(九)旧きモノ
同刻
ゴルトラ洞穴門
――中心部より奥
【別働班ジエール】
ふいに、乗っていた馬が竿立ちになり、
「どうした?!」
ジエールは戸惑いながらも手綱をさばく。
それは部下の馬も同様で、
ヴヒヒッッッィン!!
「……ぅおわっ」
「クソッ、落ち着け!!」
乗り手の存在など忘れたように、激しくいななき首を振り、勝手に後ろへ下がろうとする。
飛び交う罵声。
乱れ狂う松明。
鼻息荒げる馬を懸命になだめつつ、これはただ事ではないと部下の一人が訴える。
「隊長……?!」
「ああ、馬が怯えているな」
原因は不明だが、それだけは分かる。
自分達が気づけない“危険な何か”を、動物ならではの直感で、闇に呑まれた暗がりの向こうに感じ取ったに違いない。
実際、多少の落ち着きを取り戻せても、馬は足に根が生えたように一歩も動かなくなる。
「言うこと聞け、コノヤロウ!」
「ほら、進め進め!!」
手荒く馬の横腹を蹴りつけ、あるいは剣の平で尻を叩いても、
「――ダメだ、言うこときかねえぞっ」
この先に進むことを頑として固辞する馬に部下達が途方に暮れ、同じ結果のジエールも即座に見切りを付けた。
「構わん、このヘンでいいだろう」
「ですが、少し遠すぎやしませんか?」
これは団長が直々に参戦している中で受けた命令だ。
わずかな計画のズレをこちらの手抜きと判断されれば、どのような処罰が下されるかと部下が不安をのぞかせる。
「いや、かえってこの位置がいい」
そうジエールが判断したのは、こうなった原因に“マルグスの策”が関わっていると半ば確信するからだ。
「おそらくこの先は、味方であっても安全が保証されない戦地になっている。ヘタに近づき任務を全うできなければ、それこそ目も当てられん」
「……ああ、それは確かに……」
隊長が誰を思い浮かべ危惧しているか、部下も気付いたようだ。深々と頷き、「それにしても」と怖れと不審の入り交じる目を、松明の明かりが届かぬ闇向こうに凝らす。
これは事前に知らされている騎馬の突撃とは別の要因によるもの。
マルグスは味方にも隠して何かを仕掛けたのだ。
それは何だ――?
想像すらできず、ただ“危険な香り”をはっきりと嗅ぎ取った部下達が息を詰める中、
「……まあ、こっちの仕掛けも大概だがな」
下馬したジエールが振り返り、ここまで慎重に運んできた黒鉄の馬車を警戒の目で見る。
それは団長オーネストより預かった大事な荷。
あの得体の知れない幹部筆頭のフォルムが用意したという逸品だ。
中身は凶悪無比なバケモノか、
はたまた戦術魔導具の類いであろうか。
いずれにしろ、敵にとってだけでなく、味方にも危険で取扱い困難なロクでもないモノに決まっている。
だからこそ、これ以上リスクを高めるマネはしたくない、というのがジエールの本音。ポイントの見直しが正しい判断であると己に言い聞かせながら、部下の尻を叩く。
「とっとと下がれ。――オレの馬も頼む」
「ハッ」
荷馬車の後部にまわりながら、ジエールは懐から古くて大きい漆黒の鉄鍵を取り出す。
見た目はただの黒い鍵。
光を吸い込むような黒色は、闇で型取りしたかのように、凹凸の判別すら困難なものであった。
(呪力の鍵に酷似している――)
ジエールの受け取った時の第一印象がそれだ。
そしてその感想は、荷馬車そのものにも当て嵌まる。
少し遠回りしながら後方に移る部下の行動からも分かるように、ジエール自身、荷馬車に近づき触れるのもこれが初めてだ。
目にするだけで悪寒が走り、他者を寄せ付けぬ妖異の気配に近づくことを躊躇わせる。
それほど得体の知れない何かが、その荷馬車にはあった。
「隊長、もう少し待って下さいっ」
十分離れたはずの位置から、なおも距離を取りきれていないと焦りをみせる部下をジエールが叱責することはない。
気持ちは十分理解できる。
ジエール自身、たかが解錠する行為に強い緊張感を覚えていた。
(『一級戦士』に上り詰めた、このオレが――)
軽い屈辱を覚え、ふっと沸き上がる怒りを覚悟に替えて。
鍵穴にぐっと差し込んだ黒鍵をジエールは勢いよく回転させた。
錆び付いててもおかしくない錠前が、小気味よく解錠音を響かせ、弾け飛ぶ。
扉に手を掛けるジエール。
軽く息を吸い、両腕に力を込めて思い切りよく開く。
――――――
そこにあるのは、洞穴内よりさらに深い“闇”。
まばゆい光も軽く触れるだけで黒く塗り潰す暗黒そのもの。
「――?!」
どういうことだと目を凝らすジエールが、次の瞬間、ぶあっと頭髪を逆立てる。
理由など分からない。
弾かれたように後退り――それが一メートルと下がる前に強い力で押し留められる。
その肩口を抑え付けるのは、蒼白い左手。
目の前にはきれいに剃髪された青年の病的な顔。
何が起きたか理解できないジエール。
それでも間近に感じる妖異の気と濃厚な夕陽を思わす青年の双瞳に全身の毛穴が開いて、
「――――寄るなっっ」
ただそれだけを願って叫ぶ。
全身の筋肉を千切れるほどに絞り上げ、内なる魂も震わせての拒絶。
発すると同時に放った剣の一閃が空を薙ぎ、そのまま剣技『満月陣』につなげ、さらに斬り上げを挟んでからの剣技『双牙斬』。
――――殺った
それは連撃圧力で突き崩す『粉砕十撃』の四撃目に感じた確かな手応え。
しかし振り切った刹那の違和感にジエールが眉をひそめ――それが刃先の消失が原因と気付いた時には、その表情がピシリと硬直した。
「――――?!」
そのカラダも剣を振り切った姿勢で彫像と化す。
遠く、岩壁に跳ね返った刃先が地に落ちる音。
一瞬の間を置き、なめらかにズレる首。
最後の瞬間まで、ジエールは自身が殺されたことに気付くことさえなかった――。
◇◇◇
「ここはどこだ……?」
ジエールの首無し遺体に一瞥もくれることなく、黒鉄の呪牢から解き放たれた青年が、ようやく口を開く。
答える者は誰もいない。
為す術なく『一級戦士』である隊長が倒されるのを目にした部下達は、言葉もなく唖然と立ち尽くすのみ。
「彼はどうした? こんなフザケたマネをした挙げ句、隠れんぼか」
誰を差してのクレームか。
冷気を纏うような声に恨み節を滲ませて、青年はゆるりと顔を巡らす。
晒された頭部の地肌に彫られた№1の尊号。
それが何を意味するかは部下達に分かるはずもない。彼らに理解できるのは、念のために大きくとったはずの距離など意味が無かったということ。
ああ、そうか。
自分達はここで死ぬのだろうと悟っていた。
「……いいだろう」
そう洩らされた言葉を耳にして、あらためて死刑宣告を受けたように部下達の身体がびくりと反応する。
よせ、やめてくれと。
そうなると分かっていても、恐怖で顔をしわくちゃに歪ませて。
無言の絶叫でも実際に聞き取れそうなほどの懇願は、しかし無視される。青年の関心は別の人物にあるからだ。
「どいうつもりか知らんが、付き合ってやる。ただし、こちらのやり方でいかせてもらうがな」
血色の朱眼を闇に浮き上がらせながら、その青年――『伝道師』ボース卿は静かに歩みだす。
まずは、失禁して逃げる気力すら失っている三人の獲物に向けて。
*****
同時刻
ゴルトラ洞穴門
――中心部より手前 【送迎団後続】
背後からの襲撃にカストリック達と備えていたモーフィアは、突如として現れた獣人との戦いに苦戦を強いられた。
「何なの、これ……っ」
「離れるな」
混乱するモーフィアを隊長カストリックが後ろにかばう。
「……奴らの仕掛けなのは、間違いない」
それだけ分かれば十分と。
他の騎士達も場慣れた様子で状況を受け入れ、戦い始めたが、その見積もりさえ甘かった。
刻を経ずして戦況は不利になる。
国境警備の実戦で叩き上げ、そこから選抜された第三軍団の精鋭達が、武力で圧倒されて地に伏してゆく。
人型であっても基本ステータスは段違い。
それ以上に、獣の血が濃いせいか、人間相手ではあり得ない予測不能な攻撃パターンに対人戦闘を基本とする騎士達は苦戦を強いられる。
結果、ほとんどの騎士が劣勢となり、戦況の逆転を狙ってカストリックが個の力で奮戦する状況が続いていた。それも術士をかばいながらでは、戦局に影響を与える活躍など望めはしない。先ほどから、執拗にモーフィアばかりを狙ってくるのだから、守勢に回らざるを得ないのだ。
逆に言えば、術士を脅威に感じているといえる。 だからこそ、戦術兵器とも言えるモーフィアの力を発揮させる時が、今なのだ。
「応じて――」
モーフィアは素早く片膝着き、手のひらで地の冷たさを感じとる。そこから瞬間的に集中力を高め、
「――その五指を、鋭く、天へ!!」
連続する三つのイメージで精霊の力を凝集し、練り上げ、一気に発散させる。
『石針の絨毯』。
モーフィアの呼びかけに応じて地面から五つの石針が突き出し、獣人の足を止める。そこへ、
「むんっ」
叩きつけられるカストリックの剣技『孤月刃』。
肩口から割られた獣人がドウと倒れた。
「――これならっ」
「それでもキツイ」
希望を見出すモーフィアに上司の冷静な一言が水を浴びせる。
“地力の差”だけでなく“数の差”もある。
術士の支援で一体倒すスピードは、肌感覚で、奴らに一人倒されるスピードと比べてもあまり差を感じない。
つまり今の戦い方では、こちらの全滅が先になるということだ。
今すぐ何らかの打開策が必要だ。
だからモーフィアは隊長に要請する。
「皆に私を囲めと」
大技狙いの発言をカストリックは即座に汲んでくれる。
「どれくらいかかる?」
「数えで十」
両手の指折りする時間で仕上げると。
優秀な召喚導師としての自負がモーフィアに断言させる。その力強い言葉で信じるに足ると思わせたのだろう。
「皆、モーフィアを守れ!!」
戦いの喧噪を切り裂くカストリックの指示。
注意を引くように剣を高々と掲げ、
「――それで、我らの勝ちだ」
獣人にもプレッシャーを掛けるように勝利宣言した。
*****
同刻
ゴルトラ洞穴門
――中心部の戦闘区域
地面がうねったように見えたのは錯覚だ。
そのうねりが横たわる遺骸に近づき、押し上げ、息を吹き返したように立ち上がらせて見えたのも錯覚にすぎない。
確かにそのうねりは土塊ではなかった。
栄養分さえあれば活動し続けるひとつの生命。
身を守る外殻を持たず、外的ストレスに弱いからこそ、絶えず栄養を摂取して増殖を続け、自身の滅亡を避けようとする。
だから動物のカラダを住処にして身を守るのも生存のための工夫。
そのカラダを動かし、次の獲物を求める“狩り”を覚えたのも、やはり工夫のひとつにすぎない。
ならば取り憑いた遺骸の中身を糧にして、急激に増殖し、カラダの隅々まで支配下に置けば――
「おいおいおい――」
敵味方の区別なく、まわりで次々と立ち上がりはじめた遺体を見て、マルグスが唇の端を引き攣らせる。
どうやら喚びだした当人にとっても予測外の出来事だったらしい。
「バケモノはどうした? 古の秘術によって産み落とされた“不滅のモンスター”は?! ウソだろ、こんなの……『疑似蘇生』だと? オレは死霊魔術なんて使った覚えはねえんだが、な……」
儀式の失敗かと戸惑いを隠せないマルグスに、
「……いずれにしろ、悪趣味なマネをしたのは確かだ」
冷たく評するバルデア。
その声には「おまえが責任を取れ」との責めが込められる。
これに対し、どこか愉しんでいる節が感じられるのが魔境士族。
「まことにこちらの世は、飽きがこぬ……」
隙のない姿勢を堅持しつつ、口元に浮かべるかすかな笑み。
もうひとりの、鉄棍を片手に見守る麗人は、冷ややかに事態の推移を見守るだけ。とはいえ、そう余裕をカマしていられる場合ではない。
元送迎団の騎士が魔境士族のふたりに迫る。
弩隊であった戦士はマルグスに両手を伸ばす。
そしてバルデアには――
「……」
唇をきつく結んで、虚ろな眼差しの若騎士と向かい合うバルデア。
血不足で青白さを増す面差しに動揺は見られず、怜悧な眼差しで元若騎士の動きを注視する。
生前のケガが原因か別の理由によるものか、ぎこちない動きで近づいてくる若騎士の手に騎士剣はない。
仮に『動く遺骸』になっているなら生前の経験が活かされる。しかしこの若騎士にはそれがない。
その違和感に気付いているのか、いないのか。
「フゥ――」
若騎士のにぶすぎる動きを見て、口中の血を飛ばし軽く息を吐くバルデア。
かるく目を閉じ、呼吸を整え。
痛みを意識より追い出し、剣を振るひとしずくの力を内に貯める。
――――――っ
まぶたを上げると同時に走る剣――それへ抵抗も示せず首から断たれる若騎士。
一瞬で決着かと思われたが、若騎士の動きは止まらず手が伸ばされる。
「――っ」
左の頬に冷たい指先の感触を感じて、バルデアが咄嗟に首を振って払う。
さらに一歩詰めてくる若騎士。
間を取ろうとするバルデアだが、限界にきている肉体では間に合わない。
しかし伸びてくる若騎士の手が、顔前までしか届かないギリギリをバルデアは見極めて。
――――ズッ
若騎士の左胸を突き抜く剣。
バルデアが目付きを険しくさせたのは、しびれと疲労で狙いがズレ、胸骨に当ててしまったはずの剣身が深々と刺さったこと。
そして心臓を貫かれてなお、若騎士の動きが止まらぬ現実。
相手が屍人であれば当然だ。
だが屍人になってすぐ、骨がグズグズに脆くなる現象は説明できない。そのわずかな困惑がバルデアの隙を生む。
「……っ」
気付けば若騎士の手がヒタリと頬に触れ、バルデアは反射的に後ろへ倒れ込みながら逃げた。
「大丈夫か?」
案じてくれる士族長に「まだやれる」と、何とか起き上がり片膝立てて示そうとするバルデアは勘違いに気付かされる。
「そうではない。“頬”だ」
「?」
なんだと拭った手の甲にぬるりとした違和感が。
血だ。
爪など立てられていないのに?
「触れただけでそれか。これも何かの妖術か?」
「知らん」
動揺と困惑もありながら憮然と応じるバルデア。
それでもマルグスの言動を思い返す。
「ヤツは怪物と言った。血肉を求めると」
「地を這っていたアレのことか?」
「おそらく。あれは『探索者』に『這いずる液体』と呼ばれるモンスターに似ている気がする。確か、昔の『錬金術師』が秘術によって産み出した魔法生物なるものだとか」
あくまでも聞きかじりの知識にすぎない。
ただ話しているうちに、本当にそうではないかとバルデアも信じ始める。
「アレもそのひとつかもしれない。スライムが死骸を食し、食した死骸に取り憑くという情報は記憶にないが。ただ、斬ってもダメージがないのはスライムと同じ。同類と思っていいだろう。それより問題は――」
一拍置いてバルデア。
「スライムなら弱点である『核』があるはず。だがそれは見当たらない。単に見逃したのか、あるいは弱点を克服した“特殊な個体”なのか――」
そのままバルデアは重く口を閉ざす。
正直、あのイカサマ臭い男からもたらされた情報など、話半分で聞いていた。どこでどうウソを混ぜてくるかわかったものではない。だが直に体験してみると、そんな考えも変わる。
弱点がないから殺せず、封印することになったという下りには真実味がある。そしてバルデアの想像どおりの存在ならば――自分達はおそるべきバケモノの巣に入り込んだことになる。
そう。
ここにいる誰もが、アレのエサにすぎない。
このまま攻略の糸口を見出せなければ。
そんな窮地と知ってもバルデアが臆することはない。むしろ首を失っても倒れず、にじり寄ってくる若騎士の姿に、彼女は奥歯を噛みしめる。
何かあるはずと目を真剣に凝らして。
そんな彼女の耳に「ふむ、“食べる”か……」と士族長の呟きが耳に入った。
「“食べる”とは“生きる”こと。アレが生きておるなら、“殺せる”のが道理じゃな」
あまりにも自然に述べられた言葉に、バルデアははっとさせられる。「確かに」と瞳に気力を漲らせながら。
「『弱点』とは、あくまで効率的に倒せるという意味。それがないからといって、不死身というわけではない、ということか」
「そう考える」
士族長がうなずく。
ならばとバルデア。
「すべきことはひとつ。一度や二度でダメージが足りぬなら……動けなくなるまで百、千と斬りつければいい」
それでは部下の遺骸をなぶるも同じの所業だが。
覚悟のほどを示すようにバルデアが四肢に力を込め、激痛に耐えながらも立ち上がらんとする。
「……やるのだな?」
あえて手を差し伸べぬ士族長に「無論」と応じるバルデア。
「これも上官の務め。それに――」
「それに?」
「我が役目は送迎の剣。この身、心折れるまで任務の遂行に死力を尽くすのみ」
その言葉に苛烈な決意を覗かせて。
深手を受けてなお、三度立ち上がったその足下には、奇蹟の代償として大きな血だまりができていた。




