邂逅②
それまでの静寂が嘘のように、鳥達の飛び立つけたたましい音、そして魔物の呻き声、獣の悲鳴が森の中をつんざいた。よほど強烈な風が吹き抜けたのか、頭上の枝葉が激しく揺れた。
僕はじっと森の奥を睨んだ。
音はそちらの方から徐々に近づいてきている。異様な雰囲気だった。そこここの木々から鳥が飛び立ち、獣の遠吠えが遠ざかる。けれども森を激しく揺らした、地鳴りのようなものは段々と近付いてくる。
枯れ枝を一本、握りしめたままだった僕は、やっとのことでのろのろと動きだした。その音の正体が何であれ、兎にも角にもここから離れねばならないと察したのだ。
「おおい!」
遠くから声が掛けられた。森の深部の方からだ。
視線を転じると、中年の男が汗みずくになりながら手を振っている。立ち止まり、顔をしかめていると男が叫び声を上げた。
「逃げろ! 逃げろ!」
そんな言葉を叫んでいる。地鳴りがますます強くなる。男の後方からやってきているようだ。彼は何度も手を振りながら、しきりに後方を気にしていた。
また地鳴りが響き渡った。獣の唸り声で男の声が聞こえなくなる。
足が動かなかった。男の後方から現れた、その黒い影を見て。
僕の二倍はあろうかという影が、猛烈な速度で木々をなぎ倒しながら突進してきていたのだ。
熊だ!
そう気が付いた時にはもう遅かった。その黒い熊は、はっきりと僕を捉えていて、大きな木に体当たりを食らわしながら急激に方向を転換したのである。
足元を揺さぶるような振動が響いた。僕の目は巨大な熊に釘付けだった。その鋭い眼光が、はっきりと僕を捉えている。分厚い毛皮が逆立っていた。
「ちくしょう!」
男が叫んだ。腰に帯びていた弓を引き、熊の尻に矢を命中させる。
途端に熊の巨躯が持ち上がり、甲高い悲鳴を上げながら止まった。
僕と熊との距離は、たぶんほんの十数メートルだろう。その口元からよだれを垂らした熊が弓の射られた先を睨んでいる。
また一閃、矢が熊に命中した。熊は煩わしそうに右手を払い、己の皮を貫いた忌まわしき矢をへし折った。
「逃げろ! 逃げろ!」
男が叫んでいた。顔を真っ赤にし、汗みずくになりながら。事ここに至って、僕もじりじりとあとじさりをする。
落ち葉が重なる音で熊が振りむいた。その瞬間に僕も踵を返し、一心不乱に森の縁を目指して進んだ。
魔物も獣も、何故か日差しを嫌うからである。
僕のすぐ後ろで木がなぎ倒される音がし、ミシミシと軋むような音を立てながら、大木が倒れた。
それでも振り返れなかった。背中に担いだ枯れ枝が落ちてしまうのもいとわず、半ば這いずるようにして土くれだった森の中を駆けた。
熊の唸り声は徐々に遠ざかっていった。地鳴りや衝撃も同様だ。
やっとの思いで日差しのあるところまで逃げ、僕はじっと森の中に目を凝らした。
熊の巨体は再び奥へと戻っていこうとしているようだった。あの男はどうなったのだろうか。僕の目では見えなかった。




