(十九)先制の一撃
夕暮れ前
ゴルトラ洞穴門
――領都側出口付近
(風精の気配が弱い。なるほど、このために――)
先頭を駆けるカストリックは違和感を覚えると同時に、大がかりな細工を弄してまで洞穴を閉ざした敵の真意を悟っていた。
これは対精霊剣を見据えての一手だと。
空気を淀ませ、風精の活性を弱めることで精霊剣の効力を減退させる狙い。
つまり敵ははじめから、バルデアとカストリックという二大戦力に的を絞り、その力を確実に削ぎ落とす計画を準備していたわけだ。
(だとしても、甘い)
自信を持って断じるカストリックの脳裏には、ありし日の苦難がまざまざと蘇る。
憎らしいほどの晴天であったという記憶と共に。
そのまるくて小さい蒼穹は、今にもてのひらに収まりそうなほどなのに。
いくら腕を伸ばし、爪先立ちしようとも、指先で触れることすら叶わない。
どれほど叫び、
どれほど念じ、
心の底から助けを欲しても。
応じる気配はわずかも感じられず。
まわりを囲む石組みの壁に息苦しさを覚え、それを振り払うように身に纏わり付く淀んだ空気を必死にかき乱す。
早く目覚め、
踊り謳え。
この内にて生まるる自由を求める“声”に、早く手を触れよと――
日に一杯の水だけで二週間。
あきれるほどの深き涸れ井戸の底からの生還は、若かりし日に与えられた命懸けの試練。
そうとも。
あの地では、対策の対策を身に付けることは『精霊之一剣』の門人となるための必須条件だった。
己が欠点を識り、それを克服してこその一人前。
そして眠りに落ちた風精さえも喚び起こすのが、『風門』の精剣遣い。
だからこそ。
「――すまん。前言撤回だ」
ぼそりと洩らされたカストリックの作戦変更宣言に、追従する三人が不審を抱く前に、彼は行動に移っていた。
松明を投げ捨て剣を大きく右腰に横構え、
そのまま走るスピードを落とさずに大股で一歩、回転しながら二歩、さらに回転しながら大股で三歩目と――。
ぶぅん、ぶぅんと空気をうならせ、対流を巻き起こしながら大技発動の予備動作に入る。
実際には何が起きているのか――モーフィアにだけは、カストリックから流れ出る風気を呼び水に、活性化した風精群の渦が突如として発生したのを感じたはずだ。
それは瞬く間に大きくなり、風精の濃度もカストリックが一語放つたびに増してゆく。
「今度は」
「こちらが」
「先手を取らせてもらう――――――!!」
カストリックが左足を大きく踏み込み、ありったけの風気を乗せて剣を振りきった。
その瞬間、刃音も立てず。
しかし一拍遅れで、敵陣にて甲高く空気の破裂する音が炸裂した。
『風月陣』――――方ノ刃
以前、賊を炙り出すのに使った時とは違う。
手加減ぬきで放つ戦術級の精霊武技。
洞穴の最端まで深々と切り裂くほどの疾風の刃が敵集団に叩きつけられたのだ。
「今のは――」
驚嘆よりも咎めるような声は弦矢のもの。
初見であろうとおおよその実体を見抜き、洞穴の崩落さえ招きかねない威力の行使を非難する。
無茶がすぎると。
それを無用の心配と無視したカストリックが、うっすらと見えている敵陣の一角に指を差す。
「止まらずに左をっ」
続けて、
「ハセ殿は右をっ」
さも確信があるように自信をもって指示すると、ふたりは無駄口叩かず従ってくれる。
普通こうはいかない。
不審や不満が先に立ち、足並みが乱れるもの。
だが魔境で生き抜くふたりは違った。
流れを止めるは愚と承知するからこそ、私情を胸内に抑え込んで反応できる。
カストリックは場馴れたふたりの判断力に満足しながら、さらに足を進めて初手の戦果を見極めにかかる。
「……まあ、そうだろうな」
気になるのは何事もなかったように中央にて佇む人の影。
まわりの群影を霞ませるほどの存在感は、濃密な魔力によるものとカストリックは経験則で知る。術士のように感じ取ることはできなくとも、息苦しさのようなプレッシャーは感じられるからだ。
時にコリ・ドラ族の諱持ち。
時に霊地で出没する高レベルの死霊。
あるいは戦地でまみえる名うての隊長格――。
いずれも肌をしびれさすほどの殺気と胸が苦しくなるような圧迫感を味わわせてくれたが、中央に陣取る存在は、いずれの経験も霞ませるほどのプレッシャーを与えてくる。
(これはオーネスト殿か? いや、フォルムだとしても、なぜ対峙する形に……)
ローブの後ろ姿だけでは誰かと判別つけられず、ふたりが対峙する状況もまったく読めない。
分かることがあるとすれば、それは、戦術級の武技を払ったのが、このバケモノだろうということ。
すでにカストリックが仕掛けて戦端は開かれているのだ。
様子見など論外。
ならば。
カストリックは素早く手持ちの簡易水晶灯すべてを敵集団の頭上に向けてぶちまけ、明かりの確保と同時に敵の注意を引く。
「我が名はカストリック・アルドマ・ボルドゥ。故あって森精族の秘剣『精霊之一剣』を授けられし者」
これみよがしに口上を切ってみせるカストリックには思惑があった。
(まずは数を減らす――)
己の首で敵の主力ふたりを釣り上げ、左右へ討って出た味方を存分に暴れさせる。そうなれば時間も稼げる。
モーフィアによる効果的な精霊術を発動させるための時間が。
だからこそ、両バケモノが躊躇もせずに無名であるはずの魔境士族めがけて走り出すのを見て、カストリックはさすがに戸惑い、一瞬出遅れた。
◇◇◇
一見して連携があるようなオーネストと伝道師の動きであったが、ふたりの間に共闘はなかった。
本命の戦いに集中したいオーネストに対し、意味不明な茶番劇をぶち壊してフォルムを引きずり出したい伝道師。
そんな我と我のぶつかりあいをするだけのふたりにカストリックの武技が横槍を入れた形になっただけのこと。
(……!)
高密度な疾風の刃を叩き壊した時、魔術の剣と打ち合っても刃毀れしない爪にピシリとひびが入るのを見て、伝道師は背後の存在を“脅威”と認めた。
即座にオーネストとの板挟みとなる状況の回避を計る動きにより、中距離の技持ちと正対することになるオーネストもまた、逆方向に動いて不利を避ける必要が出る。
あくまでふたりの行動は必然だったのだ。
当然、そこに居合わせるのは疑似真人と――
◇◇◇
オーネストが陣の右手に寄った時、その異文化漂う身なりの男は、いとも容易く疑似真人の懐に入り込んでいた。
こうなると味方が邪魔で他の者は剣が振れない。
まわりこもうとするわずかな時の合間に男はひとりを倒してのける。
だがまわりこんだ者はふたり。
対峙すべき敵が倍になった時点で男の運命は詰んでいた。
なのに。
ブ、
ブン――
疑似真人ふたりが放つ残像を残すほどの斬撃を、男はたったの2ステップで躱し、さらに群集の中にまぎれ込む。
その狙いが当たり、動きがにぶった疑似真人の繰り出す斬撃は、変わらず2つ。
ブ、
ブン――
しかもひとつは死角から放たれているにも関わらず、男はやはり躱してのける。それだけでなく。
交差するように閃く白刃の残光。
実にあっさりと深く断たれたふたりが無言で地に伏せる。
誰も動けない。
空気まで固着したような静寂は、あまりに鮮やかすぎる手並みに心奪われたわけではなく。
疑似とは言え、真人化した視力をもってしても男の動きに追いつけなかった驚嘆すべき事実に、戸惑った空気がまわりを包み、疑似真人たちの動きを一瞬だけ停滞させたのだ。
ただ男に対しては、その一瞬が十分な隙となる。
「……これほどか……」
知らず洩れていた呟きはオーネストの中に湧いたささやかな感嘆。
人の身でありながら、ほぼ闇が占める洞穴内で敵の位置どころか、全体の動きまで掴んで戦ってみせる。しかも。
「さほど強さを感じさせずに、か」
むしろ底を計らせないと捉えるべきで、それこそが男の恐さとオーネストは解する。
男はその身から放たれる殺気や闘志の圧力を感じさせず、なのに、手練れの戦士をも越えた存在である疑似真人を相手に無双する。
「圧倒的なパワーやスピードでもなく、まして特殊なスキルに頼るものではない……そうか……我らは魔境士族を誤解していたわけだ」
ここでオーネストは頭にあった魔境士族像を大きく修正する。
「おまえらの強さはステータスのみに非ず。積み上げた豊富な実戦経験と過酷な環境で磨き、洗練された『達人級』の身技によるもの」
それは戦場経験の浅いオーネストにとって噂でしか識らない未体験の強さ。
「“いずれ識る必要になる”――確かにそのとおりだな、フォルム」
いつぞやに受けた助言を思い出し、自然とオーネストの口元がほころんだ。
久しく忘れていた顔面の動きは、胸の空虚に灯る何かのさざなみによるもの。
「ちょうどいい。私も、そして『真人部隊』の練り込みにも、これ以上の相手はない」
まるで余興の終わりを告げるように。
オーネストが手を挙げ、その目に灯る燐光が輝きを増す。
「次は、こちらのターンだ――」
◇◇◇
伝道師が陣の左手に寄った時、その戦いはほぼ終わりを告げていた。
同族かと思わせる冷めきった相貌のあるじは、彼をして視認しにくいスピードで疑似真人を打ちのめし、息ひとつ乱さず優雅に歩む。
だからといって脅威たり得るわけでない。
伝道師としては、仕掛けられたから排除するだけのこと。痒みを与えた蚊を反射的にはたき潰す行為に等しい。
ただ、力押しだと蚊を逃がす時があるように。
伝道師は疑似真人を枯れ簑として間に挟み、影から人差し指の槍爪を飛ばす。
手応えなし。
人越しにちらりと覗く姿で避けたと察し、すぐさま親指と薬指の追撃を放ちつつ、疑似真人を肉の盾にすべくすり寄った。
そのまま空いてる左手で、血泡を吹く疑似真人のカラダを押し込もうとする。と――
――――っ
ふいに、左手に衝撃が突き抜け、手の甲が爆ぜ割れた。
「……」
伝道師の表情は変わらず、しかし無言で見つめる姿が内なる感情を露わにする。
驚愕の二文字を。
今のは敵の攻撃だ。
だがどうやった?
左手を据えたカラダの部位に欠損はない。
なのに左手だけを壊された。
それでも一瞬ののち、伝道師は残された右手首を高速でこねて五爪をらせん状に回転させながら反撃する。
その背後にいたであろう魔境士族と共に細切れに四散する疑似真人。
だが、相手は横に飛び退いており、さらにこちらへ大きく詰め寄っているっ。
<<止まれ>>
伝道師の朱眼がひときわ赤みを増し、声なき声が相手の頭蓋内に鈍痛のごとくズキリと打ち響く。
まるで凍り付いたようにそのカラダは硬直した。
同様に伝道師もまた身動き止めたのは、喉元にまで迫っていた鉄棍の切っ先に気付いたがため。
「……何者だ、貴様?」
ここにきてようやく伝道師は、相手の男を意識する。
その異国情緒匂わす身なりに覚えがある。
極東の島国に棲む民族か、あるいは『狂ノ者』。
だが、何よりも真っ先に思い浮かべたのは――
「『憤怒の十字軍』か――」
互いに倒し倒されてきた数は分からない。
だがここで記憶を疼かされる人物は、あの方々の空席ひとつに関わったとされる忌むべき剣士。
伝道師の間でも呪いのように語られる人物。
「もし、おまえがそうであるなら……『オーダー』は出ていなくとも、積極的に関わり討ち取ることは赦されよう」
「……」
伝道師はこちらを見据える黒き瞳を見返しながら棍を避けて近づく。
「ムダだ。私の瞳力は一族イチの『邪眼』。命令は光文字となっておまえの脳に焼き付き、別の命令で上書きされないかぎり消えることはない」
「……っ」
それでも、かすかに指先や瞳孔が震えているのは大した精神力と言えるだろう。
だがそこまで。
それ以上の奇蹟はない。
あと一瞬でも遅れていれば、攻撃が入ったであろう瞬間でのカウンターだからこそ、暗示が深く決まったのだ。
たとえ到達者であっても容易に外せる“枷”ではない。
「ムダと言った」
伝道師はさらに目力を強めてねじ伏せる。
力量差を見せつけるように、あえて悠然とした動作で目の前まで歩み寄ってみせる伝道師。
そうして彼は、勝利宣言するかのように相手の額へ人差し指を突きつける。
「実は僅差であったと認める。だが例の魔剣を使わなかった慢心が、おまえの敗因だ――」
伝道師はためらわずに槍爪を放った。




