(二十三)練り足りぬ拳
夕暮れ
領都側の砦門
――本棟南口
再び修道士が腰を深く沈めたとき、背後に気配が湧いて鷹木は声を掛けた。
「ケガは?」
「軽く炙ったと思えば、その程度。それより――」
何か言いかけた播磨は、そこで「いえ」と言い直す。
「すべてはこちらの結果次第と。――班長殿が」
「そうか」
何かあったのだろう。
直前の不審な言動と伝言からそれと察した鷹木であったが、こちらの戦いを優先するというなら黙って従うまで。
伝え終えた播磨も緊張感をはらませ進み出る。
「それでは共に――」
「やめておけ」
「――は?」
「そやつの組み討ちは、我らの常識の外にある。初見の相手とするには、荷が勝ちすぎる」
手合わせしたからこその判断であったが、そうと知らぬ播磨が聞き入れるはずもなく。
「無手流を相手に我が剣力が劣るとでも――?」
「ただの無手ではない。鋼の如き指先で肉を穿ち、拙者の剣を素手で受け止めた――その“受け”すらも鉄棍をぶつけるがごとき威力」
刃越しに感じた石のごとき手応えと、今も手に残る軽いしびれ。
ただ鍛えただけでは獲得できぬ肉質の異常な変容は、剣士にとって致命的なものと鷹木は悟った。
「わかるか――攻防のすべてで“鉄塊の脅威”にさらされることの意味が」
「……それが事実と言うのであれば」
「事実だとも」
鷹木は力強く応じる。
「つまり“刃物使い”にとっては、相性最悪の相手ということ――」
それは播磨にとって非常に不愉快な指摘だ。
だから皮肉った感じで言葉をつないでみせるのか。
「――ただひとり、鷹木という剣士を除けば」と。
いかなる衝撃も殺しきる『引き波』と。
頑丈が取り柄の刃引きの剣。
そのふたつを手にする鷹木だけは、攻防一体の剛拳を振るうルアドと対等に渡り合える。
さすが別働隊に選抜されるだけあって、播磨は冷静に頭を働かせるところは働かせ、そして受け入れるだけの心根の強さも持っていた。
皮肉のあとに軽く息をつくことで自身の気持ちに整理をつけられたのか、静かに告げる。
「……であれば、今は学ばさせてもらいましょう」
「ああ。決して無駄にはならん」
鷹木は本心で請け合う。
そのために待っていたのだから、と――。
◇◇◇
「話は終わりか?」
ルアドの投げ掛けに、「いつでも」と鷹木は応じる。
「こちらに気遣い無用だ」
会話の最中であってもルアドから意識を外したりはしないと。そう言い終えた途端。
速い――
鷹木の利き手側にルアドが突っ込んでくる。
しかし鷹木の眼はその動きを捉え、踏み込む位置に剣先を突き込んでいた。
肝臓の位置に剣先がめり込み――
――その感触が突然消える!
同時にルアドの身が回転、ぬるんとした手応えを残して剣先から逃れ、そのまま背後へと抜けた。
すかさず鷹木が反転。
互いに一歩届かない微妙な間合いで向き合い、
攻めるか、待つか――
判断は一瞬。
鷹木はルアドの動き出しを察して、待ちを選ぶ。
「?!」
その気勢をはぐらかすように、先とは真逆の小刻みな踏み込みで迫るルアド。
しかも不規則で捉えどころなく、眼力に自信のある鷹木をして認識をにぶらせる眩惑の運足で。
「――っ」
気付けば打拳の間合いに詰められた。
ルアドはすでに右拳を腰だめにした体勢。
瞬間、鷹木の背筋を強烈な悪寒が走り抜け――
ボッ――――
今の今まで鷹木の胴があった空間を、何かが抉り抜いていた。
ルアドの拳だ。
それも想像を絶する威力のこもる一撃。
あまりの危険さに鷹木は反撃するよりも本能に従い大きく間合いをとっていた。
「……とんでもない剛拳だな」
腕力や技だけで為せる打撃ではない。
あえて言うなら、神通力でも込めたかのよう。
神憑りな力が宿っているとしか思えない威力に鷹木の首筋を冷や汗が伝う。
「『乾坤一擲』――」
自慢ではなく自負のこもる声はルアドから。
「“イェン派”の一撃は芯に当てずとも破壊をもたらし、当たれば岩でも抉り抜く」
静かに語られた言葉のとおり、避けたはずの鷹木の着物は、脇腹のあたりが派手に破れていた。
実際、火傷のようなひりついた痛みもあり、まともに喰らえばどうなっていたか。
「次は当てる」
「ああ。躱すまでもない」
鷹木の返事に眉をぴくつかせるルアド。
「受けれるとでも?」
「いや――受け返す」
耳にしたルアドの眼が鋭く細められる。
鷹木としては大言を吐いたつもりはない。
そうできる確信があるだけだ。
「貴殿の足運びと拳撃には目を瞠るものがあるが、技の入りについては荒削り」
「ふん。“練りが足りぬ”――か」
身に覚えのある指摘だったのだろうか。
表情は変わらないまま、洩らしたルアドの内にて何かが引き締められたような感じがして。
「なら、別の何かで補うまで!!」
◇◇◇
わざと煽ったなら成功だ。
敵から掛けられた言葉は、ルアドに「心せよ」と指摘した師の言葉を思い起こさせた。
――――知った口をっ
ルアドは沸き上がる激情を抑え付け、闘志へと変え、ある一点に踏み込む力とする。
ギリギリ刃の届くポイントへ。
体術スキル【瞬歩】――
再び鷹木の刃が迫り――これが未熟の代償か――今度は鳩尾を狙われる!
「噴っ」
それを見越し備えていた『回し受け』で迎撃。
刃と触れる一点にて螺旋力と戦気が炸裂――剣を大きく跳ね返した。
「むっ」
「……っ」
それでもルアドにとっては痛み分け。
敵が『黒鉄』のタイミング――すなわち弱点を一見しただけで看破し、そこをついてくるのは分かっていた。
だから“先の再現”で攻撃を誘い、剣を破壊するつもりが力を逃がされるとは。あの一瞬でそんな対処ができること自体が信じがたい。
信じがたいが、この敵なら。
ルアドは流れを止めず、踏み込むと同時に受け手を返し、顎に向けての裏拳に繋げる。その時には引き手を腰だめにして。
躱す鷹木が射線に入る。
――――もらった!
二発目の乾坤一擲が鷹木の芯を捉えた。
どこにも躱す余裕はないっ。
逃さず捉えたカラダが、激しく石床をこすって後ろに下がる。
だが、それだけだ。
どうやら剣で受けたらしい鷹木の鋭い眼光は、わずかも濁らずルアドへ突きつけられたまま。
「……っ」
今度こそ、本当に信じがたい出来事にルアドは眼をかっぴらいた。
力みすぎたか?
いや、むしろ会心のショット。
(なのになんだ、この手応え……は?)
思わず己の拳を見つめるルアドに、「その拳に非はない」と敵からの思わぬ慰めが。
「ただ、打ち時が分かれば拙者に通じぬというだけのこと」
「……なるほど」
納得はしたくないが、理解はした。
今の一撃を防いでみせる敵に妄想を抱いてはダメだ。
あの姿をよっくと見よ。
「つまり“イェン派”の『双山』と同じレベルにあるというわけか」
脳裏に浮かぶのは痩せた兄と筋肉質の弟。
ルアドの才を怖れ妬んで近寄らぬ高弟たちが多い中、『双山』と呼ばれた双子の高弟だけはよく声を掛けてきた。
腐らず励めと。いやもっと励めと。
ルアドが追いついてくることを望んでいた節があり、それはふたりの抜きんでた才能が余裕を持たせていたから、だけではない。なぜなら、
「師の命とはいえ、不憫だな。おまえも頂を目指すのなら、修練だけでなく、自分より強い者との手合わせは必須になる」
「そうとも。本気でぶつかり合わないと見えてこないモノがある。だからもっと――鍛練を積め」
もっと早く、その力をコントロールできるようにしろと双子が望んでいたからだ。
ふたりだけは師の背中を憧れて見るのではなく、本気で追いかけていた。だから強いのは当然。そのふたりが得意としていたのが『撃力霧消』――『乾坤一擲』と対極にある技である。
その理解には、修道武術の基本にして極意を知っておく必要がある。
すなわち『螺旋』の理を。
誤解を怖れず言うなら“遠心力”としてもいい。
これを骨肉と戦気を用いて己の内に発生させ、攻撃や防御、そして移動の源とする。当然、発生させる螺旋の力が強ければ強いほど強力な技になる。
だから生涯にわたって螺旋を練り込むのが、修道士たちの道となる。
ちなみにこの力、正方向と負方向の対となる。
奇しくも鷹木の押し波、引き波と相似の理。
極めれば、ふたつの理念は同じ処にたどりつく。
話戻して攻めの『乾坤一擲』が正の極地なら、その逆である負の極地は“攻撃の力を減少吸収する”絶対の防御を体現する。すなわち『撃力霧消』を。
そうだ。
難度はこちらが圧倒的に高く、高弟の中でも『双拳』と呼ばれるふたりしか習熟していないそれを、人類が千年もかけて練り上げてきた極意を、魔境という野性の極地で育った者が使ってみせたのだ。
表情や声には出していない感情が、ルアドの中にあるのは推して知るべし。
やがて拳から目を離したルアドがつぶやく。
「……どうやら……まだ、どこかに侮りがあったらしい」
『瞬歩』への対処。
『酔足』からの繋ぎに対する反応。
そして『撃力霧消』と似た技の行使。
ここまでくれば、対となる『乾坤一擲』も使えると思うべきではないか?
「……」
カラダがかすかに震える。
それはどんな感情がもたらすのか、ルアドにも分からない。
少なくとも、怖れから――だけでないのは確か。
ここで区切りを付けるように、密かに心を落ち着けながらルアドは告げる。
「二手目は互角といったところか。次こそ――」
「そうならぬ。“流れ”でいえば、な」
鷹木の表情は変わらない。
だがプレッシャーが増したとルアドは感じる。
“待ちの剣”と見立てていたが、ちがうのか?
こちらも“教え”を無視して探索者としての経験から“攻め”もやってみせた。熟練になれば固定概念を覆していくのは、むしろ必然だから。
同じことが鷹木にも云えるとしたら。
(――いいだろう。今度は、受けてやる)
三度、ルアドは腰を沈め身構えた――。




