(十ニ)正門破るる
領都側の砦門
――壁外上部
「――んっ?」
重い衝撃音が砦の内側から聞こえてきて、ミュルドは咄嗟に南壁へ視線を飛ばした。
壁上に見えたのは人影がひとつ。
味方に違いないがギャランの姿はない。
「まさか――」
よくない推測に背中を押されたミュルドが肥満に似合わぬ素早さで壁のふちに寄って下方をのぞきこむ。
中庭にいたのは思わぬ人物。
さらに身を乗り出し直下の正門を確かめれば、そこには見馴れぬ小柄な人影が。おそらく侵入者だろう。ここまで侵入を許した事実よりもミュルドに疑心を抱かせたのは、なぜ相対しているのがレシモンドかということ。
「ギャランはどうした……?」
南壁で何が起きたのか。
当然の疑問が湧くものの、今は『一級戦士』の参戦を素直に喜ぶべきとミュルドは目前の出来事に集中する。
侵入者はギャラン隊の迎撃をくぐりぬけた手練れだろうが、立ち塞がるのはあのレシモンド――団長が新たに創設する“上級部隊”のメンバーに選ばれたほどの猛者である。門番を任せるに最大級の戦力だ。
噂では魂に呪いをかけて怪物化させられたとの話も耳にするし、実際、あの病的な肌色と薄気味悪い気配はおぞましい噂を信じさせるに足る。
(信じてない者もいるが、オレは信じる。間違いなく、奴は別のナニカに変じた。そうとも、このままあのバケモノに任せればいい。これで敵の陽動策は潰え、我らの勝利がほぼ決まる。それこそが重要だ)
ミュルドは『俗物軍団』らしい考え方でギャランの安否など頭から弾き飛ばし、先行きが明るいと知れたことに胸をなで下ろす。
しかし、すぐにそれが楽観であったと思い知る。
◇◇◇
(なんだ、あいつは……?!)
侵入者とレシモンドの再びはじまった攻防にミュルドは目をむく。
敵の動きは陰者――それも手練れの『暗殺者』であるのは分かるとして。
(だがなぜ、純粋な対人戦でアレと拮抗できる?)
それほどに現レシモンドの戦いぶりにはミュルドが知る以上の“凄み”があり、これに対し、辛うじてであろうと反応し刃を合わせてみせる敵の戦闘力が異常に映った。
まるでレシモンドの攻撃に自ら当たりに行くような敵の動き。
なのに攻撃は当たらず逆にカウンターを放つ。
無論、レシモンドは恐るべき反応速度で防御。同時に攻撃。そこに込められたパワーの凄さが分かるような刃と刃の打ち合う音が炸裂。
当然、地べたに転がされるのは小柄な敵。それでも受けたダメージなどガン無視ですぐに立ち上がるのは驚きだが、時に受けきってみせる姿にミュルドは困惑させられる。
特殊な異能が……?
そうでなければ、力負けして転がされる頻度まで減ってくるわけがない。
ひとつの攻防でこれだけの驚きがあり、それが何度も続けられるのだ。
自分であればここまで保たせられるか?
敵だってはじめは危うかった。
なのに信じられない話だが、ギリギリの攻防を続けているうちに、敵はあのレシモンドの戦闘力に近づきつつあった。
(まるで伝説の『勇者』のごとき成長力……いくら上級職でも『暗殺者』にそれほどの“クラス恩恵”があるなんて聞いたこともないっ。ギャランもコレにやられたのか? まさかこのまま『一級戦士』まで……)
その悪い予想は当たる。
ついに、敵のダガーがレシモンドを捉える。
この目で見ても信じられない光景。
だが事実は事実。
力なく倒れ伏す『一級戦士』を目にして、ミュルドは思わず部下に声を掛けていた。
「誰か――!!」
誰でもいい。
あいつを止めろっ。
焦るミュルドの必死な願いが天に届いたのか。
すでに限界がきているらしい敵の動きはぎこちなく、正門へ一、二歩と近づいたところで、ふいに身を強張らせたかと思うと倒れ込んでしまう。
好機――――!!
神か悪魔、誰の手によるものだとしても。
今しかない。
あの恐るべき手練れを殺すのは今しかっ。
興奮し過ぎたミュルドの頭に血の気がのぼる。
「奴を射ろっ。早くっ、早く!!」
ミュルドは近づく部下の肩をつかんで引っ張り寄せ命じる。
ほかのも、おまえもと腕を振り回して。
誰でもいいからヤツを討てと。
慌てて弓手を数名引っ張り込んだために外に対する護りが薄くなり、それが隙をつくる要因となったのは否めない。
だから、再び正門を震わせた衝撃音にミュルドは今度こそ青ざめた。
ひしゃげるような破砕音は致命的であると知れ。
血を昇らせたミュルドに冷静さを取り戻させる。
遅すぎたが。
「隊長っ」
切迫した部下の報せを聞くまでもない。
これはミュルド痛恨のミス。
正門が破られたことを激しい悔恨と共に彼は察していた。
◇◇◇
その技は、ありし日の『席次戦』で月ノ丞に破れて以来、谷河原月齊が取り組んできたものだ。
同じ“棍”を得物とし腕前も同じとなれば、差として表れるのは“持てる才能”。『死季』と名付けられた月ノ丞自らが編み出した至高の技法が、盲目の達人に膝を着かせたのはまぎれもない事実。
だから月齊は、隊でも体術最高の腕を誇る扇間に師事し、組み討ちの腕を磨き、不得手の格闘に強くなろうとした。
その真なる狙いは、『死季』に対抗しえる扇間流の奥義を学び、棍術への応用を含め己の血肉となすこと。
いまだ道半ばであるものの、すでに修得に至り、熟度を高めるだけとなったその奥義こそ――。
扇間流鎧組み討ち【打鐘】――
“打突”を熟達すれば最小の動きで最大の力を発揮せしめ。
さらに熟達すれば力点の深さ《・・》を自在とし。 極めれば、力の有り様すら自在とす。
月齊は戦いの中で、正門に起きた異常をきっちり把握していた。
次に壁上からの圧力がゆるんだことに気付いて好機と捉え、思い切って正門に張り付く。
そして右の拳を触れさせて。
「憤っっっ」
大地の反力を足から腰、背筋に肩へと伝えながら増幅させ、さらに拳から門を透して閂があるだろう一点に力を集約――炸裂させた!
バキィッ!!!!!!!!!!!!!!!!!
師である扇間に冷や汗を流させた月齊の才が、閂を確実に破壊し勢いあまって正門までを少しだけ開かせる。
「おもしろい技を隠してたな――」
いつの間に近づいていたのか、すぐ背後から剛馬が愉しげな声をあげ、
「まだまだ、でな」
“だから見せられなかった”と応じる月齊の横をすりぬける。そのさりげない“一番乗りの横取り”に気付いた月齊が鋭く咎める。
「おい」
「早いもん勝ちだ」
それだけを言い捨て剛馬は巨躯を門の内側へとねじりこませた。そこで「む?」と立ち止まる。
「どうした?」
「捨丸が倒れておる。――おい、しっかりせい」
「止まるな。狙われるぞっ」
無防備な剛馬の行動に月齊がたしなめるが、剛馬は「とりあえず問題なさそうだぞ」と理解不能な返事をする。
いや。
集団が移動していく気配を月齊は感じとる。
「俊郎――」
部下を呼ぶと、
「敵が退いております。立て直しを図るものかと」
目視で把握した戦況を伝えてくれる。
その見立てが本当なら敵の決断が早すぎた。
単に接近戦を嫌っただけとは思えない。
「壁南は?」
「誰もおりませぬ。拾丸の姿も」
「そうか」
たったひとりの身を案じてはいられない。
敵は降伏していないのだから戦いは続く。
だから月齊は仲間を助けようとする剛馬に硬い声を掛ける。
「剛馬、まずは指揮を執れ。捨丸は任せろ」
「頼む。おそらく肉という肉が攣っておる。……どんな無理をしたか分からぬが」
所見を述べて剛馬が立ち上がる。
「他にも手練れがおるやもしれん。次は屋内戦……儂が出よう」
「ケガは――」
「治った」
「……」
「治った」
もう一度口にする剛馬に月齊は胸の内でため息をつく。
どうせ云っても聞かない奴だ。
それでも。
「皆に経験を積ませるのでなかったか? 砦の攻めなど、それこそ貴重な経験だ。席次が独り占めしてよいものではない。ちがうか?」
「ちがわんな」
「ならば信じろ。誰もが次代の候補者――ゆくゆくは、穴が出ている席次を埋める必要もある」
席次の全員が異境の地へ渡ったわけではない。
そしてこの地で戦えば戦うほどに、席次の欠員が大きいことを誰もが実感しはじめている。帰還の目処が立たない状況を踏まえれば、戦力の補填はいずれ持ち上がる話であったのだ。
だから剛馬の返答にも間ができる。
「……いいだろう。どうせ三手に別れるつもりであった。それぞれの組で先手を決めればよい」
思惑が透けて見える剛馬の案に月齊はすかさず条件を付ける。
「儂とおぬしと鬼灯――それぞれで組を率い、いずれも二番手以降とするなら異存はない」
「それでは――」
「それで構いません」
割り込んだのは鬼灯。
片眉をあげる剛馬が異論を唱える前に、
「決まりだ」
打てば響くように月齊が締めくくる。
「指揮を執るのは儂ではなかったか……」と不平をこぼす剛馬を無視して班分けは粛々と行われた。
◇◇◇
「――“降りる”だと?」
あくまでも冷静に聞き返す砦長オジトの声は静かであったが、部屋の空気は緊迫したものに変わっていた。
そのひりついた空気を感じてもいないようにミュルドは「そうだ」と応じる。
「『魔境士族』に関する情報は正しかった。アレは確かに『幹部』を倒すだけの実力を持っていた。それを肌で感じた以上、オレ達の見立てが間違っていたと認めるしかない。となれば、これから屋内戦に持ち込んだところで、敗戦する結末は変わりない」
「本戦が終わるまでの時間を稼げれば十分だ」
「どれだけ保たせられる? 最後のひとりまで頑張ったところで、大した時間も稼げないだろう。それでは割に合わん」
とても軍人とは思えぬ妄言。
だがそれが今の『俗物軍団』と知るオジトは平静さを保ち尋ねる。
「だから“白旗を揚げる”と?」
「そんなことをすれば、団長に殺される」
「……」
ふざけてるのか?
ミュルドの矛盾する返しに、さすがのオジトも不信感をめいっぱい顔に出す。対して我慢ならなかったらしい副官のボルジが険しい顔つきで喰ってかかる。
「貴様、ビビりすぎて気でもふれたのか?! 簡単に引き下がってきたかと思えば、屋内戦すら臆するとはっ」
「恐怖はあって当然だ。それをいかに御するかだ」
「――ふはっ。御した挙げ句が“降りる”とは」
嘲るボルジに「大まじめだ」とミュルド。
「むしろ、あんたらもそうすべきだと云っている。砦の攻防戦から降り――『紫水晶』を持って砦を脱出すればいい、とな」
「……」
ぴくりと肩を震わし黙り込むボルジ。
対するミュルドは呆れ顔で諭す。
「当然だろう。そもそも『巨石門』を閉じた時点で役目は果たしているのだからな。戦果の稼ぎが期待できない以上、命を賭ける理由などない。屋内戦で時間稼ぎ? ――バカ言うな。クリスタルを持って逃げれば、我らの勝ちだ」
自慢げに片腕を挙げるミュルドの案はしごく当然のものだった。
オジトらもその案は分かっている。
だが『俗物軍団』のように戦果を欲してないふたりが、はじめからその案を提示すらしていない理由にミュルドの思考は至っていなかった。
だからオジトの返事はミュルドに理解できなかったろう。
「いいだろう。降りたいなら降りろ。ついでにクリスタルを持たせてやる」
「?」
何を云っていると、おもいきり眉をしかめるミュルドに、ボルジが不敵な笑みを浮かべて宣言する。
「“オレ達は戦う”と云ってるんだ――」




