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(十)舞い降りた怪物

時を少し遡る

 『ヨーヴァル商会』――



 突然の来訪にも関わらず、フードを目深にかぶった見るからに怪しげな人物と会長たるヨーヴァルが直接会談に応じたのは、付添らしき二人が醸し出す一般住民と隔絶した雰囲気を感じ取ったからではなく、その人物が告げた名前のせいであった。


「まさかこのようなところへ、わざわざご足労いただくとは思ってもおりませんでした――お初にお目にかかります、グリュンフェルト様」


 非礼がないよう使用人に椅子の配置を変えさせた応接室で、恰幅のいい商人はあらためて名乗りを上げながら、人なつっこい笑みを浮かべた。

 人を扱う“労役商”なればこそか、魅力的な笑顔を浮かべる中年商人の目には、だが、相手の血肉や心の内まで見定めるような冷徹な光が宿っている。


「時間を取らせるつもりはない」


 己を“観察”する不快な視線を気にすることなく、バルデアはフードを払い鮮やかな白髪を晒しながら単刀直入に用件を切り出す。


「近々、お前のところの“倉”を賊が襲う計画がある。その対応を任せてもらう」

「ほう――」


 身分違いとはいえ、まともな説明をすることもなく、その上あまりに一方的で傲慢としか思えぬ宣言にヨーヴァルの反応はただそれだけであった。賊が何者かも、なぜ襲撃の件を知ったのかも問いかけることがないのは、すでに彼自身がある程度の情報を掴んでいるからであろうか。

 あるいは、襲撃され馴れている(・・・・・・・・・)ために「またか」と驚きも少ないのだと言えぬ事もない。

 ただどちらであろうとも、わずかな動揺も見せぬ商人の素っ気ない態度が、本来ならば今少し秘匿しておくべき虎の子のカードをバルデアに切らせたのは間違いない。


「お前は国から預かった“咎人”を私的に利用しているな?」


 それもまた突然で、しかも先の話しとどう繋がりあるのかと困惑させるバルデアの指摘であったが、中年商人はその意図を精確に理解したらしい。その上で、速やかかつ冷静に異を唱えてみせる。

 

「バルデア様、そこは認識の違いがあるようです」

「どういう意味だ?」

「私はただ“相応しき重労働の刑罰を与えよ”という依頼を、脱獄などの危険も考慮して私共の手の届くところで適切に実行しているだけにすぎません」

「私的利用ではないと?」

「いえ、肝腎なことは“刑罰といえる重労働を与えているか否か”だと申し上げているのです」


 鍛え抜かれた騎士でさえ臆するバルデアの圧力を太り気味の中年商人が視線を逸らさず受け止める。

 その異様。

 いや冷静に分析するならば、剣や槍を持っての戦いならばいざ知らず、座して語らう交渉事においては三剣士といえど勝手は違い、“地の利”はむしろ商人にこそある。

 まして“武”と“商”の違いはあれど、互いに一流ならばこその胆力があって、そこに差異がなければ拮抗するのも当然の結果。

 しかして胆力による鍔迫り合いで室内の空気を軋らせる中。


「――ですが、“賊”とやらの襲撃を受けきれるかどうかには、不安があるのもまた事実」


 ふいに視線の力を弛め、そう控えめに続けたのは、明快な敵対を避けバルデアに配慮した商人ならではの卓越したバランス感覚の為せる業か、はたまた純粋なる本音であったのか。

 相手が柔らかく構えたことで、バルデアはどう受け止めたものか、中年商人が適切な判断を下せるようひとつの材料・・を提示する。


「襲撃には『クレイトン一家』が絡んでる」

「……」


 その情報ひとつでヨーヴァルには十分理解できたようだ。

 『クレイトン一家』とは昔から争ってきただけに、奴らが何を画策しているかなど、いちいち調べずとも手に取るように分かるが故に。

 だから“隠し資産”を狙っているのは勿論のこと、“倉”を襲撃し“咎人”を殺したり逃がしたりすることで商会こちらの信用に大きなダメージを与えることもその狙いにあるのも一瞬で見抜く。

 ならば、これまでのような小競り合いで済ませるつもりはないという連中の本気度もヨーヴァルならば感じ取ったはずだ。

 同時に腑に落ちぬ部分も。


「……彼らが組織を大きくしようと動いているのは知っておりましたが。まさか本気で“裏街”を牛耳ろうとでも……?」

「その真意はともかく、はっきり云えるのは“間違いなく仕掛けてくる”ということだ」


 バルデアはどこまで情報を掴んでいるのか。

 その厳しさしか表さぬ鉄面皮からは何の思惑も読み取れず、だからこそ、目を細めるヨーヴァルの思考は『クレイトン一家』の動向へと向けられる。


 最近の奴らの抗争相手は、小さなグループばかりで放っておいても大勢に影響はなく、裏町のチリ(・・)掃除くらいに受け止めて見逃してきたのが本音である。

 ただそれも一程度吸収しきれば、残るは大所帯ばかりであり、もはや互いに肩が触れ合う距離となる。

 それは一触即発の状況を示しており、そうなってはじめて小物たちに緩衝材としての効能もあったのだと気付いても、その存在価値を今さらながらに認めても後の祭りである。

 要するに、ヨーヴァル商会が狙われたのは“隠し資産”という切っ掛けがあったからにすぎず、遅かれ早かれすべての大物組織と戦争を引き起こす状態になることを『クレイトン一家』は理解した上で仕掛けてきたというわけだ。


 本気なのだ――その野望は。


 そこにどのような真意が隠されているかは分からぬが。

 少なくとも、自分が狙われる理由にはヨーヴァルも納得できただろう。ただそうなれば、公城警護が主任務であるはずのバルデアが表立つ理由は依然として不明なままだ。

 よもや『クレイトン一家』が公都警備隊で対応できぬほどの力を持ってしまったわけではあるまい。だから本腰を入れて軍が叩き潰しに動いているなどと。

 確かに一家の背後にある“力”の存在は承知しており、それ故脅威を感じている。それでも軍まで動かす騒ぎになるとは、この件に関係する誰もがそうさせるとは思えない。

 いや、考えてみればひとつだけ――バルデア卿に関する噂が真実だと云うならば。


「それで、グリュンフェルト様は何を望まれるので?」

手を引け(・・・・)

「……」

「バレないよう外の見張りだけを残し、あとは我らに任せろ。そしてすべてが終わったら、“咎人”をきちんと鉱山へ送ればいい。それでこの件は終わりだ」


 そんなはずはない(・・・・・・・・)

 言葉に隠れた流れの中に重要な事案がどう扱われるのかが抜け落ちている――即ち“隠し資産”の扱いが。

 いや、語られないことで逆に明瞭に宣言しているとも言える。

 淡々と語るバルデアの要求は、これまでの苦労と投資を思えばヨーヴァルにとって容易に飲める話しではなかった。だが、襲撃者が単純な力尽くでくる場合、最も不得手な分野であるため対応しきれる自信がないのも事実なのだ。

 本来であれば――


懇意の人物(・・・・・)に、助けを求められる内容ではあるまい」

「……」


 彼が誰を差しているかを承知して、押し黙るヨーヴァルからはじめて余裕が消える。

 己が商会だけでなく、彼の御方おんかたが“武力”という手駒を持っていないことは常々懸案事項とされてきただけに。

 めぼしい『荒事師』やあぶれ者を吟味してはいたのだが、これぞという者がいなく、つい先日、見込みの者が現れたという知らせは受けたものの、まだアプローチさえしていない始末である。

 正しく痛いところを突かれたわけだが、すぐにうまい打開策が出せるはずもなく、選択の幅は限られていた。

 精一杯の抗いというようにヨーヴァルがバルデアを見つめたまま条件を口にする。


「“咎人”に被害が出たら、相応の賠償を求めさせていただきます」

「そんなことを言える立場か?!」


 これまで彫像のごとく無言で付き従っていた付き人が怒りの声を上げるのをバルデアが片手を挙げて制止する。


「夜までに警備の嘆願書を出せ。今の条件もそれまでに部下と取り交わしておくことだ」

「今夜にも現れると――?」


 用件は済ませたと立ち上がるバルデアが、フードを手にしながら「遅きに失しては意味がない」と警備のいろはを教示する。

 三人の来訪者が去ったあと、一人応接室に残ったヨーヴァルが訝しげな表情で顎をさする。


「はて、『クレイトン一家』の後ろには、外軍がいるはず……同じ公国軍同士で相争うとは……何かの内輪もめ(・・・・)を起こしたか?」


 あくまで勘にすぎないが、両者の激突は策謀によるフリ(・・)ではなく本気のものとヨーヴァルは感じ取る。ならば内輪もめの信憑性が俄然増してくるのだが。

 それはわずかな光明か。

 付け入る小さき隙なのか。

 煮え湯を飲まされたばかりのヨーヴァルの唇が、ゆっくりと不自然なほど吊り上がっていくのであった。


         *****


再び

公都到着より四日目<夜>

 地下道の鬼灯達――



 人ひとりが通れるほどの隙間を開けたところで、ランタンの明かりが先行し扉の先が部屋になっていることを浮き彫りにする。

 真っ先に足を踏み入れるのは、好奇と欲望で目をギラつかせるガルフだ。鬼灯が成し遂げた解錠の功を無視して、我先にと片手でランタンを翳しながら、足早に侵入した。と――



 ビヒュッ



 何かが室内を走り抜け、苦鳴すら洩らすことなくガルフが出し抜けに倒れ込む。


「おや」

「え、なに?!」 


 後方で認識できなかった扇間を鬼灯はすかさず片手で抑え、倒れたガルフの身に幾本もの矢が突き刺さっているのを冷静に確認する。

 迂闊に踏み込むから。

 ここまでの経緯を振り返り、仕掛け人たる貴族の性格を念頭に置けば、いまだ気を弛めてよい段階でないことくらい分かろうものなのに。

 それが『探索者』と『荒事師』の違いなのか、面と向かっての人対人ならガルフもこのような油断などしなかったろう。

 だが草葉の陰(・・・・)でいくら悔やんでみたところで、後悔が先に立つことはなく、故に行動の不注意は自業自得で鬼灯が関知するところではない。逆に言えば、相棒である扇間に対しては知り得た情報をきちんと共有する。


「罠です。恐らく三方から矢を射かけられたのでしょう」

「罠? だって、今まで土に埋もれていたんじゃ」「もちろん、誰かの待ち伏せ(・・・・・・・)ではありません。“絡繰り仕掛け”というやつです。ご覧なさい」


 鬼灯が指差す石畳のひとつが、少しだけ窪んでいるのはガルフの足が踏み込んだところだろう。扉の仕掛けといい、罠の仕掛けといい、金目のものを隠すのに多額の金額をかける矛盾に、貴族とは何かを分かったような気がする。いや、ありあまる権力や金を手にすると、その力をろくな事に使わないのは元の世も異世界も同じなのだろう。

 鬼灯が腰の物を鞘ごと抜いて、足下の石畳をぐいと突く。


「こうして確かめてゆけば、問題ないでしょう」


 理屈はそうだが、目の前で仮にも仲間とした者を倒された事実が前進を躊躇させる、はずなのに。

 鬼灯は何事もなかったように淡々と作業をこなしながら部屋に踏み込んでゆく。

 室内の広さは縦長で、奥まで六間(約10メートル)もない。中央奥には石の台座がぽつんと設えられ、台座の上には鍵のない木箱があった。

 目的のものがそれだとしても、問題は台座までに敷き詰められた数枚の石畳だ。そのいずれかが死の矢を作動させる罠となっている。あるいはすべてがそうなのかもしれない。


「気をつけて」

「ええ、せっかくの試練ですからたっぷり堪能させていただきます」


 こいつ、罠を発動させたいんじゃなかろうか。そう誤解を招く返事を残して鬼灯がひとり先行する。

 相棒の心配を他所に、時折、罠が発動するもあらかじめ身を低めている鬼灯に射線はしっかりとズレており、危なげなく乗りきって。

 最後だからこそ、用心のため木箱のぐるりを眺めてみるも、特に何かがあるようには見えず、鬼灯は思い切って木箱に手を掛けた。


「……小物に巻物。大がかりな割に、ずいぶんと質素なお宝ですね」

 

 不思議と木箱の傷みはそれほどでなく、鍵もなかったので難なく開けることができた。中に在ったのは一見して上物と思える銭が数枚あるものの、それ以外は金銭的価値が不明な雑多なもののみ。

 茶器のように美術品、嗜好品としての価値を見出してのことであれば、鬼灯に異世界の価値観など見定められぬのも当然と云えば当然のこと。

 正直肩すかしを食らった感は否めないが、協会ギルドで鑑定をすれば何か分かるかもしれないと一縷の望みを抱き、とりあえず懐に入るだけ手にしたところで。


「ガルフ殿が存命であれば……」


 鬼灯が惜しむのはほぼ空になった木箱の底に毛筆体に似た書体で何やら文字が記されているのに気付いたためだ。

 異境の者と何故か言葉による意思疎通は辛うじて図れるものの、読み書きともなればさすがに別である。


「ふむ……」


 字は読めずとも、その筆運びを見れば過剰に力が加わった“抑え”、“跳ね”に記した者の禍々しき情念が感じ取られ、意味が分からぬはずなのに、某かの警告を告げているようにも感じられる。

 それは決して善意からくるものではなく、状況から察すれば、宝を奪わんとするここに立ち入る資格無き者への敵意だけが込められているのは間違いあるまい。


「“呪いあれ”といったところでしょうかね」


 怪しい術が実在しまかり通る世界だけに、ただ一笑に付して終わらせるわけにいかず、唇の笑みは消えずとも鬼灯の両眼は鋭く細められる。

 宝を手にして終わり、とは限らない。

 この殺風景な石室に仕掛けられた罠が二重であったとして何の不思議があろうか――そう鬼灯が気を引き締めたところで。


「誰か来たね――」


 背後を警戒していた扇間の低くも鋭い声が鬼灯の耳朶を打つ。

 よりによって、この時に。

 あるいは、この“間の悪さ”こそ“呪いの効果”というわけか?

 相棒が受け止めている心理的重圧や苦悩など知る由もなく、扇間の投げてくる問いかけが、やけに軽く聞こえてしまう。


「降りてきそうだけど、どうする?」

「……考えがあります」


 だがその前に、とたくさんの罠に取り囲まれ身動きできぬ鬼灯が何を指示するのかと思えば――まさかの全力で駆け戻ってきた。

 たった今し方までの苦悩も何もかもほっぽり出して。

 呪い? 罠? そんなのどうでもいいやと、あっさりその場を後にする。

 思わず大口を開けた扇間が声を出す間もなく。



 ビヒ、ヒュヒュッ――



 “死”そのものと呼ぶべき凶矢に追い立てられながら。

 愉しげな笑みをその口元に浮かべて。

 罠の発動などおかまいなしに矢の飛来より早く駆け過ぎて、あっという間に鬼灯が扇間の待つ扉まで舞い戻る。その彼を呆れた感じで扇間が迎えたのは別に理由があってのこと。


「明かりを置いてきていいのかい?」

「ええ、仕掛け(・・・)のひとつですから」


 台座の足下に置き去りにされたランタンを扇間が指摘するも問題ないと鬼灯は云う。どこかさっぱりした感じがするのは“呪い”すら置き去りにしてやったという達成感からくるものであろうが、そんな相棒の心境まで扇間に分かるはずもない。


「それよりも枝道まで戻りましょう。室内から洩れる明かりに気付いてもらえれば、横道で隠れてやり(・・・・・)過ごす(・・・)こともできるはず」

「おお、確かにそれならば」


 弁舌で誤魔化すとでも思っていたのか、鬼灯の策を聞いた扇間が安堵混じりの感嘆を込めて顔を綻ばす。

 ならば急ぎ行動に移さねば、出口の方では何やら人声が大きくなってくる。

 服の袖を使い、ランタンの明かりが奥へ広がるのを少しでも和らげながら、二人はそそくさと部屋を後にする。

 その慌ただしさもあって、二人は自分達が重大な見落としをしていたなどと気付くことはない――いや、床に設置された“死の罠”に宝の存在を誇示する“木箱”など、侵入者の目や意識を釘付けにする(・・・・・・)仕掛け(・・・)が意図的に施されていたとすれば、これはもはや考案者を褒める以外にないだろう。

 だからこそ二人が見逃したのも当然か――誰も見向きもしなかった天井に、血糊のようなもので描かれた奇怪な円盤紋様があったことなど。


「おい、明かりが……っ」

「馬鹿な、扉が開いてるぞ?!」


 やってきたのはどうやらヨーヴァル商会の者らしい。やはり、指定位置から離れた鬼灯達に気付いて影の見張り役が追ってきたのだろう。

 少数なのは、知らせる者と確認する者とで手分けしたせいか、それともまずは確認を先行させたかまでは分からない。


「くそっ」

「待て。応援が来るのを待とう」

「いや、来るからこそ、先に奴らを牽制した方がいい」


 どうやら“手分けした”のが正解らしい。厄介なことになっているが、雇い主との全面的な争いは、理由はどうあれ極力避けたいところだ。

 足早に過ぎてゆく影を無難にやり過ごし、鬼灯達は足音を忍ばせて予定通りに地上を目指す。

 後方で「仲間割れか?!」と驚く声が聞こえてきたのはガルフの遺体を発見したのだろう。そのまましばし攪乱されることを期待する。

 梯子上りは木材同士が擦られるため、どうしても軋み音が出てしまい、鬼灯達に余計な神経をすり減らさせる。だが、音が届いてないのか届いても気にしていないのか。

 特に何の反応もなく、無事に地上へ戻って“咎人”が収監された部屋が居並ぶ廊下に出てくるやほっと息を吐く。


「おい、誰かいるのか? さっきから何が起きてんだよ?!」

「うるせえ! どうでもいいだろがそんなこと。黙って寝とけや」

「なんだと?」


 二人に気付いたか、近房の“咎人”が大声を放ちすぐさま眠れねえと別房の“咎人”に怒鳴られ騒ぎはじまる。

 そんなものにはいちいち構っていられぬと二人は無視して先を急ぐ。


「建物の外まで出れば、何とでもなります」

「ああ、任せた」


 鬼灯の口車がどこまで通用するか分からないが。それでも勝算あっての発言と扇間は受け止め、相棒にすべてを託すだけだ。例えどれほど疑われていても決定的な確証がなければ、我が口達者な相棒なれば無罪放免を勝ち取れる気がしてしまうだけに。

 そうして二人がついに“倉”の出入口まで辿り着き、外の石段へ身を躍らせれば。


「中から出てきたぞっ」

「何だ――どうなってやがる?」


 なぜか声が上から降りかけられ、思わず目線を上向ければ、建ち並ぶ住居の屋根に幾つもの人影が腰を屈めてひそんでいた。


 ガルフの賊仲間か。


 正確には『クレイトン一家』の者だろう。ガルフ以外にもヨーヴァル商会に潜伏していたという仲間が、鬼灯達の動向に気付いて襲撃班に合図を送ったに違いない。

 そうなれば、ここにはもうすぐ三つの集団が集うことになるだろう。


 ひとつは襲撃者たる『クレイトン一家』。

 今ひとつは警備たるヨーヴァル商会。

 そして最後に反旗を翻すことになった鬼灯達。


 このまま“待ち”の姿勢で三つ巴の混戦模様を狙うが得策か、あるいは彼らと立ち回りながらヨーヴァル側の警備を避けつつ脱出を試みるのが正解か。

 背後からはいつ影の見張りが戻ってくるか分からない状況だ。

 判断に迷う難しいこの局面で、扇間は「任せた」と鬼灯を見、鬼灯はいつも通り甘い笑みを口元に含んだまま当然のように選択する。


「中に戻りましょう」

「わかった」


 選ぶは三つ巴の乱戦だ。

 いや、相棒の弁舌の冴えによってはヨーヴァル側との一時的な共同戦線を張るのも可能だろう。無論、持ち場を離れた事実がある以上、解雇は免れないがそれでも秋水から「第一」と伝達されている“『クレイトン一家』に損害を与えること”ができるならこの上ない戦果だ。その上、誰もが欲しがる貴重な宝を得るともなれば、二人にとっては任務の失敗など痛くも痒くもない。

 あるいは、本当に乱戦となるならなるで、その時には脱出にのみ専念すればいい。所詮は【見習い】にすぎず「怖くなって逃げた」と協会ギルドに頭を下げれば済むだけだ。これもまた、宝を入手できるなら評価の減少くらい呑み込める。

 いつもと変わらぬ微笑みを湛える鬼灯の横顔に、そうした諸々を含んでの選択と扇間は受け止め感心した。

 いずれにせよ策は定まったのだ。


「――っ」


 屋内へ後退する際、出し抜けに、扇間が首を振って左頬に朱色の線が細めに入った。その唐突な攻撃にさえ凄まじい回避反応を見せた扇間が、すでに鋭い視線を屋根上の一画に向けている。


「小憎らしいほど反応がいいですね――」

「お前、あの時の……?」


 今の錐で孔を穿つがごとき殺意の籠もった攻撃、そして神経を逆なでするようなその声。

 ぼろ切れを顔に巻き付けた、あの異常者がそこにいた。

 名前も顔も知らぬのに、忘れるはずのない『弾き』という風変わりな武術の遣い手とこんなところで対面するとは、“奇遇”というよりもはや“必然”というべきかもしれない。

 もちろん、そんな不愉快な繋がりなど、例え奉じる戦神に託宣されたとて、扇間が素直に受け入れるはずもない。いや断固として拒絶するだろう。


「さて、今回貴方はどのようなお立場か、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「“不意打ちの挨拶”を平然とするような奴とは正直関わりたくないんだけどね」


 殺すつもりで射撃しておきながら、何もなかったように話し出すぼろ切れ覆面に、扇間は油断無き姿勢で冷淡に対応する。


「このくらい、我々の中ではただの挨拶です。互いに切磋琢磨するために、“いつでもどこでも仕掛けて良い”というのが唯一無二の規律ですから」

「それが規律?」

「唯一無二の」


 なぜか誇らしげに応じる覆面に扇間は憮然と端的に評する。


「異常だね」

「ですが羨ましくもあります」


 そんな、とんでもない横槍を入れてきたのは鬼灯だ。その碧い瞳を輝かせながら、「うち(・・)でも提案してみますか」と少し興奮気味なのが癇に障る。


「そちらのお人はイケる口ですね」

「いやこの人のことはいいからっ」


 手遅れになる前に強引に排除して、扇間は自分の呼吸で話しを進めるべく場を何とか整理する。


「鬼灯さんは先に戻ってて! なあ、覆面さん。再戦・・が望みなら、まずはこっちに降りてきてもらわないと」

「“再戦”と云いますか……それはつまり“私の誘い”を断ると?」


 先日、裏通りで戦いを中断したそもそもの理由が扇間に対する勧誘のためであった。それに対する答えを求められていたのを扇間は「ああ……」と思い出す。


「まあ、そういうことかな」

「ならば、わざわざ“地の利”を捨てそちらに赴く理由があるはずもないでしょう」

それがしとの一対一が望みでは?」


 だがそれを耳にしたぼろ切れ覆面は噴き出すほどに嘲笑する。


「ぶはっ……何か勘違いしてませんか。命の取り合いをするというのに、“競い合い”に興味など持つはずないでしょう。こうなればもはや、あるのは貴方が苦痛を受けたときにさらすその感情――あるいは苦悶を浮かべるその表情に、ですかね」


 狂っている。

 それも性的快楽らしいその欲求を得る方法があまりにねじ曲がって理解の範疇を超えていた。どうしてこのような人間が生まれるのか分からぬが、扇間が知るのはどこにでもいる(・・・・・・・)というその事実。

 戦場にて、迸る血と叫びで表す恐怖を耳目に刻み続ければ、人が壊れてひしゃげてしまう現実を幾度も目にしてきたから分かるのだ。

 人はあまりに脆い生き物だ。

 同時に、いかなる状況にあっても、驚くほどあらゆる愉しみ(・・・・・・・)を見出してしまう特異な生き物なのだと。

 あのぼろ切れ覆面は、その際たる生き物なのであろう。何か歪む切っ掛けがあったのだろうが、肝腎なのは、彼が“とびっきりの害意を持っている”という事実。

 もっと明快に云えば“敵対する”ことを表明し、故に倒さねばならぬ相手(・・・・・・・・・)ということだ。

 だからこそ、それらを踏まえた上で、扇間が思うのはひとつきり。


「哀しいね」

「?」

一生得られないもの(・・・・・・・・・)を望みとするなんて」


 扇間が左手を振り抜いていたのをぼろ切れ覆面が気付いたときには「くあっ」と嬌声を上げ様、横っ飛びに跳んでいた。

 一瞬遅れで屋根に弾かれたのは手裏剣だ。


「――よくもっ」


 例え無様であろうとも、間一髪避けきったぼろ切れ覆面が、無我夢中で膝立ちの姿勢をとるなり反撃の力を親指に込めれば、すでに扇間達の姿は建物内に消え失せていた。


「…………っ」


 怒りで犬歯を剥き出しにしながら、ぼろ切れ覆面は黒々とした出入口を睨み付ける。


「その“答え”……必ず後悔することになりますよ。なにしろ今回だけは、彼が(・・)付き合ってくれると云ってくれましたから」


 絶対の自信が込められるのは、よほど強力な援軍の当てがあるからだろう。すでに勝利を確信した声で、ぼろ切れ覆面が屋根上の襲撃者達に指示を出す。


「降りて周囲の警戒を。例え誰来ようとも、目的を達成させるまでは全力で死守するのです。安心なさい――すぐに彼が駆けつけ、建物内を蹂躙してくれるでしょう」


 十名近くの人影が屋根から軽やかに下り立ってくる。そこには、高齢者を除けば『クレイトン一家』における幹部の半数が参戦し、組織内で高い地位を手に入れた腕の立つ『荒事師』も含まれていた。

 一家の最高戦力をほぼすべて投入してきた状態であり、邪魔立てするヨーヴァル商会の者がいれば、殲滅する決意で仕掛けてきたのが窺える。

 だからこそ、この場にいまだ姿を見せぬ仲間に彼らは不審を抱く。


「おい、ガルフ! そろそろ動きやがれ!!」


 “倉”に配置された外の見張り全員がいなくなるのは、想定外の状況であり、そのうち今こうして一組が“倉”に立て籠もることになった状況もやはり想定にはない出来事である。

 当然、獅子身中の蟲として潜伏しているはずのガルフが、まったく顔を見せない状況は困惑以外の何ものでもない。


「まさか、バレて殺られてるんじゃ」

「ありうる。ちっとも姿を見せやがらねえ」


 不安を口にする面々は、それでも四方に展開し己の持ち場を死守すべく構えを取る。そこへ魔鳥のごとく下り立ったのは。


「「「!!!」」」


 あまりに何の脈絡もなく、あるいははじめからそこにいたかのような振る舞いで、当然のように円陣の中央に佇む人影に誰もが息を呑んだのは致し方あるまい。

 その緊張を和らげるように。


「大丈夫。彼こそが我が仲間の内で最強の助っ人」


 屋根上から安全を保証するのはぼろ切れ覆面だ。それこそ彼がそのような事を口にする人物は、いかなる手練れが相手でも耳にしたことはなく、それだけ並々ならぬ期待の高さが窺える。

 だが、戸惑いが襲撃者達を包むのは、あまりに唐突な初顔合わせの状況とそいつの胡散臭い身なりのせいだ。

 夜だというに、まるで陽射しを嫌うがごとく月光を避けるかのようにフードを目深にかぶったその者について、表情や雰囲気から掴める人格・印象は元より年齢・性別・取得職業など基本的な人物像さえ読み解ける情報はほぼ皆無。

 その上、ぼろ切れ覆面に“最強”と言わしめながら強者特有の覇気や闘気は何も感じられず、肝腎の助っ人感がまったく把握できないなんて。

 むしろ生気の無い彫像の如き佇まいに、一層困惑が広がるだけだ。その、場の空気をまったく意に介すことはなく。


 すい、と。


 居並ぶ誰とも呼吸を合わせず、フードの人物が静かに歩を進める。


 さらに、ふわり――と。


 夜の静けさにあっても、地を踏み締めるその足下からは砂利のこすれる音すら洩れてこず、二歩目で宙に舞い上がる様は有翼種かと見紛う軌跡を描く。

 だから石段の頂上に下り立ち、滑らかに屋内へ入り込んできたフードの人物を鬼灯や扇間もあまりに自然と受け入れてしまっていた。



 ――――ッ



 それ(・・)を二人が避け得たのは、頭にくっきりとフードの人物が“敵”であると認識されていたことがすべてだ。

 だからこそ、いかに悪意を感じずとも“敵”が己の間合いに入ることを良しとせず、武人としての習慣で無意識のうちに距離を取ろうとした――その防御反応に救われるっ。


「――なっ」

「これは……っ」


 襟元がきれいに切り裂かれているのに気付いて、二人は絶句する。水平に振り払った姿勢を留めるフードの人物の右腕を見れば、何かで攻撃されたのは理解できる。

 だが、その出だし(・・・)が掴めなかった事実に扇間の表情が見る間に厳しく引き締められていた。

 隣の相棒も理解したはずだ。

 それが剣であれ、槍であれ。

 初動を覚らせぬ攻めを繰り出す業前は、『抜刀隊』においては紛れもなく『席付』の領域に踏み込んだ者のそれだ。

 つまりは自分達と同格の存在(・・・・・)だと。



「やはりいらっしゃるのですね――異界にもこのような御仁が」


 認めるか。

 いや認めないわけにはいかぬ。

 むしろ強者に遭えることをこそ、『抜刀隊』ならば悦び、それを噛みしめ、奉じる不動明王に感謝し

よう。

 そも『抜刀隊』の門戸を叩きし理由こそ、ただ剣の道を極むるがためだけなのだから――。

 扇間の身体がぶるりと震える。


「――ここは私が」


 足を踏み出し掛けた扇間を鬼灯がやわらかく、されど力強い意志を込めて止めた。思わず殺気に似た鋭利な視線を扇間が相棒に向ければ、「外の警戒に適しているのは貴方です」と憎たらしいほど冷静な判断で返される。


「それに何よりこの御仁――」


 皆まで云わずとも、扇間には重々理解できた。

 そう、殺気がない(・・・・・)

 先ほどフードの人物が繰り出した攻撃は、紛れもない殺傷可能な威力を秘めながら、そのくせまったくと云っていいほど“殺意”が込められていなかったのだ。

 つまり、相手の初動を覚らせぬ(・・・・・・・)秘密の一端は、彼ら『抜刀隊』の磨き上げた技倆からくる“業の冴え”とは違うことわりによってもたらされるものだと、二人はすでに看破していた。


 通常、視線や表情、あるいは全身のあらゆる部位に込められた“力み”はもちろんのこと、殺意あるいは闘気でもいい――敵が発する“攻撃の予兆”を感じ取り、攻防を繰り広げるのは熟達した者にあっては当然の戦闘技法。

 ことに『抜刀隊』の剣士においては、目を瞑っていても相手の殺意を手掛かりに戦うは上位に食い込むための必須でもある。

 逆に言えば、場馴れした者ほど無意識に頼ってしまいがちになる。それが今回の敵を相手とする場合、これ以上なく不利になると鬼灯は云っているのだ。


 だとすれば、彼こそ大丈夫なのか――?


 あるいはそれこそが扇間が至れぬ『第六席次』の高みだというのか。

 強敵を前に昂ぶる己を抑え、黙して譲った扇間の姿がすべてを物語る。

 そして今言える事実がもうひとつ。

 二人の会話中にも、相手が攻め込んでこない理由が鬼灯の泰然たる立ち姿がそうさせないため(・・・・・・・・)だということ。


 抜刀隊『第六席次』――鬼灯ほおづき 童蘭どうらん


 その真価とは。


「――待たせましたか? 別にいつでもいいのですがね」


 付け入る隙を与えずにおいて、何とも人を食った鬼灯の態度に腹を据えかねたわけでもあるまいが。


 すい、と。


 先ほどと同じように、誰とも呼吸を合わせず素早く鬼灯に身を寄せたそいつが腕を振るい、だが当然のように鬼灯が刀の柄で抑え込んでいた。

 そいつの袖先からのぞく剣先を。


「!」

私の呼吸(・・・・)を盗めるとでも?」


 甘く笑みを含んだ鬼灯が吐息で撫でられる距離にあるフードの奥を覗き込む。

 隠れたままで相対できるものかと。

 すべてを晒さねば我が元になぞ届かぬと。

 普段の彼に似合わぬ、己の剣に対する自負が、フードの人物に強く求め訴える。

 だが、そこにあったのは――まるで深き井戸底を思わせる暗がりに浮かぶふたつの蒼き燐光――それを見とめてゾクリと鬼灯の背筋に氷柱が差し込まれたような悪寒が奔る。


(何です――それは(・・・)?!)


 目にしたのは想定外の秘事。

 たった今し方示した強烈な自負からでなく、ただ戦慄から鬼灯は夢中で柄を押し込み強引に距離を空け、剣を鞘走らせていた。



 ――シュギッ

    ――ヒュアン――ッ



 ふたつの銀線が擦れ合い、軌道を反らせて互いに胸元を浅く切り裂かれる。二撃目はそいつだけが放ったが、すでに間合いが外れていて虚しく空を切った。

 初合で後れを取ったのは鬼灯。

 だが彼は笑う。

 こみ上げるものを抑えられずに。


「――さすがは異界。分かっていますともっ」


 己が見たものへの動揺を瞬時に捨て去り、鬼灯は軽く腰をかがめつつ、ほぼ直刀に近い一風変わった愛刀を胸元に引き寄せた。

 剣柄を胸元に、切先きっさきを相手に向けながら、その刀背の“棟”に空いた手を添える彼独自の“剣尖の構え”を取る。 


 『鹿島至智流かしましちりゅう』――

 剣を学ぶ者の間では、剣術流派の源流として“鹿島七流”の方が聞こえはよく良移流・鹿島流・香取流・本心流・卜伝流・神刀流・日本流の七つの流派を表し、それぞれ鹿島神宮に使える神宮家によって伝承されている。

 だが、鬼灯が師事した者は日ノ本において異教の洗礼を受けた者。そして教示された内容は、わずかな太刀の型とその系譜が『鹿島至智流』と読み方が同じだけの耳慣れぬ古流の業。

 それが既に“失伝”されし御業みわざであり、七流に別れる前の“神意を最も表現した剣術”であると知ったのはずっと後のこと。

 無論、真偽の程は誰にも分からぬ。

 だがそこに込められた意図と術理を鬼灯は信じている。それで十分。

 以来、『抜刀隊』の一部の者以外にその曰くを秘密のものとして聞かせたことはない。

 だが、やはり“源流”故の凄みなのか、あるいは鬼灯故の凄みなのか、彼が体現する“突き”の神技は今の席次を勝ち取ることで十全に証されたと、誰もが認めるところである。故に――


 構え、その剣先に狙われた途端、フードの人物が動きを止めた――いや止めさせられた(・・・・・・・)

 空気を張り詰めさせることなく。

 殺気で縛り上げるでもなく。

 春の陽だまりのような空気の緩やかさにありながら、刻の流れを止めたような静止の術が相手にのみ降りかかる。

 日ノ本広しといえど、剣人武人数多かれど、このような体験を味わった者は一人とていまい。それは即ち、躱し得る術をどう対処すべきかを誰も知らぬということ。

 故に御業――一撃必殺の理想を体現するものなり。


 鬼灯が動いた。


 その動きは緩慢にも見え、滑らかにフードの人物に近づいてゆく。おそらく相手もその動きを目で捉え、頭で認識し、即座の対応を己の身に命じているはずだ。

 だが、鬼灯だけが動くを許される。

 第三者の視点ですべてを把握することができたなら、そうとしか思えぬ(・・・・・・・・)両者の立ち合いであった。


 

 ――――とすっ



 実にあっけなく。

 あまりにあっさりと、フードの人物に鬼灯の剣が刺し込まれる。

 胸の中心あたりから刀身半ばまで。

 刺し貫かれてはじめて、そこで思いついたようにフードの人物がほんのかすかに身震いした。

 それは明らかな“驚愕”だ。

 殺意を含めて感情の一切を見せぬ人物が初めて表した人間味。その実力からして、敗北知らずの無双を繰り返していたのが窺えるだけに、絶対的な強者の自負があっただろう。

 今回も羽虫を踏みつぶす程度でいたはずだ。

 それが。


「――く、ははっ」


 まったく予想だにしない場違いな反応だった。

 それは誰もが分かる明快な笑い声。

 名家の青年が、家族の団らんを愉しむように。社交場で意中の令嬢と共にダンスを踊れたように。

 彼が紛れもなく悦んでいるのは確かだ。


 胸を貫かれながら。


 そして、心からの笑いがフードを揺らして偶然にもその素顔を曝け出してしまう。

 表れたのは白ちゃけた病弱そうな男の顔。

 端正ではあるものの、紫がかった唇や血管の微細な青筋が薄く見える頬に不健康さの方が際立って、たいていの娘子からは敬遠されてしまうだろう。

 銀髪は艶やかで月の雫を含んだように魅惑的でさえあるのに。

 だが、その不健全さが永遠に治らぬことはその両眼に宿る蒼き燐光を見れば一目瞭然だ。


 この世のものとは思えぬ光に。


 彫像のような気配も、感情の機微を示さなかったのも、尋常ならざるその身体能力も。

 ことわりの外にいる者であれば、すべてに納得がいく。


「世に出て百数十年――とんでもない人間がいたものだ」

「……」


 今の台詞は何なのか。

 鬼灯だけでなく扇間の眉も大きくひそめられる。


「正直に言おう。柄にもなく驚きすぎて、まったく手も足も出なかった」


 降参と云う割に晴れ晴れとした声で。先ほどまで感情の機微を見せなかったそいつは饒舌に話し続ける。


「まったく素晴らしい。『銀翼級』でもこのような一撃を私に入れた者はいないよ。だから君に礼を尽くそう」


 そうして優雅に右手を振って会釈する。


「私は『俗物軍団グレムリン』が筆頭幹部(クアドリ)――フォルム。まあ、巷では“無形”の方が通りがいい」

「『俗物軍団グレムリン』……!」


 君にだけ特別だ、と名乗りを上げるフォルムの言葉を鬼灯は最後まで聞いていなかった。『俗物軍団グレムリン』の名に聞き覚えがあったからだ。


         *****


「――姫さんの目的を遂げさせるには、『蒐集家コレクター』だけに注意すればいい、てわけじゃない」

 

 公都までの道中、想定される困難トラブルにについてトッドから教授されている折、相見える強敵についても説明があった。


「第三軍団のことでしょう?」

「いや第四軍団・・・・――軍外軍てえ、とびきり奇妙でとびきり凄腕のはみ出し軍隊(・・・・・・)がこの国にはあるのさ」


 言葉にしたところで伝わるはずもない。いつもと変わらぬ甘味を含んだような甘い笑みを口元に湛える鬼灯に、トッドはそれでも自身が持ち得る情報を言葉で尽くす。


「あれで意外と、閲兵式には参加するらしくて連中の『幹部クアドリ』と呼ばれる人間が六人いることと、その中でも下位の者は名も正体も知れ渡っているんだ」

「では上位については?」

「上位三名は……練兵の度が過ぎたとかで、包帯だらけで松葉杖を突いてるからよく分からんとか」


 肩をすくめるトッドが、しかし、その視線を鋭く細めて「でも、毎度そんな有り様と聞いたらどう思う?」と付け加える。


「何かを隠すためのうそ、でしょうね」

「だよな」


 みんなもそう思ってるらしいとトッドは何度も頷く。


「だが相手は十年前の英雄様達だ。公然と侮辱するような言葉は掛けられねえ」


 そうした貴族や騎士の隙を政敵が見逃すはずもないからだ。その馬鹿げた牽制をしあっているおかげで、彼らは今でも大手を振って茶番を演じ続けていられるらしい。


「上位も下位も『幹部クアドリ』が強いのは間違いねえが、色んな意味で見えないのが筆頭幹部のフォルムて男だ」

「見えないとは? 武力とは別な意味で“強い”ということですか」

「いーや、実力はだんち(・・・)だろうさ」


 はっきりと言い切るトッドの態度はいかなる確証を持ってのことか。近くにいた扇間やグリュネまでが聞き耳を立てる中、トッドはその種明かしをさらりと行う。


「なぜなら、あの十年前の大戦を終結に導いた『双輪』との激戦において、軍団長以外で生き残った者がフォルムただ一人だからさ」

「「――っ」」


 常に暗色の外套マントを身に纏い、月夜を象ったようなその姿に、仲間内でも近寄る者はいなかったという。

 どこの貴族かを確かめた者はいない。

 辺境とはそういうところが確かにあった。

 特に寄せ集めた軍隊だけに身分も出自も問うことがなかったからその実力さえも甚だ疑問、されどいつの間にやらその地位に彼はいた。

 だが大きな部隊を初めて指揮するとは思えぬ有能な補佐振り。

 辺境の荒くれ猛者達が頻繁に起こす痴話喧嘩・・・・をさりげなく止めてしまえる実力の片鱗。

 そして団長に対し、誰よりも真摯に礼と忠を尽くすその優美な姿に文句を口にする者なぞすぐに絶えていた。

 その噂や逸話はすべて、彼らがあの日殲滅するまで人伝に流された情報ばかりである。

 後方支援からの伝者や張り付いていた商人、途中で立ち寄った村落で彼らと触れ合う機会があった者などから。


「公式の記録では、悪行で村を悩ます山種族『ズア・ルー』討伐において、“一匹で十人は殺す”と言われる奴らを“一人で十匹狩った”という戦果が残されている。その十匹のうち半数が“一匹で三十人は殺す”と言われる上位種だったとか」

「実力が凄いのは分かりましたが、よくそんな話しを知っていますね」


 むしろその情報力にこそ感心すると鬼灯が伝えれば、トッドは「エンセイの旦那に聞いたんだ」と意外な情報源を明らかにする。


「エンセイ殿が……?」

「ああ。何でも夜道でばったり出遭ったとか」

「……」


 鬼灯の顔が胡散臭げになるのは当然だ。ばったり(・・・・)もなにも“待ち伏せ”以外にあるはずなかろうと。

 エンセイについては『抜刀隊』の中でも話題の中心人物になっておりよく知っている。

 羽倉城の玄関口で起きた騒動については誰もが知るところとなっており、特にその時に見せたエンセイの剣の冴えは、その場にいた者達から畏怖を持って語られているだけに。

 それを事実と『抜刀隊』の者にも頷かせるのは、遠目で窺うその物腰だ。“かなりの手練れ”と『盲目の剣人』谷河原月齊も太鼓判を押していた。

 そんなエンセイが件の人物に事実上待ち伏せされていたとなれば、鬼灯や扇間にとってはその続きの方が気に掛かる。


「それで、どのような結果に……?」

「あん? 結果も何もあるめえよ。ご挨拶して別れたんだと」

「へ?」

「いやいやっ」


 さすがの鬼灯もそんなはずあるまいとトッドを覗き見る。


「じゃあ何のためにその話しを?」

「すれ違いはしたが、二度試された(・・・・・・)と」

「……ほう?」


 外目には泰然自若として、しかしながら内心にほどよい緊張感を忍ばせながら、エンセイはその人物とすれ違い、間合いに入る直前と一歩すれ違った直後の二度に渡って斬りかかられた(・・・・・・・)と感じ取っていた。


「なにひとつ殺気はなかったと。けど確かにふたつ、冷たい刃が迫る肌の粟立ちを感得して、旦那も想念のみで迎え討ったらしい」


 剣士としての本能がそう反応したのだろう。

 互いに“意の刃”で切り結び、あるいはしのぎを削ったのは刹那に過ぎず。

 そして実際には斬り結ぶこともなく二人は無事にすれ違っていた。

 問題は、例え脳裏であっても一撃入れる感触を得られぬまま別れたことだ――曲がりなりにも“三剣士”と呼ばれたこの自分が。

 「あれは何者か」と慄然としたエンセイはすぐにくだんの人物を調べさせ、それが噂の筆頭幹部であったことを知ったわけだ。そして、唯一残されていた公式記録の内容もその時に入手することができたらしい。


「謎は多いが、実力は本物さ。だからこれは、おめえ……気をつけろって話しよ。有名どころのバルデア卿や外軍の団長にばかりかまけていると、あんたらだって足下を掬われるぜ?」


 トッドの真剣な眼差しに二人も神妙に頷かずにはいられない。自分達はこの世界についてあまりに無知で赤子も同然なのだから。

 つまり己が土俵の戦いであっても、相手の力を推し量る物差し自体、数が足りていると(・・・・・・・・)すら限らない(・・・・・・)というわけだ。


「それでも姫さんは信じている。俺もあんたらに賭けたんだ――あの化け物達を越えてくれるってな」


         *****


「よかった。私のことを知っているんだね?」

「よくない噂ばかりを」


 嬉しげなフォルムの言葉で回想から引き戻され、鬼灯は言葉に嫌悪を込める。トッドから聞かされた話の中には、戦後における軍団の人知れぬ暴虐もあったためだ。だが相手はそれを強さの話しと受け止めた。


「君の腕前も引けを取らぬと思うよ」

「それはご丁寧に」

「だがその武器で(・・・・・)私を滅することは叶わない」

「?」


 云われてみれば、胸部を貫かれながら、フォルムは苦痛を見せるどころか、逆に笑ってみせている。あれは決してやせ我慢などではないし、痛みを快楽とする性的嗜好でさえない。


「ただそれではつまらない」

「!」


 鬼灯の愛刀を鷲掴み、ゆっくりと己の胸より引き抜きはじめる。咄嗟に鬼灯が力を込めるも桁違いの腕力で拮抗することもできぬまま。


「これと思った相手とは遊戯ゲームをやることに決めている」

「げーむ?」

「簡単さ。我が『月下術』は封印する。それに深い傷を受けたときは、瞬時に反撃するのはなしにする。そして致命傷と判定される攻撃を受けたら、敗れたとみなして退散してあげよう」


 まるで大人が子供と遊ぶように。

 高みから蟻を見下ろすように。

 おそらくは無意識に尊大に振る舞うフォルムをだが、「なるほど」と鬼灯は納得する。業の冴えで劣っていたとしても、フォルムには対応策があるのだろうと。“武器が効かぬ”とうそぶくのもそのひとつであり、『月下術』なるものもそうなのだろう。

 これは人対人の戦いではない。

 人対何か(・・)の戦いなのだ。

 ならば、あらゆるものを含めた総合的な戦闘力なら、自分が上とフォルムが判断するのも分からぬでもない。

 事実、先の一手は奴に受けられる(・・・・・)と鬼灯自身も考えていたから、逆に攻撃が通って驚いていたくらいだ。

 それを慢心――とフォルムがそのように理由を求めるならそうなのだろうし異論はない。


「ならば、ここからが本番ですか」

「いいね。“気”の揺らぎがない」


 掴んでいた刀を放し、フォルムが病弱な顔に軽く笑みを湛える。そして後方へと屋外へと飛び下がった。


「これは今の一撃に対する報酬・・だ。もう一度同じ負傷を与えたら合わせて一本――」


 この場から退散すると。

 前へと踏み出し挑む鬼灯に「外は――」と扇間が警告を発する。


「分かっています。ですがあのような化け物(・・・・・・・・)――提案に乗る以外に生き残る術はないでしょう」


 慰みものにしたいだけなら、すべては終わりだ。だが、フォルムには彼特有の嗜好があると思われ、ならば彼自身が定めた規律を守るはずだと賭に出る。


「――なら、後の連中は任された」


 覚悟を決めて扇間も応じる。

 武器も効かない正真正銘の化け物に手練れの襲撃者達。場合によってはヨーヴァル側とも一戦を交えることを視野に置きながら鬼灯の後を追う。



 ぅわああああぁあぁあああ!!!!



 その時、背後で地の底から沸き上がるような悲鳴が聞こえてきて、すぐに扉を乱暴に開け放つ音が廊下を伝って響き渡ってきた。


「え……?」


 突然の出来事に扇間の足が止まり、驚きのあまり身を強張らせる。

 一体全体何が起きたのか。

 扇間はゆっくりと己の背後を振り返るのだった。

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