(八)戦いを捧げよ
領都側の砦門
――砦正門の主攻側
次々と投げつけられる鉤縄。
させるものかと撃ち下ろされる矢。
それを咄嗟に避けるため、やむなく縄を手放して仕切り直しをさせられる侍たち。
当然すぎる話だが、壁柵の高さが大きな障壁となって攻略の糸口はつかめない。
むしろ規模は小さい砦なれど攻略するには少なすぎる人数で攻めながら、いまだ死傷者を出さないことが奇蹟的な健闘と云える。
だが健闘するだけでは意味がなく、決め手に欠ける侍たちの目は、自然と堅固に閉ざされた砦の正門に注がれる。
まだか――?
彼らは待つ。
その体力気力が尽きるまで、敵の目を釘付けにするべく攻めの姿勢をとり続ける。
それでも正門は無言を貫き、道が開かれる兆しは一向にみえてこない。
侍たちの苦境はまだ続くらしい。
そんな苦しい攻防を、まるでどこかの景勝地でも眺めるようなたたずまいで見守る鬼灯が、
「ところで――」
なにげなく隣の剛馬に話しかける。
「万一、あのふたりが仕損じた場合の代案はあるのですよね? もぐりこむに少数が利となっても、門を開放するとなれば話は別――なにより、あのふたりと組むのはこれが初めてですから。やはりふたつめの備えは必須でしょう」
そう当然のように言い切る鬼灯に対し、
「ないな」
剛馬もまた、きっぱりと告げる。
思わず「何を根拠に?」と尋ねずにはいられない鬼灯。
「こう云っては何ですが、あのふたりは秋水隊子飼いの陰師において木っ端の身。そもそも技倆が熟達するにもまだ若すぎます」
「それがどうした」
戦場をひたと見据える瞳と同じく剛馬の声にはゆるぎがない。
「“格付けの低さ”も“若さ”もそいつの現状をただ述べているにすぎん。やつらの実力を語るなら、“納得できる尺度”で説いてみせろ」
「たとえば?」
「秋水殿が云うていた。“素質ならば隊最上”と」
「ほう」と興味深げに目元をゆるませる鬼灯。
秋水は自らを誇ることもなければ人を誉めるガラでもない。なおさら、若いふたりを鍛える時期に甘やかす言葉は口にしまい。それが“最上”と評したのなら、これ以上ない説得力を持つ。
「ですが、“才”を芽吹かせるのにも“刻”は必要となります」
「ちがうな――必要なのは“場数”という名の養分よ」
つまり早くに数をこなせるなら、育ちを待つこともないと。
「それに寒暖の差が味や身をしめるように、ときには“厳しさ”も必要となる。しかるに、この驚くべき地では、それを得る機会は十分にあった」
「ふむ」
云われて鬼灯も思い当たる節があったらしい。
「確かに、こちらの都まで共に旅をした時とは、ふたりの顔つきもだいぶ変わってはいましたね……」
「それが“若さ”ならではの長所。ただ一度の戦いで著しい成長を遂げていくもの。誰よりも当人たちがそれを実感し、愉しんでおろうよ」
「……そうですね」
仮にも命のやりとりだ。そのようなものを純粋に愉しめるのは剛馬だけではと、思いつつも鬼灯は適当に相づちを打って流し、
「まあ、案ずることはありませんか」
そのように結論づける。
仮にふたりが壁の向こうで苦戦を強いられているとするならば、「それこそ良い修行になる」と剛馬は意にも介すまい。
その点については鬼灯も同意するところ。
(ふたりに“良き試練”があらんことを――)
捨丸と拾丸にとっては迷惑この上ない話だが、鬼灯は心からふたりのために願うのであった。
◇◇◇
突風に身をさらしながら、ギャランはまっさかさまに落ちてゆく。
狙うは少し先に落ちる蛮族の侵入者。
あきらかに片腕を脱臼させ、為す術なく落ちてゆくようにも見えるが、その目が死んでいないことをギャランは気付いていた。
だからチャンスを待つ。
なに、すぐそこだ。
――――――ズダンッ!!
――――――ドチャッ!!
先行する部下のひとりが両足からの着地を試みるが、衝撃力を吸収しきれず足骨をひしゃげてくずおれてしまい、もうひとりの斬られた部下は態勢を立て直すこともできず地面に激突して血だまりをつくった。
次は侵入者の番――。
途中から落下したため死傷することがなくても、着地の瞬間に生まれる“隙”が狙い目だ。その場に留まるか、どこかへ向かって転がるにしても。
(逃さず真上から、叩き切るっ――)
その瞬間を思ってギャランの脳内アドレナリンが堰を切ったようにあふれだし、集中力を異常なほどに高める。
残り数えで3。
――2
――1
ゾクリ――
その一瞬、ギャランの背筋が氷の刃に刺し貫かれていた。
目だ。
見事に感情をぬぐいさっていた侵入者の目に、一瞬だけ何かが宿り、ギャランの本能が恐怖を感じとっていた。
同時に目の前いっぱいに闇が広がる。
「クソがっ」
それが侵入者の放った大きな布きれだと分かっていても、無視するわけにもいかず、ギャランが手で払いのける最悪のタイミングに合わせ――カラダのあちこちに鋭い痛みが走った!
やられた。
先と同じ飛び道具だろう。
致命傷ではなかったが、相手からすればギャランの動きをわずかに止めるだけで十分だった。
――――――――ダンッ
一瞬後に全身で受け止めた強烈な衝撃を、言い表す言葉などない。
飛び道具の傷みごとカラダ前面のあらゆる感覚が消し飛ぶと同時に、ギャランの意識も彼方へ飛んでいた。
◇◇◇
「!」
むくりと上半身を起こした拾丸は、真っ先に痩せ男の姿を捜した。
いた。
拾丸が転がった先とは真逆の方で倒れており、だらしなく投げ出された四肢を動かす様子はない。
「……」
あの時、痩せ男が極度の集中状態にあることを察して危機感を抱いた拾丸は、着地前の一瞬にすべてを賭けた。
だからこその『独唱術』。
命懸けの空中戦で集中力が異常に高められていた拾丸は、これまで学びはすれども為し得なかった秋水の秘術を、この土壇場で成し遂げてみせる。
これにより、拾丸の体感速度はひとり別次元に至り、あの一瞬で三手を繰り出した。
はじめの一手で強烈な殺気を相手に叩き込み、その虚をついて身隠しに用いる黒布を投げつけたのが二手目――最後の三手目はありったけの手裏剣を叩き込んだ。
無論、それだけに留まらず、手裏剣の投げに合わせてめいっぱい足を伸ばして壁を蹴りつけ、落下する向きをわずかでもズラし、激突の衝撃を逃がそうと試みてもいた。
どうやらうまくいったらしい。
「ぐっ……」
立ち上がろうとして肩のひどい痛みに顔をしかめる拾丸。さすがに無傷といかず、殺しきれなかった着地の衝撃でカラダのあちこちを傷めていた。
それでも動きに支障がでるほどでもない。
そのように修練を積んでいる。
拾丸はゆるりと立ち上がり、自力で肩をはめるべく壁に向かう。その途中で足を止めた。否――止められた。
「……」
うつぶせのまま拾丸の足首を凄まじい力でにぎりしめるのは、先ほど着地に失敗した敵のひとりだ。
痛みで失神することもできなかったのか、両足をへし折った激痛をこらえながらの執念はあっぱれだが、拾丸の視線は別のところに向けられていた。
「…………しぶといな」
視線の先で痩せ男が立ち上がっていた。
鉄当てのない部位にクナイを数本食い込ませたまま、唇から血を流しながらもこちらを睨む目には戦意を宿す。
「……まだ、だ……」
言葉はしっかりしており、剣も離していない。
それでも無防備な状態で地面に激突したケガの影響は大きく、勝負が決しているのは誰がみても明らかだ。
だから拾丸は告げる。
「そのまま寝ておれば、命までは取らぬ」
本心は時間の浪費を避けたいだけ。
これに対し痩せ男は唇をわずかに引き攣らせる。
「“戦い”は生きるか死ぬかだ。ほかの選択肢なんて、ないんだよ」
「どこの侍も一緒だな」
拾丸の声には呆れが含まれる。
「すぐに生きるの死ぬのと口にしよるが、そもそも“戦い”は手段のひとつにすぎん。そこまで重く囚われる必要などない」
「あるんだよ――」
すかさず返された痩せ男の声は低かったが、拾丸の反論を許さぬ圧力が込められていた。
「一度戦いをはじめたら、終わりなんてない。なぜなら“戦い”とは、生きとし生けるモノたちが行う“生存競争”そのものを差すからだ。コレも狩りも何もかも――他者の命を奪うことすらも許された、“神の定めし儀式のひとつ”と捉えてもいい。
だから重くて当然、軽いわけがないんだよ」
それはまるで坊主の説教だ。
それも痩せ男が自己流で見出した死生観なのか、独自の切り口で“戦い”を語る声に熱がこもる。
「だから――はじめる前に、自問自答する。戦う意味をその意義を。そこで“ある”と思えば、決意を固める。そして腹を決めたら――」
「!」
その時、痩せ男が全身の力を溜め込むように姿勢を低くするのを見て、瞬時に拾丸は足首をつかむ手首へ自由な足のカカトを器用に振り下ろした。ベキリと手首の折れる軽妙な音に重なって、
「――――戦い抜く!!!!」
吼えて突っ込んでくる痩せ男。
まるで弓矢のような飛び出しに、今や『独唱術』の効果が切れた拾丸は横っ飛びに転がるだけで精一杯。
ザギィ――――
突撃加速を上乗せした斬撃に地が切り裂かれて。
「これが、覚悟を決めた者の一撃だ。迷いなき者の一撃がゆえに道を切り開き、時に敗北をも覆す!」
二本の特殊十字剣をクワのように振り下ろしながら、痩せ男は地に膝つく拾丸に襲いかかる。
「だからこそ、このギャラン隊は強いっ。だからこそ、あらゆる戦いを生き抜いたっ。まるで神がオレ達に、戦いを捧げよと望んでいるかのように!!」
痩せ男――ギャランの突きを首を振って躱した拾丸が、直感のままに飛び退くと。
突きの戻りに十字部分の刃が首を狩りにきて、寸でのところで避けきった。その脇腹にギャランの蹴りが叩き込まれるっ。
「……っ」
突き飛ばされた拾丸の背に硬いモノが当たる。
壁だ。
追い込まれた。
逃がさぬようにゆるりと詰めてくるギャラン。攻撃時のキレは落ちていないのに、その足取りはどこかにぶく、実は気力で動いているのが分かる。
「……それが祝福でも呪いでも。戦いが望みとあらば、全身全霊で従うまで。それが生き残ったオレ達の――」
最後まで口にすることなく、ギャランは片腕を引き絞りながら突きの構えをとった。




