(四)三人の男たち
領都騒乱
危険エリア60%超
――領都の西門近く
宿働きのウロアは無愛想なりに客に目を配って気遣いのできる男だった。
パン焼きのマコレは不器用なりに汗かき働くマジメな男だった。
荷下ろし手伝いのレイデにも良さはあり、気弱なくせに乱暴される町娘を見ていられず、思わず声を掛け――娘を助けられたものの、一生モノのケガを負わされ割を食った。
そんなふつうの男たちがふつうに暮らし、都に居ついてから10年とすこし。
これまで彼らの内に別の素顔があると誰に気付かれることもなく、仮初めの役を演じ続けてきた。
――――それも今日までの話だ。
突然、外扉が開かれゴウゴウと何かが燃える音と共に人影がひとつ屋内に入ってくる。
「――何かあったか?」
『西門』から戻ってきた人影の様子に気懸かりを覚えたレイデが声をかけると、
「まあ、そうだな……」
その人影――ウロアは唇の両端をぐいっと吊り上げ、気味の悪い愛想をみせてしゃべり出す。
「あったと言えばあったな。領都がこんな状況だってのに“外”からお客が来た。――誰だと思う?」
宿の主人が聞けば耳を疑うようなスレた口調で問いかけるウロア。その変わり様をレイデが気に留めることもなければ、戯れのごとき問いかけに頭を悩ませる素振りもなく。
「……『送迎団』か」
「そうだ。ただし、連中だけだ」
それが大事だと言うように強調するウロアの言葉を「そういえば今朝――」とマコレが受けて。
「『俗物軍団』が複数の部隊を洞穴門の方へ派遣していたな。そのヤツらもいなければ別の付き添いもいない――そういうことか?」
「暗くてはっきり言えないが、おそらく」
「つまり『俗物軍団』が、ただの出迎えで派遣されたわけじゃない――一戦交えた可能性が高い、てわけだ」
「そして――負けた」
最後を締めたのはレイデ。
だがその締め方にマコレがすぐ反発する。
「あのバケモノが? ――面白くない冗談だ。その程度な相手なら、オレ達が10年も敵の領地に潜んで、こんな苦労をしているわけがない」
吐き捨てるマコレは、パン焼きの師匠が目をむく器用な手さばきで鎖を腕にグルグル巻き付けている。その姿はどうみても荒仕事に馴染んだ者のそれであり、パン職人とは重ならない。
「それで」と話をふる声も荒事に馴れた意志の強さを感じさせて。
「『送迎団』の戦力はどれくらいだ?」
「せいぜいが5、6人てとこか」
それはもはや戦力とは呼べない数。
答えるウロアも「これで目障りなものがなくなったな」とその目に剣呑な光を宿す。
「今見てきたかぎりじゃ、都の半分が堕ちている。逃げ惑う都民は城へ助けを求めるか、『北門』から逃げ出してるようだ。あんな数で押し寄せられちゃ城の連中も何もできねえだろうし、『送迎団』は都になんか入れやしねえ。仮に『俗物軍団』の残軍が戻ってきても同じこと。こらもう――完全に仕上がってるぜ」
「怖いくらいにな」
そう水を差したのはレイデ。それに眉根をきつく寄せて不快を露わにするウロア。
「何が不満だ?」
「不満はない」
「だったら何だ? その日ありを期して潜伏してから10年――日がな一日、粉をこねくり回したり、客のご機嫌とったり、足まで不自由にされて耐えてきたのは、何のためだ? これ以上のチャンスなんてねえ。こんな奇跡の連続――もう二度と起こらねえぞ?」
10年以上も自分を抑え付けていた反動か、感情の抑制が効かなくなりはじめるウロアに、マコレも「そうだ」と続く。
「まともに復興もできないくせに、軍事力だけはキープして隙を見せることは一度も無かった。団長と副団長を調べても城に閉じ籠もってばかりでロクな情報が入らないまま10年……本気で用済みになったっんじゃないかって何度口にしかけたか。それがどうだ」
ここでマコレの声音が一段高まり熱も帯びる。
「『俗物軍団』がキナ臭い動きをはじめたかと思えば大公が病に伏し、その弟と辺境伯が揉めだして……気付けば『俗物軍団』の戦力が衰え、領都は閉鎖と怒濤の展開だ。
しかもこんな身動きできない状況で2人の“強力な知己”まで得られた幸運。いや、偶然にしては出来過ぎだ。ここまでくると、さすがのオレも何かの導きを感じずにはいられん。“運命”だと。――おまえはどうなんだ、レイデ?」
同輩たちからの熱い視線を向けられ、「ああ、オレもそう思う」とレイデは力強く同意する。だが。
「これは“奇蹟”でもなければ、“超常の存在”なんて不確かな者による仕業ではない。すべてはあの方が編まれた“鬼策”によるもの」
「「――」」
耳にしたふたりが息を呑んだのは、リーダーとの間に大きな認識の差異があったため。
なにしろ任務受諾時の説明では、
一、その日まで領都に潜伏すること。
一、その日がきたら、領都を混乱させること。
ただこれだけだ。
これだけの命で都に溶け込み、いつになるか分からぬその日がくるまで、都に混乱を起こさせるだけの準備をしてきたのだ。
それが何もないまま10年の刻が過ぎ、今になって起きてきたことが、ひとりの人物の脳内で編まれた産物であるなどと、考えられるわけがない。あの時そう説明されていたところで、やはり信じ切ることなどできなかったろう。
ここまで追従できたのは、報酬や矜持でもなく、ただ暗部としてそう刻み込まれたから。
なのにレイデはちがった。ちがうからこそ。
「……オレが怖いのはな。この先もあの方の策が続いていることだ。この騒動の先を。これがどれほど凄いことか分かるか? それにオレ達が関わっていることの意味が。
つまりオレ達のミスひとつで――帝国どころか大陸の戦史に刻まれるはずの偉業が、灰燼に帰してしまうこともある、ということだ」
「「……っ」」
レイデの組まれた両手に力が入って小刻みに震える――その緊張が、ふたりにまで伝わる。大いなる戦略の一端を託された者の怖れが。
「備えは本当に万全か?」
「……」
レイデの視線を受けたマコレは口を開けない。
「本当にこのタイミングなのか?」
「……」
次に視線を向けられたウロアも目は反らさなかったが無言のまま、レイデの自問は続く。
「ここまでの判断は正しかったのか……知己を得たと喜びはしたが、一部とはいえ他者に委ねるのはどうであったか。『送迎団』についてもそうだ。わずか数人が、策略を崩すことになる小石の投擲にならないか――」
それは命じられるままに動くだけのふたりにとって、実感することのできない重圧だった。その重圧とともに10年を過ごすことの意味――思わず想像したであろうふたりが黙り込むしかなかったのも当然だ。
それでも。
「――だからって、だんまりキメ込む、わけじゃないだろ?」
リーダーに挑むような目付きでウロアが口火を切る。
「これほどの好機を、指をくわえて見逃すようなあんたじゃない。冷静なようで、実は誰よりも任務に果断な男――そうだろ?」
投げ掛けられた言葉が、何かに耐えるレイデの顔を上げさせる。上げる前に、ほんの一瞬唇をほころばせたのを見せることはなく。
上げたときには暗部に属する人間特有の、表情筋を死滅させた者の顔つきですっくと立ち上がり、これまで部屋の隅に棒立ちしていた“異形”の影へ言い放つ。
「これで『一時的な協定』は解消となる――」
その異形こそ、“強力な知己”のひとり。
本来であれば、互いに手をつなぐことなどあり得ない相手。都でここまでの騒動に発展させたカラクリでもあった。
「――が、せっかくここまで整えたんだ。今から敵対して、舞台を壊すようなマネはしたくない」
「いいだろう」
異形の声に感情のゆらぎはない。何をどうしようが刻の流れが変わらないのと同じように、レイデの言葉に意味を見出していないと分かる。それでも攻撃の素振りをみせずに受け答えするのは、珍しいことだ。
「目的は遂げているから、この地に用はない。ただし、街に放ったモノまでは知らん。出会わないように隠れていることだ」
そのぞんざいで無責任な発言に癪に障ったか、ウロアが不敵に返す。
「つまり好きに処理していいってわけだな? 面倒がなくて助かるぜ」
不穏な手つきで肩掛けのナイフ・ベルトを撫でる目は、異形の一挙手一投足に神経を尖らせている。すこしでもおかしな動きがあれば、ナイフスローを一閃させるために。
これは身の程知らずな愚行ではない。異形の正体をそれとなく感じとった上で“殺れる”と判断するがゆえの警戒だ。
それはマコレも同じ。いつの間にか、イスから腰を上げている。
ふたりとも諜報活動が主務の暗部だが、“ただ強い”レベルの人物が在籍できるわけがない。暗殺には不意打ち以外の正攻法もあるし、逃走するにも強さは必要だから。
特に彼らはエリートだ。それでも、
「これでも本当に案じている。――すこしでも領都の騒ぎが大きくなれば、とな」
まったく動じる気配のない異形。暗に、殺られるのはおまえたちの方だと。使えるキャストを減らしたくないと告げる。
「そ――」
「その点は心配しなくていい」
ウロアを遮るレイデ。
つっかかるなと視線で釘を刺し、
「数の増減など気にする必要がないくらい、都をより大きな混乱に落とす。きっちり、とな」
むしろ仲間にむけて宣言する。
何が大事で何を為すべきかを。
それを最後まで耳にすることなく、すでに異形は外へ向かっていた。
丁寧に扉を開けて出て行く異形のふつうすぎる行動に違和感を抱きながら見送って。
「――はじめるぞ」
10年の締めくくりを告げるには、あまりにあっさりとして短すぎる言葉で、レイデが命じた。




