(二十四)壱与の託宣
「あの者らは林野にまぎれ、林野を駆け回り、林野を天然の要害として活かす術に優れたる者。夜襲に利あるといえど、己の主戦場を捨てるような愚は、おかしませぬ」
「それでも『軍神』自ら、あるいはあの『抜刀隊』であれば、我らに対し必殺の一撃が放てる」
やはり八真は、敵の奇襲を危惧していたのだろうか。白山一武力を誇る犬豪において、八将――『四爪四牙』にまで上り詰めた戦歴が、不穏なる空気を感じ取らせていたとしても不思議はない。
「さらに秘策でも練っておれば、もっと効果的な攻めができるかもしれぬ」
「だとしても」
少年は問題ないと断言する。
「何か仕掛けてこれば……その時は塁様が、敵の喉笛を食いちぎって下さいますから」
「――俺ではなく?」
わざとらしく片眉を上げ、美貌に似合わぬかすれた声で拗ねてみせる八真に、少年は目を細める。
「あすこにいるのは“雷様”ですよ? されば、いかな八真様とて互角の勝負となりましょう」
「――なら、仕方ないか」
今度こそ、少年の瞠目すべき慧眼に目を見開いたのも束の間、八真はふっと口端に微笑を含んで再び森に視線を向けた。
隣国を統べる大名が「割に合わぬ」と敬遠する白山地域において、“諏訪の万雷”と云えば猛将中の猛将――白山の猛者達でさえ「命じられなければ相対せぬ」が決して口外しない共通した思いとなっている。
そのような人物と自分とが、少年は「互する」と述べたのだ。
八真が胸中に抱くものは“微笑”程度であるはずがない。
事実、自身と同じ考えを、副将からでなく年端もいかぬ小姓から聞かされる痛快さを愉しみながら、彼は樹々の連なる影を眺めていた。
だからであろうか。
秘すべき内情を口にしてしまうのは。
「壱与が云うていた――」
「壱与殿が?」
「この戦、将来が視えぬと」
「――」
少年が息を呑む。
古代の女王から名を取ったと言われる犬豪子飼いの巫女については秘事とされ、本来、小姓に過ぎぬ少年が耳にすべきことではなかったからだ。
それでも寝物語に聞かされたのは、大嵐の夜、難破船で漂着した者であり、どこか遠くの島の住民であったということ。そして何よりも、非常に優れた“易占”の術士であるということだ。
だが、それこそが武力ばかりが目立つ犬豪の強さの秘密と知れば、少年も命惜しさに安易に口にできるものではない。
それだけに、『諏訪の伐り倒し』のただ中で、今また犬豪が誇る名将の口から、その名が出されたのは衝撃的であった。しかも。
「将来が視えぬ……勝敗が分からないと?」
「どう思う?」
気軽に問いかけられても、正直、少年には大いなる困惑と戸惑いしかない。
『白縫』が誇る智将が打ち出した戦略は、ここまで大きな穴もなく狙い通りの展開を見せている。
電光石火の侵攻に、敵の対応は後手に回り、まともな抵抗も受けずに敵の本城まで迫っている。しかも敵が物資や兵を集める刻など少しも与えずに。
まさに事を起こす以前の“段取り”の段階ですべてが決まったというべき見事な策である。
その上、冷静に計っても、おそらく敵の兵力は五百程度。念のため倍で考えても千人はいくまい。
対する自軍はどうか?
まずは策の提案者である『白縫』が三千。同盟者である『犬豪』は二千だが、自慢の八将を三人も参戦させており、戦力として引けは取っていない。
いずれにせよ、同盟軍として五千の兵数は敵の優に五倍はあり、城攻めをするにしても十分な戦力差が開いていた。
この戦力で負ける要素などどこにもない。
まして、犬豪の武将を相手に“敗北”の二字など口にしてよいはずがない。
だが、頭では分かっているはずなのに、少年は別の答えを口にしていた。




