(三十)剣の速さ
激闘の続く
ゴルトラ洞穴門
――領都側出口付近
(こやつ。まだ何か――)
弦矢が意識をつなぎとめるのに必至で、呼吸を整えることもできぬうちに事態が急変する。
一時カカシのように立ち尽くすだけだった首魁の内より“何か”が急激にふくれあがり、すでに人外であったその気配をさらなる“別の何か”へと変質させたのだ。
(おう。これは、また――……)
弦矢のほほをなぶる妖気がなければ、悪性の奇病でも発症させたかと勘違いしたかもしれない。
それほど異様に黒々とした斑点が首魁の病的なまでの白い肌にぽつぽつと浮き上がり、まるで軟体生物のように形や大きさを変えながら、分裂して数を増やし、そのまま全身をおおい尽くす勢いで広がってゆく。
意志ある“闇”に喰われでもするかのように。
そう。
これは“転化”ではなく“深化”。
その存在感だけで弦矢の心臓をきゅっと萎ませるほどの緊張を強い、濃度を増した妖気がまわりの空気を変質させて吐く息をうっすらと霜らせる。
ただし全身に走る悪寒は冷気のせいではない。
十六から戦場に身を投げ鍛え抜かれてきた弦矢の“勘”が警鐘をありったけの力で叩き鳴らす。
今すぐにっ――――
考えるより先に弦矢のカラダが反応していた。
極度の不調により身に付けた武の動きは崩れ、それでも気力で足を動かして首魁を剣の間合いに捉える。
「しぃっ」
ダメだ。
焦りで振るった剣に“意”を込められず、辛うじて首魁を胴を捉えるのみ。いや、捉えさえすれば。
――――?!
手応えを感じぬままに首魁は無傷。
動揺を抑え込みながら、二度も振るった刃はなぜか首魁の肌表面で止められ、刃先のわずかも食い込まない。
「ぜっ……ぜっ……斬れも、しない?!」
秘力の特性が裏目に出たか。
否、これはヤツの――黒痣のせいだ。いずれの攻撃も黒痣に触れて止められたのだから間違いない。
そのような怪事のせいでもなければ、研いだ刃を斬りつけて皮一枚も斬れぬ道理はない。事実――
「この感触……」
「わかるか?」
異質な手応えに弦矢が眉をひそめれば、応じるようにそれまで木偶人形と化していた首魁の唇が、ゆるりと動いた。
「コレは月の聖典に記されし『闇羽織』。己の影を身に纏うことで接触不可の絶体防御を実現する――“冥府の番人”に選ばれた魔狼だけが所有する特殊能力のひとつだ」
首魁はどこか満足そうな声音で、闇に喰われてゆく己の腕を掲げてみせる。そうして目を閉じ、洞穴内の闇を吸い込むように深呼吸をひとつ。
「本来、傅くだけの存在である眷属には再現不可能とされていたのだが……おまえに脅かされたおかげで、修得することができた」
まだ不完全だがな、と。
弦矢にとっては意味不明のセリフだが、この世界に生きる者であっても、理解し受け入れられる話ではない。
それほど原種と眷属には絶対的な隔絶があり、薄まりすぎた繋がりで力の継承が起きないのが道理。
その理をオーネストは覆し、はるか彼方にあって手の届かぬはずの“力の根源”を強引に手繰り寄せてみせた。
誉めるべきはその才か、あるいは妄執をか。
「――また、団員を失ったとはいえ、この身を深化させられたことこそ最上。そうとも。この身は英雄たちの生きた証。この身あるかぎり、我らは死なず、“我らあり”と世に知らしめることができる。この身さえあれば」
「ゆえに感謝をせねばな」と首魁は弦矢に対し胸に手を当ててみせる。
「魔境士族の敵対に感謝の意を。礼と云っては何だが――その血肉を我が一部にしてやろう」
「――“格”のちがいを見せつけたあとでなっ」
芝居がかった動きで右手を振り払い、首魁は悠然と後方へ跳んだ。
弦矢の目がわずかに見開く。
何気ない蹴り足で軽々と宙へ舞い上がらせた跳躍力は、あきらかに先ほどの動きとちがっていた。
ただでさえバケモノぶりを発揮していた身体能力が、さらに強化されるなど――その力でジャリ玉などの攻撃をされたらどうなるか?
「させぬっ――」
最悪を予期した弦矢が脱兎のごとく追いかける。
カラダは動く。
首魁が無駄口を叩いている合間に呼吸をかすめとってすこしばかりの回復を図っていたからだ。
たった一度きりの深呼吸だが、一心流の調息に片桐から伝授された『想練』を組み合わせているので活性力がひと味ちがう。それでも。
(――一度きり)
それすら秘力を十全に発揮できるか疑わしい。一時的に力を取り戻したカラダの方も似たようなものだ。
「――っ」
だから弦矢は全力で駆け着地際を狙う。
剣を下段に構え、地をすべるように動く。
だが無情にも、弦矢の予測を超えて優に五間(およそ10メートル)を飛んでみせた首魁が先に着地する。
その差は三間(およそ5メートル)。
弦矢にとっては絶望的な遠間――――否。
「しぃっ」弦矢が鋭く息吹き、
首魁の姿がかき消えた。
次の刹那、ふたりの間で火花が美しく散る。
何が起きた?
遠間と思えた間合いはふたりにとって殺傷圏内だっただけのこと。
一足で詰めんとした弦矢に同じく首魁もまさかの踏み込みで対抗。
両者激突寸前、超速の移動で生まれた強力な風圧に弦矢の身が左へ押しのけられながら浮かされ、重心を失うことに。
そこへ唸り飛ぶ首魁の爪撃――。
――反射防御で反らす弦矢。
ここまでが初手。
だがそれで終わるはずもない。
飛び散った火花が消える前、
威力を殺すために鋭く回転した弦矢が重心を落ち着かせるか否かの一瞬後。
――――ピ、
――――ピュウ
夜気を切り裂きながら首魁の次撃が襲い掛かる。
弦矢は左足をわずかに退いて左爪を避け、流れるように上体を反らし首を傾けふたつめも捌く。
寸瞬遅れで地が切り裂かれ、空気が痛みに啼く。
なんだ、今のは――?
今の攻防に蒼の一閃はない。
ケタ外れの力が、ただの爪撃にスキルに近しい切れ味をもたらし真空刃を発生させたのだ。
「……っ」
事実、鋭い痛みを感じたかと思えば皮一枚で見切ったはずの襟元が裂かれていた。無論、弦矢は痛みを感じただけで目視する余裕などない。それほどに首魁による攻撃の切れ味は別格だった。
「……っ」
首魁の攻めは終わらず弦矢は見切りを大きめにとって徐々に退かされる。それでも全身を切り裂かれてゆくのはまぬがれない。
ここぞとばかり首魁の攻めが鋭さを増し、刻まれた弦矢の衣服が乱れ散った。
だが。
「――――」
反撃の糸口どころか防御もままならない状況でしかし、弦矢の表情に焦りはない。むしろ冷え切った脳裏に師の教えを蘇らせていた。
剣の速さとは――
剣速。
それを生み出す腕の振り。
連なる肩甲骨と内なる肉。股関節に膝の抜きを絡めた“体の速さ”こそがその真髄。
「その動きをいかに素早く滑らかに為そうとも、切っ掛けとなる“起こり”がはじめにある。それを見逃すな――」
「されど師よ」
すでにその域にあった弦矢は問う。
「どれほど目を凝らし、感覚を研ぎ澄まそうとも、貴方の“起こり”を感得できませぬ」
「そりゃ“削る”でな」
意地悪げににやける師に「削る……」と戸惑う弦矢。
「それは“先の話”だ。ぬしがやるべきは“見”に頼らぬ“感”に至ること。剣の神域にたどりついた者でもなければ、すべての起こりを隠すこともできなければ、削りきることもできぬでな」
「その“感”に至るには――」
「“動”を磨き抜いて“静”を知れ。“静”を知り“気”と“血”を感じよ。そうして己の内を知り尽くすことが、相手の内を知る早道になる」
それは特別な話ではない。
これまで弦矢が歩いてきた一心流の道である。
「それは、その……もっと精進せよと……?」
「ああ、つまらぬな。だが、それこそが“極意”と言われるもの。ぬしのそれは素人から見た“鋭さ”で剣士が求める“鋭さ”ではない」
その程度だと。
「“体”と“見”ではなく“体”と“感”の組み合わせを追い求めよ。それこそが“武の速さ”。しかして――」
一心流の求むる先は――――……
◇◇◇
ふいに、視界が反転したのをオーネストは気付いた。
いや、深化を経て常時発動している『魔狼眼』により、魔境士族の秘技にやられたことは認識している。
だが理解できない。
刃に触れただけで、なぜにこうも崩される?
それに今の今まで魔狼の超絶スピードに対応しきれていなかった者が、突然、反撃してこれたのはどういうわけだ?
???!!???
感情ではない、思考における動揺と困惑がオーネストの反応を封じ、一瞬後には二回転して地面に激突していた。
「――っ」
だがダメージにならない。
痛みを感じないオーネストは、即座に思考が状態復帰、大魚が飛び跳ねる勢いで素早く跳ね起きる。
――――キッ
目の前にゲンヤがいた。
しかも首が刈られる寸前に自分が追い込まれて。
超速反応で難を逃れるオーネストであったが。
(――なに?)
またも困惑がオーネストを襲う。
左。
右斜め下から。
切り返しの突き――。
見える。
見えている。
ゲンヤの操る刃の描線は『魔狼眼』がことごとく捉えきっている。
なのに。
「――?!」
斬られた。
このハイスピードの状況で『闇羽織』のカバーがない隙間を精確に入れられた。
バカな。
原種に近づいた、この力を。
(なぜにヤツは――――上回る?!)
オーネストはガムシャラに反撃する。
金属のこすりあげる音を耳にしたと思えば、こちらの意志を無視して勝手に右膝が折れ、首が放り出されるのを狙い澄ました一撃に襲われる!
「くおおっ――――」
思わず叫んでオーネストはガードする。
間に合った。
いや、さらに崩されて中空でほぼ横倒しになる。
魔狼の超バランス感覚でオーネストはスキルを発動。
『魔爪の旋風』――――
びゅるりと風鳴り音を響かせてカラダを高速スピン――カラダに沿わせた左右の爪が攻防一体の武器となりゲンヤの刃を迎え撃った。
次はこちらの――――
踏み込んだ先にゲンヤはいない。
いや、右に流れるのは見えている。
すでに首を狙って刃を振るう姿も。
オーネストはカラダの向きをそのまま、右手のみを振るう。
浅く、斬られた。
やぶれかぶれの攻撃にゲンヤが半歩退いたからだが、問題はそこじゃない。
斬られはしたが、ダメージがなかった。
そうだ。
自分は何を焦っていたのか。
ヤツはまだ、魔術刀をモノにしていない!
事実、ヤツの顔をみろ。
大量の汗にまみれ、苦しさを必死に隠そうと唇を引き結ぶその様を。
おそらくはスピードアップも秘技のひとつ。
ただここまで隠していたということは、これも制限があるにちがいない。
ふたつの秘技には制限があり、少ないチャンスを掴もうとあちらも必死になっているだけなのだ。
――――それだけだ。
ここで軽いパニックを起こしていたオーネストは我に返った。
たとえ攻防が続く中でも冷静に状況判断できれば思考も正常に働く。
慌てるな。
有利なのはこちら。
極論、ただの攻撃なら受けてもいい。
受けざまに電光石火のカウンターを叩きつける。
パワーならば圧倒的にこちらが上。
ならば密着してヤツのスピードを殺し、全力の一撃で消し飛ばせばいい――。
「終わらせるぞっ」
この手に勝利を掴まんと、オーネストは全力で踏み込んだ。




