(十八)伝道師か否か
夕暮れ前
ゴルトラ洞穴門
――領都側出口付近
「あれは……?!」
「むぅ」
木立の影から望めし思いがけない光景に、侍たちは思わず呻き目をみはった。
「なんぞ、あの馬鹿でかい門は……それに砦まであるとは聞いておらぬっ」
「じゃがあのようなもの、一朝一夕で築けるものではない」
「左様。敵は敵で、密かに迎え討つ策をとっていた――そういうことだ」
そうして彼らが忌々しげに見つめる先には、巨石で塞がれた洞穴とそばに築かれた小さき砦。物見らしき櫓に人影もちらつくところをみるに、今なお使われていることは間違いない。
「これでは若たちは……」
「それ以前に、我らは間に合ったのか?」
「間に合うも間に合わぬも、あの巨大な門を何とかせねば」
いかなる手助けもできやしないと。
不安の言葉を口にしはじめる者たちに、
「ここで眺めていたところで、何も始まるまいよ。のう――副長代理殿」
野太い侍が行動を促す。
そこで話を振られた副長代理の月齊が、「動くのはいいとして」と何かを請うように見返してくる。
受けてその侍――剛馬は目を眇めて砦の様子をうかがった。
「あれを門とするなら、仕掛けは砦にあるのだろうよ。その砦だが――断崖を背にした建屋をぐるりと囲む高さのある木柵。物見も死角を潰すように配置されておるから、容易に近づけんな」
「なおのこと、無策では動けぬ」
断崖の上から降りる考えは論外だ。
そもそも、そこまでどうやって行けばいいのか分からないほど、世界を断絶するような断崖の端は見当たらない。
さてどうすべきかと月齊をはじめ誰もが唸ったところで、剛馬がさらりと告げる。
「別に正面から行けばよい。堂々とな」
「矢雨に討たれて終わりだ」
「そこまで突っ込まねばよい。要するに、こちらの存在を知らせ警戒させるのが狙い。あとは――」
向けられた剛馬の視線を受け、そばで控えていた陰師ふたりが承知と顎を引く。
「隙をみて入り込み、内部より攪乱いたします」
「よし。こちらはこちらで囮らしく精々踊ってみせようぞ。のう、副長代理殿」
そのカラダは秘薬でも治りきれず、辛うじて傷が塞がった程度。そうとは思わせない余裕っぷりで口元をゆるめる剛馬に「出過ぎるなよ」と釘を刺すのを忘れない月齊であった。
◇◇◇
同刻
ゴルトラ洞穴門
――領都側出口内部
石門を閉ざしてからいかほどの時が流れたか。
松明すら灯さぬ洞穴の闇に身を委ねていたオーネストは、ゆるりと近づくその者に気が付いた。
「フォルム……?」
知った気配に名を口にするも、違うと判ずる。
フォルムや真人を思わす近しい存在。
その感覚が正しかったことは、闇の中、赤光を放つ双眸だけが近づいてくるのを捉えたことで立証された。
「……あいつにしては、おかしいと思ったが」
間合いを保って足を止めた相手もこちらと同じ勘違いをしていたらしい。
観察するように無機質な視線をオーネストに向けてくるその口元が、忌々しげに歪められていく。
「“蒼燐の眼”に“蒼月の肌”……殻だけは立派にして、その中身はなんだ。不遜にもあの方々を模そうと試みたようなゲスのマガイモノ。まさかフォルムのやつ――」
そこで相手が何を察したかは分からない。
分かるのは、相手が副団長の知人であるらしいこと。当然、あの副団長の知己らしく人外のモノであろうこと。そして。
「――実に不快だ」
棒読みのようであったセリフの最後だけ、明らかな憤りを露わにした。
次の瞬間、その者は5メートルあった距離をひと息に潰していた。
それでもふたりの間合いはまだある。
なのに硬い何かが激しくぶつかりあった音が闇に響く。
「……小癪にも『銀狼』の御力を授かるか」
ますます気に食わぬとした相手の口ぶりは、刹那の攻防でオーネストの肩にかけたコートが落ち、露わになった剛毛の目立つ両腕を目にしてのもの。その五指から伸びる鉤爪が、攻撃をはねかえした武器であったらしい。
「だがあの方々に似せたところで所詮はマガイモノ。貴き意志を代行すべく選ばれた私の力に及ぶべくもない。
まさか、こんな不愉快な対面をさせるためだけに付き合わせたのか? だったら興醒めだ。今すぐこの茶番を終わりして、とっととフォルムを連れてこい」
「どの立場でものを言っている」
相手の傲慢な命をはねつけるオーネスト。その言葉に呼応して、周囲の闇で蠢くいくつもの気配。
それは団長直下の親衛隊。
『一級戦士』になれる資質のある者を早い段階でスカウトし、一般団員よりも過酷な訓練と実戦投入で鍛え上げた戦士たち。
その彼らにさらなる強さを求め、オーネストは未完成であった“変異テスト”を受けさせ、生き残った『疑似真人』だけによる再編成を行っていた。
今の彼らはただの親衛隊ではない。
あの時の『鬼謀』をたやすく討ち取れるほどの鬼人隊に生まれ変わっていた。
だからこそ、いかなるバケモノ相手であろうと勝利を見込む確信が、オーネストに豪語させる。
「おまえはフォルムが私に託した黒馬車のあるじなのだろう? ならば……彼との間に何があったか聞かぬが……為すべき役目があるはずだ。それは少なくとも、こちらに牙を向けることではあるまい」
「分かってないな」
「何がだ?」
「ヤツのことを。これまで何かを共に為してきたと思っているのなら、壮大な勘違い。おまえも含めヤツ以外の者にとって――すべては遊びのネタにされただけ。
これまでおまえがしてきたことも、今からしようとしていることも、こうしてふたりが居合わせることも、すべてな」
朱眼にかすかな侮蔑と――憐れみすら浮かべ、その者は託宣を告げるように語る。
「ただ、やつの遊びには意図がある」
「意図?」
「そうだ――」
相づち打つその者が、思わせぶりに続きを語る前に新たな人物が登場した。
◇◇◇
(くそっ、光が差さねえから分かりずれぇ)
バケモノを連中に押しつけ、逃げることしばし。
マルグスはいつまでたっても闇が続く状況に焦れ始めていた。
(門を閉じるのはかまわねえが、せめてオレが合図するまで松明くらい焚いてろや。……結局団長は、オレのことも信じてないってわけだ)
もらった肩書きの空虚さと。
事実、策に溺れて逃走するはめになっている自分に、マルグスは自虐的に唇をゆがませる。
(いや、別に問題ねえ。オレは連中の戦力を削り、留めのバケモノを召喚した。そうだ、オレぁ何もヘマしちゃいねえ)
そう自分に言い聞かせた途端、
――死んだのを確認したのか?
団長の返しがすぐに思い浮かび、マルグスは背中をひやりとさせる。
(死んでる。あんなバケモノを相手に生き残れるはずがねえ!)
どれほどイメージの団長に叫んでみても、叫ぶほどにマルグスの確信は揺らぐ。そんな言い訳が通るわけないと、今さらながらに確信できるからだ。
「くそっ」
まぎれもなく成果を上げているにも関わらず、敗残兵のような気持ちになっていく。
せめてあとひとつ、手柄があれば。
何でもいいから。
「む――」
ふと、マルグスは肌をざわつかせる気配を前方に感じて走るスピードを落とす。同時に手にしていた『月明かりの水晶灯』を放り投げた。
放物線を描く水晶灯が、問題の場所を月明かりと同じ光明で照らし出す。
浮かび上がるのは、まるで死者の群れを目の当たりにしたような、肌をざわつかせる人の群影。
そして、それらと対峙する人影を目にした途端、こうなっている理由や状況が分からなくとも、これまでの経験則でマルグスは評価アップのチャンスと捉え、行動に移した。
「誰だ、てめえ?!」
誰何とナイフの投擲がほぼ一緒。
ナイフに注意を向けさせ、相手の頭上を飛び越える。
たとえ本当の意味で団長がピンチでなくとも、間に割って入り、団長の盾となる姿勢は評価される。 成果主義を熟知して成り上がってきたマルグスだからこその発想であり行動。
その選択が、ここにきて裏目に出る。
――――?!
筋力ブーストの力でマルグスが5メートルも跳び上がり相手の直上に差し掛かったところで、下から何かが閃いた。
脅威の動体視力で見切り、身をひねるマルグス。
さらに二閃。三閃。
まるでレイピアの刺突を思わせ、鋭く伸び上がる鋭利な武器を皮一枚切らせただけで躱しきる。
その凶器が硬質の爪だと知ったのは、さばききれずに銀霧剣で合わせた時。
「くっ……ぉおお」
伸び縮みによる“刺突”ばかりでない。
伸びきった爪が振られて“斬撃”にも変わる。
その恐るべきスピードと変幻自在の攻撃は『一級戦士』をも越え、それが同時に五人分――五爪に攻められたところで、三重増強による守りがあっけなく瓦解する。
「グッ、かばぁああああ!!!!」
超視力でカバーできない死角からの二爪にカラダを突き込まれながらも、渾身の力でひとつを叩き折るマルグス。
だがそれは虚しい努力。
折れながらも伸びた爪が新たにマルグスのカラダを貫き通す。
「ぶっ……」
肺をやられ吐血するマルグスが、血走った目で眼下の敵を睨む。
こんなバカな。
これほどあっさりと。
切られた箇所の回復が遅く、痛みも強い。
そして心肺機能の低下による一瞬の鈍りが隙となり、さらなる追撃を許すはめになる。
切り刻まれ、飛び散る肉片と血しぶくカラダ。
異様なのは、これほどの攻防があり、実際にいくつもの攻撃を受けながら、まるで何の力もかかっていないようにマルグスのカラダがきれいな放物線を描き続けること。
事実、戦いがはじまってからの終わりまで数秒足らず。
急所という急所を刺し貫かれ、力なく着地したマルグスは、踏み止まることもできずに団長の足下に転がった。
「……」
自ら団長補佐へ抜擢し何らかの期待をしていたはずの部下に言葉もかけないオーネスト。その目は凶爪を振るった相手からわずかも反らすことはなく。
偶然か否か、団長に向けられた何かを請い求めるマルグスの瞳は、すでに光を失っていた。
◇◇◇
「それで、どうだ?」
部下を見殺しにした意図を見透かす問いかけに、オーネストは隠すことなく感想を述べる。
「片手で五人――ひとりで十人分の働きか」
「そのひとりをそちらと同じに思わぬコトだ。私とマガイモノでは埋められぬ差がある」
「こちらをマガイと言うのなら、“届かぬ者”であるそちらは何だ? どうしてそこまでの優劣があると信じれる?」
言い返されても相手は動じない。
「フォルムのやつに聞かされたか。ただ肝心なことはなにひとつ聞かされていないとみえる」
ならば教えてやろうと。
口にする以上、相手の本音は明け透けだ。
「眷属は種々あれど、その中で区別するとすればただひとつ。あの方々に選ばれるか否か――すわなち『伝道師』であるか否か、それだけだ」
◇◇◇
ふいに先頭の馬がいなないて、送迎団の隊列に乱れが生じる。
「どうした、落ち着けっ」
慌てる騎乗の騎士に後方から声がかけられる。
「ここまででいい」
ひとり御者から降りる月ノ丞。
「え? ですが、まだ……」
「いや、出入口は近くのはずだ」
そう答えたのは馬車から降り立つカストリック。
御者から松明を受け取りながら、前方の闇に目を凝らす。
「距離的には到達している頃合いだ。おそらく……やつらは砦の門を復活させた。どうあっても我々を通さぬつもりだな」
「まあ、その対策も兼ねての別働隊」
続けて降りた弦矢が補足する。
「儂らは信じ、目の前の障害を取り除くのみ」
弦矢に月ノ丞。
カストリックにモーフィア。
騎士とバルデアを馬車の護衛に残し、前に進み出る4人。
彼らはカストリックを先頭に弦矢と月ノ丞を左右に据え、モーフィアを後方に配置するダイヤモンド隊形をとる。
「手はずどおり、接敵したら三人で討って出る。本当にモーフィアを任せてもよいな、ゲンヤ殿?」
「うむ。剣と槍は任せられよ。ただし――」
「術には術。そちらの心配はしてないわ」
モーフィアが自信をのぞかせる。
「それはともかく……」と声を低ませるのは洞穴の奥に感じられる異常な精霊のざわつき。
「何か、とんでもないモノがいます」
「ああ。集団の気配に混じって、ふたつの大きい気が強烈だ」
そう受けたのは月ノ丞。
「今にもはじまるぞ――」
「え?」
モーフィアが訝しんだのは、なぜ味方同士でという素朴な疑念。
「待つのもありか……?」
弦矢の呟きをカストリックは「いや、進もう」と促す。
「こちらの明かりは見えているはずだ。仲間割れであれ、何であれ、こちらかプレッシャーをかけてより切迫した状況をつくりだし、敵の判断力を鈍らせた方がいい」
「異存ない。では駆けようぞっ」
弦矢があえて走る姿勢をとってみせることで皆に駆け足を促す。
「へ? そこまでしなくても――」
戸惑うモーフィアを尻目に飛びだしたのはカストリック。
遅れず歩速を合わせる弦矢と月ノ丞。
「この単細胞どもっ」と小さく毒づいたモーフィアは、慌ててローブの裾をたくし上げるのだった。




