(二十二)エース対決
夕暮れ
領都側の砦門
――本棟南口
神に仕える者として、『修道士』には“先に仕掛ける”という攻撃的な教えがない。必然、ルアドは相手の出方を待つ姿勢になる。
なのにルアドの構えに対峙した者のほとんどが、その威圧に気圧され、仕掛けることを躊躇する。仮に仕掛けることができても、半ばヤケ気味な刃を振るうだけ。その時点で勝敗は見えてしまう。
いつもそうだ。
しかし、今回の相手はちがった。
「……む」
ふいに襲い掛かってきた刃を冷静にきっちり受け止めたルアドであったが、そのガッチリした眉がかすかにひそめられる。
それは刃を受けるポイントがズレているからであり、ズレた分だけガードが遅れたことを意味していた。
目視する以上に体感するキレ味が鋭い――。
(つまり、“本物”――か)
場数で叩き上げたものとは異なる、ただの一振りに膨大な反復動作を積み上げた者の凄み。それは寺院の高弟たちでも数名しか見られなかった高みである。
それをまさか、この蛮族が――。
自然と奥底から沸き上がってくる昂揚にルアドの体温は1度上がる。どうしようもないほどに抑えきれない熱が、喉元をせりあがり、口を開かせる。
「これでも、修行はじめの4年はまったく芽が出なくてな。バカにされはしなかったが、“才無し”と憐れまれるのは、正直、癪だった」
「……?」
「あんたもそうだろう。バカのひとつ覚えみたいに同じ動きの繰り返し。今に見てろと頑張って……6年目になり、成果が現れはじめ……ガラになくはしゃいでたら、今度は“全力を禁ず”と言い渡される始末――」
おまえの拳は凶器すぎる、と。
ルアドからすれば、バカげた理由だ。
結局、6年の修行は、ルアドにただ鬱屈するだけの日々を強いただけ。特に“力”を制限されての組み手など、もどかしいにもほどがあった。
自分は強くなっているのか、あるいは伸び悩んでいるのか――何も判然としないまま時が過ぎ、その溜まりに溜まった鬱憤を、ここにきてようやく、吐き出せる先を見出した。
「だから、あんたに感謝する――」
それはまぎれもないルアドの本心。
ともすれば、神よりも目の前の剣士に心からの御礼を捧げる。
「対等の敵として現れてくれたことに。そして、オレが初めて“自分のホンキ”を知る機会を与えてくれたことに、感謝する」
そうしてルアドは着用が義務づけられていた呪製マスクをゆっくり外した。
これまで負荷となり乱されていた呼吸が自然と整えられ、目に映る景色の色合いまでが明るくなるような爽快感。
それが自然と名乗りを上げさせたのか。
「ルアドだ――」
「……鷹木。鷹木洋之進」
くぐもっていた声から雑味のないテノールに替わったことで、一瞬、戸惑った剣士も遅れて応じる。
「タカギよ。今の自分は、先の自分とかなりちがっていると、教えておこう」
「……そのようだな」
ああ、鷹木なら分かってくれるはずだ。
ルアドに起きているめざましい変化を。
フゥ――……
ひと呼吸ごとに体内の血が勢いよくめぐり。
その血流に乗って戦気の熱も大きくめぐり。
そうして生まれる熱気にマントが熱を持つ。
そこからジワリと滲み出る見えない“圧”に、鷹木のカラダがぴくりと反応する。彼の目には、ルアドの体躯がふたまわりは大きくなって映っているはずだ。
「頼むから……」
祈るようにつぶやくルアド。
「すぐに壊れるなよっっっっっ」
◇◇◇
ルアドが最初の一歩で剣先間際に距離を潰すと、
カウンターで距離を詰めていた鷹木の剣が喉元に迫っていた。
その動きを捉えていたルアドは、半歩踏み込んで左拳を鷹木の握り手にぶつける。
――避けた!
構わずさらに半歩を詰め、左腕を畳んでボディへの肘打ちに切り替える。
ズシリと踏み込む足が石床を砕き、螺旋で倍加された力で内臓を破裂させ昏倒させる一撃を見舞う。
――これも躱すかっ
どころか、マントに差し込まれる剣先に気づき、身をひねって逆に刃を絡め取ろうとするルアド。
驚くべきことに察して戻す鷹木。
だが近接こそはルアドの本領。この距離に留まったのが命取りだと、鼻先が触れ合うほどに踏み込んで拳を乱打する。
「叭っ――」
拳打六連。
超至近がゆえの死角にして、マントの下から、見えない軌道の速拳が鷹木を襲う。
フフフンッ――――……
異様な感触がルアドの拳に残される。
まるで掌に打ち付けたような淡い手応えだが、受けたのは確かに鉄の剣身であったはず。
それが『引き波』の妙技と知らぬルアドは、逆にリズムまで狂わされ、6連が乱される。
「なら――」
これでどうだ、と。
ルアドは打つのでなく指先で触れにいく。
「……」
何を感じたか、半身を反らして躱す鷹木。
だが不思議と、触るだけなら当てるよりも簡単で相手を逃がすことはない。何よりも異なる武術の足捌きが互角であるならば、結果は明白。
三度目でルアドの左手が鷹木の胸に触れ、
ダンッ――
再び石床にヒビ入れるほどの踏み込み反発が、一瞬で指先に収斂する!
ズブリ
「……っ」
ゼロ距離から二本の指が鷹木の胸を穿ち、
「吻っ」
さらに小指以外の4本を埋めようと力を込め直したところで、いつの間にか当てられていた鷹木の剣身から、同じ力で返されて――カラダ全体への衝撃となってルアドを弾き飛ばしていた。
――――――!!
カラダをひねって片手受けし、転がり落ちてダメージを受け流す。
「……驚いた。まさか剣士がこんな“受け返し”を使うとはな」
声にわずかな感嘆を滲ませるルアド。
そもそもゼロ距離から放たれる攻撃にカウンターは不可能と思っていただけに驚くのも当然。
元傭兵との戦いを詳しく見ていないルアドには、それが『波ノ太刀』によるものと気付くことはできない。
とはいえ、ノー・ダメージなので問題視することはなく、むしろ今のせめぎ合いで重要なのは、己の領分で競り勝ったこと。これでルアドが攻めるべきポイントが明確となり、あるいはこれをネタに別の攻め手を狙うことも可能になってくる。
「まずはオレの1ポイント先取――」
あえて人差し指を立てて見せ、再び腰を沈めて構えるルアド。
ますます気のめぐりは勢いを増し、技のキレまで良くなってくる。
当然、もう一度近接戦で挑むつもりだった。
◇◇◇
その頃、戦いの場を移した本棟北口では。
自分から宙に跳ねた細い影を狙うシーレンは、極度の集中が生み出すゆるやかな世界で、一瞬、その者と確かに眼が合っていた。
その瞳に吸い寄せられる感覚と共に、自分の狙いが相手に伝わったと気付く。
放った矢は『炎巣の矢羽』。
どこでも当たれば炸裂した火玉が相手を焼き焦がす切り札。敵に絡んでいる仲間が盾士でなければ、使えない危険すぎる一手だった。
そんな細部まで見抜かれたわけでもあるまいが。
――――かっ
あんな不安定な状態で細い影はまたしても、矢尻だけを精確に斬り離してみせた。
「くそがッ、異能じゃねえよな!」
「黙って追い込めっ」
盾士がバツグンの反応で突進する。
それに対処したのか、はじめからそのつもりだったのか、シーレン目がけて踏み出していた細い影。
「舐めんなっ」
怯まず弓を構えるシーレン。
『瞬間集中』と『早撃ち』の連続使用で放つのはティエリにもらった『塵花』の秘矢。
それが散る前に斬り捨てられ。
次の刹那には、弓の弦まで断たれていた。
返す刀の一閃を、
「くぁ――」
極度の集中力でギリ躱し、左腕の仕込み弓で至近射撃を見舞ってやる。
当たった!!
この至近距離で初めて気付いたが、そいつは若い娘だった。
珍しい黒い瞳がめいっぱいに見開かれ、娘にとって意表を突かれる攻撃だったことをうかがわせる。
その恐るべき技倆に騙されていたが、おそらく歳相応の経験しか無いのでは。
(――だったら、付け入る隙はある!!)
シーレンはあらかじめ決めておいたポイントへ向かって身を躍らせる。
遅れて通り過ぎる刃。
それには意識も向けずにシーレンはダイビングした先の細縄をナイフで切った。
矢雨のトラップが発動!
対して白光の扇が迎え討ち、次の刹那、
【獅子牛の突貫】――
無傷で切り抜けた娘剣士の背後から、盾士がスキルでぶちかました。
体重差もあり、小柄な娘剣士のカラダは小石のように弾き飛ばされ――しかし自ら跳んでいたのか、反対側の壁にぶち当たる寸前で身をひねって足で衝撃を殺す。
「……つっ」
それでもチャージの威力は殺しきれなかったらしい。
床に着地してもうつむき加減の娘剣士にシーレンは追撃の矢を射る。
「続けろ、詰めるぞ!」
扉口から進んでくる盾士。
「そのまま追い込め! こっちは任せろっ」
通路で見張りを買って出るフェルドたち。
一気に大詰めの場面だが、娘剣士はなおも致命矢だけは避けている。
「なんてぇヤローだ……」
シーレンは惜しまず『怒り風神の矢羽(粗悪)』を天井に向けて射る。粗悪品でも強烈な風のダウンバーストが吹き下ろし、娘剣士を膝着かせ、シーレンまで後ろに倒れ込む。そこへ、
【盾衝き】――
躱しやがった?!
タイミング良く身を退いただけだが、その恐るべきセンスにシーレンは意識を切り替える。
コイツは普通じゃない。
盾士との連携で仕留めようとするのは、あまりに危険すぎる、と。だから、
「ダルガ!!」
シーレンの呼びかけに盾士がチラ見して、小さいがしっかりと顎を引く。
お互い覚悟はできていた。
シーレンはすかさず自滅覚悟の『炎巣の矢羽』を放つ。
頭にあるのは、この娘剣士とここでケリを付けること。
こっちのエースは2枚だが、敵のエースは1枚きりのはず。だから、ここで決めれば、北口の戦いは勝ちを掴める。
その考えは、断ち切られた仕掛け弓と利き腕によって文字どおりに破断した。
いつの間に……?
痛みよりも。
信じがたい出来事にシーレンの思考は現実を拒否し、凍り付く。
秘太刀【水椿姫】――――
シーレンには、いつの間にか、娘剣士の剣身が濡れていることに気づけなかった。
まさかそれが、全霊で振るわれることにより、神速に至った水しぶきで事物を断てるなどと思いよることもなく。
当然、会心の一撃を放つために、娘剣士が集中力を研ぎ澄ませていたなどと、見抜けるはずがない。
無情にも局面は一転する。
エースの戦線離脱した戦場に、もはや娘剣士を抑える戦力など残っていなかった。




