(十八)探索者たちの覚悟
夕暮れ
領都側の砦門
――本棟北口2階
ティエリが2階の通路に駆け上がったそのタイミングで、ちょうど窓から侵入してきた人影を目撃する。
「お?!」
誰もいないと思って入り込んだ相手からすれば意表を突かれるタイミング。こちらに気づいて思わず驚き固まるのに対し、ティエリは足を止める流れでなめらかに膝立ちの姿勢へ。引き絞った矢先を人影の頭部にピタリと定めていた。その鋭利な殺意の切っ先を敏感に知覚したのか、
「ちょ、ま――」
慌てる人影が片手で制しようとするのに構わず、ティエリは躊躇なく矢を放つ。
――躱したっ
普通なら焦りと恐怖に縛られカラダは反応することもできない。
仮に動けるとしても、この暗がりでは矢走りのラインや回避のタイミングなど察知できずに貫かれて終わる。
(なのに、アイツ――)
ティエリはすぐさま相手の実力を上方修正。背負った矢筒に手を伸ばし、指先の感触だけで通常矢を避けて“特製の羽矢”を選びとる。ただ、こうしている間にすこしだけ呆れてしまったのは、
「おい、だから待てって――」
人影がこれだけはっきり敵対する彼女に対し、なおも交渉の余地を見出そうとしていたことだ。
「それで“何か御用でも?”――てなるはずないでしょ」
そうあえて軽口を返したのは、あくまで矢をつがえる時間を稼ぐため。それくらいの小細工など見抜けるだろうに、
「まぁ、そりゃそうなんだが……」
どうにも緊張感が欠落している人影は頭髪をガシガシかきながら口ごもり、すぐさま思い切ったように胸のつかえを吐き出した。
「それでも俺は、弱い者いじめをしたくねぇんだ」
「――は?」
「差があるって言ってんだ、あんたと俺とじゃよ」
なに、こいつ――。
あまりにふざけた妄言にティエリは口をぽかんとあけてしまう。
これでも辺境随一の弓隊『銀詩鳥』にスカウトされた凄腕弓士との自負がある。自慢の弓は素材の調達から製作に至るまで手作りし、オリジナルの特製羽矢もいくつか開発するほどに精通していると。
そうとも。
ここまで深い弓士はそういない。公国屈指と言い切れる。そんなティエリを相手に、人影はなおも戯言を吐き続ける。
「なんてぇか、あんたをバカにしたいわけじゃなくってよ……ただ、俺には命のやりとりをする修羅場が必要なんだ」
「だったら、その修羅場を味わわせて――」
「だから、あんたじゃムリだって、言ってんだっ」
ここで初めて人影の声音に苛立ちがまじる。
軽い逆光のためにその表情はよく見えないが、荒げた声音には追い詰められている者の切迫した空気すら感じられる。
「悪いがぜん、ぜん――――っ足りねぇ」
そう強めに言葉を句切りながら。
「あんたからは“金玉がすくみあがる”くれぇの怖さが、まったく感じねえ。まして女とあっては、なおさらだ」
「……!」
聞き捨てならないセリフにスッと目を細めるティエリ。そんな彼女のささいな変化に気づくこともなく、
「師が言ってたぜ。女とは“子を産み育てる母”。男が大事にするものであって、傷つけるべきものじゃないってな」
どこぞのフェミニストが吐いた妄言を人影は本気にして守ってるらしく、敵中にありながら、マヌケたことに剣まで鞘に納め両手を広げてみせる。
「じゃから――」
なおも人影が何か言い続けているが、もはやティエリの耳には届いていなかった。
それで女を? なに?
大事に――?
こっちは辺境随一の弓士としての誇りを胸に、ギドワの女として、アンタと対峙してるのに。
それらをスルーしておきながら、女のために、剣を納めるだって――?
「ナメ腐るんじゃないよ、この――脳チンが!」
怒りのままにティエリは二射目を放っていた。
その矢先が人影に向ききる前に放たれたのは、怒りで手元が狂ったからではない。その証拠に人影の足下に向けて飛んでいった矢は、床に当たる直前で急激に跳ね上がって正確無比に人影の頭部を襲う。
これぞ“曲打ち”――『猟師』とちがい戦闘行為を専門とする『弓士』ならではの特殊な矢羽を用いた特殊技法。
これなら、たとえ“弦の鳴る音”と“直感”でタイミングを予測し回避する神業であっても対応できまい。そうティエリは人影の”回避する力“を読み解き、命中させられると確信していたのだが。
「ぅお?!」
大げさな声とは裏腹に、またしても人影は、暗がりにまぎれて目視できないはずの矢の飛翔ラインを見切ってみせた。
まさか、見えているのか?
それとも何かのアビリティで察知したのか。
女に対する考え方はアレだが、回避能力だけはS級レベルである敵の秘密をさぐろうとして、ティエリの両眼は自然と鋭くなってゆく。
逆に余裕すらうかがわせる人影は、
「……なんで“下”から飛んで来やがる? さっきも外で面白ぇ“集団芸”を見せられたが、こっちじゃコレが普通なのか……?」
などと言葉だけは感嘆しているようにつぶやいて「けど、まあ」と。
「その程度の曲芸で、俺を殺るには無理がある」
切れ味鋭い笑みを想像できそうな声音で、そいつは自信たっぷりに言い切った。
その程度――?
ティエリは片眉をピクリと反応させ、
「勘違いさせたなら、責任を感じるわ――」
謝罪の言葉とは真逆の戦意みなぎる眼光を放ち、希少な羽毛であつらえた、真にとっておきの特製羽矢を選びとる。
「――だから、私の“本気”をみせてあげる」
「……だから、期待してないって」
悪あがきはよせと。
いかにも面倒そうに返されたティエリは神経を逆撫でされ、
「……ほんと、むかつくっ」
憎らしげにつぶやき、選び取った2本のうち1本を素早く放っていた。
秘矢『塵花』――
束ねられた矢羽が風圧で解けて花弁のように散開しながら敵に襲い掛かる、ティエリ苦心の怪作。
もとは群れをなす小型モンスターを制圧するために考案したものだが、異常な回避力を見せつける今回の相手に対しても、逃げ場を封じる絶大な効果があった。
「――んぬ?」
三度、敵は一歩も動けず、身を躱す場を失いながら――しかし剣を閃かせて必要最小限の矢数に絞って叩き落とし切り抜ける。
やはりそうか。
回避力だけでなく、その腕前も一流。
ティエリを弱者と断言してのけるだけの実力があり、だからといって、敵も慢心していたつもりはなかったろう。
「ちぃと焦ったが、それだけだ――」
そこまで口にして、あとが続けられなかった。
――ぜぇ?!
そこでタイミングを外した形で襲ったのは『疾風の矢羽』――。
風精を宿すことにより、飛翔スピードを2倍にして威力も2倍で標的に突き刺さる属性付与の矢だ。
残念ながら現代の術や技術では属性武器を製作できず遺跡でも滅多に入手できないレア物で、価値にすればレベル2探索者のひと月分の稼ぎをティエリは惜しげもなく消費した。
――――ッキイ!!!!
それを剣で受け止められたのは初めてのこと。
この距離での体感速度はまさに一瞬で、当たってから気付き、痛みもあとからくるものだ。
なのに。
敵よりもティエリのほうが驚きで固まり、気付けば体勢を立て直した敵がこちらに向かってダッシュしていた。
「……なんでっ」
信じがたい気持ちを抑え込んで狙いをつけようとするが、人影はまるで猿のように右へ左へ変則的に跳んで的を絞らせない。
相手は相手でよほど今の攻撃に肝を冷やしたのだろう。「俺は弱い者うんぬん」のセリフはどこに投げ捨てたのか、なりふり構わず全力で襲い掛かってくる。
(――けど強引すぎっ)
あまりに無謀な突撃ぶりに、かえって冷静さを取り戻したティエリは高レベル探索者に相応しい早さで気持ちを切り替え、チャンスを掴みにかかる。
『瞬間集中』――
極度の集中力によって敵の動きが止まって見え、素早く矢をつがえても、スキルが切れるギリギリの時間まで敵を懐に誘い込む。そして。
「――終わりよ」
使った矢は“とっておき”のさらにとっておき。
そう。
ティエリは隠していた。
探索者の戦いは、自分の“底”を最後の最後まで相手に悟らせないことで勝負する――そうしてここまで隠し通してきた“切り札”は、スピードも威力も3倍にする『烈風の矢羽』。カラダのどこに当たっても風穴を開けるほどのダメージを与えるもの。それをティエリはぶち当ててやった。
「――――?!」
これも。
コイツはこれも、防ぐのか。
正しくは回避でなくガードにさせたのだが、ティエリにとっては負けに等しい結果であり、
「――へっ」
そう笑ってみせる相手も同じ見解だったらしい。わずか数メートル先に迫っていた敵の風貌が、ここでようやく判明する――薄々感じていたが、子供臭いと感じるのが当然な、幼さの残る少年だった。
生意気そうなゲジゲジ眉に生意気そうな目。
そして生意気そうに唇をゆがめて無理矢理笑顔をつくってみせて。
さすがに矢を受けた衝撃の強さで大きくのけぞりながらも、戦意に猛る両瞳だけはこちらに向けて隙を見せることはない。
いや、ちがう。
ガードさせられながらもなお、少年はティエリに攻撃することだけを考えているっ。
首に。
心臓に。
内股に。
焼き付くような殺意の刃がティエリの皮膚にジゥと当てられている。
その歳でなんという執念か――。
ゾワリ、と。
全身が鳥肌立ったティエリは、これまでの弓士経験史上、最速の手際で矢をつがえていた。
冗談じゃない。
手持ちの切り札は残らず使わされた。
だから、本当にこれで最後の最後。
(これで――)
少年が体勢を立て直し。
ティエリが無心で床に向けて射る。
ダッシュしかけた少年が、何を察したか半歩で踏み止まって。
床に矢が当たった瞬間、ゴォウと猛烈な風が逆巻いた!!!!!!!!!!
「……っ」
「……ぁ……っ」
全身を木刀でぶたれるような衝撃の伴う豪風に呑まれた少年が、ティエリが、為す術なく枯れ葉のようにキリキリ舞って吹き飛ばされる。
「……ぎ」
全身が引き千切られるような激痛は一瞬のこと。
抗うこともできず、すぐにティエリの意識も弾き飛ばされていた。
それは風の精霊術。
第三階梯【怒り風神の息吹】――その劣化版
こんな狭苦しい通路で使うべき術ではない。
目にするとすれば、空を望める戦場で局所的に局面を打開するために使われる“戦術兵器”として――そんな恐るべき精霊術をティエリはこの場のこのタイミングで炸裂させた。
エンデリオにギルドレイ、そしてフェルドら探索者チームでの取り決めに従って――。
◇◇◇
この攻防がはじまる一週間前。
砦の片隅に集まった探索者たちは互いの拳を付き合わせた。
「……あれ以来だな」
「ああ」
以前よりも歳を感じさせるエンデリオに、精悍さが増したギルドレイが短く応じて。
「まあ、やれるだけのことはやったよ」
フェルドはさらりと10年の苦労を言葉にする。
それで十分だ。
弓士の頬にある刃傷が“攻めの10年”であったことを目にした者に気付かせるのだから。
目を細めてエンデリオも近況を告げる。
「こっちも『遺跡』でそれなりの収穫はあった。全部はムリでも、できるだけ使えるものは持ってきたつもりだ」
「ハッ、ここで全財産使い潰すつもりか?」
ギルドレイがからかえば、代わりに応じるのはフェルド。
「いや、ウチも選りすぐりの逸品を持ってきたよ。おまえだってそうだろ?」
「ま、トーゼンだわな」
むしろ胸を張って認めるギルドレイ。
「なんたって、このための10年だ」
「……」
「……」
二人だけじゃない。
後ろに控える各パーティのメンバーも同じ気持ちでこれまでのことを思い起こし、自然と気を引き締めている。
そんな全員の表情を見つめてエンデリオが念押しする。
「……本当にいいんだな?」
戦いへの参加を。
辞退するならまだ間に合うと。
「相手は帝国じゃない。戦争は終わったんだ。いくら辺境の境遇改善のためとはいえ、戦う相手は同国人だ。しかも――俺が調べたかぎりで私見を言わせてもらえば――この砦を守ることに、戦略上、どれほどの意味があるかも不確かだ」
「――だね」
フェルドが同意して、
「この砦が襲われないかぎりオレ達の出番はない。そしてそもそも、敵がここを襲うには大きく迂回するしかない。つまり、かぎりなく無駄骨に終わる可能性が高いってわけだ」
そう肩をすくめる。
逆にそれがどうしたとギルドレイ。
「出番の可能性が低かろうが、戦略うんぬんの話があろうが、まずは参戦することに意味がある。今はそれでいいじゃねえか」
「ふん」
鼻で笑うフェルドにギルドレイが眉をしかめて。
「なんだ?」
「ギルらしいなって。けど確かにそうだ。正直、もう“戦う場”なんてないかと思ってたんだが、こうしてチャンスが巡ってきた。なら、この先“出番がない”とは言い切れない」
「だろ。それに心配しなくていい。オレの鼻が言ってるんだよ。――“出番はある”ってな」
鼻の横を人差し指でトントン叩くギルドレイ。
そんなふたりのやりとりを聞いていたエンデリオは苦笑まじりに息を吐く。
「……“出番の可能性”を尋ねたつもりはなかったんだが。まあ、いい。みんな、参戦の意思が堅いってことは分かった」
「いまさらって話だよ」
「そういうこった」
覚悟を決めているからこそ浮かべられる混じりけのない笑みに、エンデリオは表情を引き締める。
「なら、これだけは合わせておきたい。大戦に対する思いはそれぞれだろうが、ただ過去を引きずって戦うわけではないと」
「「……」」
耳にしたふたりの表情も変わる。
他のメンバーも。
「俺たちはこの十年、あの敗戦を、それに伴う“何かの傷”の原因を、まわりから責められてきた……誰かが口にしなくても、そんな陰口が常に耳について離れなかった。そうだろう?」
まだ治りきってないカサブタを剥がすようなエンデリオの言葉に、ギルドレイはわずかに口元を引きつらせ、フェルドは頬を強張らせる。
わざわざ口にしなくていい。
傷を舐め合うために参加したわけじゃない。
口を開きかけたギルドレイを制するように「だからといって」とエンデリオが続ける。
「それらの責めを受け入れ、赦されるために戦うわけじゃない。そんなもののために、俺たちの十年があったわけじゃない」
唇をきつく結び直すギルドレイ。
わずかにだが、しっかりとあごを引くフェルド。
探索者として、外と内を見てきたから分かる。ギドワの、辺境の現実を。何が足りないかを。
皆の見解と思いは同じと確信するからエンデリオは自信を持って告げる。
「俺たちが戦うのは、陽の落ちたギドワに再び光をもたらすためだ。ひいては辺境人の心に希望の灯火を燃え上がらせるため。辺境のこれからのためだっ」
そうして拳をきつく握りこむ。
「だから、この機会だ。この機会でなら、状況を変えられる。コッチやアッチのお偉いさんたちが、どんなに隠そうとやっきになっても、この戦いの結末は――世に知れるからな」
「オレ達の戦いもそうなるぜ。間違いなく」
自信たっぷりなギルドレイの相づちに、
「だから、その時がきたら――ギドワの名を、辺境人の強さを世に響かせるため戦おう。躊躇せず迷わず、探索者としての経験と財産と、身技のすべてを賭けると誓い合おうっ」
「応ともよっ」
ギルドレイが槍の石突きで地を叩き、
「これまでの10年――ぶつけてやるとも!」
フェルドも眼光鋭く言い放つ。
無論、他のメンバーも口々に応じて、砦の一画を戦意の熱で滾らせるのであった。
◇◇◇
「それで、そちらの“エース”は誰だ?」
場の熱気が落ち着くのを見計らったところでエンデリオがギルドレイに水を投げる。
「決まってる」
「そちらの『修道士』か?」
「そっちも――」
互いに不敵な笑みを浮かべあう。
もちろん、フェルドも。
あの時、自分達に何が足りなかったのか、考えることは一緒であり、だからこそ『遺跡』での戦闘経験とレア・アイテムの獲得を求めた。
それだけでも十分な戦力ではあったのだが、戦局に影響を与えるにはもうひとつの要素が必要と彼らは考えたわけだ。
すなわち実力の秀でた“エース”の存在だ。
アイテムで強化し、あるいは名手に師事して絶対的な実力者を生み出すべしと。
最も困難なそれを、どうやら見出すことに成功したらしい。
「すべて、そろえられたか」
「ああ」
「この戦い、“負ける要素はない”ってわけさ」
彼らの瞳には光ある未来しか見えていない。
「ギドワのために」
エンデリオが拳を掲げると、
「辺境人のために」
「探索者の矜持に賭けて――」
ふたりが続く。
そして全員の拳が高々と掲げられた――。




