(五)よみがえる盤面
領都騒乱
危険エリア60%超
――領都東のゾルデ鉱山
そこは辺境伯領の貴重な財源であり、辺境全体の資源をもまかなう鉄の産地。その重要性から辺境伯は『俗物軍団』に直接の警護・監督を任せていた。
そんな警備厳しい鉱山へ、日暮れに到着した小さな商隊を怪しむこともなく、監督官の代理であると告げた男は至って冷静に対応した。
「――その件なら、マルグス監督官からうかがっている」
「おお、それは話が早くて助かります」
商隊を代表して挨拶するフィヴィアンは大げさなくらいに喜びも露わに近づいて、
「商談いただいただけで満足すべきところを、早く取引したいという、私のわがまままで聞いてくださって……本当に、本当にありがとうございますっ」
すばやく代理人の手をしっかと掴み取り、地面に頭を付ける勢いで深々と下げる。
このあけすけで、媚びへつらうことに躊躇もしない態度に面食らったのは代理人だ。
男なんかに熱く堅く握り締められ、あからさまに眉をしかめながら。
「あ、ああ……それは、何よりだ」
「ええ、ええ、何よりですともっ」
相手の戸惑いなどお構いなしにフィヴィアンは満面の笑みを、さらにずいいと近づけて。
「ちなみに、今回はどのくらいの取引をさせていただけますか……? もちろん、突然押しかけましたし、少量であっても喜ばしいことですが、はい」
「ん? ――うむ、そうだな」
聞かれて真顔に戻った代理人が咳払いする。
「望むのは、あれの方だったな?」
「ええ、ええ。あれの方でございますっ」
もちろん、鉄のことではない。
代理人の発言に、今の今まで半信半疑だったフィヴィアンの声音が、ほんのわずかだが“期待”に高まる。
「うむ。あくまで余剰分だけでの取引だが――」
「もちろん、ええ、辺境伯様の領地運営に支障があってはなりません。私共にはあくまでおこぼれをいただければ、それでもう、十分にございます。ええ」
「うむ。それで、だが……今あるだけなら、小サイズ限定で大袋5つ分になる」
その時、明らかにフィヴィアンの目の奥で何かが変わったが、記憶をさぐるために目をつぶっていた代理人が気づくことはなかった。
彼が目を開けたときには、商人のつくりものめいた笑顔があるだけだ。
「――いやいや、ここまであくせくと山を登ってきた介が、あったというもの」
ない汗をぬぐう仕草をみせたあと、フィヴィアンの手を振る合図で、後ろに控えていた者が進み出て代理人にそっと小袋を差し出す。
「――それは?」
「私共との商談のため、お忙しい貴方様にお手数をかけさせたことへの正式な手間賃です」
「……」
「それと、皆様にささやかでありますが、酒と塩漬けの肉などを。また、私共のために余計な道具の疲弊があっては問題と思い、僭越ながら、採掘備品一式も贈らせていただきたく」
話している間にいくつもの樽と木箱が荷馬車から卸され運ばれてくる。これだけでも相応な出費になるはずだが。
「鉱山は辺境にとっての重要財源。しかしその運営はあまりに過酷なもの。現場で働く皆様がどれだけご苦労されているか……私は商品を扱う者として、その商品を生み出される方々に敬意を抱かずにはおれません。商品あっての――皆様あっての商人なのですから」
「こちらが商会からの心づもりになります――どうぞ、お納め下さい」
小袋を渡した付き人だけでなく樽運びの者達も一斉に頭を下げる。
ここでふつうの『俗物軍団』の団員なら、一も二もなく喜んで受け取るだろう。すぐにそうしないのは、重要施設を担うだけの人材を執政部の方でも目配りして配置している証拠でもある。
荒事よりも算術が得意そうな理知的な代理人は、ほほをゆるめることもなく、じっと小袋と樽などの贈り物を見つめ続ける。
だからフィヴィアンはそっと背中を押す。
「これは商談を円滑に運ぶための“商人の智恵”でございまして、我らにとっては至極真っ当な必要経費。こうした“繋がり”がさらなるお金を運ぶと思えば、経費の出費を厭むことなどあり得ません。そのように考えるのが商人というもの」
「……それが商人」
「左様でございます。これを機に、この『フィヴィアン商会』を覚えていただくことがはじめの一歩。今後は専門の担当者を決め、お邪魔させていただくことになりますが、ぜひとも、末永くお付き合いくださいますよう――」
こうして顔合わせを済ませたフィヴィアンが馬車に戻ったところで。
「――領都が大変なことになっているというのに、ずいぶんとのんびりしてますね」
思わず洩らした付き人に、
「“頭”が都で“手足”が鉱山と思えばいい。手足の急用を頭が知る必要はあっても、頭の急用を手足が知る必要はない――そういうことだ」
いつもの冷面に戻ったフィヴィアンが答える。
言われればそのとおりだが、「そう単純なものではないでしょう」と付き人は納得していない。
「たとえば、これが戦争だったらどうです?」
「領都が落とされた場合、敵に活用させないための措置を命じるなど、方策は用意しておくべきだな。それがないのは、この国が、そこまでの危機を経験してないからだろう」
「だから、こんな風に“つけ込む隙”があるわけですね」
「人聞きが悪いな」
用意されたワインを軽く舐めるフィヴィアン。
「失礼しました」と引き下がったかに見えた付き人だが。
「あくまで余剰分だけの取引ですからね。それにこちらからは適正価格をお支払いしてますし、鉱山側の帳簿に鉄鉱石代金と記載するか否かは、彼らの判断」
「……」
「城を辞した時も一時的なつもりで、だからこそ代理人を残しましたし、早期の出立となったのも早く取引したい熱意の表れ」
「……」
「それと彼らを領都まで荷運びした件もありました。あれもまた、正式な商取引によるもので、彼らが心に何を秘めているかは、さすがに我らの与り知らぬこと」
「……」
それは、わざわざ口にする必要のないグレーな案件だった。それをあえて主人に対し皮肉るように挙げ連ねる付き人へ、
「……なんとも、歯の奥にモノが挟まったような感じだな。そんな話し方を教えたか?」
フィヴィアンはすべて分かった上で指導する。
その洞察は正しく、ためらうような“間”が空けられたあとで。
「――3日前」
思い切ったように付き人が口を開いた。
この3日間、胸に抱いていた気懸かりを彼ははじめて口にする。
「どうして、あのようなことを辺境伯に告げたのです?」
「……」
「あわよくば『十字軍』を召喚させて城内を混乱に落とし、『送迎団』との戦力バランスを計る――うまく“内戦特需がふくらむのを狙った”のだとは分かります。しかしどうして――」
付き人は信じられないといった風に一度言葉を途切れさせ、しかしすぐ、
「“便乗”という形でなら戦争特需を肯定する貴方様でも、自ら争いを煽るようなマネはこれまで為さらなかったはず。特に今回のような多くの民を巻き添えにするやり方など……。そんな貴方様がなぜ、主旨替えを――」
やけに真摯な表情で付き人は問う。
それはただ、主人を理解できてなかった落ち度を正したいだけの話ではないのだろう。
どこかすがるように、あるいは祈るように理由を求める姿にフィヴィアンが目を向けることはなく、杯に満ちるワインに視線を落としたまま、やがてぽつりと。
「主旨替えなどしていない――」
低いがはっきりと言い切って。
「ここへは内戦話を聞きつけ乗っかるつもりでやってきた。そのついでに、古馴染みから“辺境伯を揺さぶる件”を頼まれたにすぎない。ただ、ろくでもないことに――」
「目を付けた連中が“ただの過激派”でなかった」「それ以上に、『屍鬼』の発生と感染拡大なんてトラブルは想定外にすぎた」
「それも連中の仕業でしょうか?」
さてな、とフィヴィアン。
「連中の正体がどこぞの国の暗部だとしても、『屍鬼』まで引っ張り出すのは度が過ぎている。そこまでの邪悪さも感じなかったが……」
『行商五行』の地位までのしあがった商人としての見識力がにぶったかと。とはいえ、彼自身も言葉ほどに己を疑っているわけでもない。だから。
「根拠はないが、『屍鬼』の件は連中と別件のはずだ。そうはいっても、連中の行動と感染拡大が互いに影響を及ぼし合うのは間違いないし、だから領都はひどい状況に陥っているのだろう。……さっき、この報告を受けて何を感じたと思う?」
「……」
「あの“大戦”のことだ。この地で起きたあの蛮行を思い出させられた」
それで付き人は主人が誰を思い浮かべ、何を云いたいのかを察したらしい。信じられないといった表情で、明快すぎる根拠を口にする。
「――とっくに死んでます」
「ああ。似ているだけだ」
フィヴィアンは肯定も否定もしない。
「ただ」と付け加える。
「あの稀代の戦略家――『鬼謀』と『劇作家』が今なお盤面で差し合っているとしたら――どうだ?」
「何を――」
言いかけた付き人が黙り込む。
その目は「なぜ、今そんなことを?」との疑念を投げ掛ける。
答えは、無論、ない。
フィヴィアンの目は杯から離れ、ただまっすぐにどこかを見つめているだけであった。
◇◇◇
一方、ギドワ属領境界付近。
諏訪の侍たちと『俗物軍団』の部隊が激突した戦地にて。
林の間をいくつもの松明の明かりが乱れ動く中。
「……ほとんど『俗物軍団』の死体ばかりだな」
「こいつら一体何と戦ったんだ?」
辺境きっての強兵が一方的に倒されていた戦場跡に困惑しきるギドワ兵ら。そのつぶやきを耳にしながら、トリス卿はふと足を止めた。
それは偶然以外のなにものでもなく、枯れ木の洞に転がっていた生首を目にとめる。
なにげなく近づいたのに意図はなく、ただの気まぐれにすぎない。
だがそこで思わぬ出会いをする。
「……まさかっ」
普段なら気持ち悪がって目を反らすのだが、今回だけは手早く拾い上げ、顔を近づけていた。
そして呻き声を上げる。
「むう。この方は、ルブラン卿……のっ」
紫斑が浮いて醜くなっているが、それでも生前は見目麗しい顔つきであったろうとうかがわせる。特に目を引いたのが、顎回りにかけてグルリと描く傷痕だ。
まるで顔面を剥ごうとしたようなギザギザの入った傷痕は、トリス卿の記憶を揺さぶった。
「間違いない。ルブランの美顔を嫌悪し自らの手で顔を……あの時のっ」
長子ルシアと同じく家を追い出された三男。
ルブラン家は美醜にこだわるあまり精神を病む者もおり、三男の場合は美に嫌気が差し、美を憎むあまり、自身の顔にナイフを入れる自傷行為にまで至った。
そうして彼は修道院に入れられ、やがてそこから姿を消した。
実のところ、トリス卿が領都へ向かうギドワ族長に帯同した理由のひとつに“三男の行方捜し”があった。かの『俗物軍団』に属しているとの情報があり、近づく好機を狙っていたのだ。
「それが、こんな結末とは……」
「知り合いか?」
ふいに声を掛けられたトリス卿だったが、内心の驚きをおくびにも出さず、「ええ」と低く力なく答える。
「昔、危ないところを助けてくれた青年に似てまして……こんなですからね。正直、本人かどうかは自信が持てません」
「そうか。イヤな偶然だな。あるいは、見つけてやれたことを幸運と思うべきか……だが、葬ってはやれん。悪く思うな」
「分かってます」
族長ネッダにうなずくトリス卿。
自分たちはこれからベルズ候の下へ向かわなければならない。領都を閉鎖してまで中央を相手に何を仕掛けようとしているのか、その真意を確かめに。
族長ネッダからすれば、たとえ単独で動こうと辺境伯の地位にある以上、いやでも辺境全体を巻き込むことになるのだと一刻も早く説教したいところ。もちろん、そうした心理をトリス卿は巧みについて唆したのだ。それに。
「斥候の話では領都が燃えているとか……この大事に一個人の感傷に付き合わせるわけに参りません」
「そう言ってもらえると助かる」
こうして急ぎ戦地の状況を大筋で把握し終えたところで、
「……すでに遅かったかもしれん」
族長ネッダは苦々しく吐き捨てる。
争いのあと。
領都の火事。
中央のとの諍いが、抜き差しならないところまで至っていると察したのだろう。それでも領都の異変を放置していい話にはならず、彼はすぐに出立の檄を飛ばした。
「おそらく大戦以来の大事になってる。疲れてるだろうが、事を見定めるまでは休んでおれん。気を引き締めて領都まで一気に向かうぞ!」
そのあと、ふたりは知ることになる。
ネッダや、それ以上に現状を把握しているはずのトリスでさえ想定できない事態が、領都で起きていることを。




