(六)この対峙を
領都側の砦門
――外壁の内側
捨丸が軽やかに飛び降り立ったそこは、新築したばかりらしい厩舎の裏手にあたり、潜入口とするには適さない箇所であった。
なぜなら突然の不審者出現に馬が怯えて騒ぎとなり、敵兵を呼び寄せるのが見えているからだ。
しかし気配を抑え込んだ捨丸は小動物と変わらぬ存在として馬に認知され、騒ぎは起きず。それを確かめるとすぐに捨丸は正門を目指して音もなく動き出す。
厩舎の表に回れば身を隠すところのない中庭――そこに待機する兵の姿はなく、壁上にいる守備隊の意識は壁外に釘付けのまま。しかも、
(守備が厚い――)
どうやら味方の攻勢に危機感を抱いた敵が、予備戦力のすべてを壁上に投入したのだと捨丸は知る。これは思った以上に好都合。
それでも正門側の壁に張り付き守備隊の死角に入りこみ、できるだけ人の目を避けて正門に近づいてゆく。
上方の動きに変化はない。
後方も拾丸の奮戦を知らせる剣戟の音が聞こえてくるのみで、中庭奥の砦本棟にも人影は見えず。
(ここまでは葛城様の読み通りか……)
今回の仕切りは第九席次。
剣士曰く、小さな砦に詰められる兵などたかが知れていると。
ゆえに正門を攻め立て陽動とし、別口にて潜入したひとりをその場で目立たせれば内側の兵を最小にできる。あとは先行く誰かが――。
雑な筋立てをと思ったが、さにあらず。
攻防の要となるべき場所が手薄となっているのを目にすれば、さすがに捨丸も認めざるを得ない。しかも、この正門のつくり。
「やはり。間に合わせでこしらえたか……」
まず正門そのものは木製の薄板に補強をしただけの簡素なつくりで、明らかに急造と思えるもの。その封印の鍵となる閂も大木から削り出した一本モノでなく、中太の木材を4本重ね掛けしただけだった。
さすがに『送迎団』を邪魔するためだけに、一度廃棄した砦の本格復旧をする時間もなければ資金も出せるはずがないということだ。
おかげで手間と時間を惜しまなければ、捨丸ひとりでも正門を開放することができそうだ。
(とはいえ、あまり時間をかけるわけにいかぬ)
今もこの向こうでは無茶な陽動を仕掛けている味方がいる。だから捨丸は今一度まわりに敵がいないことを確認すると、4本同時に引き抜きにかかる。
「ふぅ――……」
足を広げて腰を落とし、下から両手を当てがい、ヘソ下に位置する丹田に意識を集中――
――――ゴッ
呼気を爆発させる寸前、正門の右手に何かが打ち付けられて、両の掌にビリビリと振動を感じた。
続けて2発目――今度は左。
捨丸の並外れた視野が、閂の両端に槍が打ち込まれて正門ごと縫い付けられたことを捉える。
それは人の手で為したと思えぬ恐るべき精度と威力の投擲であり、だからこそ、捨丸は疑念の答えを求めて振り向いた。
なぜ、自分を狙わなかったのかと。
「やはり、俺の読みは冴えている――」
陽の差さない本棟内部から現れたのは、ひとりの戦士。
「おまえが来るなら、本隊でなく別働隊の方だと思っていた。裏方で躍動するおまえの役割はそこにしかないと。……ただ、さすがにこの防衛戦の最中に、勝負の鍵となるこの場で対峙するというのは、出来過ぎだがな」
その話しぶりから察するに戦士は捨丸のことを知っており、その上で狙っていたらしい。しかしその病的なまでの蒼白い顔を見ても捨丸に覚えはなかった。
そもそも異境の地に来たばかりで異人と知り合う機会などない。おそらく誰かと間違っているのだろうと。
そんな無反応すぎる態度に戦士が「ふん」と自虐的に唇の端をゆがめる。
「だろうな。俺もそうだった。俺より弱いヤツはただのクソザコで、覚えておく価値などなかった」
だから分かると。
「おまえにとってこの俺が、取るに足らないクソザコにすぎないってことが、な」
「悪いが……」
イカれた異人の戯言に付き合ってられぬと言いかけたところで、捨丸の脳裏によぎるものがある。
“槍の奪還任務”で異人の陣地に潜入した時だ。 こちらの動きを知っていたように現れ、自信たっぷりにひとりで挑んできた戦士がいた。
技倆の練度に差があったために返り討ちにできたが、この異境の地特有の不可思議な体術と秘剣を使う中々の敵であったと思い出す。
「……だが、顔つきが」
違いすぎた。
あの時の戦士は、殺しに馴れすぎた者特有の“凶相”とギラつく殺気で力強い存在感を放っていた。
それが今や、病人のように覇気を失い、陰鬱たる面差しには命の翳りさえ感じるほど。いや――。
「――なんだ、少しは思い出してくれたか?」
「そのつもりだったが……」
記憶の人物と目の前にいる人物とに齟齬がありすぎた。
いや別人と云ってもいい。
気配そのものがまるでちがうし、そもそも目の前にいる人物を“人である”とさえ云えようか?
事実、無造作に近づいてくる戦士に対し捨丸は無意識に身構えていた。
あの時、感じなかった脅威を本能が察している。
そうさせるのは、一見して病人にしか見えない戦士の身から放たれる妖しの気。
その不穏極まりない気配を捨丸は知っている。
昨日森の中で戦った“血を糧に人外の力を振るうバケモノ”の気配。――あるいは、闇に転んだ扇間のそれだ。
まさか、この男――
「何があった。いや、何をした……?」
捨丸の問いかけに「聞いてどうする」と戦士ははねつける。
「今は戦いの最中、敵同士が会ったんだ。だったら――戦う以外に何がある?」
戦士の瞳が妖しく蒼光を放つ。
傾きかけた陽射しの下でも蒼く塗り潰されてるとはっきり分かる異形の瞳は、明らかに人外のモノ。
まさにそれこそが答え。
そして暗に示唆されていたことが、もうひとつ。
戦士が足を止めた位置だ。
五歩ほど離れたそこは、戦士の間合いでもなければ捨丸の間合いでもない。
あの時、この位置から戦いがはじまったとしたら――捨丸がはじめに抱いた疑念が解かれることになる。
戦士にとって、今この対面こそが必要であったのだと――。
「……いいだろう」
「そうこなくては!!」
声昂ぶらせる戦士が小さく鋭い踏み込みをする。
寸前、捨丸は正門に張り付かんばかりに身を寄せるが、それで手元を狂わせる戦士ではない。
――――ズッ!!
スキルなしの一撃で中太の閂が3本目まで切り裂かれた。これを狙った捨丸の動きであり、承知で斬りつけた戦士であった。だから。
「ぐっ」
腹を蹴られた捨丸は呻かされる。
痛みよりも軽い驚きに。
自分を正面に呼びこんだ戦士の蹴りには気付いていたのに、避けられなかったからだ。
戦士が思わせぶりに小さく笑みを浮かべて。
「!」
放たれる拳に首を振ると、その拳がピタリと止められる。
虚拳――。
「――」
甘い。
別の角度からきた拳をぎりぎりで空かし、さらに別角度の拳を捨丸は手首で受け流す。
しかし何度も虚の拳と膝蹴りが入り混じると、ついには受けきれず、捨丸の顔が勢いよく横を向く。
「……っ」
なんだ?
確かに速さも威力も以前とは段違いだ。
それに表情の読みにくいヤツでもあるが、それでも攻撃はしっかり見えている。
扇間との実戦を経てより磨かれた実戦勘は、己をさらなる高みに導いているとの自負がある。
なのに喰らう。
いいところにヤツの拳が膝が、飛んでくる。
まるでこちらの動きを知っているように。
「……!!」
そこで戦士が渾身の蹴りを放ったのは、明らかに威嚇に他ならない。
誰が“上”であるかを捨丸に知らしめるための派手な攻撃。それを受けた捨丸は同じ方向に跳ぶことで威力をいなして正門から離れたところまで転がされた。
「……っ」
脇腹よりも受けた右腕が痛む。
威力を殺してこれほどの力か。
そんな捨丸の表情を悠然と見つめながら戦士は告げる。
「これでおまえも忘れなくなる。この――レシモンドの名を」
◇◇◇
「……伝令との触れ込みは聞き違いですかね?」
許可なく戦いをはじめたレシモンドを窓縁から見つめるボルジが皮肉ると、
「ここは素直に感謝しよう。ここまで相手側の思惑どおりにコトが運んでいる時はな」
オジトは冷静に戦況を分析する。それにはボルジも認めざるを得ないようだ。視線を壁上に向けて気難しげにうなる。
「確かに予想外の展開ですな。グレムリンには珍しい戦術家タイプのミュルドが、予備戦力を注ぎ込んでなお、まともな戦果を挙げられんとは。それにあっちの戦場も思わしくない」
続けて南の壁上に視線を移す。
「“乱戦特化”と聞いておりましたが、たったひとりの侵入者相手に足止めを喰らう始末」
「むしろ、それだけの相手ということだ」
応じるオジトの表情は、副官よりも厳しく強張っている。
「やはり少数と侮れる連中ではない。ミュルド隊の矢掛けを正面から凌ぎきり、ギャランの迎撃班を抑えて目的を遂げようとする圧倒的な武力。侵入させた者は手練れ中の手練れだろう」
「そうでなくば、『一級戦士』相打にまだ生きていることもできませんな」
ボルジの視線は最初に戻っている。
あそこが破れれば敵の主力が砦内に入ってくる。
そう、気付けば瀬戸際の攻防だ。
あまりに展開が早すぎて実感が湧きにくいが、半日も経たずに防衛戦は佳境に差し掛かろうとしていた。
これは自分の知る戦場ではない。
流れだけならセオリーどおりに展開する戦場に、なぜかふたりは違和感を抱いていた。
だからボルジが深刻げな声音で、抑えきれない興味を上官に尋ねてしまうのか。
「……はじめに戦局が動くのはどこからだと?」
「南だ」
その点についてオジトに迷いはない。
「ギャランの“乱戦特化”がどこからくるか知っているか?」
「いえ」
「ヤツは『聖堂騎士団』のひとりだった」
「あの?」
思わずボルジが聞き返すのは、素行不良なグレムリンの気質と出自がそぐあわないためだ。
「詳しくは知らん。最後まで敬虔な信徒であり、あくまで依願退団だったとは聞いている。ただ、ヤツは生真面目すぎたのだと」
「……」
「あるとき、ヤツは神敵とされる一派との戦いに部隊を率いて挑むことになった。それはやがて敵に与する背信者との戦いに発展したらしい」
だがその戦いは、聖戦ではなく醜い政争だった。
歴史的にはよくあることで、ただ、ここまで過激な争いは数十年ぶりのことらしい。
一体どこから手に入れた情報か、オジトはギャランの過去を一部とはいえ掘り起こす。
「戦いの結末は分からない。ただ、その件がヤツの退団の切っ掛けとなったのは確かだ。戦いの途中で誰かを犠牲にしたかもしれないし、無実の者を殺めてしまったのかもしれん」
少なくとも。
「ヤツが――ヤツらが、その戦いを悔い、死に場所を求めているのは確かだ。それは分かる」
そうして意味ありげに見られれば、ボルジも頷かざるを得なかったのだろう。
「ちなみに、ヤツらというと……」
「ギャラン隊は元聖堂騎士団を中心に構成されている。訓練の内容も当時のまま――だから装備も貧弱で品位はなくとも、あの部隊そのものが『聖堂騎士団』の純粋な武力を持っていると思ってもいい」
なにげなく告げられた一点はおそるべき内容を秘めていた。
「一度は戦いを忌避したはずの者共が、それよりひどい戦いを強いられる『俗物軍団』にわざわざ身を投じた。これで強くならない理由があるか? 断言する。ヤツらなら、あの魔境士族の武力にも迫れると。――だから指名した」
「隊長が……?」
思わぬ話にボルジが驚きの目を向ける。
「集めたとも」
当然のように応じるオジト。
「誰が何を云おうと、これは“中央”との戦争だ。戦争であれば万全を期す。だからネイアス様に声を掛けられた際、条件を提示させていただいた」
並々ならぬ覚悟をにじませる上官に畏怖の念をみせるボルジ。
(ギャランを“死にたがり”のように評したが、この方こそ……)
実現可能性の低い砦防衛戦を想定し、これほどまでの準備を精力的に取り組んできたオジト。
実際に防衛戦ははじまり、予測の内にあった陽動の策にも対処はできたが、敵の戦力が上回っている状況だ。
ならばこの先の展開もオジトの備えが生きてくることになる。
「ふん。追い込まれているのに不思議なものだ」
ボルジの思いに気付かぬオジトがつぶやく。
「俺の経験を注ぎ込んだこの砦が、どこまでヤツらに通じるか……実に小さな戦争だが、熱くさせてくれる」
まずは南の戦況がどう転ぶか。
ふたりの視線は壁上の戦いに釘付けになった。




