(十九)幽玄の一族③
「……さすがに気付くよね」
闇雲に押し寄せていた餓鬼の群れが、ふと我にでも返ったように勢いを殺しているのをはじめに気付いたのは清太だった。
「ぎゃぎ……っ」
一匹が『結界陣』の鼻先でたたらを踏み、しかし背後からぶつかられ、ずぶりと髪の刃に剪断される。
勢いに乗った集団が、そう足を止められるわけでもないのだが、餓鬼共が危険の存在をようやく嗅ぎつけたのは間違いなかった。
はじめは闇に紛れていたそれ――“蜘蛛の巣状の網”が血脂をたっぷり付着させることで、てらてらと輝きはじめるのを目に留めれば、飢えに狂った餓鬼であっても危険を認識する。とはいえ。
「“怖れ”を抱けても、陣を破る智恵までは回らぬか。しかもおぬしらの気配を掴めておらぬらしい」
気配どころか、先ほどから交わされる会話の声にさえ気付くこともなく。
忌々しげに『結界陣』の周囲をうろつきはじめる餓鬼共を弦矢が冷評すれば、玄九郎も冷ややかに呟く。
「しょせんは異常な食欲に囚われた、ただの亡者共」
「なら、いるべき場所へ葬り返してやるだけさ」
攻めに転じるべしと発する清太の頭頂を、「ええ、そうね」と子供をあやすように触れる者がいた。
その白魚のごときたおやかな手指――それはさらに頭上で身を丸めた人影より伸びていた。
「――琥珀っ」
咄嗟に振り払う清太を尻目に、まるで風に吹かれるたんぽぽのごとく、軽々と頭上を飛び越え、細身の影が餓鬼の群れの中に舞い降りる。
丸めた身より、しなやかで優美な脚線をすっと伸びやかせ。
「げ?」
「ひ!」
その足先が触れるか否か――ただすれ違うだけで、数匹の餓鬼がはらりと刻まれた。
何だ?
何がどうした?
ゆるりと――微風も立たせぬその動きに、餓鬼共の認識が遅れ、反応に戸惑ったことから、さらなる惨劇がその場に舞い起こる。
爪先にて降り立った琥珀が、上半身を柔らかくしならせ、頭を振り回すようにぐるりと一周させて。
餓鬼には見えたであろうか――煌めく幾筋もの白線を。
ひと抱えはあろう毛筆をかすれさせたがごとき微細なる流線が、ゆるりと円を描ききったところで、餓鬼共の身がはらはらと千切りにされた肉片へと変わり果てた。
「白虎ノ一手――『虎頭柳千』」
謳うように告げるは女の声。
朱絹のように冷たくとも艶ある声とは、また違った魅力の清楚なる声音。
ああだが、繰り出される術の凄絶さが清らかな彼女の印象をねじ曲げる。
同輩の清太でさえ唇の端をかすかに歪めるほど。
「……久しぶりに見たけど、相変わらずえぐい切れ味だね」
「ありがとう」
「褒めてないよ」
肩でもすくめてそうな清太の口調だが、秘術を駆使するのは琥珀ばかりではない。
他の三人とも、一族として身に付けるべき技の他に、四神を冠する独自の秘術を修めている。
ちなみに『糸々剪陣』に『虎頭柳千』――いずれも女性の髪を武器に変事させた秘術である。
一族に代々継承される『髪紬ぎ』と呼ばれる依り代から得た髪を、秘伝の薬液に七年漬けて寝かし、さらに研ぎ師の秘技で切れ味を持たせることにより完成に至る。
こうして産み出された『剪髪』は、細く撓やかな髪質を保ちながら、鋼にすら抗い、触れるものすべてを切り裂く恐るべき凶器となる。
その技を継ぎし者が命果てるまでを限りとして。
「どう、血脂ひとつ付いていない……私の剪髪はさらに改良を加えてあるの」
「それはいいけど、こんな奴ら相手に“四神の術”を使うのは頂けない」
そう苦言を呈するのは朱絹。
だが琥珀は楚々と受け流す。
「問題ないわ。一匹足りとて生かしはしないから」
「……そう」
本音は改良品の試しであろうと誰もが気付いている。だが「そのようなことより」と陣の中心から発せられた言葉に四人は意識を切り替えた。
「また事態が急変する前に、さっさと片付けよ!」
尤もな当主の命令に、「はっ」と護持者達が応じて四方に散る。
もはや結界を張る必要はない。
一気に数を減らした餓鬼共に先ほどまでの脅威はなく、四人にとっては、攻めに転じて残らず葬るだけの安易な作業を実施するだけであったのだから。
「一匹たりとも討ち洩らすなっ」
弦矢が命ずるまでもなかろうが。
苦鳴無き断末魔があちこちで夜気を震わす中、すっかり出番を断たれた弦矢は、腐ることなく厳しい表情で戦いの終局を見守る。
「このような奴ら、領内で跋扈させれば民への被害は甚大だ。徹底してやれ!!」
憂い残すまじと、弦矢は影衛士達へ厳しく檄を飛ばすのだった。




