少年は都市へと至る④
食べ終わると白湯が出された。アレッサンドラはまだ笑っている。僕は一口すすり、胃の腑に落ちた熱いお湯の感覚に顔をしかめた。
「さて、ここからは大人の話だ……」
そう言われて血の気が引くような感覚があった。
指が上手く動かなくなり、お湯の入ったカップを取り落とした。テーブルの上に水たまりが出来ると、アレッサンドロは文句も言わずに拭いてくれた。
「なに、そう難しい話じゃない」
「ぼ、僕は、戻りたくない」
脳裏にはあの地獄の生活があった。騎士の元で過ごした悪夢の日々だ。
飢饉の時は仲間の死骸を食まねばならなかった。普段は木の皮を剥ぎ、虫を捕えて食べねばならないほどだった。あの生活に戻るのは嫌だ。
けれども僕の懸念は全くの杞憂だった。
アレッサンドラはこの都市の成り立ちを教えてくれた。
誰が何と言おうと、僕の主人である騎士は、この都市へはやって来られないし、よしんば来たとしても僕への所有権を主張できるわけではない。
なにせここはクーランセン公爵の所領の中にある自治都市であるのだから。騎士達の法律が及ぶ場所じゃない。
「この都市の構成員である限り、あんたの身は安全ってわけだ。で、そんな自由の身になったあんたに仕事を斡旋してやろうというんだよ」
「仕事……?」
「そう、仕事。だってそうだろう? ここから追い出されて、あんたはどこへ行くって言うんだい?」
そう言われて僕は自らを省みた。確かに奴隷の焼印はあるし、体中傷だらけだ。おまけに生まれた場所まで分からないと来ている。
「そうだろう? それに、あんたには借金もある」
首をかしげた。借金……。この都市に来て僅か一日だ。そんな物を作る暇があったかどうか……。
けれどもアレッサンドラはかぶりを振った。
「一日分の寝床、それにあんたが来ている服」
アレッサンドラは冷徹な商人のような目つきになった。
どうやら僕は、僕の知らないところで借金をしていたらしい。あの狭苦しい部屋で眠るのも、無料というわけにはいかないようだ。
「まあ、そんなに悲しい顔をすることはないさ。私は寛大な女だ。あんたは見たところ真面目な人間のようだし、無利子無担保、無年限で貸しといてやる」
そう言ってアレッサンドラは若い女給に声を掛けた。
彼女はすぐに計算機と帳簿、それにペンとインクを携えてやってきた。僕にとびきりの笑みを浮かべて去っていく。どうやら仕事は忙しいらしい。
「あんたにはあんな仕事、させないよ」
「でも、僕は奴隷で――」
「元奴隷だ」
アレッサンドラは帳簿に何かを書いている。数字と、それから借用の内容を……。
「あんた、名前は?」
僕が自分の名を告げると、アレッサンドラはくつくつと笑った。
「東の出か……。騎士領よりもずっと東だ」
でも、僕は自分の故郷を見たことがない。
「まあ、いいさ。よし、出来た。あんたにはこれから傭兵になってもらう」
「傭兵ですか?」
「そう難しいもんじゃないさ。やれば分かるよ」
そう言ってアレッサンドラは屈託のない笑みを浮かべてくれた。