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森にうごめく影⑥

「行け行け! 奴も手負いだ!」

 ブランドの鋭い声が森に飛んだ。影が徐々に実態を帯び、その姿を明確にしてくれる。

 あの巨大な熊が傭兵達によって追いつめられていた。体には無数の矢が刺さり、右の目を折れた刀身が貫いている。

 傭兵達は閉ざされた熊の右側を巧みに使いながら、一切休む暇も与えずに攻撃を繰り返していた。熊は明らかに焦れた様子で暴れ回り、その巨腕で木の幹を抉り取った。

 また大きな振動が襲ってきた。体勢を崩した傭兵の一人が熊の牙にかかって死んだ。口からはらわたと血を滴らせ、熊は鋭い視線を周囲に向けた。

 数が減り、傭兵達は疲れ切った体を引きずっている。

「三人一組を維持しろ!」

 ブランドの声が飛んだ。熊の方も疲労困憊だ。血の混じった涎を垂らし、血走った左目で辺りを睨んでいる。傭兵達は熊の周りをぐるりと囲んでいた。

 出ていく時は二十人ばかりいたはずだ。けれども、もう今や十人を割りこみそうな数しかいない。

 僕は近くの木の上からじっと見つめていた。戦いの素養なんかない。あるのは駆り立てられた義務感だけだ。アルバニアや、アレッサンドラに言われたから来ているだけで、僕に熊をどうこうする力はない。

 石を握りしめたまま、じっと戦いの行方を見守っていた。

 手負いの熊はなお一層の力を振り絞っているようである。右目からとめどなく血が流れ、その黒々とした毛皮をしとどに濡らしている。腕を振るうたびに血の滴が垂れ、牙の間から苦しげな声が漏れた。

「ちくしょう!」

 傭兵がまた一人餌食になった。倒れた拍子に熊に踏み潰された。

 熊の全体重を受けて明らかに胸板がへこむ。ひと時激しく暴れていたが、小刻みな痙攣を最後に糸が切れたみたいに動かなくなった。

 その隙に傭兵達が攻撃を加えるものの、その分厚い毛皮は、そう簡単に刃を通してくれないようだ。

「慌てるな、相手も弱っている」

 ブランドもまた傷ついていた。

 見れば、脇腹の辺りが鮮血で濡れている。蒼白の顔に嫌な汗を掻いていて、動くのがやっとという有様だ。肩で息をし、剣を杖にし、時折思い出したかのように華麗な円を描いて熊の攻撃をいなしている。

 熊は明らかに相手を見定めていた。弱そうな相手、弱った相手をはっきりと理解している。

 手負いとはいえブランドは傭兵の中でも屈指の実力である。熊もそう深く攻撃を踏みこんではいない。彼よりも実力の劣る人間を一人ずつじっくりとなぶり殺しにしている。

 見つかったら、まず真っ先に僕が狙われるだろう、という直感があった。

 僕は木にしがみつき、じっと下の様子を見ているしかない。顎から汗がこぼれ落ち、足元の落ち葉を濡らした。

 その時だった。熊の膂力で傭兵の一人が宙を舞った。カバーニだ。アルバニアの向かいに住んでいる男。彼がまともに攻撃を食らい、僕の潜む木に直撃した。

「うわ!」

 そう声を上げた瞬間に口を手で押さえたが、しかしその場にいる全ての生き物に、僕の存在が気付かれてしまった。

「お前……!」

 ブランドが鋭くこちらを睨んだ。

「あ、危ない」 

 そう声を掛けたのはほんの一瞬の判断で、ブランドも事態に気が付いて身を屈めた。

 一瞬の隙をついて、熊がブランドに襲いかかったのである。その鋭い攻撃をかわしたブランドは、唸るような声を上げながら切っ先を熊の肉体に突き込んだ。

 熊は苦しげに声を漏らし、懐深くに潜り込んだブランドを自慢の力で振り切った。

 一気呵成に傭兵達も攻め込んだが、死に迫った熊は、その力の限りを尽くして傭兵達を薙ぎ払う。

 そのうちの一人が僕のいる木に当たり、僕はあえなく枝から落ちた。

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