(二十八)月天の凶事②
「“猿”にしては大きすぎる――」
決して取り乱すこともなく、新たに現れた物の怪を見つめる八真は、眉間にシワを寄せるのみ。
この状況で、困惑や驚愕するよりも、脅威と認めた対象の見極めに意識が向けられる神経は、“武将の業”と云うべきか。
だがだからこそ。
「まるで六道の“餓鬼”ですね」
冷静なあるじの横顔を頼もしげに見つめる華美丸も、動揺をこらえて感想を口にする。
その餓鬼についてだが。
見た目は五、六歳児より大きく、突き出た腹が特徴的な“猿”に似た獣。
だが瞬く金色の瞳や鳴き声も含めて“猿”であるはずがなく、また、これまで見聞きした、いかなる生き物にも当て嵌まるものはない。
いや、仮に“猿”だとしても、ここまで猛々しく人を襲うなど、聞いたこともない。
こうして八真達の見守る中、もはや何の脅威にもなっていない銀髪の骸に、なおも群がったままの数体が、まっすぐ歩む鳥頭に無造作に蹴散らされていた。
仲間割れか?
あるいは連んでいるように見えるだけで、実際は“森の掟”に従い、弱肉強食が起きているだけなのか。
ケガを負わされ、怒りにわめく者。
我に返って、逃げる銀髪達を追いはじめる者。
もうひとつの人だかりについては、一心不乱に何をしているのか、死骸から離れようともしない。
「まさか屍肉を? それも何と貪欲な……」
呻く八真の想像が「八真様」と同様に察した華美丸を震えさせる。
花柄模様の派手な小袖の先をキュッと掴む小さき手に気付くことなく、八真は目に映る光景を食い入るように睨みつける。
何なんだ、あやつらは?
一体何が起きている?
だが忙しなく思考を回転させる余裕すら、八真達に与えられることはない。
「そんな、まだ――」
唖然とする華美丸が年に似ぬ理知的な瞳に捉えたもの。
逃げる銀髪達を追いかける、怪猿の群れ。
それは湧き水のように止めどもなく靄の中から溢れ出て、鳥頭であろう長影の数もひとつ、ふたつと増えてゆく。
だが最も驚かせたのは、その後からさらに悠然と現れた騎影であった。
ただ、騎馬にしては小さすぎる――八真なら瞬時に気付く異様なるその影は、しかし、紛れもなく四つ足の獣に人影が跨がる騎馬のもの。
それが魔獣の胎内と化したような樹林より、続々と産まれ出でる。
ああ、これでは、まるで――
ぶえぇぇぇえええぇえ~~~~!!!!
出来損ないの法螺貝を吹いたような、耳障りな音が、大音量で静かなる平野に響き渡った。
途端に、ぎゃあぎゃあと濁った喊声が夜の樹林を大きく揺さぶり、林外へと先ほどに倍する群影を新たに吐き出した。
そう。今のは進軍の合図。
相手が何者であろうと、吐き出されたそれは、正しく軍影であった――。




