(三十一)まだ、何も
激闘の続く
ゴルトラ洞穴門
――領都側出口付近
――一気に詰めるな。
――ヤツの動きを誘え。
オーネストは全力のブラフをカマそうと、体内に渦巻く高密度のオドを下肢に集中――ふくらはぎを一瞬で三倍にふくれ上がらせ、両足を地面にめり込ませた。
――――――――――!!!!!!
わずか半歩の踏み込みで空気の壁を突き抜けて。
それにも反応して左移動をはじめたゲンヤを魔狼眼で正確無比に捉えきり、
(逃がさんっ――――)
亜音速のステップを刻んで追い込み詰め寄った。
「!」
一瞬、肉薄したゲンヤの実像がかき消える。
それは人に為し得るとは思えぬ高速の切り返しが起こした幻視――当然、それすら広角の視野を誇る魔狼の眼が逃すはずもなく。
なにッッ?!
――――再度の切り返し!
小賢しいっ。
銀毛をこすりあげる超至近距離で背面へまわりこもうとするゲンヤの体熱を肌感で察知した刹那。
二度も許すかっ――――
オーネストはフルパワーによる腰の捻りだけで10t岩塊クラスの激突に等しい猛烈なショルダー・チャージをゲンヤにぶち当てた。
まともに喰らえば上半身の骨を粉にして内臓のことごとくを破裂させるほどのパワー。
その圧倒的破壊力に士族長が迎える運命は“死”のみに定められたはずであった。
それが――――
超高速の移動で生じた烈風だけがゴオゥと走り抜け。
ゲンヤのカラダはちょっとだけ押されたくらいの感じでふんわりと後ろに下がった。
ただ、それだけ。
それだけの感触を肩先に残すだけだった――。
――――――バカなっ
またも理解の及ばぬ怪現象を目の当たりにして、あんぐりと口を大開きにさせられるオーネスト。あるいは、戦士としての歩みが長ければ、体術系の最上位スキルを連想しギリギリ冷静さを保っていられたのかもしれないが、そうならず。
驚愕した一瞬の隙をついてゲンヤの刃がスッと足首に添えられる。
「――くっ」
オーネストは反射的に足首を引きながら跳び、そのまま鋭い後ろ蹴りにつなげて。
躱されてもなお、高速の二段蹴りに――!!
「無駄だ」
すべてを読み切っていると断じるゲンヤ。
その彼へ、
「――そう思うだろうな」
そっくり返すとばかり“驚愕の面”をはぎ取ってみせるオーネスト。
ここで初めて、想定を越えたのであろう事態にゲンヤの面貌が厳しく引き締められる。
そう。
ここまでのすべてがハメるためのブラフ。
ゲンヤが勝機と感じて放つ斬撃を――その油断をオーネストは密かに狙っていた。
正確無比なカウンターで斬りつけられるゲンヤの刃――それが触れる寸前を魔狼眼で見極め、蹴りの軌道を外す。代わりに叩き込む本命こそは――
――――『魔影の掌撃』!!
その時オーネストがしたことは、オーバースローで振り上げた掌をゲンヤに当てず寸止めすること。
恐るべきことにゲンヤはこれにも即応し、すでに手首を断ち切る角度で刃を構えていたのだから、止めて正解。代わりにオーネストの仕掛けは不発――そうなるはずだった。
「……かはっ」
唐突にゲンヤがカラダをよろめかせ、某かのダメージが入ったことをうかがわせる。
そのつもりで放った魔技。
アレを初見で躱すなど不可能。
そう確信していたオーネストは流れる動きで心臓狙いの四連突きをぶち込んだ。
「――チィッ」
まさか、すべて空ぶるとは。
ゲンヤは理外のダメージに対し思考停止するどころか、こちらの追撃を察して先に身を退きギリギリ届かせず。
突きでなく爪撃であれば、真空破の追撃で深手を与えられたはずと悔い、オーネストは舌打ちしてしまう。
「なら――」
もう一度。
いや何度でも。
反省するより先に次の一撃を繰り出せっ。
誰にも見切れぬ魔影の技を――!
オーネストは松明の明かりを背負うように位置取りを調整し、寸止めの掌打を再び放った。
掲げられた掌が松明のわずかな明かりを頼りにゲンヤの左頬に影を映し――
「……っ」
拳でぶん殴られたように首を勢いよくふったゲンヤが再びよろめいた。
だがオーネストの表情は厳しい。
本来のパワーは見る影もなく、威力の減衰が著しかったからだ。
(光源が弱すぎる――)
だから技として成立させるだけで限界なのだと。
「それでも削れはする――」
オーネストは強気の姿勢を崩さず攻め立てる。
ゲンヤはゲンヤで殺気に鋭敏らしく、不可視の攻撃にもタイミングを合わせて防御反応を示す。
だが無意味。無駄。――滑稽。
必死の抵抗を嘲弄するようにすり抜けて、影なる技が二撃、三撃と叩き込まれる。
一方的なクリーン・ヒット!!
それでも。
「まだだっ――――」
オーネストは手を弛めることもなく、体奥から湯水のごとくあふれてくる大量のオドを両の腕に注ぎ込み、耐えかねた血管が破裂するのも構わずに魔狼の影技を乱れ打ちする。
!!
ッ!!
?!
!! !!
!!
“静寂なる嵐撃”という矛盾を帯びた暴力が炸裂し、めきりと小気味よい音だけを洞穴に響かせて。
まるで大鬼の拳骨ラッシュを喰らったようにガクガクとカラダを震わせたゲンヤが、最後に口からたっぷりと血吹雪を宙に舞わせた。
その黒瞳に宿っていた光が消える。
がくりと腰が落ちて。
――――ここだっ
さらにたたみ込もうと大技を狙うオーネスト。
ありったけの魔力を右爪に集め、圧縮をかけ、ビシリとひび割れるのも構わずに原種のスキルを解き放った。
――――【魔幻の痕撃】!!!
唸りを上げる右腕の輪郭が黒い霧となって六つ七つに分裂し、同時七撃の高火力を棒立ちとなったゲンヤに叩きつける。
この技の本意は込められたパワーや回避困難な七撃にあらず、触れた部位の感覚を奪う状態異常の付与にある。それも衣服や鎧を無視して肉体に届かせる理外の攻めだ。
士族長の底力を侮らず、さらに追い詰めるための一手をオーネストは迷わず選択する。
その読みは正しかった。
ある側面では。
「――ッ!!……」
―――――――サンッ――――――
その一瞬、オーネストはみた。
いや、感じるのが先か。
背筋を氷柱で貫かれるような極めつけの凍気を。
それが“恐怖”であると人であった頃の記憶を蘇らせる前に、彼が放った全身全霊のスキルは文字通りに掻き消され、気付けばゲンヤの刃が己が首を半まで断ち切っていた。
???
あり得ない状況にオーネストは戸惑い。
次に、はっきりと“死”を自覚したとき、腹の底から彼は絶叫した。
……ッゴァオ!!!!!!!!!!!!!!!
襲いかかってきた恐怖が内なる“深淵”に救いを求めさせ、意識がそこに触れた途端、
――――トプン
自分のほぼすべてが――のど首まですっぽりと暗黒の沼に呑みこまれたのを感じとる。
そのときには、制御を失ったオドが器であるオーネストのカラダから噴出していた。
ぶあり――――と。
自然界には存在しない高密度な魔力が物理的な圧力を伴いゲンヤのカラダを押しのけて、オーネストを滅殺せんとする刃の侵攻をギリギリで阻む。
だがまだ、窮地は脱していない。
「……ぐぅ?!」
オーネストはとっさにズレ落ちかけた首を押さえるが、そこで気付く。
治りが悪い、と。
切り傷は滑らかなほどに治りも早くなる。
そうでないということは、魔術剣のせいか?
憎々しげにゲンヤを睨むも、視線が合うこともなければ、この好機に攻めてくる様子もない。
それはそれで好都合と、オーネストは不具合のある部位をわざと抉り取り、強引に超回復を促す荒療治を自身にためした。
「……よし」
思い付きだったが悪くない結果だ。
それで、ゲンヤの様子はどうだ?
やはり動く気配はない。
それも当然か。
原種のスキルを打ち消した時にその頬を落ち込ませ、こちらの首を刈り取ろうとした二撃目で眼のまわりを黒ずませて、精悍そのものだった相貌を大病でも患う病人のそれに変わり果てさせていた。
おそらくは最後の抵抗。
秘力を使うどころか、剣を振るう力すら残っていまい。
精魂しぼりだしたそのカラダは幽鬼のごとく佇んで、もはやこちら側の住人と云えそうなほど。もはや――。
「“さすがは魔境士族”……そう云っデ、おゴ……ォ……グァ?」
急にロレツがまわらなくなり舌がもつれだす。
なんだ。
どうした。
なぜ、うまくしゃべれない?
カラダの獣化変形による発声異常は魔力によってフォローできていたはず。それが今になって。
――ああ、そうか。
オーネストは気付く。
魔力があふれてくる穴が徐々に広がりつつある。
意に反して魔力の供給が止まらなくなっていた!
「ゴブ……う゛ぁ、がああ……」
原因はひとつしかない。
“深化”したばかりでの身にそぐわぬ魔技の連続使用。
魔力の暴走が起きるのはむしろ必然だったろう。
実際、オーネストの感覚が正しいと証明するようにカラダに異変が起きていた。
両腕の肉が狂ったように収縮を繰り返し、胸骨が中から押し上げられて上半身がいびつな風船のようにふくれあがる。
いや、オーネストの中に流れ込んでくるのはそれだけじゃない。
原種のアビリティに専用スキルの数々。
過大な力にまだ順応できていないカラダが拒絶反応を起こし、悠久の刻を重ねた精神性の侵食にオーネストの心が秒単位で年輪を重ね、その異常なスピードに耐えられず悲鳴を上げる。
それを拷問と呼ばずして何と呼ぶべきか。
数億年かける進化をひとりの身に短時間で味わわせるような比類無き神罰。
このような苦しみを受けては、仮に肉体が耐えきれたとしても、自我は保っていられない。
オーネストは消滅し、残されるのは、災厄級の力を持つ、ただ危険なだけのケダモノ一匹。
それがこの歩みの顛末。
オーネストと『俗物軍団』がたどり着く道の端。
――――それでいいのか?
……っ
――――るなっ
――――ふざけるな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
オーネストは血が出るほどに頭をかきむしり、力まかせに鎧をはぎ取って声なき絶叫を放つ。
空気がビリビリと震え、ぱらぱらと落ちてくる砕石と砂埃。
巨人の手で揺さぶられたように洞穴全体が大きく震えるほどの魔力が込められていた。
「ぜ、……ッガグ、ゴギマデ……ッ」
まるで喉元まで“闇”が迫り上がってきたような息苦しさに、オーネストは夢中で咽をかきむしりながらも、体内で暴れるモノに必死で抗おうとする。
ダメだ、呑まれるなっ
呑まれてたまるかっっっ
じぶんは、まだ何も――為していないっ
なにもだ!!!!
これから、だっ
これ、から――――
「ゴノ……ヂカラ、デッ……」
オーネストは震える右手を顔前に掲げる。
コントロールのきかない魔力が圧縮と膨脹を繰り返し指先を蒼く明滅させる。
美しい輝きだ。
この蒼い魔力光こそ、帝国の脅威すら蹴散らしてみせた、救いの力。
二つ名を有する帝国の部隊長に、
常勝を誇る黄金の護衛騎士団。
そして、帝国戦闘兵団の一輪を司る大軍略家『鬼謀』との一騎打ち。
それら強敵との対戦がオーネストの脳裏に鮮烈な輝きをまとってよみがえる。
「タダかっ……デキダ。……ゴノ、クニノ」
郷里のため――
みなのため――
「ワレ、ラハ……」
――――戦ってきた。
血と肉を捧げ。
魂までも捧げて。
「ゴレカラッ……モ!!」
戦い続ける。
戦って、戦って、戦って――――
示すのだ。
示さねばならないのだっ。
「“我らあり”、と――……」
握り締める掌にツメが食い込み、蒼き血を滴らせる。
ふいに。
気付けば思考のゆがみが消えていた。
カラダのゆがみも心の内も。
「――――ハ……ァ……」
発声の異常は――ない。
魔力の穴もある程度まで縮んで固定されている。
ただし、体内に渦巻く魔力の暴威はこのカラダをもってしても耐え難く、今すぐ“深淵”とのつながりを断たねば崩壊しかねない。
それでも止まるつもりはなかったが。
自分ならやれる。
やってみせる。
そうでなくば、どうしてこの身を闇に転ばせることなどできようか。
「邪魔はさせぬぞ、我らの道を――」
オーネストは目の前の敵を、ただ滅すことのみに集中した――。




