少年は都市へと至る①
走る。体内から響く鼓動が耳道を激しく揺さぶる。
息をせき切らし、視界はおぼろげである。遠くから聞こえる魔物の悲鳴が静寂をつんざいた。
深い森の中である。密集した木々のおかげで方角を見失い、さっと頭上を見上げた。
夜のことだ。月を背に負うて、真っ直ぐ伸びた木々の狭間を、まるで糸で縫うようにして駆ける。
濃い夜霧が視界を遮っていた。それを照らすは僅かな月光と、それから欄干である。頭上いっぱいに伸びた枝葉が風にゆられてざわついていた。
その影の一つに至るまでもが、僕を追う騎士の追手のように思えてならない。
息が切れていた。四日四晩も走り続けてきたツケか、足が震えていて、まるで折れかかった棒のようである。真っ直ぐは進めず、時折木の幹にぶつかりながら何とか前へと行く。
巨木の根に躓き、転ぶ。体中に湿った土の匂いがまとわりついた。もはや掻く汗も、飲み込むべき唾さえもない。口の中に入った土が、ざらついた感触を残すだけだ。
半ば這いずるようにして森林地帯を出た時、どうやらまだ夜もそれほど更けていないのだということが分かった。体中に出来た擦り傷や切り傷が夜の冷たい風を浴びて疼いた。
もう真っ直ぐは歩けない。走る気力は残っていない。
彼方に都市の正門を照らす巨大な松明が見えた。そこまでいけば僕は自由の身になれる。行けなければ……そこでお終いだ。
終点が見えると、ほんの少しだけ元気が戻ってくる。
ふかふかの芝生に手を付いて立ち上がり、再び歩き出す。
正門を閉める合図なのか、大きな鐘の音が鳴り響いていた。あとどれくらいの距離があるのだろう。声を上げることも、手を振ることも出来はしない。
もう汗もない。ざらついて、べたついた感触が肌に残っているだけだ。
相手もこちらの様子に気が付いたらしい。正門を閉めようとしていた衛兵が、手を止めて、まじまじと見つめていた。
その様子に気を取られていて、何もない芝生の上で転ぶ。昼間に大行進でもあったのだろう。羊の糞が鼻先に落ちていて、蝿がたかっていた。
もう一度立ち上がる。衛兵達が何かを叫んでいる。ここ数日――特に水も飲めなくなってから――耳鳴りが酷くて何も聞こえないのだ。閉めると言っているのか、急ぐなと言っているのか……。
呼吸さえも苦しく、浅くなった。深く吸うと咳が酷くなるからだ。何度も嗚咽を漏らしながら必死に駆けた。
徐々に地面に傾斜が出てくる。都市は丘陵地のど真ん中に建てられているのだ。這いつくばりながら斜面を登る。
大きな松明が僕の顔を照らすようになった頃、痺れを切らしたのか衛兵が二人、近付いてきた。
小さなカンテラを持っている。その光に照らされると、僕の中に良く分からない安堵感が広がり、そのまま動けなくなった。丘にうつ伏せになり、荒く呼吸を繰り返した。
腕を強引に掴まれた。体を持ち上げられる。衛兵達はぶつくさと文句を言いながら、僕の体を引きずってくれた。
視界には霞がかかり、彼らの顔さえも判然とはしない。今や、分かるのはカンテラの明かりと、都市内部を煌々と照らす夜の光景だけであった。
「全く、どこの奴隷だ、こいつは……」
「知らんよ、とりあえず宿の前に捨てておこう。運が良ければ生き残るさ」
そんな言葉が最後に聞こえた。僕の意識はより深く、深くへと沈澱していく。もはや現世に留めておくことは叶わず、そのまま気を失ってしまった。