(十六)大騒動の終焉
公都キルグスタン『北街区』
謎の男と鬼灯達――
不審すぎる救援者へのあらゆる疑念を胸奥に押し込んで、覚悟を決めた鬼灯達が暗闇に身を委ねることしばし。
気付けば間近に迫っていた追っ手の気配が途絶え、そのまま誰に追われることもなく下水道から抜け出た鬼灯達は、再び『北街区』の一角に身を晒していた。
地下道の息苦しさに比べれば、頭頂に星空が望める路地裏は開放感に溢れ、空気は新鮮でおいしく思わず胸を撫で下ろす安心感さえある。
しかし、追っ手の影が脳裏から離れない鬼灯達は張り詰めた緊張感を保ちながら、油断なく周囲の状況を窺う。
「――どうやら誰もいないな」
しきりに隊列の前後を確認するトッドに鬼灯は身を低めたまま疑念を口にする。
「むしろ静かすぎるくらいです」
待ち伏せされていてもおかしくない状況で、三人を出迎えたのは、不気味に静まり返った路地裏の静寂のみ。
つい先ほどまで、地上から確実に追い詰められていた窮地を思い起こせば、何かの罠かと疑りたくなるような状況だ。
安心などできるはずもない。
まるで廃村を訪れたような雰囲気に鬼灯達が戸惑い警戒する中、逆に平然と先行く男の後をついてゆけば、すぐにその理由が明らかとなった。
「貴女は――」
「深手を負ったと聞いていたが、元気そうで何よりだ」
案内された家の一室にて、見覚えのある老婦人に出迎えられ、鬼灯は今いる場所のあたりだけは目星を付けることができた。
ここは件のヨーヴァル商会が買い占めた“外界と繋がりのない区画”であり、だからこそ、追っ手の気配がなかったのだということも同時に理解する。
それはともかく、警護途中に退散してしまった苦い依頼の結果を振り返れば、いやそれ以上に“倉”の地下で取得したものを考えれば――いかに探索者のルールがあろうとも、商会側からすれば奪われた認識しかあるまい――これは新たな問題の発生かと身構えざるを得ない。
当然、老婦人の方でもこの話題を後回しにするつもりなんて、さらさらないようだ。
「だいぶ動き回ったようだけど、あれを下水道になんか落としてないだろうね?」
いきなり本題に入る老婦人の言葉に、鬼灯達が思い浮かべるのは銀細工のペンダント。
その稀少な『魔術工芸品』を得るために、ヨーヴァル商会がどれほどの時間と金、そして国との契約に抵触しかねぬやり方で労働力を確保したのかは言うまでもない。
むしろ、今まで鬼灯達を放置していたことが不思議であり、賊であったクレイトンが奪ったものとうまく誤認してくれたのだろうと安堵していたのだが、さすがに都合がよすぎたというわけだ。
外にはたくさんの追っ手が彷徨き、もはや鬼灯達に逃げ場はない。だからこその余裕なのか、老婦人は急ぐでもなく悠然と話を進める。
「あんたらには、あれが金に換えがたい大事なものだということを、きちんと分かっていてほしくてね」
「あれと云われても」
鬼灯は内心の動揺をおくびにも出さず、口元に甘い笑みを浮かべる。
「すみませんが、貴女が何を仰られているのか、とんと分かりませんね」
「そうかい?」
「ええ。ですが……私は貴重品を所持する際には、細心の注意を払って扱います。当然、今回も落とし物をするような下手など打っていないとだけ告げましょう。これでも【見習い】とはいえ、探索者の端くれですから」
探索者という言葉に力を込め、“発掘品は取った者勝ち”という暗黙のルールを鬼灯はそれとなく訴える。
老獪な老婦人を相手に狸と狐の化かし合いをすることは無意味との判断だ。彼女がすぐさまモノを要求してこない理由は分からないが、そうなる前に少しでも交渉が有利になるよう打てる手は打たねばならない。
だが、懸命に頭を働かせる鬼灯を拍子抜けさせるように老婦人の雰囲気ががらりと変わる。
「――やはりあったんだね」
鋭い口調から覇気を消して。
目を伏せ安堵の声すら滲ませる老婦人の様子に、鬼灯はそこで自分が乗せられたことに気付く。彼女はあの地下に何があったかを推測はできても知っていたわけではなかったのだと。
慌てて何か言わんとする鬼灯を、しかし、彼女は「安心しな」と機先を制す。まるで子供をあやすような口ぶりで。
「今さら欲しがったりするもんかね。ただ、あれだけご大層な部屋だ――何があったのか、気にはなろうってものさ。……そうかい。あれも部屋にあったんだね」
語尾に暖かいものさえ混じり、いつでも厳しく引き結べられていた老婦人の唇にかすかな笑みが浮かんでいた。
ペンダントがどこにあったのか――鬼灯にはわけが分からぬが――その事実を知るだけで、どうやら彼女は満足しているらしい。
それでも鬼灯達の困惑を感じ取ったのか、老婦人はあらためて問題ないと言葉を添える。
「そう心配せずとも、私らには賊を痛めつけることができただけでも十分な成果だ。あんたらには感謝してるのは本当だ」
「……どちらかというと、私たち自身は敗走しただけのような気もしますが」
予想だにしない老婦人の謝意にさらに戸惑いつつ、礼なら別の者へ述べるべきと鬼灯が思うがままに応じれば、彼女は「あんたらの活躍があっての結果だよ」と自信に満ちた声で断言する。
「そう受け止めていただけるなら、ありがたく」
「ああ、人の褒め言葉は素直に受け入れな。そうでないと私の判断が過ちとされるからね」
そうして腰を落ち着けろと促す老婦人の言葉に甘えて、鬼灯達はすぐさま別の人物の下へ近づいた。実は部屋に案内された時から、声を掛けるのをずっと我慢していたからだ。
「……ご無事で何よりです」
「互いにな」
怪我の手当てを受けている秋水が疲労の滲む声で短く応じる。傷の深さもあるが精神的疲労も感じ取れ、彼のこなした囮役がいかに困難なものであったかを窺わせた。
あの怪人を相手取った以上、まずは生き残れたことが大事であり、むしろ手傷を負わせた相手が想像とズレていたことに驚くくらいだ。脇腹の丸い傷口に「『指弾』ですね……?」と鬼灯が推察する。
「やられたよ。少なくとも十軒(18メートル)の間合いでこの威力――早めに潰すか目の届くところに位置してないと厄介な相手だ」
「それが本来の戦い方なのかもしれませんね」
「だとすれば、そう簡単には顔を出さないだろう」
益々厄介な話しだと愚痴りながら、「十分だ」と慣れた手つきで処置してくれた者を下がらせる。
小柄な影は秋水配下のひとり。捨丸か拾丸かは鬼灯にも見分けはつかぬが、彼がここにいるということは、秋水の生存に一役買っていたのは間違いあるまい。
鬼灯の視線に気付くと彼は目礼で応じてくれた。
「それで、どうして俺たちを助けてくれる? まさか先日の礼というわけではないだろう」
老婦人の目的がペンダントになければ何なのか。当然出てくる疑念を誰も問わぬことに焦れたのか、秋水が口早に老婦人に尋ねる。
だが、その理由を明かすのは意外にも鬼灯達を案内してくれた男の方であった。
「話しは簡単だ。お前達の腕前を見込んで、雇いたいと思ったからだ」
「雇いたい、ですか。依頼ではなく」
鬼灯が見習いとはいえ『協会』の関係者である立ち位置をあらためて示せば、専属になれと男ははっきり口にする。
大方、“倉の一件”での立ち回りをどこかで見ていたのだろう。老婦人の話からも事の成り行きを知っている様子が窺えることから、同じ情報源であることは間違いない。あるいは彼自身が見ていたのかもしれない。
それよりも、見た目、どこにでもいる平凡な顔立ちに小柄な体躯。身なりも小剣を腰に佩き、革鎧に身を包む街中ではありふれた出で立ちに“商人”や“貴族”という金持ちの臭いは感じられない。
貧相な小男然とした彼のどこからも“雇う”キーワードを口にするに相応しい人物だと納得できるものは見出せない。つまり背後に何者かの影があり、場所を考えればヨーヴァル商会しか考えられないのだが。
「誰が俺たちを雇いたいと?」
「そちらのご婦人ではない」
秋水の視線が老婦人に向けられるのに気付いて小男が否定する。違和感があるのは「商会ではない」との言い回しでなかったことか。とはいえ、今は老婦人の立場を詮索する時ではない。小男に値踏みするような視線を向けられているからだ。
「雇い主のことを伝える前に、確認しておきたい。あんたらは自分の置かれた状況をきちんと承知しているか? 襲ってきた相手を?」
その確認が大事なのだろう。真剣な眼差しを向けてくる小男に鬼灯が代表して応じる。
「『クレイトン一家』です。“倉”での一件で私たちの活躍とやらが癇に障ったようですね」
「その背後にいる者は?」
「おそらく、公国にとっては“英雄の軍団”である『俗物軍団』でしょう」
よどみない鬼灯の答えに満足したのかしないのか、小男は小さく頷いて、こう付け加えた。
「そして、その背後にいるのがベルズ辺境伯だ」
「辺境伯……」
小男が淡々と口にした名前に、しかし、驚愕の呻きを上げたのはトッドだ。眉間にきつく皺を寄せるのは思わぬ大貴族の名を耳にしたから、というわけではない。
「ルストラン様じゃなかったのか……」と呑み込むべき心情を思わず口にしてしまい、それを耳にした小男が否定する。
「とんでもない勘違いだ。『俗物軍団』の前身は辺境軍――生粋の公都人であるルストラン殿下は、むしろ対立関係の立場だ」
そこで相手が何も知らぬ一般人であると再認識してくれたのか。
小男は公国が三家の権力バランスで成り立っていることを掻い摘まんで説明してくれる。
大公の血筋を維持するスタン家。
最重要な東の辺境を把握するベルズ家。
政務の一部と国の経済面を掌握するルブラン家。
いずれも公国において重要な役割を担っているだけに自然と権力が集中することになる。それに“派閥”という色が付くことで“相違”が生まれ、互いの“相違”が軋轢を生み、そうして終わりのない大小様々な闘争が繰り返されるようになったのだと。
これまで決定的な対立を生まなかったのは、単に公国を維持するため互いに相手を必要とし、潰すわけにはいかない枷となっていたことが幸いしただけにすぎない。
逆に言えば、争いの繰り返しで某かの負の感情はたっぷりと醸成されており、それが消えぬ疑心を各派閥に植え付け、いくつもの地味な術策が公都中に散りばめられる状況を生み出してもいた。
「……この街では、誰もが三家の争いに知らず巻き込まれているものだ。仮に謀略があったところで、それがあまりに多く枝分かれした末端で、しかも切れ端のような事件であるために、気付けないこともあるだろう」
「つまり、今回の一件もそのひとつだと……?」
鬼灯の気づきを小男は首肯して認める。
「『俗物軍団』がここまで関わっている以上、何かの本流には違いない。それがどのような策であれ、現状、あんたらはベルズ辺境伯と敵対する形になっている。望んでなくともな」
相変わらず小男は無表情で淡々と事実を述べるだけだが、まるで懲罰の沙汰を下すがごとき内容に、さすがの鬼灯も言葉が出ない。
そもそもは目立たず情報を集めることが役目であり、それがエルネの登城に支障となる荒くれ一家を痛めつけたくらいで、まさか三家と言われる権力者と対立するはめになるとは想像できるはずもない。
ただでさえ、エルネ姫の一件で半ばスタン家とも争っているような情勢も加味すれば、三家のうち二家を敵に回すことになる事態に、なんて事をしてしまったのかと蒼くなるのは当然だ。
「……城に戻れんな」
どこか遠くを見る感じで秋水が呟けば、さすがの鬼灯も笑みを消す。トッドがあからさまに顔を横向けたまま、軽い現実逃避に走っているのは仕方あるまい。
「……せめてルブラン家まで敵に回さないように気をつけないと」
思わず鬼灯が天井を仰ぐと、「それはあんたら次第だ」と小男の表情がはじめて何かの感情を示す。
鬼灯が訝しげに視線を戻せば、どうやら、それが話しの本筋であったらしい。
「現状の簡単な打開策は、同じ力を有する対立者の擁護を受けることだろう」
「我々にルブラン家の庇護を求めろと……?」
どこの馬の骨だか分からぬ輩を、頼むと請われて安易に受けるほどお人好しがいるはずもない。見捨てるのが正解であり、そもそも門前払いされるのがオチだ。その懸念を鬼灯の表情から読み取ったのだろう。
「普通に考えれば無理な話しだが心配ない。なにしろ誘っている俺自身がルブラン派だからな」
「……そういうことですか」
「いいや、解せんな」
納得できぬと言い放ったのは秋水だ。
「いくら何でも不用心すぎる。あんたは俺たちのことをどれだけ調べられたんだ? 身元の怪しい人間を腕っ節程度の理由だけで簡単に誘うはずがないだろう」
陰師ならではの思考で冷静に分析する秋水に、現実逃避を止めたトッドも同意を示して眼光を鋭くしている。小男の狙いは他にもあるはずだと。
「本当に自分達の置かれた状況が分かっているなら、そんなゴタクは出ないはずだが……」
小男は動じず、淡々と鬼灯達に理を唱える。
「仮に俺が何を狙っていたところで、拒否することができる立場か? 今すぐここを離れたいと?」
「……」
区画の外では、見失った鬼灯達の姿を求めて複数の追跡班が駆けずり回っているはずだ。そんなところへ出て行くのは自殺行為に等しい。
二人がそろってむっつり口を噤むのを見て、小男は何を迷うと言葉を続ける。
「田舎者が成り上がるチャンスなど滅多にない。危険を承知で探索者を目指しても、そこでメシを食えるようになるまでがどれだけ大変だと思ってる?
よしんば、そこまで大成できるとして、リスクと実入りのバランスが、俺の誘いに乗る場合と比べてどれだけ悪いか本当に理解しているのか?」
「権力者の力も怖れるべきものですよ。つまり、どちらが危険かなど比べるのは困難です」
慎重に答える鬼灯にトッドが「ひとつ確実に言えることがある」と付け加える。
「探索者なら“やる”か“やらない”かを自分で決められる。けど権力者相手にそれは通じない」
「もっともだな」
小男もそれには同意し「だがひとつ重大な事項が抜け落ちている」と指摘する。
「手段としてなら“雇い”も“依頼”もどちらでも対応は可能だ。ただし、“依頼”の形をとった場合、それだと与える情報を制限する必要が出てくる」
「“切り捨て”前提の依頼とか、な」
トッドの嫌味に小男は憤りや不快感も示さず「そうだ」とあっさり認める。
「被依頼者はいわば“外側の人間”。扱いが雑になるのは当然だ。そうした立場の者に対しては、例えば今回の件などは“貸し”になる」
「お金とかでは?」
「金が必要そうに見えるか?」
即座の返しに鬼灯は肩をすくめるだけだ。
「権力者からの“借り”などぞっとしないですが」
「それでも自由の道があるなら、まだいいだろう」
例え危険な依頼を持ち込まれても、すべては自己責任の下に自身で判断するのがよい。
秋水が暗に“依頼”を受ける関係がよいとの考えを示せば、トッドからも否やの声は上がらなかった。どうやら三人の意見はこれでまとまったといえる。
自然と三人の窺うような視線が小男へ向けられると。
「別に無理強いするつもりはない。そのような形で身内となった者に期待はできんからな。裏切りも出てくるこの世界で、おかしな話しだが、ある程度の信頼は必要でな」
「それが金の関係でも」
トッドが指摘すれば「まだマシだ」と小男は頷く。
「だが、本当にいいんだな? “雇い”でない以上、危険が去ったのは今だけだ。庇護下にない以上、公都をうろつく危険性は何も変わっていないぞ?」
「だから街を離れることにします」
鬼灯がさらりと退散を口にする。
「ずいぶんと簡単だな。コダールに戻るのか? 旅費はどうするつもりだ」
「その辺の心配はいりません。それよりも、互いに共通の敵がいるなら、今後、利害が一致する事案も出てくることでしょう。何かの際には協力し合いたいのですが、構いませんか?」
「公都を離れる連中と協力できる何があるかは疑問だが……まああるなら、な。だがその前に」
今回の“借り”は返してもらうと小男は要求する。街から出て行くと聞かされれば、当然の要求だろう。彼の立場からすれば、踏み倒される可能性があまりに高いからだ。
鬼灯達が顔を見合わせれば、誰からも文句は出なかった。命の恩義を踏み倒すなど毛頭無いからだ。
「内容は? それまでの身の安全は? さすがにそこは考えてくれますか」
「当然だ。他はどうか知らんが、ルブラン派の魅力は“羽振りの良さ”にある」
世の中、何をするにも金がかかり、金さえあれば安全も買えるというわけだ。その点に関しては心配ないと小男は断言する。
心酔するかのような小男の口調に彼もその虜になった者のひとりであることが窺える。それだけに嘘はなさそうで、そうであるなら頼もしい限りだ。
「では、仕事の内容を聞く前に――」
確認すべき事があるのだと、やけに真摯な面持ちで鬼灯が尋ねる。
「扇間さんの姿が見えないのはなぜでしょう?」
「……」
分かっていても言い出しにくかったことを鬼灯は口にした。単純に遅れているだけだろうとの自然な解釈もあったからだが、さすがに遅すぎる。自分達にしてくれたのと同じように救援を向かわせているはずの小男から話しが出されないのも違和感があった。
なにより下水道の出口付近で奴らを撒いたのが、鬼灯を落ち着かない気分にさせていた。あのまま奴らが奥まで捜索を続ければ、出口へ向かう扇間と鉢合わせになる危険が高い。
「もしや」という焦りが、自然と鬼灯を早口にさせる。
「扇間さんにも、誰か手配しているのでしょう?」「……ああ、もちろんだ」
だが小男はそれきり、しばらく口を開くことはなかった。
*****
公都キルグスタン
『北街区』大通り前――
「やっぱりここもか――」
路地奥の出口付近に人影が数名たむろしているのを目にして、ロンデルはすぐに伸ばしていた首を引っ込めた。
壁に背をつき「おそらく他でも同じだな」と夜空を仰ぐ。
目に映るは砂粒のような星の瞬きと点々と散る雲の影。
兎に囓られたような欠けた双月の明るさに、夜道を歩くに不便はなかったが、不審な輩達に通行の邪魔をされるのはこれが二度目であった。そのうち一箇所目はあからさまに難癖をつけられて、面倒事を嫌ってこちらから退いたほどである。
なんなんだ、あの連中――?
状況がまったく掴めないが、殺伐とした空気を放つ武装集団なんぞと関わり合いになりたいわけではない。避けれるものなら避たいからこそ、わざわざ迂回を試みたのだが。
「どうする? 諦めて酒場に戻るか……あるいはもう一度トライするのも悪くない。さっきの感じじゃ、頑張れば押し通れそうな気もするし」
「正直、揉めたくない連中だね」
ミンシアが不愉快そうに鼻に皺を寄せる。
「近寄っただけで血の臭いがしそうだった。見たかい、あいつらの眼――ゾッとするほど冷たい目だったぜ」
剥き出しの白い二の腕を自分で抱きしめて、ミンシアは低く呟く。『裏街』にあっても物怖じしない『陰者』の彼女が、動揺を示すほどの連中など、公都で会うのは初めてのことではないか?
「確かに、単なるゴロツキには見えなかったな。あいつら何者なんだろう」
「どうでもいいだろ、そんなこと。とにかく関わらないのが一番さ」
「けど、そんなこと云ってたら帰れねえぜ?」
そうミンシアの消極さを揶揄したのは隻眼のガルフだった。ロンデル達から少し距離を置いた建物の壁に肩をあずける姿勢でこちらを見ている。娘二人に煙たがられた結果の位置関係だが、当人はすっかりパーティの一員のつもりである。
「口利くと、調子に乗る」と警戒するリンデルを無視してガルフは話し続ける。
「あいつらどう見たってカタギじゃねえし、かといって『裏街』の住人でもねえ。そんな奴らが徒党を組んでこのあたり一帯を封鎖してやがるんだ……。
“見ざる聞かざる”なんてやってたら、宿に戻るタイミングを逃すどころか、とんでもないことに巻き込まれるかもしれねえぜ?」
「とんでもないこと?」
胡散臭げに眉をしかめるミンシアに「裏組織同士の乱闘とかな」とガルフは嘯く。
「とにかくこのブロックで何かがおっ始まっているのは間違いねえ。なら首を突っ込むか、やめるかをきっちり決めた方がいい」
「はン、おかしな言い方はよしな。ハナから首を突っ込む必要なんてないんだよっ」
馬鹿馬鹿しいとミンシアが手を振れば「そうかな?」とガルフは挑むように応じる。
「別の見方だってあるんだぜ」
「別の見方?」
「俺たちがここにいるのはなぜだ? さっき酒場で得た情報は何だった? あるいはもっと根本的なことを云えば分かるか――俺たちの依頼は何が目的だ?」
「……それに関わると云いたいのか?」
思わせぶりな言葉を並べるガルフに、最後、真剣に耳を貸そうとするのは班長たるロンデルだ。
聞き流すわけにはいかないと、ミンシアもたじろぐほど眼光を鋭くさせるのは、依頼の重要性を誰よりも重く受け止めているからに他ならない。
公都女性失踪事件――その許しがたい犯罪行為を食い止め、消えた女達を救い出すのがロンデル達が受けた依頼なのだ。
「やつらが女性達を攫ったと?」
「もしかしたらな」
自信たっぷりに言い出した割にガルフは曖昧な返事をする。
「酒場で興味深い情報を得られたよな?」
「荷馬車の件か。多発している『東街区』じゃ一件もないのに、他では女性の失踪前後で荷馬車の目撃例がある、というのは確かに興味深いね」
「興味深いどころか、それが失踪のカラクリだと思うべきじゃないのか?」
ガルフの指摘にロンデルも承知と頷く。
「積荷に攫った女性を紛れ込ませれば、人目に触れず運ぶのが容易になる」
「なら、夜に積荷を走らせても不審に思われず、護衛にキケンな連中を使う話しで思い浮かぶのは何だ……?」
さらにガルフの誘導するような言葉に、ロンデルやミンシアが候補を挙げた。
「労役商のヨーヴァル商会」
「ゴロアドやエニューなら夜の運送も請け負うし護衛に傭兵を使うな」
公都ほどの大きな街にもなれば、夜にこそ物資の消費量が増大する店が多数あり、そこに目を付け商売に結びつける商人が現れるのは当然の成り行き。
夜更けまでの営業を支える裏方の商売は数こそ少ないが二人が挙げた商会は有名処であり、夜に見かけたところで不審に思う者はいない。だからこそ。
「どうだ、これはもしかしたら抗争どころか――」
最後まで説明されなくともガルフの云いたいことは十分に伝わった。ミンシアの舌打ちは認めざるを得ない悔しさからだ。その理由は当然で。
「――そもそも情報源が胡散臭すぎるからな」
ロンデルの言葉に情報源であるガルフを見る女性陣二人の視線が鋭くなる。
「いやまて。俺だって、突然声を掛けられて」
「そこがあやしい」
ずびしと人差し指を突きつけるリンデルに「そこ以外もな」とミンシアが余計な捕捉を入れる。
「なに云ってんだ、こいつら」と眉をひそめるガルフを他所に女性陣の妄想は加速する。
「あの筋肉と斧に声を掛けるなんて正気とは思えない」から始まって「そもそも、あの筋肉と斧で『斥候』とかあり得ない」「ミンシアの真似してる」「というか狙われてる?」「でも“尻派”だったはず」「それは誘導!」「つまりロンデル派?」「あるいはロンデル化でロンデル派に……」などとすっかり迷走した挙げ句、「ないとはいえない」とリンデルが産毛のような細眉をきつく寄せて真剣に考え込む。
「男は誰でもロンデル化する。カリウの村でもそうだった」
「ああ、あの“男だけの村”か……」
不快な記憶であったのかミンシアが唇をへの字に曲げれば、リンデルも忌まわしい記憶を呼び起こしたように苦い声で続けた。
「あの時はみんな(男)が鼻血を噴いた。おそらくミンシアの魔乳のせい。あれで『ロンデミック』が起きた」
「魔?!」
「人を病原扱いするなよ。というか話しをどこまでズラしちまう気だ?」
ミンシアが狼狽え、ロンデルが不機嫌MAXで文句を口にすれば、ガルフまでもが、その混乱に被せる勢いで憤然と苦情を訴える。
「まったくだ。“おっぱい”の良さを否定はしないが、そう簡単に鞍替えするはずないだろ。俺の“尻好き”を甘く見てもらっては困るっ」
「……そこじゃないだろ、怒るトコ」
あまりの的はずれっぷりに、逆に冷静になったミンシアが苦笑を漏らす。
「だから構っちゃダメと云った」とドヤ顔で指摘するリンデルを「あんたが云うか?」という目線を向けつつもミンシアは先を促す。
「それで……連中が犯人かもしれないとして、どうする? 一組に絞って見張ってみるか?」
「悪くないが別の手もある」
そう提案を持ちかけるガルフにどうしても胡散臭げな視線が集まるのは致し方あるまい。
「あの連中がこの辺を囲んでいるなら、その中心に行ってみるのはどうだ?」
「ああ、そこが実行場所か……あり得るな」
バカじゃないんだなとミンシアが感心すれば、リンデルは「バカでも百個何かを云えば一個くらいは真実を口にする」と容赦なく棘を刺す。
「嬢ちゃんは、俺を何だと思ってる?!」
「筋肉と斧」
「……」
当然のように答える弓士少女にガルフが思わず兄を見た。
「お前の妹ブレないな」
「デル家の人間だからな」
まだ云ってやがる、とミンシアに睨まれるのを懲りもせず。「デル付かない!」とリンデルがふて腐れるのを無視してロンデルは不毛な会話に終止符を打つ。
「もう少し歩いて包囲の範囲を特定しよう」
「おお、お前なら“ガルフ案”を採用すると思ったぜ」
「なんかそのネーミングが嫌」
「同じく」
ミンシアの文句にリンデルも首を何度も振って支援する。“ガルフ案”なら正しくても間違いだともはや感情論で騒ぎ出す二人に「なら俺が決めたからロンデル案でいいな」と班長として生真面目に宣言すれば。
「なんで変態の名前ばかり付けるんだよ! せめて可愛く“ミンシア案”とか呼べよ」
「いや、まったく根拠がないじゃないか」
「それなら美少女案『リンデル』にすべき」
それしかあるまいと決め顔のリンデルが鼻息荒く訴え、「それもう、ただの名前な」と兄貴が即座に突っ込みを入れて場がどうしようもないほどぐだぐだになる。
「がっはっは。やっぱり馬鹿なパーティだな」
「「黙れ、筋肉と斧!!」」
それは悪口なんだろうかと、ガルフを怒鳴りつける娘二人を見ながらロンデルが疑念に持つも口にはせず。
「とにかく方針は変えないぞ。包囲の範囲を調べて中心に向かう。いいな?」
「別に構わないけど。大した根拠もなしに、わざわざ危地かもしれないトコに飛び込むなんて、リーダーにしちゃ珍しい選択じゃねーか?」
ミンシアが何気にそう問えば、「それが狙いなんだろう」と意味不明な答えが返される。
「あん? どういうこった?」
「たぶん、範囲の中心はあっちだろう」
「なんでそう思う?」
ますます意味が分からないとミンシアだけでなくガルフまで首を捻るのを、ロンデルは生真面目な面持ちのままこう答えた。
「だって、あの辺にあるのが『協会』に連携しろと言われた協力者が泊まってる宿なんだ」
「「「え?」」」
「確か……『ソヨンの宿』だったかな」
*****
公都キルグスタン郊外
果樹園の倉庫――
「部隊長――?」
公都郊外にある果樹園に先遣隊として着到し、本隊を迎え入れる準備をはじめところで、側近の一人が上官の異変に気付いて声を掛けた。
目元まで延びる前髪で上官の表情は読めないが、見つめる先には森が広がり、さらにその奥には目標の根城があることを踏まえれば、上官が何を気に掛けているかなど容易に想像つく。
それでも、何かに魅入られたように動きを止めた上官に不審を抱いた側近は、自分の勘が正しかったことを知ることになる。
「何かいる――」
「え?」
「念のため、あのあたりを探らせろ」
そう云われて初めて、上官が森の奥ではなく、もう少し浅い一点を凝視していることに側近は気付く。
だが側近には何が感じられるわけでもなければ、見えるわけでもない。それでも疑念や戸惑いがあるはずを呑み込んで、すぐさま指示に従うその背に上官の指示が加えられた。
「見廻りじゃないぞ、戦闘装備で一班だ」
「すぐにでも!」
強装備の指示と知った側近の動きは速かった。手近の者へ声を掛け、瞬く間にピックアップされた一班が森へ向かって警戒に走る。
「周辺の怪物は狩られているはずですが」
「獣ならこちらに近づくわけがない。まして様子を窺うなど」
つまり何者かが潜んでいるのだと。
姿形は小柄な女性でも『幹部』に登り詰めた者の感覚を疑うなどありはしない。その上官が何を感じ取っているにせよ、警戒するほどの相手であるならば、否応なしに側近の表情は戦闘時のそれへと変えさせられる。当然ながら、その緊張感は付近の配下へ、そのまた下へと瞬時に伝播する。
気付けば新たな二つの班が、いつでも即応可能な
態勢で側近の背後に控えていた。
その頼もしき戦力に慢心することなく、上官と共に緊張した面持ちで部下を投入した地点を注視していれば。
「……遅すぎます」
「どうやら、根城が落ちたのは本当のようね……」
しばらしくても戻ってこない斥候班に、焦れる側近とは対照的に上官の声には喜びが紛れる。自分好みの展開になると嗜虐的な素が出てしまうのは彼女のいつもの反応だ。
とにかく、一班で手練れが五名の戦力を、剣戟の音も立てずに沈黙させられたのは疑いようがない。退きもせず、やり過ごすこともせずにあえて迎え討つ――相手の明快な敵対行動は、“縄張りの主張”に他ならない。
となれば、必然的に思い浮かぶのは“連絡が途絶えた根城の件”との関連だ。
あそこには、次代の『幹部』候補と目される『一級戦士』が二人も配置されており、だからこそ、外敵が制圧するのは困難と誰もが疑いを持たなかった。
今回、調査チームを派遣することなく、はじめから部隊を動かす判断にも「大げさすぎる」というのが団内における大方の見解であったのだ。
だが今の状況を踏まえるに、その考えをまるで正反対のものに変えざるを得なくなってくる。
冗談抜きで森の奥には、自慢の『一級戦士』二人を凌駕するほどの戦力が居座っているという解釈に。そしてそれ以上に肝心なことは、相手は命知らずにも、この『俗物軍団』に対し、事実上の宣戦布告を送りつけてきたということだ。
「どうされます……?」
指示を仰ぐ側近の問いかけは、言葉ほどの意味的な広がりはなかった。先遣隊に与えられた指示は本隊の活動拠点を果樹園倉庫周辺に構築すること。森に潜む者がこちらの様子を窺う程度なら、放置しても構わず、拠点設営に集中するだけで済む話しなのだ。
ただし、班単位を容易に呑み込む脅威を間近にして、寛げればの話しだ。
そして好戦的な『幹部』の一人である上官が、宣戦布告と等しき行為を受けてなお、拠点の堅持に消極的な戦術を選択すればの話しだ。
そのような妄想が実現するはずもないことを承知しているからこそ、側近の問いかけはただの定型行為にすぎなかった。とはいえ。
「拠点設営を疎かにするなよ」
「は――部隊長?!」
側近の声に動揺が混じるのは、上官自ら単身で森へ歩き出すのを目にしたためだ。
「待て」の指示もなければ「ついてこい」との指示もなく、唐突に自由裁量を与えられた側近の躊躇いは一瞬で、すぐに片手を前へ振り下ろす。
背後の二班が即座に呼応して、二人の士官の後を追う。
森に潜むのが何者であるにせよ、過剰戦力も甚だしい行為を、彼らは躊躇なく実行に移す。マイナス面があからさまでないならば、貪欲に勝利に結びつけるのが彼らのやり方であった。
上官からきっちり十歩の間を空けて、側近が後ろに続く。そのすぐ後ろを二つの班が。
今の状況に至っても、部下達が部隊長のすぐそばへ護衛として張り付かないのは、上官の“男を忌避する過剰反応”のせいである。
それ故、今だけでなく代々の側近も団内に数少ない女性戦士が登用されてきた経緯があった。
もちろん、通常とは異なる軍団である以上、獣のような集団に女が混ざれば何が起きるかは決まり切っている。その生き地獄を切り抜けてきた者だけが、側近の地位に就けるとあれば、その戦闘力と合わせてどれほど貴重で優秀な人材かは言うまでもない。
当然、今の部隊で彼女を侮る者など一人もおらず、彼女の洗礼を受けぬ新人を除けば、全員がその命に応じて躊躇うことなく炎に身を投じる。
あくまで実力に基づく絶対的な立場を彼女は軍団内に確立していた。
倉庫は果樹園の端にあり、森との距離はあまり確保されていない。稀に危険生物が迷い込むくらいで森林内の“清掃”を適度に行ってきた成果である。
いかほども歩くことなく森に近づき、側近の手信号に従って班が左右に展開された。
陣形は上官のみを突出させた変形の『刺突陣』。
あくまで上官の単独戦闘を前提に背後を側近が堅めて、何かあれば両翼を押し上げ援護するのが狙いである。
上官が先に黒々と翳る森に呑まれて消える。
すぐに側近らの番になり、そこで不思議と全員が同時に足を止めた。前方の空気が――上司の纏う雰囲気が変わったのを感じたからである。
――――……
夜気の温度が明らかに一段下がったのを感じつつ、それでも側近の強靱な精神力が足を前へと踏み出させる。
表面が凍てつく堅い雪を踏み砕くような側近の力強さに、勇気づけられでもしたのか、両翼の班も合わせて動き出す。
実のところ、足を止めた時間はわずかであったが、再び歩み始めた時には、全員の表情がさらに緊張したものに絞り上げられていた。
そろそろ頃合いということだ。
「――この辺でいいでしょ?」
樹林が深くなり月明かりが遮られ、暗闇が濃くなるぎりぎりのところで上官の足が止められた。
実は視認するに限界なのは部下達だけで、側近と上官の二人はさらに夜目が利く。上官の言葉は、相手に誤認させるための駆け引きでもあった。
「隠れてもムダよ。あたしにはイヤな男の臭いがはっきりと分かるんだから」
これまでの厳しいだけの口調は消え去って、可愛らしい少女のような声が上官から放たれる。その方が、より背筋を寒くさせることを側近はあらためて思い知る。
相手もそうであるからこそ、思わず手を出してきたに違いない。
――――!!
暗がりの中、“空気を切り裂く音”に“亀裂が走る音”が重なるのを全員が耳にした。
それが投げつけられた石であり、上官の鞭が弾いた音であると理解した者は当人達以外になく。続けて同じ音が夜の森に三度響いて、気付けば上官の立ち位置も変わっていた。
その両手にひとつづつ鞭が握られていることに気付いたのは側近のみ。その意味するところも側近のみが気付いて「それほどの……」と堅い声を絞り出す。
なぜなら『双竜鞭』は上官の“切り札”であり、
側近を除く目撃者を殺すことを前提に、行使する技なのだ。それをこれほどの戦闘初期の段階で、しかも部下達がいる前で使わなければならないことに、側近は驚きを隠せなかった。
そこまで追い込まれている――?!
事実、側近の認識外の出来事はあった。
物陰から投げつけられる石は二方向であり、そのいずれもが信じがたいレベルの速さで投擲されていることなぞ、把握してはいない。
しかも、投げるたびにそれぞれの投擲位置が変化し、二つの鞭を使ってなお迎撃しきれず、最後の投擲は皮一枚で避けるのがやっとだなどと。
この時点で、十人以上の味方は事実上喪失したも同然で、戦いの様相は二対一のごく少数戦闘に切り替わっていた。
なのに、上官の声には愉しげな昂揚感が感じられる。
「やるじゃない、あんたたち」
「(なかなか腕が立つ侵入者だ)」
獣の唸り声に上官は細眉をひそめた。とりあえず、謎の相手が『怪物』であり、人語は解せずとも言葉を有する人型であることにも見当が付いた。
しかし、人里近くに頻出する度合いで最もあり得るのは小鬼だが、耳にした情報からすれば、戦った時の手応えとして身体能力が高すぎる。これはどういうことなのか?
「森に近づかないで――」
状況を整理する上官に、思わぬ声が掛けられた。気のせいではない。背後の部下達から感じる戸惑いは、今し方耳にした、少女の声が現実であることを示している。
「あの洞窟は彼らに奪われました――」
少女の声はなおも森の奥より届いてくる。
「彼らは、あの洞窟は自分達のものだと云っています。自分達のものにしたのだと」
「“獣の論理”ね」
上官は鼻で笑い、「なら、力で奪い返せばいいだけじゃない」と唇を吊り上げる。それで文句はないだろうと。
「大勢死にますよ。彼らは近づく者を容赦なく殺します」
先ほどのように、と。
「その割に貴女はどうなのよ?」
「ぇ」
「根城に捕らえていた女のひとりでしょ? なぜ殺されずに生きているの? まるで仲間みたい。それとも獣の慰みモノになったのかしら? 堕ちてもなお、生きたいの? あいつらのために働いて」
「!!」
声に出さずとも少女の動揺が森の奥より伝わってくる。とんだド素人が相手だと、逆に言えば状況とのあまりな不釣り合いさに強い疑念を抱くが、考えて分かるわけでもない。
ますます状況が混乱してきたが、それでも上官は少女がキーマンであることを直感で理解していた。
「まず貴女を潰すべきね――」
上官の決断は早かった。少女との会話を放棄して、即座に配下へ指示を出す。
「エッリ」
「は――」
「左を任せる。あたしは右だ」
それだけで十分であると。
気を取り直した少女が何か訴えてくるのを適当にやり過ごして時間を稼ぎ、配下の動き出しに合わせて行動を開始する。
手強い相手だが、部下達ならば持ち堪えられるとの算段だ。少なくとも、エッリがいれば負けることはない。相手が男である以上、絶対有利な異能が彼女にはあるからだ。
むしろ、上官の方が思わぬ足止めを喰らう羽目になる。
「――ちょっと、どういうこと?」
目の前に立ち塞がる黒づくめの小男に上官は厚めの唇を尖らせた。
小柄な上官より少し上背があるだけの体格は驚くものではないが、渦巻き模様の仮面姿に困惑するのは否めない。
小鬼が道具を使うのは広く知られているが、狩猟や縄張り争いなど、闘争以外の意図で物品を拵える話しは聞いたことがないからだ。
「怪物じゃないの?」
「(真っ先にパユを狙うとは、バカじゃないようだな)」
文明を臭わせる物品の存在は、小鬼の知能が一定レベルに達していることを物語る。つまりは戦闘においても“考えて戦う”ことがあり得るということ。
ただでさえ、身体能力で劣る人間が戦術面で怪物に追いつかれれば、現在確保している世界中の支配地域が大きく変わってしまうほどの脅威。
そんなはずがない。
だからこそ、困惑してしまった上官は思わず足を止めたのだ。
「一体何が起きてるの……?」
黒づくめの小鬼は半分暗がりに溶け込んで、非常に判別しにくくなっている。多少なりと攻撃の精度が落ちているのも、『双竜鞭』で押し切れなかった理由でもあった。
「(おや? ぼやぼやしていると仲間がいなくなってしまうぞ)」
「何言ってるか分かんないわよ!」
首を傾げる小鬼に、上官は左手をくねらせた。
空気を叩く乾いた音が小鬼がいたはずのところで鳴り響き、続けて右の手首をくねらせれば、別の位置でパンと小気味良い音が鳴り響く。
樹皮が削られ、枝が折られて、地面の雑草が派手に舞い散るも、小鬼だけは捉えられない。
「ちょことまかと……」
だが中間距離は上官の独壇場。音すら置き去りにする凶鞭の躍動に、小鬼も近づくことができやしない。
一歩を踏み込むことはできても、二歩目で決定的な攻撃が入ると感じれば、迂闊に飛び込む真似をするはずもなかった。
「あなたのスピードもイカレてるけど、私の『双竜鞭』が産み出す『殺傷圏』を抜けることはできないわよ?」
小鬼が仮面越しにくぐもった唸り声をあげる。おそらく未知の武器に忌々しさを覚えているのだろう。
これでは互いに決め手がないと思われるが、上官からすれば意図的に『殺傷圏』を動かし、小鬼を捕捉してしまえばいいだけだ。
その隙を意図的に作り出しさえすれば。
その意味において、キーマンとなるのは側近のエッリだ。彼女たちの働き次第でこの局面は一気にケリがつく。
GhuuOuooooOhh…………!!!!
それは夜の森に相応しくなく、また戦闘中に決して聞くことのない、身悶えし、切なすぎる形容しがたい獣の吠え声であった。
“喘ぎ”と捉えることも可能かもしれない。
男からすればぞわりと背筋に鳥肌が立つ声に、上官はしかし、会心の笑みを浮かべる。
それがエッリの異能によるものと確信しているが故に。
「獣でもオトコはオトコね。あっという間に終わるのが残念だけど、腐汁を絞りつくして生き地獄を味わうといいわ」
ちらりと左手に一瞥くれて低く呟くと、上官はすぐさま眼前の小鬼へ笑いかけた。
「これであたしらの勝ちね。なかなかスリリングだったわよ、獣ちゃん」
いつでもエッリ達の強襲に合わせられるよう、上官は身構える。仮に小鬼が退く素振りを見せれば、一足飛びに間合いを詰めてジ・エンドだ。どのみち詰んだ状況だ。
獣とはいえ、強いオトコを二匹も消し去れる喜びに、上官――ヨーンティは心の底から満足する。
まさかその後に、思わぬ逆襲を受けるなど微塵も疑わずに。
*****
「――それで、お前は小鬼相手に部隊の半数を失ったというのか」
静かに紡ぐ団長の言葉には明らかな憤りが押し込められていた。
それは作戦前段のクレイトン一家への助勢が思った成果を挙げていなかったことにも起因しているのだが、こちらはこちらで、先遣隊が半壊している想定外の事態に苛立ちを覚えるのは当然であったろう。むしろその程度で済むのが不思議なくらいか。
当然ながら、先遣隊を任されたヨーンティは一切弁明することなく、ただひたすら頭を下げ続ける。それは嵐が過ぎるのを待つためでなく、己の力不足を恥じるからこその、心からの謝罪のためだ。
今や外部の評判が芳しくないこの軍団に対し、不思議と恩義のようなものを感じている団員は多く、『幹部』もまたその一人であったということだ。
「共謀している少女がいたと云っていたな」
「はい。我らへの恨みが怪物との共謀に走らせたのかもしれません」
「それよりも、意思疎通ができているのを不思議に思うべきだな」
団長の何気ない指摘にヨーンティの肩がぴくりと震える。思わぬ指摘だったらしい。
「その小鬼は渦巻き模様の仮面を被っていたとか」「それは、あたしもおかしいと思いましたっ」
思わず頭を上げかけて、ヨーンティは上擦った声で持論を述べる。
「小鬼が狩猟を得意とするのは聞いてます。でも、独自に“仮面”を拵えるなんて、そんな知能があるなんて聞いたことがありません」
「独自でなかったら?」
その指摘にまたもヨーンティの肩が震える。「背後に何者かがいると……?」そう団長の意図を読み解けば。
「あるいは未知の蛮族かもしれない。確かフォルムがおかしなことを云ってたな……あの洞窟に儀式的な扉があるとか」
「黄金の扉……」
ヨーンティが思い出したように呟けば、「そう、それだ」と団長も認める。
「人知れず棲みついていた古き蛮族が、いたのかもしれん。それが何かの切っ掛けで戻ってきた」
「ならばどうします? 蛮族の人数次第では相当な戦力と見積もるべき相手です」
「お前はどう見る?」
「――一匹一匹が、あたしらと同格かと」
返答に間が開いたのは認めたくなかったからではない。記憶を振り返り、戦力分析に時間を要したためだ。
そのくらいの冷静さがなければ、闘争を主とする生業に身を投じ、身体能力で上回る男を相手に今日までヨーンティが生き残れるはずもない。相手を侮り低く見積もるなど決してありはしないのだ。
あの時、勝利を確信した獣の咆哮が轟いた後、予期せぬ事態が左翼に起きた。
ヨーンティには推測しかできないが、エッリの異能を受けてなお、あるいはそれこそが切っ掛けで獣が暴走し、瞬く間に部下達は殲滅された。深手を負いながらエッリが生き延びたことだけが幸いであったろう。
そうして敵側の援軍として現れた獣を含めて、再び完全な二対一に戻された時点で、勝利の目はなくなり、ヨーンティは一目散に逃げたのだ。
間違いなく、あのまま二匹を相手にし続けるのは得策ではなかった。それだけの相手だと、今思い起こしても確信できた。
だからこそ、『幹部』級の戦力を持つという俄には信じがたい話しが、現実のものとなって軍団に重くのしかかる。
やり合えば拮抗し消耗が避けられぬ戦いに、どれほどの意味を見出すか――難しい判断だ。
それでも団長の決断は早かった。
「ならば、今夜は撤収するとしよう」
「お待ち下さいっ」
慌てたのはヨーンティだ。
「た、確かに手強い相手ですが、中距離に強いテオティオさえいてくれれば、私と側近とで確実に制圧できる相手です。『俗物軍団』は絶体に負けません!!」
「誰が“負けだ”と云った?」
我を忘れて顔を上げ燃えるような瞳で訴える部下に、団長の冷気を帯びる声が突きつけられる。
「勘違いするな。『俗物軍団』の戦いは――勝敗を決める戦いは、国を護る戦いの時のみであり、その他など」
そこで団長は少しだけ区切って、すぐに吐き捨てるように続けた。
「――――ただの私闘にすぎない」
「……」
困惑がヨーンティの全身から滲み出る。
訴えが却下されるのは覚悟していたが、思っていた理由とまるで違う――それも初耳となる“団の有り様”を聞かされたためだ。
結成当時の団員は、現団長と副団長を除いて全員が戦死し、今いる団員の大半が、拾ってもらった恩義と生き抜く糧を求めるためだけに戦っているだけにすぎない。そこには崇高な志の一滴もありはしない。
それがまさか。
国を護る――よりによって、この団長がそのような事を口にするとは。
すっかり意表を突かれ言葉を失うヨーンティに、団長はどう受け止めたのか、別の切り口で語りかけてくる。
「何を不思議がる? 今の立場がどのようにして、何を根拠にして維持できるかを考えれば分かるだろう」
「それは、あたしらの強さ――」
「外敵を打ち砕く強さだ」
団長が力強く言い直す。
「絶対的に支持を得られる部分があればこそ、国に我らの存在を認めさせることができる。失うわけにはいかぬと。そうでなければ、お前達がハメをはずのをここまで黙認されるはずがない。いやその前に、私がな」
「……っ」
ふいに心臓が締め付けられて、ヨーンティは細い身体を強く強張らせた。それが強烈な殺気によるものと気付くのは、のしかかる重圧が唐突に消え去り、呼吸が軽くなって密かに胸を撫で下ろした時である。
なぜ?
何を間違っていたと?
団長は明らかに、自分達が公都でしていることを知り、嫌悪しているのだとヨーンティは痛感する。殺気に込められていたのは紛れもない憎悪と侮蔑。
なぜ団長が?
(だって、あたしらなんかより、ずっと――)
そんなヨーンティの混乱ぶりを知らぬげに。
武力上位の『幹部』でさえ、容易く萎縮させる別格の存在感を見せつけながら、団長は言葉を続ける。
「――今や六人いた『幹部』のうち、三人を“魔境の件”で失い、一人は勝手に公都に残って計画を遅らせている始末。
それでも、例え戦力半減した状態であっても、根城の奪還は容易と考えていたが……どうやら方針を改めるべき状況のようだ」
「それなら――」
「それだけではない」
ヨーンティが再度言いかけるのを団長は制す。
「お前にまだ伝えていない“悪い報せ”がある」
「悪い報せ?」
「警備隊に話しは通していたはずだが、それでもバルデア卿が動き出した」
その名を耳にして、ヨーンティの表情がこれまでと別の意味で厳しいものに変わった。これまで対戦を望んでいたが、先日、幹部筆頭のフォルムと互角に渡り合った信じられぬ話を聞いて、考えを改めたばかりだ。
決して侮っていたつもりはないのだが、想像以上の高みにいるのだと、テオティオ共々驚かされていた。
「公国の混乱に乗じたつもりだが、かえって悪目立ちしたのかもしれん。あるいは日頃の行いが祟ったのかもな」
混乱している時だからこそ、ルストラン達が要注意組織の動向に目を光らせていたのかもしれないと。
団長の皮肉にヨーンティは再び頭を深く下げざるを得ない。先の話も踏まえれば、団の自由な気風を好き勝手に解釈していた自覚があっただけに。
「フォルムの作戦行動が気付かれぬよう、あえてバルデアをこちらに呼び寄せるように動いた。おかげで、根城を奪還できたとしても、今度は根城の秘密をヤツに知られてしまう可能性が高くなったがな」
「痛し痒し、ですね」
だから下手に手出しせず、このまま撤退するのが最良となる。
「ここで郊外の夜間訓練を段階分けでやっているとでも伝えておけば、次も同じ場所で軍を動かすことに疑念は持つまい」
苦しい言い訳だが、一度話しが通れば覆すのは容易ではない。
「極論、女どもさえ確保できれば、根城を放棄しても構わない。まあ、それも本命を入手するまでの場繋ぎにすぎないが……」
最後は低く独白し、「とにかく」と団長は言葉を繋げる。
「ヤツを上手く言いくるめ、一時的に凌げるだけで十分だ」
「では、次の実行は明日の晩ですか?」
単なる確認にすぎなかったのに、返答には少し間があった。「クレイトンのために、手に入れた材料で交渉する仕事もあるが……」何かを思案する素振りの後、団長は優先順位を決めたようだ。
「そうだ。連中が女どもをどう扱うか分からんからな。少女の扱いだけで、都合良く判断するわけにいくまい」
苦々しく団長が口にしたところで、伝者が新しい報せを持ってきた。
フォルムの作戦状況かバルデアの動向かヨーンティが興味深げに聞き耳を立てていると、意外にも団長の含み笑いが洩れた。
「――実に興味深い報せが届いたぞ」
「お伺いしても?」
そうしてヨーンティが聞かされた内容は正直味気ないものであったが、団長はそれをどのように捉えているのか、満足げに口元を綻ばせる。
「こんな夜更けに公城から馬車が出された。……バルデアが動いたのは牽制の意味があったのかもしれない」
「つまり?」
「思わぬ“切り札”が手に入るかもしれない、ということだ」




