(二十七)月天の凶事①
「熊――?!」
困惑の強い華美丸の呟き。
意外にもその声に動揺が小さいのは、目にしたものが夢か現か、判然としないため。
それは明らかに、銀髪の人影よりも遙かに上背のある体躯であったが、当たり前のように二足歩行で歩く獣を“熊”と呼んでよいのかどうか。
むしろ頭部には丸い目と嘴状のもの――まぎれもない“鳥獣の頭”が乗っており、その奇怪なる姿形はお伽噺に出てくる“物の怪”を思い起こさせた。
ぼおぉぉぉぉう!!!!
まといつく靄を払いのけて清々したように、それが立ち止まって鳴いた。
耳にするだけで全身の肌を粟立てさせるような薄気味悪い声で。
「***、***」
「**!!」
気圧されまいと息巻いて対峙する勇者は、銀髪の二人きり。
仲間を逃がすため足止めしようというのか、ひとりが弓を引くような仕草を見せ、今ひとりが斜め後ろの位置で腕を前に突き出し、掛け声を発する。
だが、その手には武器らしき何もない。
いや、遠目で、しかも月明かりの下だから見えないのか?
いずれにしてもあの体格差で、それも化け物相手にたった二人で何ができるというのか。
それでも覚悟を示す二人を嘲笑うように、梟のバケモノだけでなく、新たなる敵までが現れた。
大股で近づいてくる鳥頭の足下を駆け抜けて、多数の小さき人影が溢れ出し、驚く二人の隙を突いて躍りかかったのだ。
******――――!!
響き渡る銀髪の苦鳴。
思わぬ攻撃に、前にいた銀髪は為す術なく押し倒され、あっという間に人だかりに呑まれてしまう。
間髪置かずに人波はもうひとりの銀髪へと。
「――***!!」
驚愕の金縛りを解いたのは恐怖だったのか。
残った銀髪が、苦し紛れに人波に向かって腕を振るう。
やはり剣は握られていない。
立ち向かんとする気合いだけの空回り。
その虚しいだけの行為に、まさか意味があったとは。
「え、今――?!」
華美丸の困惑は、腕の振りに合わせて狂気の人波が総崩れとなったため。
もっと詳しく云えば、群がる小さき人影全員が、“見えない大太刀”で薙ぎ払われたように、一瞬で上下に断たれてしまったのだ。
いま、何をした――?!
銀髪は確かに武器を持っていなかった。
なのに実際はどうだ。
目を疑う華美丸が答えを得る前に、瞬時に新手を撃退してのけた手練れの銀髪が、目前に迫っていた鳥頭の一撃をまともに喰らってしまう。
「――あっ」
あまりにも呆気ない。
一瞬の終幕。
頭は鳥でも肉体は熊並だ。かぎ爪であろう一撃を受けた銀髪が、地面に叩きつけられるような勢いで薙ぎ倒された。
すかさず、新たに湧き上がった小さき人影達が、もはや肉の塊となった銀髪へ群がってゆく。
ぶがる、ごぶ
るぶが、ぶぶ
ぎゃぶ、ぶば
痰を咽に絡ませたような不快で醜悪なるだみ声が、八真達のところまで聞こえてくる。
幼い頃に聞かされた魑魅魍魎の発する“怖ろしい声”とは、正にこの声を云うのではあるまいか。そして、ぐちゃ、ぬちゃと湿った咀嚼の音は“鬼の食事”を想像させた。
ああ、そうだ。
ならば自分達は、気付かぬうちに異境の地へ迷い込んでしまったのではないか?
そうでなくて、このような悍ましき光景を目にするはずがない。
あり得ない事態に直面した八真達はどうしたか。




