(十四)砦本棟攻略(1)
現在
領都側の砦門
――臨時の軍議室
「――降りるだと?」
信じがたい手のひら返しを聞かされて、オジトは射るように反逆の徒をにらみつけた。それを平然と逆徒ミュルドは受け止め、なおかつ当然のように言い返してくる。
「彼我の戦力を客観的に見直した結論だ。ギャランにレシモンドまでが討たれた以上、もはや『魔境士族』の実力を疑う理由はない。勝敗以前に、あれほどの武力を持つ連中と最後までやり合えば、部隊の損耗は甚大になる。……オレは砦長殿にも降りるべきと云ったつもりだ」
「ふざけたことをっ」
上官よりも先に怒り心頭に達した副官ボルジが吐き捨てて、
「ビビって逃げるだけでも恥知らずな行為なのに、それを正当化するためだけに、オレ達に付き合えだと? ミュルド、歯ぁ食いしばりやがれっ。その腐りきった性根を叩き直してやる!!」
指の関節をボキバキ鳴らしながら肥満の隊長へ勢いよく詰め寄る。
ミュルドは冷ややかな視線を向けたまま。
「まさか“奮戦すれば許される”とか思っていまいな?」
「ああ?」
拳を振りかぶったところでボルジがガンを飛ばすと、
「あるいは“最後まで戦い抜くのが戦士”とかクダラナイ幻想に酔ってはいないか?」
挑発するのでなく、今度こそ低い声音に異様な迫力を伴わせてミュルドは真顔で問いかけてくる。その真剣さに気付いて困惑したボルジが、一瞬言葉を詰まらせ、すぐに声高に返す。
「……そうだ、戦うのが兵士だっ。当然のことだろう? おまえにも、隊長の求めに応じる何かがあったから受けたはずだ。おまえなりに戦いの場を求めた――そうじゃないのか?!」
「それ以前に、“団長からの命”があった」
ミュルドは突き放すように冷徹に断じる。
おまえたちとは“ちがう”のだと。
「いいか。その熱しやすい頭を冷やして、課せられた任務をよっくと思い出すことだ」
「忘れるわけがない、“砦を守ること”をなっ」
「それをもっと突き詰めれば、“巨石門を閉じておくこと”になる」
「それが――?」
だからなんだ、と目力を強めるボルジ。
それに対しオジトはミュルドの意図に気付く。
「――つまり、『動力石』を持って逃げると?」
それは「ぁ」と口を開けるボルジだけでなくオジトにもなかった発想だ。もちろん、そうなる理由がふたりにはあったのだが、それを知らないミュルドは頭の堅い上官にしか見えなかったろう。だから、したり顔で説く。
「そうだ。バカ正直に砦を守ることだけが正解じゃない。それで死んだらバカバカしいし、陣営として無駄に兵力を失うことを避ける必要もある。できればヤツらを討ち取るのが理想だったが、それが困難と分かった以上、もはや砦に留まる理由もなくなった。そういうことだ」
ここでミュルドはだぶつく二重顎をブルンとこすって。
「説明は以上だが、上官殿。理解したなら、すぐに準備した方がいい。それくらいの時間稼ぎは、してやろう」
そうして満足げに立ち去ろうとするミュルドに、砦長の思わぬ言葉が返される。
「その必要はない」
「はん?」
予想外の判断に、着任して初めて戸惑いを浮かべるミュルド。そんな風に気持ちよく意趣返しできた爽快感などおくびにも出さず、オジトは生真面目な顔で告げる。
「ヤツらはこの本棟で片付ける。『俗物軍団』とは無縁の、この『オジト隊』がな。砦戦の真の戦いは、ここからだ――」
◇◇◇
「引き留めるべきだったのでは?」
ミュルドが退室したドアを見つめるボルジに、
「あいつの云ったとおりだ。無駄に兵を失う必要はない」
オジトは短く応じる。
それに極論、「連中の挟撃が成ったとしても、団長らが負ける道理はない」手ぶらで退去すると決めたミュルドのそれが理由であり、オジトも同じ意見だった。けれども、ボルジの考えはちがうらしい。
「なら……せめて、『動力石』を押しつけても」
「それはできん」
「?」
「ここからは“巨石門の操作室を守れるか否か”の戦いになる。なのに、そもそも動かない状況になっていたら、どうだ?」
「どうって……」
「ひどく、ケチがつく」
真顔で言い切るオジトが、そこで薄く笑みを浮かべると、ボルジは呆気にとられ、すぐに破顔した。
「くっ……ははっ。確かに。確かにそうですなっ」
それでもミュルドの提案が正しいことくらい、オジトにも分かっている。これは自分のわがままだ。だから、そこで話を切り上げることもできずに言い訳がましく言葉をつらねてしまう。
「無論、任務は全うする。この砦を守りきる。だからせめて、“あの時叶えられなかった戦い”をしてもいいはずだ。オレ達にはその権利があるっ。――ちがうか?」
ちがわない、と今度は即座に大きくうなずくボルジ。
同意を得て気持ちを昂ぶらせるオジトの声にも熱がこもる。
「オレはこれまで、族長の思いを汲んできたつもりだ。ゲルドラに、まだオレ達の出番があると言われた時もそうだ。出陣した族長のあとを追うのを思い止まり、耐えて出番を待った。なのに結局は、ひとにぎりの戦士を束ねた『俗物軍団』が結成され、彼らが大戦を終わりに導いた」
「参陣を許されたのは、ゲルドラ隊でしたな」
それを耳にしてオジトの眉がわずかに寄る。
同じ出番を待つはずだった男。
だが歩む道は別れた。
「遅いか早いかだ」そうオジトをなだめて立ち去った彼とその部隊は、凄絶な戦いを繰り広げ、あの地で散った。そして今や、彼らの肉片か武具の欠片かもわからぬ遺物は、“英雄たちの丘”に埋葬されている。
「……同じく終戦後にも出番はあると言われたが、中央の支援もなければ、ベルズ候も……」
そこでオジトの言葉が途切れる。
思い浮かべるのは終戦後の故郷。
戦争で労力を失い物資も底を尽き、なのに支援がなければ、どうして復興ができようか。
さらに盟主の変心が辺境領に追い撃ちをかけ、すべてを狂わせた。
それでもオジトらは耐えた。
族長の遺志を武器として、復興という戦いに邁進した。
そんな彼らの頑張りを、精神を蝕んだもの。
それは、過酷な大戦を生き延びたオジトら帰還兵に向けられる人々の目だ。
帝国軍の狂気が残した爪痕が、それを防げなかった辺境軍への不満となって帰還兵にぶつけられたのだ。
なぜ、帝国軍の暴虐を許した?
なぜ、死んでも止めなかった?
なぜ、あの人だけが死んだ?
なぜ、おまえが戻ってこられた?
なぜ――――
まるで、“すべての元凶”が、オジトらにあるとでも云うように。
中には気丈に振る舞い、帰還兵を擁護する娘もいた。
しかし夜に響く狂おしいほどの彼女の嗚咽が、生き残ったことへの罪悪感となってオジトらを苛んだ。
すべての帰還兵がそうだと思えない。
ただオジトらはそうであったということ。
その負い目がいつしか、戦えなかったことの後悔に結びついてゆく。だから。
「オレ達は戦士だ。戦いで貢献できる機会があるというのなら、見逃せるはずもない」
「はい」
「幸運にもそのチャンスを手にした。しかも『魔境士族』は『幹部』を倒すほどの実力者たち。それが確かだと分かった以上、やつらの名声は後の世に響くこと間違いなし」
「そのヤツらを倒したのが、我らと知れれば」
「『ギドワ族』の名もまた、世に響く――」
公国の国境を越え周辺五カ国――ひいては大陸西部一帯へと。
再び手にした“誇り”が若手たちの奮起をうながし、未来を切り開く原動力になる。
近い将来にくるであろう一族の再興を夢想するオジトに、ボルジがドンドンと胸を叩いてみせる。
「奮えますな――」
「ああ、昂揚が抑えられん」
ふたりは勇んで軍議室を出るのであった――。
◇◇◇
さて、狙いどおりに正門をこじ開け、壁内に踏み込んだ諏訪の別働隊はどうしていたか。
その狙いを“洞穴門の開放”と“敵将の捕縛”に定め、砦本棟への侵入口を把握したところで、席次を班長とする三手に別れての攻略を決定した。
この時、少ない人数をより分散させることの危惧を訴える席次はいなかった。
理由のひとつは、敵の戦力も分散させる効果があること。そしてふたつ目は、建物の外観と扉の大きさから、“多人数の利”は活かせず“少数精鋭による迅速な制圧”こそが最善の策と判断したためだ。
かくして北回りに壁上を歩いてたどり着く先。
役目としては“陽動”の位置づけにあるせいか、不用意に本棟内へ駆け込もうとする侍を剛馬は「待て」と制した。
「そこは敵の弓隊が逃げ込んだところぞ? 開けた途端に矢の雨を浴びたくはあるまい」
「!」
びくりと扉から離れる侍。その緊張はそばにいた仲間たちへと伝播して、せっかく高まっている攻略の気概をしぼませ、動きまでにぶらせる。
すかさずひとりの侍が進言する。
「“盾”があればいいのでは? 皆で手分けして代わりとなるモノを捜しましょう」
「それはいい」
剛馬もすぐに了承する。
「そちらは任せる。儂はその間に“別の方策”を考えてみるとしよう」
そうして建物を見上げる先に、いくつかの窓があった。
◇◇◇
同じく南回りに壁上を歩いてたどり着く先。
みっつの班で最も核心に迫る――位置的に“洞穴門の開放”に関する仕掛け部屋が近いと思われる重要地点にて。
扉を前にした鬼灯が侍たちに語りかける。
「――さて。久しぶりの砦攻め。それも屋内に斬り込むのは、いつぶりでしたか……」
独白のようにつぶやいて、
「このまたとない経験を、真っ先に味わいたいと願う者はおりますか?」
試すように問いかける。
すぐに一歩踏み出したのは新参の侍。播磨善士。隊の厳しい修行に耐え、元々の実力を伸ばした成長を認められて遠征に抜擢された期待の剣士である。
その彼に少し遅れて、三十路を過ぎたばかりの先輩侍が「某に」と自薦する。これに口元をほころばせる鬼灯。
「鷹木殿。喜ばしき想定外ですが、どういう風の吹き回しで?」
「然り。ここは新参の私めに、貴重な経験を積ませると思って、お譲りいただきたいっ」
不満を露わにする播磨が機会を奪うなと抗議を試みるが、
「新参なればこそ」
鷹木は短く切り捨てる。
それで納まる気性ならば、抜擢されるほどの急成長を遂げられるはずもない。
「これでも『鹿島新当流』の皆伝者。隊では新参であろうとも、腕前で劣ると思うておりませぬっ。失礼ながら、鷹木殿は――」
「無流派だ。師に認められし“証”などない」
鷹木の言葉に播磨は目を光らせるが、
「ですが『抜刀隊』は認めてます。……当人は陽に当たるよりも、木陰で涼むことを好むようですが」
鬼灯の思わせぶりな言葉の意味を察して、悔しげな表情に変わる。鷹木が自薦した時点ですでに番手は定まっていたのかと。
「……ならばせめて、次番手に」
「そのつもりだ」
応じたのは鷹木。
「この中での斬り合いは、おぬしが想像できぬ難しさがある。まずは“観る”ことだ。なに、出番はすぐにくる」
「そのとおり。これは“番手”を決めるだけの話で斬り込み自体は皆で行います。ゆえに、どの番手であろうと気の休める暇もないのが屋内戦ですよ」
やわらかい口ぶりで鬼灯は全員に釘を刺して。
「播磨は特に瞬きすらも惜しむくらいに観ておくことです。その資格がありながら、席次を拒んだ者の剣さばきを――」
◇◇◇
最後に砦本棟の正面扉にて。
大きめの扉を開けようとした侍が、こちらを振り向いて首を振った。
「こちらにも閂がかかっておるようです」
「……当然だな」
そう応えた月齊だが彼は動かない。
まわりは先ほどの技を期待している感があるが、月齊の関節はきしんで肉は震えていた。致命的な損傷があったとはいえ、あれほどの大物を破壊するのはさすがに無理があったのだ。
「月齊殿。正門の閂を『破城槌』の代わりに使っては?」
「おう、それは良い案だ」
「月齊殿っ」
侍たちの意見がまとまったところで、異存のない月齊はうなずいた。
「どうせなら、派手にカマしてやろう。それも“陽動”として十分な働きになる――」




