(七)逸脱者vs魔人
領都騒乱
危険エリア65%超
――領都の壁東近く
戸外へ出た彼女はレイデに告げたとおり、領都を去るために最寄りの都壁を目指し裏ぶれた通りを歩いていた。
まわりに人の気配はない。
動くものは反魂された死者であり、焼け崩れていく人家のもだえる様だけ。
そう。
この一帯は彼女の手により“闇”に落ち、すべからく彼女のものとなっていた。
だからなのか。
時折、左右から彼女の頬をねぶるように炎の手が伸びてくるも、その歩調が乱されることもなく。
大火が暴れる中を悠然と歩む姿は、陽光と等しく忌むべき炎でさえ、今や彼女の支配下に落ちたかのよう。
そんな女王の歩みが、ふいに止められて。
――――!
だしぬけに、前方T字路――突き当たりの家屋から、針のごとき銀光が一瞬で伸びてきて、彼女の左胸を貫いた。
いや、心臓からわずかに外れている。
今の一瞬に反応し、瞬速で半歩の回避を間に合せたからだ。
しかし次の瞬間には、貫いた銀光が横にすべり、家屋ごと彼女の胴半分を断ち切った。
「――」
それで彼女の眉ひとすじ動かせなければ、まして左右いずれかへ逃げるはずもなく、逆に姿なき狙撃手を求めて――一瞬で跳躍し前方家屋の屋根に跳び上がる。
「!」
直感か、あるいは別の何かで察したか。
間髪置かずに左へ跳んで、屋根を突き抜け走った銀光をギリギリで躱す。
さらに一射。二射――。
互いに視認できないところから、高速で動く彼女を捉え、精確無比に狙い撃つ相手も怖ろしい力の持ち主だが、そのすべての攻めを彼女は危なげなく凌ぎきり、そこで銀光の正体に見当をつける。
(これは魔力……か?)
明らかに傷の治りが遅い。
そもそも、現世から逸脱した存在である彼女の身に干渉する力は限られる。まして銀の光を発するチカラと言えば、“魔力”以外にあり得ない。
しかしだとすれば、ロープよりもか細い出力の銀光で、どうしてあれほどの威力が出せるのか?
(いや、逆の発想。光を絞り込んで魔力密度を異常なまでに高めれば――)
第一階梯の『霊撃』を第三階梯の高位に位置づけるほどの威力にまで押し上げることも可能だと、彼女は敵のチカラの一端を看破する。ただ、それより問題なのは――
(それほどの遣い手が、偶然、この場に現れるはずがない)
半ば確信を持って家屋の向こう側に降り立った彼女は、そこで狙撃していた者と対峙した。
「へえ……その悲嘆に暮れる表情……」
発したのは相手で、言葉の先は聞くまでもない。
彼女を初めて目にした者は、誰もが哀しげに表情を曇らせ“憐れみの目”を向けてくる。
色素が抜け落ちたような肌の白さや、あるいは、生き血に濡れたような両眼と唇の異相に怯えるよりも、こみあげる同情心で胸を傷めてしまうからだ。
それほどの哀しみが、彼女の相貌に染み込んでおり、まともな人間なら、心を動かされずにはいられない。
しかし、その青年魔術師はちがった。
同情のカケラもない軽薄な笑みを浮かべ、炎に焼かれるまわりの建物を両腕で示しながら、
「こんな状況で、『聖銀の要請』も受けてるんだ、間違いないよな?」
そう問いかけてくる。
いや、すでに確信していた。彼女が何者であるかを。
だから、芝居がかったように胸に手を添え、深々と頭を垂れるのだろう。
「このようなところで、伝説を目の当たりにさせていただき光栄だ……『悲哀のパンドラ』」
「――そう」
彼女の素っ気ない返事を合図として、青年の斜め後方から何かが襲った。
銀光一閃――――
白肌の怪人が斜めに断ち切られ、青年の傍らにドサリと落ちる。それでも死なず、すぐに上半身を起き上がらせようとするのへ、次の一閃で首を飛ばされた。
青年は武器を振るっておらず、魔術の行使に必須の“触媒”も手にしてない。
彼は何をした――?
魔術師というよりも手品師が客に対するような余裕を青年は見せて。
「邪魔が入ったな。オレは――」
「『一の魔術師』――」
遮った彼女の声には何の感情も湧いていない。闇の眷属にとっては嫌悪するか、怯えるべき相手――『憤怒の十字軍』のひとりと承知の上で。
そんな相手の舐めた態度を気にもせず、「知っていてくれたか」とつぶやく青年の声には謝意すらこめられる。
「とはいえ、そっちの異名は“バカのひとつ覚え”と言われてるみたいであまり好きじゃない。せっかくの機会だ、別の方で覚えてもらえるか?」
言うなり、魔術師であるはずの青年が大胆不敵にも近接戦闘を挑むかのように突っ込んできた。
予備動作すらなく、術士と思えぬダッシュ力――スキル『瞬足』に匹敵する速さで間合いを潰して。
――――ガンッ
遅れず反応した彼女のパンチが、がら空きのボディにぶち込まれる寸前で異音を発して防がれる。
だが、それで彼女のターンは終わらない。
袖口から伸びる白いたおやかな腕が、一瞬、何重にもブレて。
ドガドガッ
ドガッ
ドドッ
ドガガガッ――――
秒で何発ぶちこまれたか分からない。
しかもこの攻撃は『第一理力』――物理攻撃の干渉を受けない彼女が放ったものであり、逆説的に“無敵の拳”を叩きつけたことになる。
なのに、またしてもパンチのすべてが中空にて防がれ、傷つかないはずの拳から血が飛び散った。
「――ムダだ」
自身の絶対有利を確信する顔と声音で、青年が右の掌をしっかと突き出す。
キ――キキキィン!!
澄んだ硬質の金属音を響かせて、ステンドグラスに似た薄青の膜が彼女の四方と天上を囲い込んだ。
すぐに彼女は青の膜にパンチを叩きつける。
しかし薄膜と思えぬ頑強さでひび割れひとつ入らない。傷ついたのは彼女の拳だけ。
いや。
膜に飛び散った血が彼女の拳に吸い寄せられ、裂傷を完治させると、まるで時間を遡らせたようにパンチを打つ前の状態に戻る。
これでイーブン――のはずがない。
現に彼女は水晶の棺に囚われているのだから。だから「オレの“壁”はな――」と勝ち誇るように青年は告げるのだろう。
「たとえ薄膜一枚であろうと、そこらへんの魔術師じゃマネできない魔力の密度で構築してる。それが護りも攻めも何だって応用が利くとしたらどうだ? ――そうだ。“伝説”だって閉じ込められる」
「……」
その言葉に彼女は耳を貸さず、自分を囲う立方形の棺を相手に抗い続ける。
壁が与えられる負荷に耐えられなくなるまで、壊れるまで殴り続ければよい、とでも言うように青地のキャンバスに鮮血の押し花をつくり続ける。
それも百発百輪を数えたところでふいに動きを止め、あきらめたように腕をダラリと下げた。
「それでいい。恥じじゃあない……ま、こうまであっさりケリが着いたのは、単に“相性”の問題だ。それくらいは認めてやる」
傲岸に告げる青年は、珍しく舞い上がっていたのかもしれない。『十字軍』にとって因縁深い相手との思わぬ邂逅と、それを無傷で封じ込めたことへの自尊心が、キメの一手を遅らせたのは確かだろう。
そんな青年の隙を突くように彼女はここで初めて言葉を発した。それも傲岸に傲岸を返すような口ぶりで。
「なら、こちらもおまえのチカラを認めよう。人でありながら、上位存在である私に敵対できるだけの資格があるのだと――」
「あー、なんだ。それは“檻”に入ってるヤツが口にするセリフじゃないな」
頬をわずかに引き攣らせた青年が肩をすくめ余裕ぶる。そんな暇があるなら、手を打つべきなのに。
その心的未熟さを嘲笑し、そして挑発するように彼女は艶めかしく両腕で後ろ髪を掻き上げて。
「?」
何のつもりだと青年は眉をひそめ。
もちろん、彼女も誘惑したいわけじゃない。
現に、彼女を見る青年の目付きが“余裕”のそれから明らかな“警戒”に変わり、何か対処しようと動き掛けるより先に彼女が動いていた。
後ろへ――いや、彼にとっての前方へ。
――――……
ただ一撃で。
彼女のパンチではびくともしなかった高密度の魔力壁が、一瞬で霧散した。
その瞬間を青年の目はしっかりと捉えている。
彼の拳が触れた地点から黒い靄状に気化して、それが波紋のように広がり散った様を。
そして直感的に察していた。
――『反魔力』とでも呼ぶべきチカラだと。
「ちっ……こっちが本命かよ」
苦々しく吐き捨てる青年の前で彼が振り返った。
恨みつらみを募らせたその表情。
裏返ったその肌は浅黒く、両眼はさらなる闇深い漆黒に塗り込まれていた。
「……!」
その目を見て、思わず大きくバック・ステップする青年。その行為がプライドを傷つけたのか、何か吐き捨てようとしてやめ、また、あらためて口にする。
「誰だ、おまえは――?」
その問いかけは彼に聞こえていたのだが、彼にあるのは、ただ目の前にいる者を葬ることだけ。
他者を憎み、世を恨み、何もできない己の無力さに憤るだけの存在だから。
だから彼は無言で歩を進める。
「――そうかい」
青年魔術師も会話にならない相手だと悟ったらしい。それまでの余裕ぶった笑みを消し、マントを翻して両腕を構える。
先ほどからそうだが、不思議なことに魔術師なら手にするべき触媒も持たず、ほどよくゆるめた指先を彼に向けるだけ。
彼の目を持ってしても、青年魔術師の魔力波動に特筆すべきものは見出せない。だが、彼女が経験した銀光の威力、壁の力は既存の魔術にないもので無視などできない。
「……」
「……」
互いに初見。
未知なるチカラとの邂逅。
先の見えぬ戦いは、これからが本当の始まりとなるようであった――。




