
「八真様、お下がりをっ」
華美丸が艶やかな小袖を引っ張るのを、
「そこのお前っ、俺の傘を持ってこい!」
八真は無視して近くの兵卒に鋭く命じる。
「八真様!」
「ダメだ華美丸。あんなのを相手に此奴らだけで、持ち堪えられると思うか?」
「ですが――」
敵の先陣を切る、地響きが聞こえそうな巨躯の威容を肌で感じるだけに、華美丸も言葉を失う。
実際、周りにいる兵達は騒ぎ声が大きくなるばかりで、いっかな隊列を整える素振りもみせやしない。
並の下士官では狼狽えてばかりで、統率どころか指示ひとつさえ出せないのが現状だ。
「分かるな? 将たる俺が、ここに留まるしかないっ」
「くっ――されば、せめて私が得物を調達して参ります!」
「おい――」
八真の制止も聞かず、華美丸は飛ぶように走り出す。それを一瞬追いかけようとした八真は寸でで思い止まり、すぐに喫緊の危機へと向き直る。
「あの者共を捕らえておけっ」
犬塚隊を避けるように逃げてゆく銀髪達を指差して、八真が手短に指示を出す。
奴らには聞かねばならぬことがある。「必ず、ひとりは生かしておけ」と付け加えたところで、今度こそ、己の為すべきことに意識を集中する。
「者共、ここに集まれいっっ――――」
玲瓏たる白面に似つかわしくない、猛々しい声を張り上げて、八真は鋭く拳を突き上げる。
「誰だ?!」
「馬鹿、あの“牡丹”を見ろっ」
「え、まさか――」
よほど目前の異常に目を奪われていたのだろう。
前線にいるはずのない将の姿を、今さらながらに認識し、兵達が「八真様」と口々に発しながら、動揺と興奮を露わにする。
「本物だぞっ」
「おお、八真様――」
どこか救いを求めるような声と視線が注がれるのを無視して、
「集まれぃ!! 疾く、駆けよっっ」
再び発せられた八真の命に、血相を変えた兵達が弾かれたように反応する。
「急げっ、あの牡丹だ!!」
「八真様の命ぞっ、遅れるなっ」
「どけぃ、のろまっっ」
「わしが先ぞ!!」
例え月明かりの下でも、牡丹を散らした派手な小袖姿は異様に目立ち、漲る覇気が内から輝きを放っているかのように、周囲にいる兵達の確かな標となる。
「今は有事。急ぎ槍を取り、目覚めぬ仲間を起こし、しかと俺の声を聞けぃ!!」
兵卒、士官に拘らず。
己を起点に兵力の集中を図らんと、八真は咄嗟の判断で優先する。
いま必要なのは、戦術に非ず。
ただ、集めた兵力を敵軍の一点にぶつければよい。
犬塚隊の兵ならば、それで十分に対抗できると八真は見積もった。




