(十)バルデアの念い
送迎団出発前夜
シュレーベン城
――上級士官用医務室
「言ってもムダだろうが……」
そう予期しているにも関わらず、言わずにはおれない性分なのだろう。
「とりあえず傷めた内臓や傷口を完治するまでには持っていけた。ただその代償に――血や肉をそれなりに削られたのはもちろん、人としての“根源的な力”も根こそぎ失ったと思いな。術の反動てやつだから、そればかりは受け入れるしかない」
いくら寄付金を高くしてもねと生真面目に付け加えたところで、「だから一週間」と相手は人差し指をつきつける。
「たっぷり食って寝て、しっかり養生しろと言うのが、治癒師としてのアドバイスになる」
そうして施術を終えて疲れたようにため息をつく熟女司祭に、「貴女に頼んで良かった」と満足げに礼を述べるバルデア。
指先を押し込んで具合を確かめる脇腹は、死力を尽くしたエンセイとの戦いにより、秘具の力であっても完治できない深い傷を負っていた。それが違和感すら残さず完治してしまったのだ。さらなる望みなどするはずがなく、ただ心から安堵するだけ。
「おかげで今度の任務に集中できる」
「ちっ」
バルデアの言う任務とは明日からの話だ。
予想通りの無茶な言動だったのか、熟女司祭は唇を歪めて憤りを露わにする。
「神は奇跡を起こせるが、その御業を借りるだけの治癒師には、限界があるんだよ。あんたの枯渇寸前になっている生命力までは、どうにもできないと言ったのさ」
「ああ、承知している」
「いいや、わかっちゃいないね」
熟女司祭は逃がさない。
剣士というには細すぎるバルデアの裸身を目に留めながら、さらに踏み込んだ指摘をつきつける。
「歩くのがやっとのカラダで何ができる? 根性で鎧を着込み、気合いで剣を振るって戦えば、辺境の猛者が倒れてくれるのか? 足手まといの隊長を必死で支える部下が、犬死にしちまうと言っているんだよ」
そうして詰め寄る熟女司祭だが、固い決意で見返すだけのバルデアに、ふたたび大きく息をつく。
バルデアは女だてらに『三剣士』の頂きに上りつめた者。付き合い短くとも、他人に言われて意志を曲げるはずもないことくらい、分かっているのだろう。だから――
「明日の随行メンバーには、腕のいい導師や『精霊剣』も同行させ、加えて例の『魔境士族』とやらまで協力するって話だろ。あの連中――そうとう遣える戦士だぞ」
「それも承知だ」
「なら、任せていいのも分かるよな?」
なにも怪我人を駆り出すほどに戦力不足というわけでもないだろうとの説得に、
「万一の取りこぼしも、あってはならない」
念には念を。
断固たる声でバルデアは意志を貫き返事とする。
「事は“姫の一命”だけの話ではない。大戦で産み出された“歪み”は、辺境領に留まらず、公都の民をも苦しめている」
「『俗物軍団』のバカ共か……女性を攫ってたて話は……」
「事実だ」
表情も変えずに認めるバルデア。
「ヤツらの狂気は異常だ。歯止めが利かない。おそらく辺境候さえも手に負えないのが実情では、そう思う。
だから万一、送迎の役目を果たすこと叶わず、勝者となったベルズ家の影響力が強まることにでもなれば――その歪みは、公国全土にまで広がることになる」
それは“公国の死”と同じ。
たとえ“歪んだ力”で周辺五カ国からの侵略を防げたとしても、その力は民の暮らしをも歪め、引いては国の活力を奪う。そのような未来など、中央の民はもちろん、辺境の民さえも望まぬとバルデアは説く。
「それに――」
そう一拍置いて、
「本事案の失敗は、即、ルストラン様の失脚につながる。“反逆罪”という汚名まで着せられて」
深刻げな声で付け加えたところで、「ふん」と鼻を鳴らし唇の端を吊り上げる熟女司祭。そちらが本音かと合点がいった表情で。
「あんたも“女”ってわけだ」
「……どういう意味だ?」
知らず殺気が洩れるバルデアに、熟女司祭は唇を引き結び、真顔を寄せて「いいか」と肩を叩いてくる。
「あんたはの本分は、突き詰めれば“殿下の命を護る”こと。だから今度の任務がどれほど重要であろうとも、ひとり気負って死に急ぐのは、別の話だと忘れるなよ? 必ず生きて帰るんだ――たとえ、任務が失敗しようとも」
「失敗はしない」
いや、させやしないと。
御身を守るのは当然、名を貶める事もあってはならない。
この身に替えてもと決意を言葉に込めるバルデアの頑なな姿勢に、「まったく――」と熟女司祭は言葉を詰まらせ、そして少しだけ困ったように眉をひそめた。
「……幸薄い道を、選んだな……」
その呟きを結びの言葉と受け止めて。
「邪魔をした」
女でも嫉妬する美しい曲線を描く身をチェイン・アーマーの下に隠し終えると、バルデアは静かに席を立つ。
ただそれだけの動作に節々は軋み、筋肉痛でにぶる肉体は他人のもののように感じる。それ以上に問題なのは、全身にまとわりつく強烈な倦怠感。
とりあえず剣を握れたとして、どれだけの力で振り回せるのか、バルデア自身にも分からない。なにしろ、誰かと手合わせするのも憚られるほどの状態では。
それでも手足を動かせるなら、十分だと。
「……っ」
よろけそうになる肉体を気力だけで支え、はためには何事もなかったようにバルデアは目礼すると踵を返した。
背中に感じる視線を無視して、バルデアは扉に手を掛ける。
「……どうした?」
扉を開け、そこにいた者に尋ねるバルデアに驚きはない。
その気配には気付いていたからだ。
扉の外にいたのは、明日、ベテラン騎士に推されて帯同することになったロイディオだった。出発の準備が大変で、今夜も夜更けまでかかると張り切っていたが、どうやら無事に終えたらしい。
自分を捜して報告に来たのか、あるいは彼のことだ、こんな時でも交替を頼まず生真面目に夜間の警備に入ったとも考えられる。
なのに、どうしたものか、彼はバルデアと目線を合わせず、ひどく慌てたように視線をしきりと左右へ振りながら、
「あ、いえ……たまたま……たまたま、通りがかっただけです。本当ですっ、団長殿! このロイディオ、嘘偽りは申しませんっ」
まるで断罪の審判にかけられてでもいるかのように、全身全霊で必死に訴えてくる。
バルデアとしては、だからなんだという話。
「そうか」
「そうですっ、自分は何も――あ、いえっ」
と言いかけた言葉を止めて激しく首を振り、
「その、あの……すみません、失礼します!!」
言うが早いか一礼し、駆け出す速さで歩き去るロイディオ。
無論、バルデアとしては呼び止める理由も必要もない。
無言で若騎士の背を見送れば、逆に彼の方が十歩と行かずにピタリと足を止め、思い切ったようにくるりとバルデアの方へ向き直った。
「団長殿っ」
「なにか」
「ハッ。――――その、お身体の方は大丈夫で?」
おそるおそるといった塩梅で、上目遣いにこちらをのぞきこむ若き騎士。
その様子を見て思い出されるのは、ここ数日、薬草だの精が付く食べ物だのと、何とも甲斐甲斐しくこちらの体調を気遣ってくれていたこと。
得心したバルデアは「ああ」と何でもないように応じてやる。
「司祭様の腕は確かだ」
「ですが、『戦気』による消耗は……」
「無論、今少しの養生は必要だが、幸いなことに、それは道中の前半でまかなえる。忙しくなるのは旅程の後半からだろうからな」
その言葉にロイディオの顔に張り詰めていた強張りが少しだけ和らいだ。
「それでは――」
「任務に支障はない」
軽く頷いてみせるも、ロイディオの表情はどこか浮かなげだ。それでも沈黙して少々――自分なりに納得したのかグッと顎を引く。
(こういうところだ)
見込みのある人間というのは、頭の切り替えが早い。
それがすべてではないが大切な要素。特に異常な環境に置かれる戦場では、必須の力であると自身の経験則からバルデアは重んじる。
そういう意味で、ロイディオは実戦向きだ。追い詰められた状況でも、打開策を見出すことに頭を回せるだろう。
そんな評価を得ていると知らぬロイディオは、今し方まで見せていた動揺や不安をきれいにぬぐい去り、姿勢まで正して口を開く。
「報告遅れましたが――出立の準備は万全、皆の英気もこれ以上無く充実しております。道中、団長殿が療養に専念できること、このロイディオが請け合いますっ」
自信満々に胸を叩いてみせそうなロイディオの意気込みに、軽く応えるバルデア。
「ああ、頼らせてもらうぞ」
「! ――お任せ下さいっ」
そこに毛ほどの思いがなくとも聴き取る側はそうならない。一瞬顔を紅潮させ、いつにも増して声を張り上げるロイディオ。
「それでは、明朝――」
再び一礼して、今度こそ立ち去る力強い足取りは団長補佐に相応しく。
しばし黙して見送るバルデアへ室内から声が掛けられる。
「……憧れられるってのも、大変だな」
揶揄のない生真面目な声は熟女司祭のもの。
「期待には応えなきゃならないし、張り切りすぎる連中の手綱も、しっかり持ってやる責務まで押しつけられちまう。特に英雄志願者や信奉者てのは、厄介だぞ?」
「あいつは、そこまで愚かじゃない」
否定するバルデアに「強すぎる想いは、人を盲目にするんだよ」と意味深に説く熟女司祭の言葉がバルデアに絡む。そして「あれは気付いているね」と続ける。
それは体調や別のことも含めての意味。
「だとしたら――ますます危ないな?」
確信を込めた熟女司祭の投げ掛けに、バルデアは答えず視線を鋭くさせる。
言われるまでもない。
己の性別が波風を立てずにはおれぬこと――それはこれまでにも、幾度か起きていた苦い経験であったから。
*****
現在
ゴルトラ洞穴門
――中央部の戦闘区域
(なのに結局――)
熟女司祭の気懸かりは現実になってしまった。
団長の窮地を救おうと部下がその身を盾にして、若い命を戦場に散らしたのだ。
無論、戦いの勝敗を左右する指揮官を護るのは当然のこと――それはどこの軍でもそうであり、またバルデア自身、何かのヘマをしたわけでなく、むしろ敵が狡知に長けていただけの話。
バルデアという戦力を失えば、さらに戦況は苦しくなるのは間違いなく、ロイディオの死も遅いか早いかの違いであったとも言える。
――などと、簡単に呑み込めないのも本音。
だからなおのこと、死んでも安らぎなく敵として戦わされる無残さに、思わずバルデアの手に力がこめられる。
(もっとだ――)
しびれで思うように力が入らぬ手に念を込めて。
(せめてこの手で――)
その想いが、練りきれずに霧散してゆく“氣”をわずかに留まらせる。
か細い戦気を指先にかき集め、集中させて。
首無し遺骸が足を踏み出すのに合わせ、右腕の肘に刃を滑らせた。
抵抗なく断ち切られる腕。
だがロイディオだった遺骸は倒れない。
鋭い弧を描いて刃を左腕の肘へ。
宙に飛ぶ二本目。
それでも倒れない。
なのに、こちらの戦気は薄れ指先の力がゆるむ。
「まだだ――」
吐ききった肺を無理に絞り上げ、バルデアが半歩踏み込み、右の腿上に刃を走らせる。
さらに左の腿上を。
瞬時に四肢が飛ばされ、かつて若騎士であった遺骸は芋虫のごとく地に転がり、無力化された。それでもなお。
「まだ、動くか……っ」
もう気力は尽きた。
精魂絞りつくした反動で冷え切る腹腔。
なのに届かぬ現実に、歯を剥くバルデア。
「首だ、ばるであ殿っ」
「……っ」
その声に押されて、少し離れた地に転がっている若き騎士の首へ近づくバルデア。そこで思わず踏み止まってしまう。
分かっている。
心臓がダメなら頭部――『動く遺骸』の相手はさんざん経験してきたことだ。
目の前のそれが、そうならば。
真実はスライムである可能性が高く、百歩譲って頭部が弱点であるなら、狙うだけ。どのみち、試してはみるべきだ。
なのに。
それを承知していても、あの晩に熱い眼差しを向けてきた若き騎士を思い出すだけで、勝手に剣が止まる。
バルデアの意志を無視して。
それもわずかな時間だが。
脳裏に浮かぶ影も胸中の想いも打ち消して、バルデアは“首”に向けて倒れこんだ。
剣柄を自身の胸に当て、そこに体重を預け、上から押し込むように“首”へ突き通す。
(――――)
ただ、心を無にして。




