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変わらぬ友人もいなくはない

 統合協会の中をうろつくのは、正直気が引けた。ごちゃごちゃの内に辞めた職場だ。顔見知りの職員とすれ違えば、何かしらの反応がある。軽く驚く者、好奇の目を向ける者、気まずそうに顔を反らす者。別に心が痛みはしないが、少々面倒くさい。



 だからだろうか。普通に話をしてくれる相手と会って、ほっとした。



「あら、レイン・エンフィールドじゃない。お久しぶりね」



「久方ぶりだな、小峰由里(こみねゆり)



 細いフレエムの眼鏡越しに、小柄な女性が私に微笑む。小峰由里――統合協会の事務方に勤務するこの女性は、私の数少ない理解者の一人だ。身長は五尺ほどしかなく、私の肩くらい。戦闘職でも無いため、線も細い。梅雨だからだろうか、今日は紫陽花らしき小花が散った着物を着ていた。



「退職してから一度も顔を見せないから、どうしたのかと思っていたわ。貴女のことだから、何とかしているだろうとは思っていたけど」



「四ヶ月ずっと四ツ葉に引きこもっていたよ。今日本土に着いて、村上に挨拶してきたところだ」



「そうなのね。思ったより元気そうだから、安心したわ。あ、貴女が協会に残していった私物預かってるのよ。渡しておくわね」



「何かあったかな......」



「雑記帳が数冊、それとお化粧道具が一式ね。中身は見ていないから、安心して」



 完全に忘れていた。白粉や口紅が納められた化粧道具の巾着袋は、正直どうでもいい。ただ、雑記帳は困る。あれには日本語の練習も兼ねて、日々の思うところを好き勝手に記している。

 そして私の思うところと言えば、亘理井澄(わたりせいと)についてがほとんどだ。読まれたら死ぬ。



「そ、そうか、預かってくれて済まない」



 だから声が上ずっても、それは仕方がないと思う。幸い小峰は素直に返してくれた。意味ありげな笑みを添えてだが、それくらいで済んで良かった。



「どうせ井澄(せいと)君のことばかり書いてあるんだろうなあー。あっ、図星かな?」



「お、お前の知ったことじゃないだろうっ」



「ああ、やっぱり図星か。貴女ってほんとこじらせ系よね」



 訂正しよう。余計な一言まで付いてきた。歯噛みしつつ、私は話題を切り替える。ついでに頭も切り替える。



「それでだな、私が事務室に寄った目的がまだ果たされていないんだが。いいか?」



「勿論。どうぞ?」



「村上から依頼を受けた。星火の過激派が離反して、悪事を働いている。それを捕縛、もしくは殺害すること。これが依頼書だ」



 スウツのポケットから一枚の紙を取り出し、小峰に見せる。村上の名で捺印が施されたその和紙は、統合協会から外部者への正式な依頼書だ。私が受ける条件の一つとして、協会から武器の補充を受けられる事がある。



「ああ、そういうことね。なるほど、承りました」



「敵の数は六名と聞いている。その過激派が"黒焔"と自らを称していることもな。だが、情報が足りない。それらも提供して欲しい」



 眼鏡を光らせながら、小峰由里は一つ頷く。事務方とはいえ、彼女も統合協会に勤めて長い。私の話を聞いても、その表情は落ち着いていた。



「そうね。武器を揃えるにしても、相手を把握しないと、どんな武器が必要か分からないものね。小一時間ほど待ってくれる? 必要と思われる情報を揃えて、一式全部渡すわ」



「分かった。もう夕刻だし、明日でもいいが」



「あら、お夕飯一緒に食べながら話しましょうよ。うち来るでしょ? 主人もレインだったら歓迎だしね」



 小峰由里はころころと笑う。挨拶もせずに辞めた私を、彼女は以前と変わらぬ態度で接してくれる。



「いいのか、急にお邪魔しても」



「いいわよ、本土帰還のお祝いみたいなものだしね。あ、言い忘れていたわ。お帰りなさい、レイン」



「――お前に旦那が惚れる理由が分かる気がするよ」



 ひねくれた言い回ししか出来ないが、これが私の出来る精一杯の感謝だった。




******




 小峰の家で、私は風呂を借りた。旦那より先に入浴など、と私は躊躇ったが、客人なので良いのだという。四ツ葉でも施設としての風呂はあったが、銭湯を運営する人がいなくなっていた。なので、濡れた布で体を拭くくらいが、関の山だった。



「湯加減どうー?」



「ちょうどいい。済まないな、先にいただいて」



 庭の隅を囲いで覆い、そこが風呂場になっている。外から覗かれる心配は無い。もっとも私の体を見れば、大抵の男は仰天して腰を抜かすだろうが。



「いいえ、どういたしまして。しかし、レインってやっぱり異国の人なのねえ」



「ん?」



 囲いの向こうから、小峰の声が聞こえる。とぷり、と肩まで五右衛門風呂に浸かりながら、私は生返事を返す。



「やっぱり足は長いし、胸はあるし、腰はくびれてるしねえ。めりはりある体で羨ましいわ」



「......ありがとう」



 そうは言いつつ、私は自分の体に大して興味は無かった。男の視線を感じることはあるが、別にそんなものはどうでもいい。それに多少は体形(スタイル)が良くても、そんなものは吹き飛ばす欠点が私の肌には刻まれている。



 湯の中へと視線を落とす。ゆらゆらと揺れる水面を通して、自分の裸身が見えた。本来ならば、それ相応に白い肌が見えるはずだ。けれども、そこに見えるのは黒一色だった。



 肌が色黒なのではない。黒く見えるのは、肌にびっしりと刻み込まれた魔術文字だ。身体能力強化の魔術を全身に施す為、局部や顔、手などごく一部を除いて、私はこのような人目に晒せない肌をしている。夏でも私が長袖を手放せないのは、そういう理由だ。わざわざ周囲の人間をびびらせる程、私は悪趣味ではない。



 だから、きっと。



 私を愛してくれる男など、いないだろう。



 そして、私も別に誰かを愛したいとは思ったことはない。亘理井澄(わたりせいと)をもしかしたら、私は愛していたのかもしれないが......彼に対する感情が一般的な恋愛感情にあてはまるのかは、私は分からない。



「なあ、小峰。お前、旦那を愛しているのか?」



 返事はすぐには返ってこなかった。ガチャと薪を積む音がした後、ようやく小峰は囲いの向こうから返事をしてくれた。その顔は見えないが、声だけで朗らかなことが分かる。



「うふふ、そうねえ。確かに言えるのは、私はあの人と共にする毎日が好きってこと。一緒に寝て、一緒にご飯を食べて、一緒に出掛ける事がね。そういうことかなあ」



「相変わらず仲がいいことだ。聞いた私が馬鹿だった」



 ちゃぷりと湯で顔を洗いつつ、私は小さく笑った。首を天に向けると、夏の夜空が見える。まるで黒天鵞絨(クロビロウド)硝子(ギヤマン)の欠片を散りばめたような、怖いくらいに透き通った空だった。



「うふふ、レインにもきっといい方が見つかるわよ」



「あり得ないさ。全身に魔術文字を刻んでいるような女だぞ。この体は戦うことしか知らないよ」



「あら、それをひっくるめて貴女を丸ごと好きになる殿方だっているかもよ。貴女、可愛いところあるもの。いつまでも井澄(せいと)君を忘れられないところとか」



「お前、容赦なく古傷を抉るな?」



 囲い越しのやり取りをしている内に、体が温まってきた。湯船から体をおこし、身を湯の外に出した。素っ裸ではまずいので、乱暴に体を拭いてから、さっさと浴衣を羽織る。



「いいお湯だったよ。ありがとう」



「いいえ、どういたしましてー」



 小峰は柔らかく笑う。眼鏡越しの目は優しく、それが私の心に沁みた。




******




 小峰由里のまとめてくれた情報を斟酌しながら、私は武器を整える。四ツ葉から持ち帰った武器は、手入れも不行き届きなピイスメイカーとナイフ一本だけだ。ウェンブリィリボルバァは井澄(いすみ)との戦闘で消失して、今は手元には無い。



 "黒焔の総数は六名"



 全身に魔力を流しながら、私は考える。身体能力強化の魔術の鍵である、認識した箇所にだけ迅速に魔力を通し、自分の感覚と体の動きを擦り合わせる事。それを繰り返す。



 "奴等の頭領の名は、葉隠炎夜(はがくれえんや)。現在の星火燎原の義理の弟か"



 頭の中で敵の姿を想起(イメエジ)する。黒い狩衣(かりぎぬ)を模した戦装束に身を包み、星火は戦場を疾駆する。黒焔の連中は、少しだけ違う服装らしい。形式は同じだが、その戦装束は赤く染め抜かれているという。



 村上から依頼を受けてから一週間が経過した今、私は着々と戦いの準備を進めていた。基本的には奇襲で片をつけたいが、そう上手くいくことも無いだろう。真正面から奴等とぶつかった場合、いかにすれば勝てるか。



「やあ、準備は順調かい」



「見ての通りだ」



 声をかけてきた村上に、無愛想に答える。ここは梟首機関が東京に所持する訓練所だ。使用許可を得た上で、私は体と技の錆を落としている最中である。



「さっきから見ていたんだけど、気づかなかったのかい。腕が落ちたんじゃないかと心配だよ」



「気がついていたさ。放置していただけだ」



 汗を拭いつつ、私は傍らに用意された小瓶を一つ手に取る。中を見ると、鉄灰色の金属粉末が詰まっていた。試しに揺すると、ざらりと小瓶の中で音がした。



「それは?」



 村上の視線は小瓶に注がれている。



「耐火性金属の粉末だ。最近錬成されたモリブデン鋼、それを調達してもらった」



「火炎攻撃への対抗手段か」



「ああ。あとは、これを錬金術でどう変成するかだな」



 小瓶を元の位置に戻し、手近な木に背を預けた。脇下に吊るしたホルスタアには、愛銃ピイスメイカーがある。弾丸と火薬も十分調達したし、分解して手入れも行った。ナイフは全部で四本準備した。迷ったが、ウェンブリィリボルバァは今回は使わないことにした。それよりは錬金術による攻防の手札を増やす。



「期待しているよ、レイン。急かしはしないと先に言っておく」



「そう待たせもしないさ。あと三日もあれば、準備は整う」



 私の返事に笑顔を返しつつ、村上は私と同じように木に背を預けた。思い出す。遠い昔、こんな風にこの訓練所でお互い腕を磨いたものだ。けれど、今はもう、それも手の届かない懐かしい過去(むかし)に過ぎない。

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