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(四)『裏街』の冒険

 結論から言えば、探索班『一角獣ユニコーン』の“助っ人獲得大作戦”は見事に失敗し、高レベル依頼クエストの達成に暗雲どころか雷雲を喚び寄せる事になったのは、あまりに痛いつまずきであった。

 「あ、今稲光が……」と弓士少女がぼんやりと呟き、「ああ、金の投げ短剣(スローイング・ダガー)ほしかったな」とミンシアが愚痴るのをロンデルは黙って聞かなかったことにする。

 小男の魅力的な勧誘を彼がきっぱり断ったことが主な原因であろうが、班長としては当然の決断だと思っている。

 決して、自分の願望に小男が託宣・・をくれなかったことに拗ねたわけでもなければ、その託宣を邪魔してくれた二人少女に恨みを晴らしたわけでもない。――決して。


「……まあ、得るものはあった」


 それがロンデルにとってはせめてもの慰めだ。

 “得るもの”とは、いずれにせよ、『花園フラワー・ガーデン』に『協会ギルド』が紹介してくれたトッドや見習いの異人がいないという情報だ。

 知らなければ、『蜜蜂の憩い亭』に辿り着くまでどれだけ時間を浪費していたかは分からない。

 それと、見習いの異人を狙って、今や『裏街』で幅を利かせている『クレイトン一家』の息の掛かった連中が、動き回っている話しも貴重な情報だ。

 あの婆さんも情報屋か賞金稼ぎの類いというわけだ。これをネタに交渉すれば、見習い異人達とスムーズに協力関係が結べるに違いない。その後の活動も支障事案が判明していれば対策も取りやすいというわけだ。


「仲間にならなくても、協力関係が築けるならそれでもいい」


 ロンデルの拒絶をやけにあっさり受け入れた小男が、別れ際、そう云っていたのを思い出す。

 互いにうまく利用し合ってもいいだろうと。

 よく知りもしない他人とは、そういう関係の方が丁度いい。三人はそれには同意して、気分良く楽園を後にしたのであった。

 ひとり名残惜しげな弓士少女は別にして。


「けど、次はどうする? 手掛かりがあるとしたら、『協会ギルド』で聞かされた話の中にあるンだろーが」


 ミンシアが腕を組み押し上げられる見事な胸をスルーしてロンデルは「考えてある」と新たな方針を打ち出す。


「次はヨーヴァル商会に行く。異人達の証言にあったよな? 失踪した警備員について聞き込みしたら、何かネタを掴めるかもしれない」


         *****


公都キルグスタン

   『北街区』――



「店じゃない……ホントにここでいいのか?」

「『協会ギルド』が間違った情報を教えてなけりゃ、この“紋商”でいいんだよ」


 どう見ても一般家屋にしか見えない建物の前で、ロンデルが疑念の声を上げれば、ミンシアは自信を持って小さな看板へ顎をしゃくった。


「確か“警護対象の倉庫が本店とはまったく別の場所にあった”、て話しだろ? それに人の目がある居住区画だからこそ、盲点にもなる――役人に内緒で色々す(・・・)るには(・・・)うってつけの場所じゃねえか」


 『隠者シャドウ・フット』らしい人聞きの悪い台詞に「確かに」とロンデルも一緒になって納得する。

 実際、注意して歩けば、通りの右側には一定間隔で横道があるのに対し、目標の建物が並ぶ左側については横道がひとつもないのにすぐ気付く。

 この裏手にヨーヴァル商会が1ブロックごと買い占めたという、閉鎖された敷地があると考えれば、見習い探索者である異人の証言と状況的にも辻褄が合う。

 目的の場所は確かにここでいいのだろう。


「なら、ご婦人に挨拶してみるか」


 ロンデルが大きめの扉を丁寧に叩いてみると、果たして情報通りの老婦人が顔を出した。

 値踏みするように上下する視線の動きと眼光の鋭さも情報通りだが、ひとつ大変重要な情報が漏れていたのはいただけない。


「ふむ……少し熟れすぎだな(・・・・・・・・)グブッ?!」

「?」


 お腹に強烈な裏拳をぶち込まれたロンデルが、涙目になりながらも、辛うじて挨拶する。


「す、すみません。……オレは、探索者のロンデル。実はさる依頼で――」

「悪いが、今は誰も雇う気は無い」


 ばたん。

 ロンデルの素性を耳にするなり、問答無用で扉が閉められた。

 とりつく島もない早業に、呆気にとられたのはロンデル達だ。しかも厄介なことに、はっきりと“拒絶”を感じさせる老婦人の閉じ方であった。

 ミンシアの責める視線が隣ですまし顔をしている男僧へ向けられる。


「……おい、今のはあんたが悪いよな?」

「それは誤解だ。オレは“鮮度”を評価しただけで、決して女性の胸を侮辱したりはしないっ」

性癖それがダメだと言ってるんだよ、このバカチンが!!」


 ミンシアが歯を剥き出しにして「マリー、こいつのを咬み千切れ!」と男の急所(・・・・)を指差せば、「マリー、誰がお前のエサ代を稼いでいるか、分かってるよな?」とロンデルも対抗する。

 当の大型犬は通り向こうの飲食店に物欲しそうな目を向けているだけだ。馬鹿な連中に付き合うよりはかぐわしい匂いに浸っている方がマシだというように。


「二人とも、喧嘩はダメ。マリーが呆れてる」


 睨み合う二人をいさめるのはフードを目深に被った弓士少女リンデル。「夫婦喧嘩は犬も食わない」とミンシアを狼狽うろたえさせ、メッと年上の二人を交互に見やる。


「ミンシア、変態あにのペースに乗せられちゃダメ」

「……そうだな」

「ロンデル、未亡人は御法度」

「……そうだな。いや、なんで未亡人だと?」


 思わず頷きかけたロンデルが疑念を返せば、リンデルは得意げな顔で「美人でグラマーで影がある」と言い切ってみせる。その三つがそろえば、“未亡人だ”と云いたいらしい。何定義だ。

 すっかり毒気を抜かれた二人を脇に避け、リンデルは扉の前に立つと、小さな拳でノックした。

 大丈夫かと心配する二人を他所に、いつものように何の根拠があるものか、彼女は自信たっぷりに扉が開くのを待つ。

 果たして、先ほどと違った小さく可愛らしいノックに老婦人が応じて顔を出した。


「……」

「……」


 小柄な少女に容赦なく鋭利な眼光が差し込まれ、それでも底知れぬ自信を以て敢然と立ち向かうリンデルは人差し指を突きつけて言い放つ。


「あなたは“未亡人”!」


 ばたり。

 再び扉が閉められて、いやな沈黙が三人を包み込む。


「「「…………」」」


 どちらかといえば、リンデルよりも他の二人の方がリアクションに苦しむ表情をするのは分かる気はするが。

 冷や汗が噴き出るような痛い沈黙がしばし過ぎ。


「……照れている」


 ぼそりと洩らした弓士少女に、すかさず実兄がフォローを入れた。


「うむ、そういう解釈も非常に前向きであり、示唆に富んでいて嫌いじゃない――が、おそらく“怒っている”が正解だろう」

「うん、いいチャレンジだったぞ、リン。後はお姉さん達に任せてくれ!」


 ぎこちなく慰めながら、二人がリンデルを抱き上げ、「よいしょ」と後ろへ下がらせたところで三度ノック・チャレンジを敢行する。


 どん

 どん

 どん


 二人の額にはイヤな汗の珠が。

 年端もいかぬ少女にここまでさせては、空気的に手ぶらで帰るわけにもいかなくなっていた。

 せめて、老婦人との会話くらい成立させなくてはと、本筋がズレてくるのを理解しつつもロンデル達は拳を振るう。

 頼む、チャンスをくれと。


「すみません! オレ達は別に雇ってほしいわけじゃなくって、話しを聞かせてほしいだけなんだ」

「先日の、倉庫襲撃の件だよ! いなくなった警備員がいただろっ」


 ミンシアも一緒に声を張り上げる。それが功を奏したか、扉の向こうからくぐもった声が返ってきた。


「しつっこい連中だね。そんなにしつこいと、婿の相手も嫁の相手もケツまくって逃げちまうよ!」

「問題ねえ! こいつ(・・・)はともかく、あたしは掃いて捨てるほど、オトコが寄ってくるんでねっ」

「ふん、どうだか。そんな粗暴な女、若さがなけりゃ誰も振り向くまい」 


 その皮肉がミンシアのハートに別な意味合いで火を点ける。


「黙って聞いてりゃ、このババア……」

「ほらね。若さだけ(・・・・)って自覚してる鼻タレに限って、そうやってイキがるんだよ」


 釣り餌に引っかかった魚にほくそ笑むように、老婦人の声に笑いがまぎれる。そうなれば、ミンシアの怒りは抑えるに抑えられなくなっていた。


「そっちこそ、そうやって誤魔化すのが怪しすぎるなあ? まさか、捻りもなしにあんたが犯人だなんて云わねーよな?」

「バカお言いっ」

「いーや怪しいね。そんな態度をとってると、“人攫いババア”て言いふらすぞ? いくら昔はイイ女でも“昔美人”じゃ男は寄りつかねえんだよ。一生未亡人で決まりだな?!」


 勢い任せにさんざんコキ下ろしたのが効いたのか、老婦人の憤怒を表すがごとく、耳障りな軋み音を立てながら、扉がゆっくりと開け放たれる。

 思わず咽を鳴らしたのは隣の男僧であったろうか。



 ギ、ギ、ギ……



 何だか開けてはならない扉を開けてしまったような。

 背後でマリーの名を呼んで、抱き寄せる弓士少女の恐怖が伝わってくる。それでもミンシアだけは、対決の炎を瞳に燃え上がらせて迎え討つのだが。

 三者三様の気構えで、地獄の扉が開くのを眺めていれば。

 ずいぶんともったいつけた割に、三度顔を出した老婦人から放たれるは女らしい悪口だ。いや、憎まれ口と云うべきか。


「云っとくけど……今さら男なんか必要ないね」

「はん、負け惜しみか」

「いつ孤独死してもお釣りがくるほどに、惚れた男にたっぷり可愛がってもらってるんだよ――あんたと違ってな」

「!!」


 革鎧の胸元できっつきつに押し込められているミンシアのそれを指差して、老婦人は不敵に煽る。


「もぎたての果実のようで羨ましいね。けど、男を“知ってるだけ”と“知り尽くしてる”の違いがどれほどかは分かるまい」

「「ぇ?!」」


 ミンシアの頬が激しく強張る。

 なぜか弓士少女まで一緒に衝撃を受けているのが解せないが、多感な少女だ、女性の秘事には敏感にならざるを得まい。そういうことなのだろう。きっと。

 それより激闘必至を予感させた女の戦いが、老練な女性の一言であっけなく勝敗を決したことが重要だ。


「あ、あたしだって……」

「何だって?」


 すっかり狼狽えるミンシアに、勝ち誇った老婦人の姿が戦いの明暗を如実に表していた。

 もはやこれ以上の進展はあるまい。

 そもそも“女の戦い”が始まったこと自体、不可抗力(?)というものだ。


「あー……そろそろ本題に入ってもいいかな?」


 頃合いとみたらしいロンデルが遠慮がちに声を掛ける。聖印セイント・メダルを掲げながら割り込む理由は定かではないが。女の暗黒面に触れ、条件反射で神の加護を求めただけなのだろう。

 あらためて、場の仕切り直しをするように「おほんっ」とロンデルがわざとらしく咳払いをする。


「……えー、オレ達は『協会ギルド』からの使命依頼(?)を受けてて、その、公都で起きた女性失踪について調査しているんだ」

「つまり『労役商』のヨーヴァルが女を攫ってるというわけか」

「いやいや! そうじゃなくって」


 老婦人の嫌味に両腕を振ってロンデルが全否定する。また閉められたらかなわんと。


「先日、ここで雇われた女性が失踪したって聞いてね。何か有力な情報が得られないかと思っただけなんだ。もう、とにかく情報が足りなくって」


 すがるロンデルを老婦人は露骨に面倒そうな表情をして「別に話せることはない」とにべもない(・・・・・)


「先日の一件なら、私より実際に警護した人間の方が知ってるよ。男が死んで女が消えちまったから、残るはあんたらの後輩(・・・・・・・)に聞くしかない」

「それが、その後輩君の証言を頼りにここに至ったわけで……」


 だからこちらに顔を出したとロンデルが困り顔で訴える。


「せめて、彼女の名前を教えてくれない? 素性が分かる何かでもイイ。槍を使うと聞いたけど、探索者じゃないみたいでね」

「……」


 老婦人はだんまりだ。

 鋭い眼差しと相対するロンデルの顔が徐々に強張ってゆく。

 ミンシアとの一件が尾を引いているのか?

 だったら、さっさと何か言って欲しい。

 だが、老婦人のナイフのような双眸がロンデルから脇へ反れ、そこでわずかに緩んだような気がした。やり込めたミンシアを一瞥して溜飲を下げたのだろうか?


「……レイアナだよ」


 再び視線を戻した老婦人の唇から待望の名前が告げられた。


「旅人らしいね。『裏街』経由で応募してきたようだが、『荒事師』ではなさそうだ」


 目を見りゃ分かると。


「ま、ここしばらくは連中とつるんでいたから、仕事の話しを聞きつけたんだろうね」

「ちなみに、当日の警護の配置は誰が知ってたんだろう」

「おや、名前だけ聞けばいいんじゃなかったか?」


 急に図々しくなったロンデルを老婦人が睨むも、すぐに「まあいいさ」と態度を軟化してくれる。よほどミンシアの狼狽えっぷりが気に入ってくれたのだろうか。


「私以外にも、以前から雇ってる連中は皆知ってたさ。警護役の監視(・・・・・・)とか、まあ、色々あるからね」


 それだけ情報漏洩がしやすい状況だということだが、ロンデルにとっては悪い情報ではない。


「例の事件後、辞めた者はいるのか?」

「いないね。争いで死んだ者はいるけどね」


 金で情報を売ったか、死んでしまったか。いずれにせよ、手掛かりを得るのは難しそうだ。それでもロンデルの目には光明が見えていたようだ。


「“倉”は閉鎖された区間にあると聞いてる。外から見えない状況でレイアナを狙うということは、誘拐犯が、以前から彼女の仕事先を知っていたことになる」

「それで?」


 老婦人がつまらなさそうに先を促す。


「だから、彼女が仕事を得るまでの足跡を逆に辿れば、もしかしたら、誘拐犯が目を付けた機会が何だったのか分かるかもしれない」


 そうなれば誘拐犯の正体も暴けるのではないかと。


「“もし”とか“かも”とか妄想にしか聞こえないが」

「む、それは、まあ……」


 老婦人の皮肉にロンデルが言葉を濁すと、意外な助け船が脇から入れられる。


「『裏街』が怪しいのは確かだろ。直接でなかろーが、どうせ『クレイトン一家』が絡んでるのも間違いないんだ。“足跡を逆に辿る”のは悪かねえ」

「ミンシア……そうだよなっ、うん」

「おやおや」


 意味深に口元を綻ばせる老婦人を無視して、ミンシアが男僧の背をばしりと叩く。


「さあ、とっとと行こうぜ。『裏街』で仕事の斡旋やってるトコなら、あたしが知ってるよ」

「え、いやまだ」

「悪いね、私もそんなに暇じゃないんだ」


 ばたり。

 云うが早いか扉が閉じられた。

 別れの挨拶もないのが老婦人らしいというか。

 鼻で小さく嘆息するロンデルが、きびすを返したところで扉奥からくぐもった声が漏れてきた。


「がんばんな、童貞僧侶。攫われた女を助けてやってくれ」


 もしかすると、老婦人が協力的だったのはそのためだったのか。背後の扉へ顔だけ振り向けたロンデルが厳しい顔つきでぽつりと洩らす。


「……オレは卒業している」


 一度だけの過ちだが、と続く言葉を胸内で呟いて。


         *****


公都キルグスタン

 『東街区』通称『裏街』エリア――



「久しぶりじゃねえか、ミンシア。お前まだ、あの“おっぱい兄ちゃん”と付き合ってんのか?」

「ミンシア、あのヘッポコ僧侶はやめとけ。おっぱいばかりイジくられちゃ、切ないだろ? オレならぜんぶ(・・・)満足させてやるぜぇ」


 店に一歩入るなり、強烈な酒精の臭いが鼻を突き、同時に斥候女の豊かな胸とお尻に遠慮のない視線が注がれる。

 昼間から飲んだくれてる連中が矢継ぎ早に絡んでくるのを慣れた様子でガン無視し、斥候女は先頭切って酒場のカウンターへと突き進む。

 「オレ、認識されてないのか……?」と眉間にしわ寄せ訝しむ“おっぱい兄ちゃん”ことロンデルが後に続き、さらにその後ろを、これは完全に野郎達の視界から外れている小柄な弓士少女が「おっぱいが兄はイヤ」と不平をこぼしトコトコ尾いてゆく。


「相変わらずツレねぇなあ、ミンシア」

「そこがいいんじゃねえか」


 最後までしつこく尻にまとわりつく飲んだくれの欲望に、ミンシアは振り向きもせず中指を天井高く突き立て挨拶替わりとした。

 だん、と力任せにカウンターへ肘をつき――


「よ、マスター」

「なんだ、“おっぱいの連れ”か――」

「おい、いろいろと紛らわしい言い方、やめてくんねーか?」


 にこやかに眉間に青筋を立てるミンシアに、頬紅を濃くしたハゲ親父が面白くなさそうな顔のまま、麦酒エールをカウンターに置く。ミンシアが決まって最初に注文するのが、生ぬるいエールと承知しているからだ。


「いつも云ってるよね。ここはアタシ目当ての(・・・・・・・)客専門なんだけど……?」


 恨めしげにハゲ親父が告げた途端、聞き耳でもたてていたのか、近くのテーブル席が騒ぎはじめた。


「ああ、マスターが拗ねちまったぞ!」

「おめーが、ミンシアに色目を使うからだろ」

「馬鹿野郎、あのおっぱい見ちまったら、ゲイなんかやってられるかっ」

「ていうか、お前はそもそも“女専”だよな?」


 やけにテンション高く盛り上がる連中へ「なに浮かれてやがる」と別の席からシブい声が掛けられた。

 誰だ、と周囲の視線までが集中した先に、四人掛けのテーブルで独りを愉しむ中年戦士の姿が。

 暗がりの店内と窓からの逆光で、偶然にも、その特徴的な無精髭しか判別できないが、歴戦の強者を思わせる空気感だけは嫌が応にも感じ取ることができた。

 嗄れた声も戦場で咽を潰した証ともとれ、その声でたしなめられれば、酔いで頭が鈍った連中も黙って口を閉ざすしかないだろう。

 その中年戦士が酒杯を軽く掲げてみせ。


「……俺は男も女も真ん中も(・・・・)、等しく愛でられる」


 酒場の隅まで響かせる声で言い放ち、そこでクイと酒を咽に流し込む。当人としては、決め台詞か何かのつもりらしい。


「ぶぶっ」

「ぎゃっはは!」

「何言ってやがる……無節操なだけじゃねーか!」


 途端に巻き起こる大爆笑。


「あはー、やっぱそう?」


 歯抜けの笑顔でせっかくのキメ顔を崩してしまうのは中年戦士。それを「さすが“トリプル(・・・・)・ジョー”だ」と誰かが囃し立て、「聞いたか、あの無意味にシブイ声」と腹を抱え酒杯でガンガンとテーブルを叩くのは鉄板のネタであったらしい。

 酔いのせいとは分かっていても、異常な盛り上がりを見せられて、絶句するのはロンデルと弓士少女の二人だ。


「下品だろ……?」


 エールをたっぷり咽奥に流し込み、ミンシアが口元を薄く綻ばせる。


「ここは下品な上に差別発言もしょっちゅうだ」


 けれども、と。

 猫のような目を心地よさげに細めるミンシアに嫌悪感など微塵もない。むしろ自慢げに。


「隠さず、ストレートに言い合える」


 それがいいのだと。

 探索者の寄りつく酒場なら、まだ許せるが。

 そうでなければ世間一般で、女を受け入れる店は娼婦程度にしか見ていない。酒場とは、あくまで男のための店なのだ。

 当然、こんな『裏街』の酒場で女がひとりでふらつけば、力尽くで犯されても文句は言えない。オカマやそれ以外のマイノリティに至っては、唾棄され手ひどい目にあわされるのが罷り通る。それが世情というものだ。


「マスターがいるからか?」


 ロンデルがハゲ親父の太い二の腕を見れば、「そうじゃない」とミンシアは否定する。


「ここには、男も女もそれに当て嵌まらない連中もみんないるからさ(・・・・・・・・)。男ってだけで、デカい顔なんかできやしない」

「させるもんかい」


 とはマスターが。

 ここはオカマがボスだと色々と皮肉ってみせる。へたに卑下せず悪びれない、いい笑顔で。


「あたしは聖人じゃないからね。誰が何を云おうが構いやしない。好きに云って、好きにやり返しゃいい。ただ、“一方的”なのは不愉快でねえ」

「ヘンな店だな」

「ありがとよ」

「ヘンなマスター」


 いつの間に注文したのか、カウンターでミルクを舐める弓士少女が呟くと、「それはありがたくないわね?」とハゲ親父が歯を剥き出しにして顔を近づける。

 のけぞる弓士少女の背を椅子から落ちないように支えるのはロンデルだ。「お前冒険し過ぎるぞ」と言いたげな実兄の目を弓士少女は知らずにミルクに集中する。


「……それで、何が知りたいんだ?」


 ロンデルにもエールを出したところで、マスターが尋ねてくる。茶番を続けるのはゴメンだよとの意もあるだろう。


「槍使いのレイアナを知ってるか?」


 ミンシアがカウンターに銀貨を一枚乗せてスイと差し出す。それを素早く懐に収めながらマスターは情報が少なすぎると文句を云う。

 「取ってから云うなよ」との文句を視線に込めるミンシア。代わりに情報を捕捉したのはロンデルだった。


「そいつは探索者じゃなければ荒事師でもないらしい。旅人だって話しだ」

「ふん。なら、最近耳にした槍術士と同じかもね」


 やけに蒼白い顔をしてるから、耳に残るのだと。


森精族エルフの縁者じゃないかって、噂してるやつもいたっけね」


 銀髪、蒼白い肌、美貌――そのあたりが森精族エルフに対する一般的なイメージだ。

 草食ゆえに華奢であり、しかしながら、神の血を色濃く継ぐために身体の力を十全に引き出すことができ、結果的に獣並みの敏捷性を発揮する。

 単純な腕力勝負でなければ、一般的な人間よりも遙かにすぐれた身体能力ステータスを持っているのだ。

 彼らは森の奥で自然と共に暮らすことを好むが、それでも長き大陸の歴史において、他種族と関わり、一部の血が交わることで新しい半血の縁者も現れていた。

 こうした者達の多くが、森精族エルフの特徴をすべてといわず有するものであり、時に美しさが色香として発露する者もいたりする。

 それが有名な娼婦であったりもすれば、歴史的に有名な『傾国の美女』も森精族エルフの混血児ではなかったかと指摘する学者もいた。

 まさか、レイアナが森精族エルフの混血かもしれないとは驚きの話しだが、ミンシア達にとって重要なのはそこではない。


「で、そいつは何をしてたんだ? 旅人が旅もしないで、こんなスラムでたむろってるのはおかしいだろ」

「何が正しいかなんて、誰が決めるんだい」


 マスターは他の客注文に対応しながら、ミンシアの方がおかしいと言い返す。

 

「まあ、しばらく路銀を稼ぐために腕を振るってる話しは耳にしてる。確かクエッドのやつが犬のように引っ付いてたと思ったがね」


 そうして店の奥に顎をしゃくるのをミンシアが目で追えば。

 クエッドの言葉に耳聡く反応したのか、こちらを凝視する鉄の胸当てを着た青年とばっちり目が合ってしまう。

 青年の目がマスターやロンデルへと素早く移ろいで、見る間に表情が強張ったところで席を立った。


「お前がクエッドか――」


 そうミンシアが詰問したのが合図になる。


「逃げた」

「追うぞロンデル!」


 弓士少女が見たまんまを告げ、ミンシアが脱兎のごとく駆けだした。ロンデルは悠長にも、残ったエールをきっちり飲み干してから慌ててミンシアを追いかける。


「おい、“おっぱいの”――」


 そこでガッシと腕を掴まれて、ロンデルは何だと振り向いた。この緊急時に邪魔をするなとの苛立ちすらこめて。

 それが思わぬ真剣な表情を目にして戸惑うことになる。なぜか熱を感じさせる手で掴んでいたのは長剣を背に負う片眼の男だ。


「ああして強がっちゃいるが、寂しがり屋でな。オレ達のおっぱいをよろしく頼む――あ痛?!」


 残念なことに、片眼の男は最後まで台詞を言わせてはもらえなかった。ロンデルを掴んだ剛毛の手に、ぷすりと矢尻を突き立てられ、苦鳴を上げたからだ。


「余計な心配。変態あにがミンシアを放っとくわけない」


 実兄の替わりに応じたのは弓士少女だ。

 無論、手づかみの矢でちくり(・・・)としただけで、さすがに店内で弓矢を使うことはしない。

 ロンデルに「早く行け」と矢尻を振って促し、剛毛の手を「ふうふう」息吹きかけ癒やす片眼の男には、意味深な捨て台詞を言い残す。


変態あにが本当に好きな巨乳は、ただひとつ」


 もちろん、あえて聞こえないように声をひそめていたのだが。

 「酔いが言わせた」とは彼女の言だが、当然頭の中の妄言を他人に知らせることはない。

 そんな些末なアクシデントに兄妹が見舞われている間に、本命の追跡劇は、いきなり一発目のクライマックスを迎えていた。


「逃がすかよっ」


 ミンシアの動きは青年クエッドの予想を遙かに越えていたに違いない。

 屈強な男達が拳を叩きつけて馬鹿笑いしてるテーブルに足をかけ、酒のツマミを蹴散らし、ふたつめのテーブルへと飛び移る。


「なんだ?!」

「てめぇ、コラッ」


 男達の罵声を背中に浴びながら、ミンシアは障害物をものともせず真っ直ぐに獲物クエッドへと躍りかかっていた。


「だぁ!!」

「おわ?!」


 思わぬ方向から、突然飛び込んできた巨乳にクエッドが目を見開き、咄嗟に頭を抱えてうずくまる。

 当然ながら目標を失った空中のミンシアは、止まることもできずに三つ目のテーブルへダイブするハメになった。

 食器類を跳ね、ぶちこわし、肉やら芋やらスープやらの中身を方々へまき散らして、替わりに肉感的な少女がテーブルに乗っかるのを唖然と見つめるのは化粧の濃い男達だ。


「い゛や゛あー」

「なによ、あんだ」

「ちょっど、もう!」


 鶏がくびり殺されそうな悲鳴を上げたまではよかったが、この憎らしいおっぱいめと、なぜか胸を執拗にフォークで狙われて、ミンシアが「おわ、やめろコラッ」とテーブルの上でじたばたする。

 その合間に背中を丸めてコソコソ逃げるのはクエッドだ。

 丁度そこにロンデルが遅ればせながら追いついた。


「なに遊んでるんだ、ミンシア!」

「ば、見りゃ分かンだろ!」


 毛深いオネエにやっかまれて(・・・・・・)、追いやられ、あるいは掴まれるミンシアが髪振り乱しながらテーブル上から転がり落ちる。


「待ちなさい、おっぱい!」

「待てるかボケッ」


 喚き返すミンシアがロンデルの背中を押しやり必死で逃げ出す。もうどうしてこうなった?


「逃がしちゃだめ!」

「おっぱいはあだしらのモノよっ」


 戦闘斧バトル・アックスや大鉈を両手に持って仁王立ちする自称女子達は、傍目には大鬼オグルと見紛う迫力がある。

 こんな連中に追われれば、クエッド追跡どころじゃなくなってしまう。だが、パーティ仲間の窮地を救ったのは、またしてもこの娘。


「必殺――」


 小さな呟きを鼻息荒い大鬼女子が気づけたのは偶然に違いない。だが、大鉈二刀流の彼女は、自身の大胸筋おっぱいへと伸びる二本の細腕をしっかと目に焼き付けていた。


 乳首のあたりに突きつけられた――二本の人差し指を。


 それを目の当たりにした他の大鬼女子が血相を変え、やられた当人は、これでもかと力任せに自分の胸をかき抱いた。

 艶めかしい――本人はそう思っていたはずだ――オトメの声を特大の肺活量に物を言わせてたっぷりと吐き出した。



 い゛や゛ぁあああああああぁああん!!!!



 店内を揺るがす咆哮に、飲んだくれ達の酔いが全身から吹き飛ばされる。

 すわドラゴンの来襲か?!

 誰もが全身の産毛を総毛立たせ、酔いすぎた人間は小便漏らして腰を抜かす。

 一部始終を見ていたマスターだけは、深いため息をついていたのだが。


「……」


 酒場に未曾有のトラブルを巻き起こした張本人は、あまりの効果にぺたりと床に腰付けていたが、てんやわんやの大騒ぎとなっている大人達を傍観するにつれ、冷静さが戻ってきたらしい。

 無言で立ち上がり、お尻の埃をぱっぱと落とす。


「……やはり、頼れる私」


 辛うじてそれだけは口にして、そそくさとその場を後にする。「陰で活躍する私……」などといくつかの台詞候補を確認しながら。


         *****


「おい、急げロンデルっ」

「あ、やめっ、背をつつくな」


 ミンシアはロンデルの背を小突き回しながら、裏口へと懸命に駆けた。あの怪物が追いかけてくるかと思うと背筋にぞわりと悪寒が走って止まらない。

 だから裏口の扉を目にしただけで、黄金色に輝いて見えたのは大げさではなかったのだ。


「違うだろ、ミンシア。あいつは上だ!」

「それどころじゃ――あれ?」


 顔面蒼白のミンシアが振り返れば、胸を狙って踊りくる怪物共の姿がない。それどころか、物凄い絶叫が轟いてきて二人とも身を竦ませた。


「……っか、な、なんだ?」

「……いや、分からん」


 二人が呆然と佇んでいると。

 ドデ、ズデンと裏口脇の階段上から激しい物音が聞こえてきて、見上げれば、逆さに転がった人影がわずかに見えた。

 おそらくクエッドだ。今の恐るべき絶叫に驚きすぎて、足でも滑らせたに違いない。気の毒にも思うがミンシア達にすればチャンスではあった。


「あそこか!」

「よし、まだ逃げられてないっ」


 我に返った二人が逃がしたはずの獲物を目にしてあらためてやる気を取り戻す。

 階段を半分ほど上っても、さすがにクエッドは立ち上がれずに呻いている。動きの鈍さにミンシア達は捕獲の手応えを大いに掴んだ。


「逃げるなよ、この野郎」

「ぜってぇ、何か知ってやがる……」


 捕まえれば、事件が解決するような錯覚すら覚えて二人は懸命に階段を上る。だが、相手はまがりなりにも『裏街』で生きる人間だ。追っ手が近づいていると気付いた途端、タフさを示して跳ね起きた。


「やっべ――」

「あ、立ちやがった?!」


 ヨタつきながらも階段を上り始め、おそらくは屋上へと消えていった。少し遅れてミンシア、ロンデルと続く。階段途中で敏捷力の高いミンシアがロンデルを抜いた形だ。


「く、もう少し――」


 息を切らすミンシアが目の前を走るクエッドの背を睨む。

 手を伸ばしても指一本分届かないくらいの距離。

 あと半歩踏み込めれば。

 意識がはっきりしたのか、クエッドの足は力強くスピードはミンシアと五分にまで戻っている。

 遅れたのはロンデルだ。

 二人がトップスピードに達すると同時に屋根から屋根へとジャンプし、それを契機に大きく引き離される。


「この野――」

「くああ、しつっこい!」


 ミンシアが手を伸ばし、クエッドが首振り叫ぶ。

 あと指の第一関節分。

 もうひと踏み込み――


「もらっ――」

「てやっ!!」


 ミンシアが太腿に力を込めるのと、クエッドが横っ飛びに身を躍らせるのがほぼ同時。


「――った、え??」

「――くわぁ」


 屋根を駆け続けるミンシアは横目に、クエッドが何もない宙へ身を躍らせているのを唖然と見送った。

 クエッドはそのまま建物と建物の間に落ちてゆく。

 両手で腰をまさぐるような仕草をするのが、ミンシアが捉えた最後の姿であった。


「落ちた……?」

「ぅわっっとと」


 遅れて追いついたロンデルが屋根の端まで覗きに行く。勢い余ってたたらを踏んだミンシアも慌ててロンデルに続いたところで。


「……マジかよ」

「……やるねえ」


 二人が目にしたのは、両手の短剣を壁に叩きつけて、火花散る急制動をかけながら降りきったクエッドの勇姿であった。

 自身もやり遂げたことが奇跡的に感じられたのだろう。肩で大きく息しながら、こちらを見上げる顔には「やってやったぜ」と得意げな笑いが張り付いていた。

 正直、そのまま颯爽と逃げ去れば、カッコ良く見えたのは確かだ。ミンシアだってちょっぴり惚れたかもしれない。

 現実は厳しかったが。


「はぐ?!」


 まるでお漏らししたかのように、尻に手をやりクエッドが情けない悲鳴を上げたのは次の瞬間であった。

 なんだどうしたと目を凝らせば、尻に矢が刺さっているのが垣間見えた。


「まさか……?」

「リン!」


 わふん、という声と共に大型犬が走ってきて、留めとばかりにクエッドに噛みつき引き倒す。その後からトコトコと近づいてきたのは弓士少女。

 歓喜のあまり、ミンシアは思わずロンデルに抱きついて「やってくれたぜ、あいつ」「ああ、さすが我が妹だ!」と互いに喜び合う。

 手柄を立てた少女が、下で何か呟いていたが聞き取れず。どうせ支障はないと二人は勇んで階下へ向かった。


 ◇◇◇


 抵抗を諦めた獲物に、弓士少女はマリーを下がらせ見張りに付けた。

 逃げても無駄だと目線でマリーの存在をアピールすると、獲物が苦しげに「何なんだ、お前……」と睨んできた。


「……私は最後にキメる女」


 そう感情を込めずに答える。その方がいい雰囲気が出るからだ。

 獲物は不審げに眉をひそめたがどうでもいい。聞きたいのは弓士少女の方だから。


「……お前、この辺じゃ名のある手練れだな?」

「! ……まあ、な」

「見れば分かる」


 仲間が手こずり、それを自分が仕留めた以上、高レベルの人物に違いないからだ。弓士少女は素直に答える獲物の態度にひとまず満足する。


「お前はレイアナを売ったな?」

「は? なに言って――おい、レイアナがどうかしたのか?!」

「ふむ。やはり知らなかったか……」


 即座に軌道修正を図り、さも既定路線であったことを匂わせて、弓士少女は別の方向から切り込んでみる。


「レイアナは誘拐された」

「レイアナが……」

「お前のドジが、レイアナを罠に落とさせた」

「なんだって? 俺がなにしたって」

「あるいはレイアナ自身が墓穴を掘った――そうとも言える」

「??」


 マリーや尻の痛みも忘れて、さすがに目を白黒させる獲物にやり過ぎたかと感じたところで。


「勝手にややこしくするな」

「きゃうん?!」


 ゲシッと脳天チョップを食らって弓士少女が頭を抱え込む。「……痛い」と文句を垂れるが実際には衝撃だけで痛みがあるわけではない。

 ロンデルが手加減していることを承知のミンシアも今回は無言で通す。


「なあ、先に云っておくが――」


 ロンデルはクエッドの前で屈み込み、どうでもよさげに話し出す。


「オレ達はお前がどう関わってようと、正直どうこうするつもりはないんだ。レイアナの件で知ってることをしゃべってくれればいい。分かるか?」

「……ち、こンだけ痛めつけといて、ナニ云いやがる」


 地べたで仰向けになったまま、尻から抜いた矢を握りしめるクエッドは、憎々しげに弓士少女を睨み付ける。

 「てめ、グルだったのか……」との今さら感な呟きは、酒場で弓士少女が視界に入ってなかったことにあるのだろう。


「薬の効きがイマイチ」


 睨まれた弓士少女が不快げに唇を歪め、「もう一度マリーに噛んでもらう」と指を鳴らすべく顔前に掲げる。

 よしきたまかせろ、と立ち上がり尻尾を振るのは大型犬。


「わふ!!」

「ああ、クソッ、分かったよ!」


 途端に「やめてくれ」と両手を掲げて強気を放り捨てたクエッドが、ロンデルに向かって目顔で助けを請う。何とかしろよと。


「リン」

「カミカミする」

「リン」

「……つまらん」


 班長としての命令をさすがに無視するわけにもいかず、弓士少女は不満たらたらで「お座り」とマリーを待機させる。

 ほっとして、ごつりと後頭部を地面に預けるのはクエッドだ。息を多少乱し、きつく瞼を閉じて痛みに耐えながら。


「……俺だって、レイアナは心配だ。彼女に何があったんだ?」

「質問してるのはこっちだが?」

「ケチ糞すんな。予備知識があった方が、こっちも話しやすいんだよ」

「こいつ、いちいちナマイキ」


 弓士少女が苛つくのをロンデルは「間違っちゃいない」と擁護する。ミンシアとも目配せしあってレイアナの状況を伝えてやることにする。

 どう見ても、クエッドが犯人側のポジションとは思えないからだ。せいぜい仲間の情報を売るタチの悪い小悪党という判断だ。

 実際、語って聞かせた反応は二人の見立てを肯定するモノだった。


「……だから、やめろと云ったんだ」


 クエッドの第一声は悔しさにまみれていた。

 レイアナにというよりも己に対する歯がゆさが感じられるもの。


「失踪だなんてふざけるな、ヨーヴァルの野郎がさらったに決まって――あ痛っ」


 思わず傷めた尻に力を入れてしまったのだろう。ぴんと爪先を伸ばすクエッドが勝手に苦しむ様は滑稽でさえある。

 それをつまらなさそう見るロンデルがクエッドの邪推を否定する。


「残念ながら、オレ達の見立てと違ってる」


 自分が犯人と宣伝するような真似をヨーヴァル商会がするわけがない。それにあいつらの悪巧みは別のところにあったのだと。


「オレ達の調べでは、『クレイトン一家』が何らかの形で絡んでるとみてる」

「あいつらが? ……ヤベえ展開じゃねえか」

「そうとも。だからお前が何か知ってたら、有無を言わさず消しにかかる公算が高い」


 さも当然とばかりロンデルは脅しにかかり、わかりやすく顔を引き攣らせたクエッドが、「だったら余計なことは……」と口を噤む。

 だが、それを浅知恵とロンデルが無情に断ち切った。


「“有無を言わさず”、だ」

「……」


 その言葉がクエッドにたっぷり浸み込むのを待ってからロンデルは続けた。


「失踪前、レイアナが人攫いに目を付けられる何かがなかったか? あるいは『クレイトン一家』と連んでる不審な連中を知らないか? オレ達はお前がレイアナの情報を売ったと思ってたんだがな」

「冗談じゃねえっ。こっちこそ、はじめはお前らがヨーヴァルの手下かと思ったんだぜ?」


 最後の言葉に反感を覚えたか、クエッドは痛みを堪えて憎まれ口で返す。「ま、すぐにそうでないと分かったけどよ」となぜか笑って見せて。


「なんか、うまく言えねえけど……ヘンな連中だよなオタクら」

「調子にノってる」

「確かに」


 今度は弓士少女に同意して、ロンデルがぐりぐりとクエッドの腰をゆすってやる。


「お゛っ……やめ、こら」


 尻の激痛でしっかりクエッドを呻かせてからロンデルは再質問を試みる。


「余計な話しはイイから、とっとと吐け」

「ああ、くそっ。そうは云ってもな……」

「商会からの仕事はどうやって受けた?」

「そりゃマスターの“口利き”さ。確か、前髪で顔も分からねえ陰気な女がやってきて、仕事の話しをしていったとか……」


 ロクな情報じゃねえとクエッドは考えているようだが、“陰気な女”の存在は十分新しい情報だ。


「条件が“単独任務可能”で“手練れの槍使い”と限定されちゃ、決まりだよな。……羽振りも良くてレイアナは喜んでたけどよ」


 とクエッドは寂しげに付け加える。置いてきぼりを喰らった彼としては面白くなかったのかもしれない。


「……こんな形だけどよ、よけりゃ俺に手伝わせてくれねえか?」

「は?」

「いや……“最悪の出会い”ってのは、最高の出会いになるっていうか」

「わからん」


 モジモジしはじめるクエッドを気味悪げに見ながらロンデルは“拒否”の空気を全面に出す。


「ち、違うんだ。俺とレイアナも最悪の出会いだったから」


 婆さん相手にカツアゲしてたら、それを止めたのがレイアナだったとクエッドは語る。


「確かに最悪だな」

「サイテーだ、こいつ」

「やっぱカミカミ?」


 ロンデル以下二人に侮蔑の眼差しを向けられて、クエッドは「俺だって生きてくのに必死なんだよ」とふて腐れる。悪いことだとの自覚はあるらしい。


「とにかくっ、槍で尻を刺されてよ。なにすんだこの野郎って振り向いたら、すっげー美人で……そん時、目覚めたんだ(・・・・・・)

「「……何に?」」

 

 予想外の発言に、たじろぐのはロンデルとミンシア。ひとり弓士少女だけは「尻の受難持ち」と感慨深げに呟いている。「次は剣で……?」と未来予知を働かせているのは置いといて。


「あんな“強さ”と“美しさ”を兼ね備えた女は初めて見たぜ。男が惚れる女はあーでなくっちゃ」

「胸はどうだ?」

「?」

「胸には女性の優しさがたくさん詰まってる。そこも見落としてはいけない重要なポイントだ……イテテ!」


 神妙な面持ちで説法をはじめたロンデルの耳を、千切れる勢いで持ち上げたのはミンシアだ。「ったく、この男は」と嘆息をこぼしつつ、替わりに質問役を担う。


「馬鹿話はそのへんにしてくれ。話しが前に進まねえ」


 そうしてロンデルを追いやり、屈み込む。


「あんたがレイアナに“ホの字”だと云うのなら、頑張って尽くしてくれよ。差し当たり、陰気な女の行方を追ってみようじゃないか」

「おお、話しが分かるなアンタ」


 喜色を浮かべるクエッドに弓士少女が怪しんでいるが、ロンデルも人手は必要と認めて折れることになる。


「そうだ、ダメ元で“ガルフ”に聞いてみるのもいいかもしれない」

「なんだって?」


 思わぬ名前を耳にして、ロンデル達が胡散臭げにクエッドを見やると、当人は「なんでそんな目で見やがる?」と不審がりながらも理由を説明する。


「いや、近頃売り出し中の情報屋だからさ。なんか知ってるかも、て思って……なんだよ、おい?」


 クエッドの疑念に答えずに、三人は互いの顔を見合わせていた。

 あのガタイで情報屋とか実に胡散臭い話しだが、あの男そのものが胡散臭い人物であると思えば、ありえない話しではない。

 他人のそら似と切って捨てることもできず、微妙な空気はしばらくパーティから晴れることはなかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 優秀な弓士ともなれば、衣服の上から急所を捉えることなど容易。 [一言] そして別れ際の言葉通り、またガルフと会うわけですね。どこまでが計算の内やら…。
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