(十七)幽玄の一族①
丑の刻
羽倉城
――御寝所前の庭先
「ほう……そう吹くか」
城壁のあった奥より、忽然と現れたふたつの長影を目にして、弦矢の目が細められる。
もはや想像だにしなかった戦況の変化が起きてもいちいち驚くことはなく、むしろ、その黒瞳に抑えられぬ好奇の色をみとめれば、実弟である近習長は嘆息したに違いない。
「何とも、おかしなものが出てきよったな。しかし――」
「あやつら、過激な真似を」
どこか愉しげな弦矢の背後で、腹立たしげに呻くのは隻眼だ。
これまでの“壁役”を投げ捨てた近習長の意図を即座に察し、臣下の名折れと憤る。
「手に負えぬからと、若を危地に晒すとは」
「まあ、よいではないか」
隻眼の心配を知らぬげに、肝心の弦矢は己の出番だと歓待する始末。
「当主に華を持たせんとする心遣い――そう捉えれば、褒めてやりたいくらいじゃ」
「いや、そこは叱らねば――」
声を張り上げる隻眼へ「いいから下がっておれ」と左手をふり、そのまま右手に持つ鞘から、弦矢は刀を抜き放った。
左利き――この日ノ本では、“波乱”から“統治の乱れ”、あるいは“合戦の元凶”とまで読み解き、忌み嫌う武家が多い。
しかしながら、諏訪家にあっては“変革”や“切り拓く者”として、将来に期待を寄せる加護持ちとみて畏怖を抱く。
それ故か、刀持つ当主の利き腕にちらと視線をくれた隻眼は、軽く息をついて素直に引き下がった。
実際は、今にも手が届かんとする脅威を前に、四の五の言ってる暇が無かっただけだ。
「ご武運を」
背にかかる祈りの言葉を受けながら、弦矢は足裏をこねり、硬く締められた土に馴染ませる。
「――さあ、参れ――」
まるで親交深き相手を招き入れるように軽く両手を広げ。そこへ引き寄せられるように迫る餓鬼の群れ。
小柄であっても数があり、数よりも狂気と同義の異常な飢餓感が、身の毛もよだつ気配の塊となって弦矢に襲い掛かる!!
「――ん?」
右から左から。
二分した餓鬼共の先頭が一軒ほど(約1.8m)のところに迫ったところで、弦矢は正面前方に、今の今まで何もなかった異変をふいに察知した。
いや、左右後ろの三方にも。
それは忽然と現れた人の影。
黒装束をまといしその人影は、初めからそこにいたかのごとく静かに佇み、弦矢が気配に気付いた時には、その澄み切った殺意を武器として餓鬼の垢まみれの肌に触れさせていた。その刹那。
ぎゃぶっ
ぼっ
う゛ぃっ
?!!!
声にならぬ声を発して、襲い掛かってきた最前列の餓鬼共が、緑の矮躯に網の目状の朱線を刻ませた。
それだけで済むはずもなく。
走る勢いそのままに、足下から細切れにされた身体が崩れてゆき、どちゃりと身の毛もよだつ湿り音を立て、無数の肉片となったその身を土の上にまき散らした。




