(十七)ディンバーの奇襲
夕暮れ
領都側の砦門
――本棟南口
仕掛けておいたロープを使って窓から飛び込んだディンバーは、音もなく転がり着地を決めると二本の小剣を抜き放ち、素早く部屋の出入口に身を寄せた。
「……っ」
「……、……!」
扉の隙間から切迫した声が聞こえてくる。
どれだけの被害を与えられたか分からないが、少なくともヤツらを混乱させることには成功したようだ。
(……ヤるなら、今だ)
ディンバーは小剣を握り直し呼吸を整える。
無意識に間を取ってしまうのは、まだ初手でやりあった際のマイナス・イメージが胸の片隅にこびりついているからだ。
ゆるやかに吐く息と共にモヤつく気持ちをカラダの外へ押し出して。
大丈夫。
問題ない。
単独奇襲のため指輪の効力に期待できなくとも、代わりにパーティ秘蔵の薬を飲み、虎の子の護符まで借りてきた。
『ピクシーからの借り物』――器用さの向上(中)
『|子狐からの借り物《ボローウィング・フロム・リトル・フォックス》』――敏捷性の向上(中)
俗に“借り物シリーズ”と呼ばれる秘薬で身体能力をアップさせ、
『戦友霊の護符』――装着者の背後に魔法障壁を構築(3回までの絶対防御。陽光の下では不可)
発掘品ならではの魔術防護で敵に囲まれて戦う場合の支援策も講じてきた。これだけでも金貨千枚以上の価値がある。
つまりギルドレイはこの戦いでこれまで稼いだすべてを投げ打っても構わない考えを持ち、それはパーティ全員の総意でもあるのだ。
(そうとも。そうするだけの価値はある。ヤツらが強いほど、この戦いが過酷であればあるほどにオレ達の成し遂げることが――ギドワ族の誉れが、響き渡るっ)
そう自分に言い聞かせ、覚悟を決めたディンバーは扉を肩で押し開けるようにして跳びだした。
「……っ」
誰でもいい。
真っ先に目に入った者を斬り捨てるっ。
――躱された?!
その優男は完璧な奇襲攻撃を受けたにもかかわらず、剣でガードすることもなく、軽いステップひとつで刃先から逃れていた。
すぐにディンバーは二撃目を放つ。
高めた器用さで二剣を自在に操り、優男とは異なる切れ味鋭いステップで間を詰めて。
「シィィッ――」
ノドを狙い、上半身を反らさせたところでその場に残された左の腿を斬る。
これも躱されたっ。
スピードだけを重視した斬りつけに対し、優男は重心を崩すことなく容易に避けるため、そもそも想定どおりに片足が残されることもなかったのだ。
――こいつもかっ
先の入口そばでやり合ったヤツといい、魔境士族というものは全員がこれほどに動けるものなのか。それも蛮族のイメージからくるステータス頼みな動きではなく、確かな“武”に裏打ちされた見事な動きを見せつけられ、ディンバーの口中に苦々しさがあふれてくる。
「なら――こっちを狙うまでっ」
即座に気持ちを切り替えたディンバーは素早く後ろに跳ぶ。
宙で振り返って着地と同時に斬り込む――おそらく負傷者の手当てをしているのだろう、床にしゃがみこんでいた敵に向かって。
いつもならゼッタイにこんなマネはしない。
だがヤツらは格上で、今は“戦争”をしている。
卑怯と罵られようが、ひとりでも敵を削れるなら躊躇うつもりなど――
――ッキィ
「な?!」
その敵もまた、ひざまついた状態で素早く振り向きながらディンバーの一撃を受け止める反応をみせた。
驚くのは剣を鞘に収めていたはずだから。
陰者として鍛え上げていたディンバーの目は、確かにその状態を短い時間で見定めていたのだ。
(なのに、この一瞬で――?!)
身内に走った戦慄が、逆に必死の高速次撃を放たさせる。しかし。
ガンッ
唐突に、そんな衝撃を背中に受けてディンバーは攻撃をキャンセルしてしまう。
振り向かずとも敵に背を斬られたのだと分かる。
その一瞬の気の揺らぎを突かれたせいか、正面の敵に剣ごと押しこまれ、後ろへよろめいた。
「――っと!」
間髪置かずに放たれた正面敵の繰り出す横なぎの一剣を察知――さらに半歩バックしてギリギリのところで回避する。
遅れて、床に弾けるかすかな金属の音。
「――っ」
ディンバーはわずかに目をみはる。
鎧の胸部に仕込んでいた投げ短剣が2本落ちていた。
(今ので……?)
ナイフ・ポーチごと特注の革鎧がキレイに切り裂かれていた。リザードマンの上位存在である『ドラゴニアン』を倒し、その革をなめして製作した耐靱性に極めて優れた逸品が。
ディンバーが知る限り、『竜尾族の革』をまるでチキンにナイフを入れるように切り裂ける通常武器など存在しない。だから理由はひとつ。
「なんで蛮族が、魔術剣を持ってるんだよ……」
苦々しさも度を超しすぎてディンバーの顔いっぱいに渋面が広がる。
だが、それは誤解だ。
彼がそう考えるのも当然の話だが、相対する魔境士族は魔術剣など持っていない。すべては修練の果てに身に付けたる“技”がもたらすもの。
どのみち事実を知ろうと知るまいと、ディンバーが心折れることはなく、為すべきことを為すだけである。
「……やっぱヘタにヤり合うのは危険だな」
ディンバーは彼我の戦力差を冷静に見極めると、小剣を2本とも背後にいた敵へ投げつけ、懐から秘具を取り出し、脅しつけるように掲げてみせる。
前方にいた敵にも。
「「「……」」」
やはり蛮族らしくない敵だ。
優男をはじめ3名が、不審げな表情を見せながらも攻撃の手を止めこちらの様子をうかがう。
それを望んでいた。
とにかく少しの時間、攻めるのをためらってくれればそれでよかったのだ。
「……あとは頼んだぜ、リーダー」
ニヤリと笑みを浮かべたディンバーは焦らずしっかりと秘具をひねり回して仕掛けの『鍵言』を完成させる。
――――――……
見えない魔力の波動が、通路いっぱいに波紋のように広がる。
途端にディンバーの視界がゆらぎ、意識が深い穴に引きずり込まれる。
「……っ」
ダメ元で歯を食いしばり気張ってみたが、やはり抗えるはずもなく。
【夕闇の波紋】――
敵味方の区別なく、その場にいるすべての者が、魔術による深い眠りの底に落ちていた。
◇◇◇
「……少し遅すぎない?」
「……」
本棟北口を望める通路の奥。
テーブルなどを積み上げてこしらえたバリケードを盾にしてフェルド班の弓士3名が陣取っていた。
ほかに3名いる仲間はミュルド隊がロープを使って砦から脱出するのを手伝っており、戻るまでは少数でこの場を抑えるつもりだ。
そうして身構えていたのだが。
「慎重になるにしても時間がかかりすぎるわ」
「こちらにとっては都合のいい話しさ」
そうティエリの話を流したフェルドであったが。
「――おう。まだ始まってないのか?」
手伝っていた3名の帰還に、さすがに肩をすくめて「行ってくれるかい?」とティエリに上階からのチェックを打診する。
彼女は素直に応じて小走りに去る。
貴重な遠距離戦力を割く判断に疑問をぶつけなかったのは、上からの打撃を期待してのことと分かっているからだ。
「勢いに乗ってる攻め手が慎重に動くとは……何ともおっかない敵さんだな」
戻ってきた盾士が腕を組んでうなると、
「ああ。オレの判断が間違ってたんだよ」
フェルドは決断の遅さを責められた風に拗ねたセリフで返す。
「けど、なんの策を練るにしろ、そろそろ来るはずさ」
「どっちだと思う?」
「さて。どっちもありそうだな……」
そんなやりとりをしていると、ドカンと派手な音をぶちあげて、北口の扉が勢いよく開けられ、目を射るような光が差し込んできた。
「言ってるそばから――」
盾士のどこか嬉しげな声に重ねてフェルドはほかの帰還2名に命じる。
「予定どおり、おまえたちにも弓を頼む。いいか、引き付けてからだ」
「おう、腕が鳴るぜ」
なぜか盾士のほうが威勢よく返しフェルドは思わず苦笑いした。
「士気を高めてるところ申し訳ないが、今回ばかりは『盾士』の出番がこないことを祈っててくれ」
◇◇◇
同じく本棟正面口のエンデリオ班では。
ギャラン隊残党の放つ強い殺気が扉口から外にまで漏れていたせいなのか。
ギギィ――……
ひどく慎重に扉がゆるりと開かれた。
当初の予想に反して、敵が勢いよく雪崩れ込んでくるようなことはなく。
ひとりの異文化漂う民族衣装を身に纏った異人が特徴的な反り身の剣を構えて屋内にゆるりと歩を進めてくる。
蛮声も上げなければ荒々しい足音もなく。
その静かな佇まいに広間にいる誰もが黙して注視させられる。
間を空けてふたりめが入室。
さらに三人目。
そのまま先頭が“死の直通路”を半ば過ぎまで進んだところで、
「ここだぁ――――――!!!!!!!!!!!」
我に返ったエンデリオが叫び、その声でほかの全員がやるべきことを思い出したように、手にする武器を握り直す。
そしてすぐさま目につく敵に殺気を叩きつけた!
「ぎっ」
「む゛!」
それより一瞬早くテーブルの壁越しに覗いた顔へ異人の放った何かがぶち当たる。
結果だけ見れば、鎖でつながれた複数の短筒がムチのように飛んで攻撃したのだと分かる。だがそのような武器をギャラン兵に知る者はおらず、エンデリオからは見える位置になかった。
知っていたところで防げるものではなかったが。
それに、そもそも槍で攻撃できた者も誰ひとりとして成果を挙げていないのであれば、状況は何も変わらない。
「手を止めるな、責め続けろっ」
味方に檄を飛ばしたのは、先ほど強い気概をみせたギャラン兵。
そうとも、分かっていたはずだ。
それくらいできる敵であることは。
死線という地獄で踊らせることが、ヤツらの体力を奪い、我らの勝利につながる唯一の道であることも。
再び気勢を上げるギャラン兵の熱にあてられ、エンデリオも仲間に声を掛ける。
「――頼む」
応じて執行者が、魔術師2人が、班長に支援の術を付与する。
【聖者の包容】――悪意反らしの効果
【燈明の宿り木】――物体を光らせる
【理からの解放(小)】――重力影響の軽減
祝福のベールに包まれたエンデリオが、まばゆく光る剣を片手にトントーンと軽やかなステップを刻む。
まるで自分のカラダが羽毛にでも置き換わったような心持ち。
「それじゃあ、暴れようか――」
エンデリオは“死の直通路”の出口側から、ひと息に斬り込んだ。




