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(二)ありえない中距離戦



ゴルトラ洞穴門


               ――領都側の砦門






 その時、窓外から角笛の音が響いてきて、ミュルドが砦長に鋭い視線を向けた。




「軍議は以上だな――?」




 それは確認ではなく切り上げの口上。

 オジトの返事を待たずに部隊長ふたりが大股で室外へと出て行き、その場に砦のトップふたりだけが取り残される。緊急時とはいえ、不作法なふるまいに渋面をつくるのはボルジだ。


「――あれで辺境唯一の職業軍人とは、な」


 腹立たしげに吐き捨てる老兵だが、オジトは逆の感想を抱く。


「主戦場から離れた砦の防衛など、実質“留守番役”にされたような任務だ。クサらず戦意があるだけマシってものだろう」

「その戦意保持のために『軍娼』を連れてきて砦の規律をぶち壊すことが、マシと云うんですかね」


 ボルジが毒づくのも尤もだ。

 彼らは砦に着任した日から、まるで盛りのついた犬みたいに情交の嬌声を砦中に響かせてきた。それが七日経った今でも続くのだから、さすがにボルジたちは寝不足ぎみで体調万全とは言い難い。

 もちろん、羨ましさとは別の苛立ちからくるもので、当然ボルジは先頭切って怒鳴り込んだらしい。


「これじゃ“敵が100人きても気づけんぞ”と云ってやったら何と返したと思います? やけに澄まし顔で“これがミュルド隊だ”と」

「似たセリフならギャランからも聞かされたな。ただし隊のスタイルは、かなりストイックなものだったが」

「?」

「決して“飢え”を忘れないよう、己にムチを打つのさ。毎朝欠かさず礼拝堂で。隊員全員が」


 感情を押し殺したオジトの返しにボルジがげんなりした顔を向けてくる。


「今のは笑うべきで……?」

「好きにしろ。そもそも、この争い自体が冗談のようなものだ。勝利したところで辺境の現状を変えられるかは、誰にも分からん。おそらく……ベルズ候自身にも」


 それがオジトの本音。

 領都の空気を肌で感じ、英雄軍の真実などを目の当たりにしたことで思ったのだ。


 無理強いによってすべてが歪められていると。


 そうしなければならないのは分かる。

 ただ倒れないため、前へ進めさせるため人々の寄る辺となる“夢想の軍旗”を掲げる必要があった。あるいは、その旗の下に集い、行動すること自体が目的だと云ってもいい。


「……あの大戦によって誰もが心を歪められてしまったのかもしれん。次々と悪い報せが届く中、“これが正しい”と思い込まねば指示し行動できなかった戦況だ。

 結果はどうあれ、突き進むしかなかった。立ち止まることも、引き返すことも許されなかった。そうして辺境を導くベルズ家に至っては――」


 口にするのもはばかられるその選択。

 それこそ夢想の、いや悪夢の(・・・)象徴では。

 だが、それでも。


まだマシだ(・・・・・)。辺境を守ったという確かな正義。それ以上の何が必要か。だが、行動できなかった者には後悔だけが残る。そういう者もいる。俺もそのひとり――あの時役に立てなかった“悔しさ”だけがこの胸に残った」


 そうしてオジトの右手は自然と胸の板金に爪を立てる。


「まるで鈍い痛みだ……ずっとその存在を意識させられ、気付けば問いを繰り返す。一兵士だった自分に何ができるわけでなくとも、“何かができたのではないか”と。どうしても――」


 そればかりを考え、生き残ったことを素直に喜べず、家族と過ごせるありがたみを感じることができなかった。

 ただ、誰にも説明できない後悔だけを抱き続けてきた。


「俺達は大戦に勝った。だがその勝利は、英雄軍に丸投げして得たものだ。その英雄軍が身を粉にして擦り切れて、あのように成り果てたと思えば――どうしても責める気になれん」

「……組織ガワは残ってますが、ヤツら自身は新参モノですぞ」


 そう云いながらもボルジは頭をガシガシ掻いて苦い顔になる。


 自分達は“あの逆転劇”に立ち会ってない。

 蚊帳の外にいて、だからこそ生き残れた。

 たとえ兵士でなくても、今、生きる者すべては英雄軍に借りがある。


 だから新参モノであろうとも、その名を冠する団員であるかぎり、ヤツらは英雄軍そのものだ。それをボルジも認めはするのだろう。

 気まずくなった空気を察してオジトは首をふる。


「すまん。ただの感傷だ。忘れてくれ」

「いえ――結局オレたちぁ、そうなんだ」


 ボルジの目は何とも言えない色合いを帯びる。


「できれば“英雄たち”に素直に感謝すりゃいい。生き延びれたことを素直に喜びゃいい。そうして残りの人生をしっかり生きてきゃいいんだ。

 けど、それができないヤツもいる。どうにもこうにも割り切れん連中が、世の中にゃあ、いる」


 ボルジは自分の中にあるものを、何とかかんとかひねりだす。


「今、隊長の話を聞いてそう思いました。俺だってそうだし、俺だけじゃねえ。戦場から帰ってきてから、まわりの態度がおかしいと感じるのも、何となく邪険にされてるような、ヘンな気遣いをされてるような感じがするのも、よ。ずっと腹ン中に、モヤモヤしたものがあっからなんだ」


 それは自分がおかしいのか、他人がおかしいからなのか。

 自分がおかしいというなら、どうすればいいんだと。


「それが、この戦いに参加することでスッキリできるか分からんが……もう一度、“戦い”に向き合うしかないんじゃねぇか。そう思った連中が原隊復帰して、ここにいるんでしょう」

「――――そうか」


 オジトは今一度、窓外へ向き直る。

 ちょうど外壁に到着したミュルドの姿が見える。中庭では槍持ち整列して隊長を迎えるギャラン隊の姿が。

 今やグレムリンなど粗暴者の集まりとしか見られないが、中庭の連中は命令に従い威勢よく声を出し、きびきび動く。その様子を見るだけで辺境どころか国内随一の練度は確かに感じられた。


「……あの頃と違い、確か今の連中は食い詰めモノの集まりだったな。功をとるのも必死になるか」

「生意気ですが、誰よりも戦力になるのは事実」


 どれほど気に食わなくても評価を歪めるボルジではない。


「ならば期待もしたいが」

「こちらの準備は終わってます」


 上官の意図を的確に察するボルジ。即座に応じるのは、軍議の招集を掛けられた時点で手を打っていたかららしい。

 そう。

 彼らは砦本棟の守備隊として、独自に防衛の策を練っていた。戦いを他人に委ねるために参加したわけではないからだ。


「万一のことが起きても、敵を屋内に誘い込めばこちらの独壇場――『怪物』を狩るように魔境士族を仕留めてみせましょう」


 それが『オジト隊』のスタイルだと。

 歯を剥くボルジが衰えを知らぬように静かな闘志を上らせた。




 ◇◇◇






「よいか、このまたとない実戦を無駄にするでないぞっ。必ずや己の血肉とせい!」




 葛城剛馬の檄を受け、まばらに間を空け並んだ侍たちが一斉に歩き出す。

 砦まではペンペン草しか生えない更地が広がり、身を隠す場所などどこにもない。

 策もなしに丸裸の状態で砦への接近を試みる彼らの行動は、あまりに無謀すぎた。なのに、腕を組んで仁王立ちしながら送り出す剛馬の表情に不安の色はない。




「よっくとまなこをかっぴらき、肌で感じろっ。己の全身を研ぎ澄ませ!!」




 あるのは“やれる”と仲間を信じる気持ちのみ。

 その信を得るに相応しい侍たちの確かな足取りが着実に砦との距離を詰めてゆく。


 風が吹き、着物の裾をなびかせる。

 各人の顔にあるのはほどよい緊張感。

 逆に慌ただしくざわめくのは砦の外壁上。

 はじめ監視者だけだったのが、10名の侍たちに倍する数の兵が現れ整列し、弓を構えた。




「――くるぞ」




 剛馬にいわれるまでもない。

 侍たちが呼吸を合わせたごとく一斉に刀をぬき放つ。

 相手の持つ弓の形状を確認し経験則から射距離を推測するのは、侍たちにとって造作もない。


 ゆえに、その場が射程内であることはすでに承知。

 なのに、まだこない。




「ほう――」




 剛馬の目が鋭く細められる。

 確実に仕留めようとこちらを引き付ける敵の意図を察し、愉しめそうだと。


 逆に弓兵の殺気を皮膚で感じる侍たちには、たまったものではあるまい。

 その針で刺すような刺激は砦に近づくにつれて鋭さを増す。

 なのに平静さを保てる侍たちの精神力は尋常でなく、足並みすら乱さず、さらに砦へと迫った。





 ――――――――――





 もう十分に距離は縮まり、いつ放たれてもおかしくない。

 ここまでくれば、逆に攻められる側の方が脅迫感に苛まれ、手を出しくなるはず。

 そこを敵はこらえ、耐え忍ぶ。

 指揮官の胆力も凄いが応える敵兵も見事。

 弦をつまむ指先ひとつ震わさない練度の高さに侍たちも気付いたはず。


 だからこそ実現する、近距離に等しい中距離戦。


 今や互いの表情が見て取れるほどのそこは(・・・)、すなわち弓兵にとっての必中必殺の間合い――。





 シュバァッ――――





 砦の号令が先か、剛馬の口に喜悦の切れ込みが走るのが先か。

 放たれた矢弾は10人すべてに向け、ほぼ均一にほぼ一直線の軌道を描いて襲いかかった。



 一閃――。



 すべての矢弾が無為に叩き落とされ、外壁上にてざわめきが沸き上がる。その動揺もすぐに収まり、即座に二射目が放たれた。


 今度は中央付近に集中させて。


 しかし射出とほぼ同時に、見切った侍たちの陣形が変わる。

 中央にいた者たちが大きく後ろへ跳び下がり、弓の狙いが良すぎるあまり確実に躱しきる。

 二度も外す怒りや驚きを見せることもなく、今度も敵は、冷静に次の対処法を素早く試みる。




「戻れっ――」




 弓の向きで狙いを察した剛馬が叫び、遅れて第三斉射が放たれた。

 左方の3人――いや2人に向けて20本の矢弾が集中する。




「……っ」

「……ぐぅ」




 やられた。

 致命傷は避けたが躱しきれない矢が刺さる。

 剛馬ならば無傷だが、席付きに達し得ない者はそうもいかない。


「むしろ、あちらさんの決断力を誉めるべきか」


 狙いの絞り込みが速かったと剛馬。

 普通なら矢を躱す非常識さに動揺し、あと何回かは無駄な射かけを行っている。なのに敵の指揮官はこちらの技倆をすぐに認め、一射ごとにより効果的な射かけを探り、命中精度を高めてきた。

 これほど対処の速い指揮は滅多にみない。


「どうやら、この砦にもなかなかのツワモノがいるようだぞ――」


 仲間の負傷を気にすることもなく、剛馬は愉しげにかたわらの月齊へ告げると。

 受けて盲目の侍は渋い声で応じた。




「いや。おまえに任せた儂がバカだった――」

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