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(二)ゴルトラ洞穴門の戦い①



同日の午後

ゴルトラ洞穴門


           ――洞穴門の前【送迎団】





 ゴルトラ洞穴門――。

 それは辺境領都と外界とを隔てる天然の要害。

 街道を遮る断崖は高さにして二百メートル、横幅は視界の外まで途切れることなく続いており、訪れた者に巨大な城壁のごとき重厚な圧迫感をひしひしと与える。


 だがフィエンテ渓谷とはまた違った意味で圧倒される絶景に、地元の辺境組は一瞥もくれることはなく、ほぼ全員が初めて目にする送迎団側もまた、決戦前の緊張感に囚われ、意識を向ける余裕はなかった。

 ただひとりを除いては。



「……“あれ”は何の跡であろうな?」



 車窓から洞穴門の絶景を堪能していた弦矢の呟きに、「昔の“砦門”だ」とカストリックが律儀に応じる。


「建国前の時代には、この洞穴の前後を巨大な門で塞ぎ、門番の詰め所たる砦まで築いて、領都を守っていたそうだ。それが公国誕生に併せて“外門”を閉鎖し、“内門”だけの運用に留めていたものを、先の大戦で疲弊したことから、やむなく廃止することにしたらしい」


 そうして朽ちるに任せた結果、当時の石組み遺構部分だけが、今なお残っているというわけだ。



 外門の閉鎖は公国の示した平和によって。

 内門の閉鎖は公国の示した冷厳さによって。



 ふたつの相反する要因によって、結果的に領都防衛の要は失われることになった。そのことを領都の住民はどう受け止めているのか。

 巨大な門が取り外された様は何かの脱け殻のようで、その空虚さに弦矢は何とも言えぬ感慨を抱く。


「……結局は、“朽ちるが定め”ということか」

「どのみち平時であれば、必要のないものです」


 そもそもが無用の長物とモーフィアが断じて、カストリックも同意するかのように目を閉じる。中央圏の者からすれば、砦門は辺境人の“敵意”あるいは“心の壁”との印象が強いのかもしれない。


 ただカストリックの態度については、気持ちがすでに別のことに向いているからだろう。これまでと異なり両膝の間に剣を立て、戦いの準備を整えていたからだ。

 

「カストリック様。周辺に人気はありません」


 早速、砦門跡を調べていた後衛部隊の者が、車窓に顔を見せて報告する。相手の挟撃策を事前に潰しておくのは常道であり、こうして洞穴門に至った以上、もはやネイアスに配慮する必要はない。

 それは相手方も同じであろう。


「……さすがに連中の雰囲気が変わったな」


 車窓から身を乗り出し、先に洞穴へと入ってゆく辺境組の様子を確かめる弦矢にカストリックはやはり無言。代わりにモーフィアが苦情を訴える。


「ここが最後の仕掛け処と思えば、連中だって胸中穏やかじゃいられないでしょう。だからゲンヤ様も大人しく座っていてください。……私の気が散るもので」

「うむ? 何かするのか?」

「何も剣や弓だけが武器ではありません。もし、相手が精霊術で仕掛けてくるのなら、私がその動きを感知します」

「精霊の動きを?」


 弦矢の無智ぶりに「これだから田舎者は」とモーフィアは苛立ちを隠さない。


「『精霊術』の具現化には、四大精霊の力が欠かせないことは説明しましたね? だから、術の発動前に大きな精霊の動きがあれば――」

「先に感知できるのも道理か」

「それだけではありません。その規模と四大の種別が分かれば“行使する術”まで想定できる。当然、こちらが対処できる可能性も大きくなるのです」


 それが熟練術士の戦い方なのだと。

 自負するモーフィアの語りには、さすがは深緑衣を認められた術士としての風格が漂う。その上、


「当然、誰もができることではない。探索者としての経験もあるモーフィアだからこそ」


 ふいにカストリックに褒められて、モーフィアが深緑衣のフードを顔前まで引っ張り込む。


「私はただ、自分にできることを、惜しまぬだけですっ」

「?」


 声を上擦らせるモーフィア。

 弦矢がどうしたのかと顔を覗き込もうしたところで、視界が暗転すると共にヒヅメの噪音が車内に雪崩れ込んで、場の空気が一気に変わった。

 馬車が洞穴門に入ったのだ。




「いよいよ本番だ」




 カストリックが声に緊張を孕ませ、皆に警戒態勢を促す。


 弦矢にモーフィア。そして、この場には相変わらず我関せずを貫くバルデアが席のひと隅で沈黙を維持しており、新たに加わった月ノ丞は同じ馬車の御者台にいた。


 剣柄に手をかけるカストリックが、噪音に負けぬよう声を大きくさせ、警護参謀として今一度情報共有を図る。


「入口周辺は調べさせたが、それでも見逃しがあるかもしれん。だが各個撃破を避けるため、後衛部隊を入口に残してはいない。

 あくまで皆で固まって移動し、皆で対処する。事前に話し合ったとおり、おそらく敵が仕掛けてくるのは洞穴の後半部。

 有事の際は馬を盾に使い、大公様の専用馬車を守りつつ、敵の仕掛けに対処すべく全力を尽くす。前衛組はバルデア卿が、後衛組は私が率いる。なお、状況が逼迫する場合は、味方を捨ててでも突破を優先し、必ずやシュレーベン城に辿り着く。――よろしいか?」

「「「……」」」

 

 暗闇の中、誰からも返事はない。

 それでも全員が了承したことをそれぞれに感じ取る。


 本日は渓谷に続く二度目の戦いにして、早くも最後の決戦だ。

 すでに打てる手は打ってあり、これは気持ちを引き締めるだけの儀式のようなもの。

 だから今はただ、目前の事に集中すればいい。

 四人は闇の中、その時がくるのを息を潜めて待つのであった。




 ◇◇◇




(ん、動いたか……!)


 洞穴門に入ってしばし。

 先導する辺境組の掲げる松明の群れが、二列から三列、さらに四列へと変化したことにロイディオは気が付いた。


(よし、こっちもだ)


 即座に部下へ合図して同じく隊列を切り替え、併せて送迎団のスピードを調整する。これまでよりもさらに馬二頭分、前方集団との距離を空けさせて。


(来るならこいっ。たとえ辺境の猛者たちが相手であっても、この俺が、必ずやバルデア様に血路を開いてみせる!)


 ひとり胸中で気を吐く若き騎士の手は、かすかに震えを帯びる。

 それも当然。

 “槍のネイアス”と云えば、彼の大戦で活躍した豪傑だ。


 当時部隊長であった彼は、帝国の侵攻に対してゲリラ部隊を率いて何度も苦しめ、英雄軍による『鬼謀討伐戦』においては、囮の役目を引き受けながら最後まで戦い抜き、大戦の初戦から終戦まで、常にその身を死地に置き続けた強者である。

 当然ながら、自らの槍で敵部隊長の首級を上げた数は実に二十と四――“武人”とは、このネイアスをこそ差すと言えた。


(だからこそ、この俺が……っ。少しでも団長の負担を減らして差し上げねば――)


 ロイディオは上官の不調を知っている。

 常にその姿を追いかけていたからこそ、その言葉遣い、その立ち居振る舞いにわずかな違和感を感じることができた。

 そして送迎団出発前夜。

 団長と司祭様との秘すべき会話を耳にしてしまったのだ。


 否――想うあまり、必死に聞き耳を立てたのが本当のところ。


 その恥ずべき行為は、いまだ団長がまともに戦える状態にない事実を耳にして、頭から消し飛んだ。

 まさかあの無敵を誇る三剣士が、剣すら振れないほどに力を落とし、任務につくなど言語道断、しばらく安静にしているべき容態にあるなんて。


(それでも、団長は「やる」と決めた――)


 ならば部下である自分がすべきことはひとつ。


(いつもと同じ距離感で、いつものように接し、団長の仕事を全身全霊で支えるのみ……っ)


 ロイディオは決意を新たにし、手綱を強く握り締める。その気迫を敏感に察した愛馬が、軽くいなないてブルリと首を振った。


「ああ、頼むぞ。……お前も力を貸してくれ」

 

 ロイディオは愛馬の首を優しく叩いて、協力を仰ぐ。

 先頭へ目を向けると、どうやら洞穴はゆるやかな上りになっているらしく、縦に並んだ松明の明かりが天井へ向かって伸び上がるように見えた。それで周囲を含めたおおよその状況も把握する。


 四列縦隊で先導する辺境組に、同じ構成で付き従う送迎団。

 洞穴自体の横幅が、馬車を四台併走できるほどに広いため、窮屈さは感じられない。高さも入口の大きさから見当を付ければ、約10メートルはあるだろう。


 天然の洞穴を人力と精霊術を駆使して掘り抜いた一大事業の成果だと聞いているが、その労力を思うとただただ圧倒されるばかりだ。


「それにしても……」


 洞穴内には蹄の音と車輪の立てる音が盛大に響き渡り、メチャクチャに耳の奥を引っかき回し集中力も大いに乱される。これでは物音で何かを察するのは不可能で、実際、部下との会話は断念している。


 だがそれは、大きな誤解であったらしい。


 それからしばらく、耳の痛くなる騒音にも慣れてきて、洞穴の行程を半分は過ぎたかと思える頃。



「……補佐殿!」



 左隣の部下にロイディオは手を挙げて応じる。

 言われなくても気付く。

 これまで以上に耳障りな騒音が、洞穴全体を地鳴りのように震わせていれば。





 ヴィヒヒヒ――――……ンン





 さすがに辺境組の馬でも怯えて暴れ出し、松明の群れが右往左往しはじめる。

 必然、前衛馬の怯えはこちらの馬にも伝播する。


「補佐殿、敵の仕掛けでは――?!」

「慌てるなっ、まずは馬を抑えろ!」


 これが仕掛けというなら、辺境組の慌てふためきようは何なのだ。

 言い返したいところを堪えてロイディオは馬を落ち着かせ、まずは隊列の維持を優先させる。とはいえ、そう簡単にうまくいくものではない。

 辺境組も送迎団も足並みが乱れ、軽い混乱に見舞われる中。


「ん……?」


 ロイディオはふと、前方の暗がりに違和感を覚えた。

 いや、いつの間にか松明の群れが左右に分かれていたために、正面奥の暗がりが際立っただけだ。



(……隊列を……は?!)



 それが作為的な行動と気付き、こちらの隊列も合わせようと命じかけたロイディオは、しかし、そこで躊躇する。


 動けば、前方集団に対し後続が無防備をさらしてしまう!


 だからロイディオは振り返り様、拳を掲げて逆の隊形を命じた。


「密集しろ!」

「補佐殿っ」


 怯える部下の声が迫る何かを指し示し、怒濤のごとき蹄音の暴威が一気に湧き上がる。





 ~~~~~~~~!!!!!!





 今や洞穴全体が揺れ動いているかと錯覚させる大音声に、ロイディオは自身の直感が正しかったことを知る。

 馬の背から伝わる激しい振動。

 奥から吹き付ける突風が全身を叩いて。





 ――――――――――!!!!





 猛烈な衝撃を感じたときには、ロイディオの意識は一瞬で飛んでいた。


(……な……にが……?!)


 次に気付いたとき、ロイディオは誰かと折り重なるようにして地べたに倒れていた。そして自分が、鼓膜を失ったかのような無音の世界にいることを知る。

 いや。




「……ぅぅ……」

「ブルフッ」

「……っ」




 時折、静寂を破る誰かの呻き声。

 そこに混じる苦しげな馬の鼻息。

 石ころか何かが落ち、転がるかすかな物音。


 ふいに、ロイディオの近くにドサリと落ちた重たげな音の正体は、見覚えのない誰かの死体。


(くっ、何が……)


 朦朧とした頭で状況を知ろうとするロイディオだが、視線を動かすのもやっとで、指先ひとつままならない。

 それでもはっきりしていることはある。

 これが、辺境組による襲撃なのだということが。


(!……だ、団長は……っ)


 襲撃という事態を呑み込めば、必然、ロイディオの脳裏に蘇る己に課した使命。

 何よりも護るべき人の安否が。

 その焦りを嘲笑うように、先んじて動く軍馬の気配が沸き上がる。



「……この機を逃すなっ。反撃のいとまを与えず、ひと息に奴らを叩き潰せ!!」



 その野太い声は、老将ネイアスのもの。

 先の混乱は演技であったのか、間髪置かずに配下らの喊声が上がって鞘鳴りの音が響き渡る。

 このままでは。


(くそっ、動け――)


 歯を食い縛り、首筋に血管を浮き立たせるロイディオ。

 準備万端の敵方に対して、こちらは体勢を整えるどころか、状況把握すらできていない。

 それどころか、敵の苛烈な襲撃に、前衛組で五体満足に戦える者がどれだけいることか。いや、幾つかの影が立ち上がろうとしているが、戦力として数えられるはずもなく。


「……っ」

 

 ロイディオの焦りは空回り、上半身を起こすのがやっと。そこへ数騎を先頭に下馬した辺境組が猛然と襲い掛かってくる。


「――つあっ」


 辛うじて剣を構え、気力だけで受け止める。しかし他の味方はそうもいかない。


「ぐふっ」

「がっ」


 まともに剣を合わせることもできずに味方の断末魔が上がり、同時に何本もの松明が衝突地点に向かって投げ込まれてくる。

 一気呵成の追撃に併せて、明かりの確保にもそつがない。その上、剣以外に槍持ちも織り交ぜ、人馬が散乱する厄介な戦場を想定していたかのような備えを見せられれば。


「……ここまですべてが、織り込み済みか」


 思わずロイディオも感心する攻めの手に、味方が反撃できる隙などあるわけもなく。

 縦横無尽に騎馬が暴れ回り、敵の威勢のいい声によって味方の苦鳴が踏みにじられる。だが、敵の圧倒的優勢で進められる展開に、否やを唱える者がいた。


「ばっ……?!」

「むう?」


 味方の断末魔に敵のそれが混ざっているとロイディオが気付いたとき、敵方であろう騎乗の影が、ひとつふたつと落馬する。


 いつの間に――?


 腰までたゆたう砂埃の沼に、見覚えのある背中をロイディオはみとめる。あれは――




「剣を取れ」




 低いが、鼓膜の破れた者にさえ響かせる嗄れ声。

 それが地べたに倒れたままでいる味方をも叱咤する。


「ヤツらの奇策ごときで終わらせるな。我ら第一軍団の見せ場は、これからだぞっ」

「お……ぅ」

「……ぐっ」 


 よろよろと上半身を起こし、あるいは膝を立て、剣を杖替わりに立ち上がる者。

 指先のみを動かし、あるいは吐血で声を出せなかった者も含め、動ける者皆、軍団長の檄に応じようと必死にもがく。


 そうとも。


 実戦さながらの特訓は第一軍団でもやってきた。

 精も根も尽き果てるまで乱闘を行い、何度倒れても、その度に、あの声に背中を押されて立ち上がった。

 そう、何度でも。




「……ぉおおおおおお!!」




 ひときわ猛り応じるのはロイディオだ。

 先ほどまでの麻痺状態がウソであったように消え失せて、地に爪を立て、膝に力を入れて、雄々しく立ち上がる。

 その若き獅子の咆哮に、負けじと皆も闘志を滾らせる。


「利き手が殺られたなんて、言えないな!」

「ああ、補佐殿にだけカッコウをつけさせるかっ」


 ベテラン騎士が気力を奮い立たせ、


「オレ達は、ひと息入れてただけですからっ」

「ロイディオにだけは負けるかよっ」


 活きのいい中堅騎士は精一杯の虚勢を張る。

 次々と足を震わせながらも立ち上がる騎士たち。そんな彼らの姿を背に、



「お手を煩わせ、申し訳ありません団長――」



 全身むち打ちのような痛みを押してロイディオが団長の下に近づくと、当然のように問われる。


「やれるな?」

「もちろんですっ」


 間髪入れずに応じて、ロイディオは震える手で剣を掲げた。

 びりりと走る激痛を唇を噛んで耐え抜いて。

 幽鬼のごとくゆらりと並び立つ騎士たちに向けて声を張り上げる。まるでカミナリに撃たれたような激痛を吹き飛ばす強さで。




「『第一軍団』、構え――――!!」




 それは集団戦闘の訓練ではじめに掛けられる号令のひとつ。

 これまで何千、何万回と繰り返された号令に全員が反射的に身構え、その一糸乱れぬ精緻な動きに辺境組も思わず攻撃の手を止め、警戒する。

 それが戦いの流れを変える切っ掛けとなり、機を逃さぬロイディオが力一杯に剣を振り下ろした。




「チャーーーーーーーージ!!!!」




 作戦も何もない。 

 これは「まだやれる」と敵に知らしめるための示威行為。

 そういうのが必要になると、そんな状況があるのだと、誰よりも戦場経験豊富なバルデアから教わったことを思い出し、忠実に守っただけ。

 当然それは、皆も承知すること。

 めいめいが号令に反応し、残された力を絞りきる勢いで近場の敵に向かって斬りかかっていく。


「おおっ」

 「……こいつらっ」


「らあ!」

 「死に損ないがっ」


 実戦は気迫。

 気迫で相手を上回れば、多少の技倆差すら塗り潰せる。


「行けっ、そのまま押し切れ!!!!」


 続いてロイディオも闘志の荒ぶるままに乱戦の中へと飛び込んでいく。



「「「「「おおおおおおっ」」」」



 それはもはや絶叫。

 味方全員が、しゃにむに剣を振り回し、闘志を叩きつけるように相手にぶちかます。

 その気迫に呑まれ、動きが硬くなる辺境組。

 それでも歴戦の老将までを揺るがすことはできなかった。

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