(二)辺境伯の決断
日没後
ヴァインヘッセ城
――西の城郭塔
この目で見、肌で感じる方が早い――。
城の奥でただ座っていられず、城郭塔のてっぺんに司令部を移したことで、トップ陣の焦りがどれほどであるかうかがえよう。そしてそこにわずか3名の顔ぶれしかないことに、辺境伯陣営の著しい戦力低下とその落日が間近であることも匂わせる。
だが彼らにそれを嘆く時間はない。
「報告しますっ。『北門』の稼働を確認。都外の安全を確保したのち、都民の離脱に着手とのこと!」
「『反魂人』の動きは?」
「特別な反応があったとの報せはありません」
受けて警備長が、
「これは吉報です。護衛者に“極力音を立てずヤツらを排除せよ”と厳命したのが功を奏しているものかと。逆に『避難地』の防衛戦は激しさを増しつつあり、ヤツらの注意を引いているのは確実――“誘導の策”がうまくハマっている何よりの証ですっ」
そう声を弾ませ、わずかな安堵さえ声にうかがわせる。
しかし主席執政官の表情は厳しいまま、「その評価はまだ早い」と警備長をたしなめる。
「いまだ『通り』の閉鎖報告は2箇所しか入っておらず、他の4箇所に至っては進捗の報すら届いておらん。より多くを救うためとはいえ、あそこで都民の三割を危険にさらしていることを忘れるな」
「――ハッ、肝に命じます」
オーネスト不在による軍関係の穴埋めとして参加が認められただけの存在だ。大役の重さと臨時司令部の重苦しい空気に馴れない警備長はひどく畏まって頭を下げる。
そんなふたりのやりとりよりも辺境伯ベルズが求めるのは問題への対処。
「……その閉鎖箇所だが、このまま流れを見守っているわけにもいくまい」
「仰るとおりですっ」
パッと頭を上げた警備長が急ぎ答える。
「今は避難者からの“志願受け入れ”をとりやめ、代わりに“緊急徴兵”に切り替えました。幸い、反発する声は小さく、むしろ積極的に受け入れられておりますっ」
「このような事態だ」
当然の反応だと主席執政官。
『通り』が閉鎖できなければ命が危なくなるのは避難者なのだからと。
確かにその通りだが、それだけでなくベルズは別の受け止め方もする。
「この危機的状況に、火を点けられたか……」
ベルズには感じられる。
いまだ戦時下であるように活気のない死んだような街であったものが、今この時、眼下の街区だけ喧噪に沸き返り、生命の躍動にあふれていると。
それが“生”にしがみつく足掻きだとしても。
今日までベルズの治世でできなかったことが、その治世が乱された時に成し遂げられるとは、皮肉が効きすぎる。
もはや神のイヤがらせとしか思えないその凶事を言い表すことのできない瞳で見つめながら、ベルズは警備長に問う。
「武具は?」
「は?」
「この状況で閉鎖作業のみをやらせるのは、片手落ち。その場の状況判断で戦いにも加われるように武器庫を開放し、配ってやれ」
「――すぐにっ」
遅れて理解した警備長が指示を飛ばす。
だがそれでも足りないことは三人とも分かっていた。都の半分を呑み込んだ闇に対処するには、手駒があまりに足りなさすぎると。
「あの商人はどうした……?」
「フィヴィアンとか申すものですか」
思わぬ質問に主席執政官がなぜか目を反らし、
「逃げだそうとしていたところを抑えましたが」
渋い顔で言葉を濁す。
「何か問題が?」
「捕らえはしたのですが……ニセモノでして」
「ニセモノ?」
「正確には“替え玉”です。いつの間に用意したのか、自分に似た人物とすり替わっており、肝心の荷馬車も城はおろか都から姿を消していたのです。もしかすると、オーネスト様たちの動きに合わせて脱出を計ったのではないか、と」
忌々しげに告げるのは、これを自分の失態と思われたくないからか。もちろん、そのような責めをするベルズではない。
「ふん。“沈む船から逃げるネズミ”……か」
「?」
「では、オーネストからの報せはどうだ?」
いぶかしむ家臣に答えず、ベルズは別の問いを投げ掛ける。
答えるのは、先に報告したまま待機していた伝令官。
「ハッ。まだ届いておりません」
「監察官は砦にいたはずだな?」
「はい。洞穴門の戦況と共に砦で何かあれば、連絡がくる手筈です」
そこで主席執政官が、
「確か、“『送迎団』の別働隊”が砦に現れたとの報せが最後でした。たったの10名ほど。戦いにすらなりませんな」
そう決めつけると。
「ならばなおのこと遅い」とベルズ。
「洞穴門の結果についてもだ。意外にもつれているのかもしれん」
「さすがにそれは」
思わず主席執政官が異を口にする。
「バルデア卿の不調は衆知の事実であり、精霊剣も洞穴内でチカラを十全には発揮できないはず。あのフォルム殿が賛同した“我らの圧倒的優位”という閣下の見立てに間違いはありませんっ」
力強く訴える主席執政官の言葉に、「戦場に絶対はない」とベルズ。
「あるいは、またしても『魔境士族』が均衡を崩したかもしれん。ここはヘタな楽観論を持ち込まず、確定しているものだけで検討すべきだろう。
まずハッキリしたのは、武具の新たな調達先がなくなったこと。そして味方の増援がないこと。つまり、今手にする札のみで、この窮状を乗りきるしかない」
「「……」」
そう告げられて、主席執政官は静かに喉仏を上下させ、警備長に至っては痛ましいくらいに顔を強張らせ、肩まで小刻みに震わせていた。
ただベルズだけは落ち着き払って「さて――」とあらためて状況を整理しはじめる。
「『北門』から都民を逃がすのにまだまだ時間が必要だ。それまで『避難地』にはヤツらの侵攻に耐えてもらわねばならん。その要となるのが『通り』6箇所の閉鎖とその防衛だが――」
そもそも『避難地』の都民を城内に受け入れる考えはない。
城門用の紫水晶を『北門』の稼働に使っているので城門の開閉ができないのが理由のひとつ。いまひとつは『反魂人』の注意を『北門』から遠ざけるためだ。
この非情な決断をしたのはベルズ。
大戦前の彼ならば選択肢にすら上げなかったろうが、今はちがう。
「現状の閉鎖箇所は2つ。すでに防衛戦がはじまっていることから、残り4箇所が苦戦しているのは確実だ。これに当たらせる人員を避難者から補充し、武具も持たせる手配もした。それでも十分とは云えまい。ならば他に何ができるか、だ」
そうしてベルズが警備長へ目を向ければ。
「――城内の警護者も防衛に当てるのは」
「ダメに決まってる」
即座に却下したのは主席執政官。
「城内はより強力なバケモノに襲われ、激しく交戦中だと民に説明しているではないか。なのに余裕を見せれば、また“城内に入れろ”との騒ぎがぶり返す」
今も城門を叩き、子供だけでもと悲痛な声を発する者はいるのだ。この騒ぎを揺り返させたら『避難地』は内部から崩壊しかねない。
「ならば、本当にもう……」
警備長が顔をうつむけると主席執政官が、
「――そうだ、ギドワ族の支援はどうなった?」
期待のこもる目を警備長に向ける。
都民の避難に際し、伝書鳩にて受け入れを打診していたからだ。
「残念ながら。ソレは楽観論の最たるものになるかと」
「……っ」
愚かな質問に、感情をこめずに返すのが警備長の努力であったのだろう。
だが、言われた主席執政官は羞恥と憤りを混ぜながら、仮設されたテーブルの上で両のこぶしを握りこむ。
「…………まったく、誰がこのようなことをっ」
それは一番はじめに持ち出され、答えを得ることのなかった問い。一度は胸の奥にしまいこんだ疑念が、憤慨が、思わず洩れて場を沈ませる。
ある点においては、あまりにも心当たりがありすぎる問いだ。
たとえばオーネストやその配下――しかし彼らに眷属化させる力はない。
ならば謎多きナンバー2のフォルム――そもそも彼の能力をはっきり知る者はなく、眷属化の力があったとしても、ナゼ今さらそんなことをするかの疑問が出てくる。
一番あやしいのは身内だが、そうする動機がまったく見当たらないのも事実。
だから答えを得られなかったし、ベルズもあらためてたしなめるのだ。
「考えるだけムダだ。いや――“感染源”の存在は心に留め置くべきか」
「ソレを捜し出し、倒す――」
警備長の期待に、「それも目的にすべきだが」ベルズの反応はにぶい。
「『吸血鬼』の事例に照らし合わせれば、感染源の死に影響は受けない。感染した者を一匹残らず根絶やしにするのが唯一の対処法だ」
「「……」」
あの数をか。
思わず場にいる者の視線が眼下に向けられる。
ここからはっきり見えないが、100や200で済むレベルの数ではない。その10倍は優に超える集団が『避難地』を包み込むように襲ってきていると思われるのだ。
「……朝まで耐えればいい」
ベルズはふたりを勇気づける。
「仮に物影に逃げ込んだところで、問題ない。都をしっかり封じておけば、いずれ『十字軍』がやってくる」
「「!」」
「そうだ。『聖市国』に宛て、正式に私の名でヤツらの派遣を要請した」
聖銀の要請。
それは大陸中の名だたる皇族王族や大貴族に無条件無償で配られた、『憤怒の十字軍』の派遣を要請できる最速の伝信魔術。
それをベルズは使っていたと告白したのだ。
「ですが、到着するには……」
間に合わないと警備長が顔を曇らせると、「いつからです……?」と主席執政官。
「いつから『聖市国』に要請を?」
「三日前だ」
「!!」
愕然とした表情をするのは警備長。
主席執政官も息を呑んだが、
「なぜです。この争いでフォルムの始末を考えたのですか? いずれご子息夫婦の邪魔になるとでも?」
家臣の疑念に「そうだ」と答えればそれで問題はなかった。
だが厳格すぎる性格がベルズに口を閉ざさせる。
だから主席執政官は別の可能性を察してしまう。
「――――まさか」
警備長は不審げだ。
だが主席執政官の顔色は夜目にもはっきりと青ざめるのが分かる。
唇を震わせながら、信じられない顔つきで敬愛する辺境伯の顔色をうかがい、そして確信する。
「そんな……それほどに……」
彼の言葉はそこで途切れる。
それ以上口にできないと。
その様子に警備長は戸惑い、ベルズはこれ以上なく表情を引き締めたまま、眼下の喧噪から目を外し奥の街並みを見つめていた。
いや、もっと遠く、その先にあるゴルトラ洞穴門の方を――――。




