(三)入都の手段を求めて
旅程最終日
日没後
――辺境領都
「ようやく――」
馬を止めたモーフィアのつぶやきが、都壁を目の前にした皆の思いを代弁する。
フィエンテ渓谷――。
ゴルトラ洞穴門――。
別働隊では『部族境界線』のほか『砦門』での戦いもあったことが報告されている。
わずか3日ばかりの戦いが、それ以上の長き戦いにも感じられ、事実、モーフィアの声や表情には疲労の陰が色濃く残されていた。
それでもここまで来た――。
ある種の達成感が、都壁門を見上げる彼女のまなざしに込められる。
ただ予想どおりというべきか、都壁の門は堅く閉ざされ、カストリックが送迎団の到着を告げ、開門を雄々しく求めても応じる気配はない。
その理由が洞穴門のような妨害の意図によるものでなく、星空を赤く染め上げるほどの大火騒動にあるだろうことは察せられる。
だが、だからこそであろう。モーフィアは不審げにカストリックを見やる。
「いくら余裕がないにしても、すこしおかしくありませんか?」
「ああ。本当に誰もいないような感じがする」
そんなことがあるだろうか?
緊急に人手が求められたとしても、物見ひとり残さずというのは行き過ぎだ。
「炎に追い立てられた……?」
「いや。むしろ都壁にいる方が安全だ」
だったらなぜ?
どうやら領都で起きていることは、ただの大火騒ぎで説明できないものらしい。
厳しい表情で門を見上げるカストリックに、
「ここで立ち止まっていたところで、何もはじまらぬぞ――?」
叱咤するようにつつくのは老婆の剣士。
播磨もなぜか渋々といった感じで「鞘無殿の言うとおり」と賛同を示して。
「二手に分かれて別の入口を捜すか、他に何らかの手を打つべきかと存じる」
「なら左だな」
やけに確信をもって風吾が言い切る。
「来る途中、左の奥で動きがあるように見えた。あれが人の出入りなら、それに乗じて中へ入れるんじゃないか?」
「それは真か?」
「鷹木のダンナほどじゃないが、オレも目はいい方でね」
そう自信たっぷりに答える風吾の前では、悲愴感さえ漂わせる水音が何かに耐えるような表情で黙りこくってる。先の戦いでも見せていない追い詰められたその様子に、播磨も黙っていられなかったのか声を掛ける。
「どうした――?」
「……別に。早く行きましょう」
気丈に振る舞う水音だが、その顔をのぞきこむ風吾が「“別に”じゃないだろう」と。
「あとでヘタ打つくらいなら、ここで大人しく待ってた方が――」
「いいから、早く行って」
ぴしゃりと返され「は?」と額にビキリと青筋立てる風吾。
「人がせっかく――」
「かすとりく殿」
そう声をかぶせたのは播磨だ。また痴話喧嘩でもされてたまるかと思ったか、早口で騎士長に提案する。
「ここは風吾の見たという場所に向かっては? あてもなくうろつくよりは、よろしいかと」
「そうだな」
カストリックも察したように素早く応じる。
「おそらく動きがあったというのは、もうひとつの出入口である『北門』でだろう。夜でも門を動かしているくらいだ、都民を退避させていることは十分に考えられる」
「これだけひどくなってりゃな……」
風吾が都壁を黒々と浮き上がらせている赤焼けの夜空を見上げれば、
「炎も奥側まで広まっているように見えた……民が追い立てられるのも不思議ではない、か」
播磨もうなるように相づちを打つ。
そうして場の総意がほぼひとつにまとめられると確認できたカストリックが、最後方で殿を務める人物へ声を掛ける。
「まずは『北門』を目指す――それでよろしいな、ツキノジョウ殿?」
「異論はない」
それまで口を開くこのとのなかった優面の美丈夫が低く応じた。
あの激戦の疲れを感じさせない平素さに、カストリックは頼もしさを感じているのか、力強くうなずいて。
「よし、行くぞ――」
先頭を切って馬を駆る。
続いてモーフィア、そして侍たちが。
城外にいても耳に届く何かが燃える音に背をつつかれるようにして、一行はひと息つく暇もなく、新たな進入口を目指すのだった。
◇◇◇
『北門』を目指す一行は都壁の外をぐるりと左回りする。
直線にすれば距離は短く、すぐにでも目的地に着くと思われたが、領都の外縁ならではの理由で思うようには進めない。
外敵の接近に気付きやすくするため、森を切り開いて見通しを良くしてあるのだが、同じ防衛上の理由で倒木をバリケードに見立てて放置し、足場の悪さも敵の進軍を遅らせられるとそのままなため、出発してすぐ馬から降りるハメになる。こうなると、
「無念だが、馬車は諦めるしかない」
「あれだけ必死に護って……」
カストリックの決断にモーフィアが肩を大きく落とすが、どうしようもない。
山岳地帯らしく奥へ向かってゆるやかな上りが続き、しかも起伏に富んでいる地形だ。無理に突っ込んだところで、馬車など腹がつかえて立ち往生するのが目に見えている。それに――
「正直、このまま『北門』に行ったところで、まともな取次が為されるかは不明だ」
「そこまで騒動が――?」
ありえると、カストリック。
「『西門』の状況は尋常じゃなかった。それほどの騒ぎになっているのなら、人手も足りず、民はパニックを起こし指揮系統が大いに乱れているはずだ。当然、向こうも我らに構っている余裕などないだろう。ただ、そうなると――」
カストリックの深刻げな声音が別の懸念を抱いていると仄めかす。それに気付いたのは月ノ丞。
「御大の身が危うい、か――」
「そうだ。これまで向こうの陣営が大公陛下を傷つける意志はなく、それを前提に我らは争ってきた。だがこの騒動はちがう。万一、これも辺境伯の企図したものだったとしても、明らかにコントロール下から離れてしまっている――」
「これを辺境伯が――?!」
思わず声を上げたのはモーフィア。
「そうだったとして、の話だ」
あくまで最悪のケースを仮定しただけとカストリック。
「とにかく誰がこの騒動を仕掛けたとしても、そこは問題ではない。肝心なのは、囚われの陛下と姫が安全であると言い切れぬこと。この状況で我らが何を優先すべきか――それは大公陛下と姫の保護であり救出――これに尽きる」
だから馬車に気を取られている場合ではないと。
そう言われれば理解もするのだが、これまで必死に護り命まで散らした仲間がいるのも事実。途中で事情が変わったからと、あっさり用済みとすることに誰もが割り切れるものではない。
モーフィアもそのひとり。
「……」
じっと馬車を見つめる彼女の姿に何を感じたか、月ノ丞が馬車から旗を一本拝借し、掲げてみせる。
「何もなくては、格好もつくまい――」
その気遣いにモーフィアが無言でうなずき、そしてカストリックが場の空気を切り替えるように皆を先へと促す。
「向こうに明かりが見える。行けば、より詳しい事情が明らかになるだろう――」
◇◇◇
そうして馬を引き、厄介なのぼりに時間をかけて『北門』近くまでやってくると、
「もう“出入り”っていうか、あふれてんな――」
思わず風吾が苦笑する眺めがそこにあった。
のぼってくる途中でも気付いていたが、門近くのなだらかな場所を中心に数え切れないほどの群集が座り込んでいる。
「これ、都民の大半が……」
「なんだって、こんなことに」
街ごと引っ越しでもするかのような規模感を目の当たりにして言葉をなくしてしまう一行。
とはいえ圧倒されてばかりもいられない。とにかく情報を得ようとカストリックが焚き火を囲んでいる者に声を掛ける。
「一体何があった? ただの火事騒ぎでないことくらいは、分かるのだが」
「……!」
顔を向けもせず横目でこちらを確認した男が、立派な鎧の騎士が相手と知って目を見開く。「なんでこんなところに?」と疑念を顔に貼り付けたまま、固まる男にカストリックはなおも問い重ねる。
「急いでいる。何があったか教えてくれ」
「……いや、まあ……何って言われましても」
困り切ってうなる男から何とか聞き出した情報はあまりに少ない。なにしろ口にする話に男の実体験はなく、すべてウワサで聞いたものだから。
・過激なケンカ騒ぎは昨日から起きていた。
・そこにボヤ騒ぎまで頻発。
・ただし、翌日になり一端は収まった。
・なのに、陽が落ちて再び発生。頻発。
その原因となるのが――
「火事も怖いが、それよりも“ケモノ病”です」
「なんだ、それは?」
カストリックの質問に、別のふたりが答える。
「襲われた連中に、襲ったヤツの狂気が乗り移ったみたいに暴れ出すんですよっ」
「そうそう、血に飢えたケダモノみたいに!」
家族も恋人も関係なく、人の感情を失ったように誰彼構わず襲うという。実際に見てはいないが、通りの向こうからケモノの咆哮が聞こえてきたのは確かだと。挙げ句、
「本物のケモノみたいに飛び跳ねるヤツもいたって話で」
「……」
相手はマジメだが、どこまで本気で受け止めればいい話か分からない。困惑を隠しきれないまま、男らと別れ、一行は先へと進むのだが。
「……先ほどの話ですが」
「『吸血鬼』による“感染”――だろうな」
モーフィアの先手をとってカストリックが言い切る。
「でも、どうしてです――?」
そうだ。
仕掛け人の有力候補は『俗物軍団』。
誰もがそう思う。
おそらく辺境伯陣営でさえ。
だから“どうして?”だ。
カストリックも同じ気持ちだったらしい。
「そうだ。何の益もない。自分達の本拠地を無闇に血に染めることに銅貨一枚の得もしない。こんなことをすれば――――ヤツらを呼び寄せるだけだ」
「……」
息を呑むモーフィアはそれが何であるか分かるらしい。
ただ、初耳の播磨などは話についていけない。
「ヤツらとは――?」
「『憤怒の十字軍』。闇の眷属を討ち滅ぼすことを使命とする、『聖市国』が誇る大陸最強の精鋭軍」
そうして過程を問わず討伐戦果だけを求める常軌を逸した聖道も交え『十字軍』について軽く教えられた侍たちであったが。
「……うーん」
「……」
風吾と水音はいつものこととして、
「……何ともその……壮大すぎて、正直ピンときませんな」
播磨でさえ異境の地らしい規格外の戦闘力と倫理観にどう受け止めたらよいか戸惑いをみせる。
「まあ、とんでもなく“強い”ってことなんだろ」
最後には何ともシンプルに受け止めた風吾。
むしろ嬉しげに「会えるといいな」と目をギラつかせるのを、
「バカなこと言わないでっ」
モーフィアが珍しく斬りつけるように咎める。
「ヤツらが勝手に暴れるせいで、誰が苦しむと思ってるの? 1体倒すのに100人もの市民を平気で巻き添えにするような連中よ。……たとえ冗談でも口にしてほしくないわ」
「いや。それはそれとして、オレはただ、強いヤツと――」
「だから、そういうのを言わないでって!」
あまりの噛み合わなさに空気が悪くなりかけたところを「要するに――」と月ノ丞が割って入る。
「自分の手で都を終わらせるようなマネはせぬ、そういうことか」
「そうだ。そのはずだ。だから、おかしいと」
カストリックも興奮するモーフィアの肩に手を置いてなだめながら、大きくうなずく。
「昼間を跨いで感染が拡大するのもおかしい。考える力などない『屍鬼』は感染力だけが脅威の相手。たとえ根絶やしにできなくとも、せめて昼間に危険家屋を特定し“封じ込め”くらいはできたはず。それができなかったということは――」
得心したと続ける月ノ丞。
「つまり貴殿は、その『屍鬼』とやら以外にも“智恵持つ元凶”がいると思ったわけだ」
「あくまで推測にすぎないが。おそらく、我らと辺境伯陣営以外の第三勢力――それが動いているとしか思えない」
その脳裏には具体的に浮かぶ“勢力”があるのだろうか。
再び先頭を歩きはじめたカストリックの表情は誰にも見えず、それでもこれからの道行きを不穏なものにさせるには十分だった。
実際、北門までの道中、ケモノの話を声高に訴える者が続々と現れ、都民が追い立てられるように外へ逃れてきたことが知れる。
さらにケモノの情報は門へ近づくにつれ、ウワサ話から目撃談へと真実味が増していき、民衆の興奮度も次第に高まっていく。
子供の泣き声、家人を捜す声。ささいな切っ掛けでケンカをはじめ、急げ急げと前を追い立てる者など――そうした喧噪は大きくなっていき耳が痛くなりそうだ。
当然ながら群集の密度も高まり、馬を連れて進むのが困難になり、直線的に門へ向かうのが苦しくなる。
「……なんか、遠ざかってないか?」
「やむをえん。森そばの方が歩けるからな」
不安げな風吾に播磨が憮然と応じる。
やがてまわりこんで進むのにも限界に達した一行は、馬を森に残して今度こそまっすぐ門へ向かう。
その途中で、ようやくつかまえた兵士から絶望的な状況を知ることになった。
「『送迎団』の先遣隊、ですか……」
事情を聞いた兵士はひどく難しげな顔をして。
「今はご覧のとおりの有り様でして……とても都内に入れる状態ではありません」
皆の視線を促すように北門を見やる。
馬車2台が優にすれ違えるほどの門からは、堰を開放したように人の群れが吐き出され続け、その勢いが収まる気配はない。この流れに逆らって進入するのは無理と分かる。
「なぜ、このようなことに――いや、大公陛下はご無事か? すでに脱出されておいでか」
カストリックが疑念を打ち捨て、真っ先に確認すべきことを問えば、
「…………私が云えるのは、ここにいるのは都民だけということです。ベルズ閣下もここにはおられませんっ」
苦しげに答える兵。
「辺境伯殿も……?」
「閣下は城で指揮を執られておいでです。首脳陣のすべてが。皆様は、責務をまっとうされるおつもりかと」
「ならば大公陛下も共に?! 姫も――」
さすがに焦りを隠せないカストリックが兵士の肩を強く掴む。
「そ、それは」兵士が動揺して口ごもり、カストリックはさらに詰め寄って。
「大火だけの騒ぎでないことは承知している。だから手を貸そう。我らは少数でも手練れぞろい――城の防衛に大きなチカラとなれるっ。何とか都に入る手段はないのか?」
「そう申されましてもっ……」
「状況のマズさは分かってるはずだ。知ってるか? ケモノ病に罹った者には、異常なチカラを発揮する者もいるという話を。これほどの状況を、今の辺境軍で抑え込めるのかっ」
「そ……そうするために策を練り、皆、全力を尽くしてますっ」
気力を振り絞って兵士は声を荒げ、そのまま話を打ち切ろうとする。
「我らも都民の避難誘導で手一杯なのですっ。早く私も行かないと――申し訳ありませんが、ご一行様にはしばらくお待ちいただくほか、ありませんっ。もちろん、上官には伝えておきますので――」
兵士もいっぱいいっぱいなのだろう。
昼なら顔を紅潮させてるのが分かりそうなほど、こめかみに血管を浮き上がらせる様子に、カストリックは唇を噛んで手の力をゆるめる。
「…………分かった。引き留めてすまない」
その詫びを最後まで聞くことはなく、兵士は逃げるようにして人混みに消えていく。
「カストリック様……」
「――すまん」
カストリックが謝るも、あの門の状況では何もできないことに変わりはないだろう。それでもモーフィアが言葉を続けられなかったのは、“打つ手がなくなった事実”が重くのしかかるからだ。
「ここまできて」との思いも重なって、皆の顔にも隠しようもない疲れが滲み出る。その重苦しい空気に気付いたか、気を取り直したカストリックが空元気を出す。
「できるだけ門のそばへ行こう。そこで流れが途切れるのを待つ」
「……」
皆に指示したカストリックだが、何か言いたげなモーフィアに答える。
「皆も疲れが溜まってる。こんな状況だが、休憩がとれて良かったと思おう」
「……」
「案ずるな。城はそう簡単に落ちん。冷静に見定めれば、必ず、機は訪れる――」
今、彼には、それしか云えなかった。




